第二部 第二話 ――貴族たちの円卓、その裏側
翌朝の首都ヴァルアスは、澄んだ空気に包まれていた。
魔導灯が消え、代わりに陽光が白い石畳を照らす。街はすでに活気に満ち、商人たちは店を開き、馬車が忙しなく行き交っている。
だが、その賑わいの裏で、今日という日が持つ意味を正確に理解している者は多くない。
「……始まりますね」
椎名は窓辺に立ち、街を見下ろしながら静かに呟いた。
本日は、諸侯貴族が集う「事前協議の日」。
公式な会議の前に行われる、非公式の会合――本音と本音がぶつかり合う場であり、決定事項の大半はこの段階で既に形を成す。
表の会議は、ただの追認にすぎない。
ラルト・アルヴァリア公爵は、正装に身を包みながら、落ち着いた様子で椎名の言葉を受けた。
「ここで流れを掴めるかどうかが、すべてを左右する」
「ええ。ですので――本日は“押さず、引かず”が肝要かと存じます」
ラルトは一瞬、目を細めた。
「……君は、すでに全体像が見えているようだな」
「まだ輪郭程度でございます。ただ、貴族の方々の思考は、どの世界でも大きく変わらぬものかと」
椎名はそう言って、軽く一礼した。
会合の場は、王城内の一室。
円卓が置かれ、名目上は“対等な議論の場”とされているが、実際には席順や立ち位置に明確な意図がある。
アルヴァリア公爵の席は、中央よりやや右。
――目立ちすぎず、だが軽視もできない位置。
周囲には、名のある貴族たちが集まっていた。
肥え太った中年貴族。
鋭い眼光を隠そうとしない老侯。
若くして爵位を継いだ野心家。
誰もが、穏やかな笑みを浮かべながら、内心では別の計算を巡らせている。
「アルヴァリア公爵、遠路ご苦労」
最初に声をかけてきたのは、中央派の重鎮である侯爵だった。
その声音は柔らかいが、言葉の端々に含みがある。
「辺境の統治はさぞ大変でしょう。最近は、南の森も騒がしいと聞く」
――来た。
ラルトは微笑を崩さず、静かに答える。
「確かに、森は以前よりも注意を要します。しかし、領地の騎士団と魔法師団が常時対処しておりますので」
「ほう。それは心強い」
侯爵は頷きつつ、ちらりと椎名を見る。
まるで、“その人物は何者か”と問いかけるように。
椎名は一歩下がり、執事としての立場を崩さない。
視線も、感情も、すべてを抑えたまま。
だが、その場の空気の流れは、確実に読んでいた。
(探っておりますね。森の件を口実に、軍事力と内部事情を測るおつもりか)
別の貴族が、話題を変えるように口を挟む。
「アルヴァリアは資源も豊富と聞きますな。魔石の質も良いとか」
「ええ。自然の恵みでございます」
ラルトは淡々と返す。
誇らず、否定もせず。
その態度が、逆に相手の警戒心を煽っていることを、椎名は理解していた。
――この公爵は、隙がない。
だからこそ、彼らは“周囲”から崩そうとする。
「ところで、公爵」
今度は若い伯爵が、軽い調子で言った。
「最近、優秀な人材を抱えられたとか」
その視線は、はっきりと椎名に向けられている。
「……私の執事のことでしょうか」
ラルトは一拍置いてから答えた。
「ええ。辺境にしては、ずいぶんと異色だと噂になっております」
空気が、わずかに張り詰める。
椎名は、ここで初めて一歩前に出た。
深く、丁寧に頭を下げる。
「椎名と申します。アルヴァリア公爵家にお仕えする、ただの執事でございます」
声は低く、穏やか。
余計な感情は一切含まれていない。
「……ほう」
伯爵は興味深そうに目を細めた。
「ただの執事、ですか」
「はい。主の身の回りを整え、必要であれば助言を差し上げる。それが務めでございます」
それ以上は、語らない。
だが、その沈黙こそが、周囲に余計な想像を掻き立てていた。
(――この方は、前に出れば出るほど、不利になる)
椎名は、意図的に存在感を抑えた。
それでいて、“消えない”。
会合は穏やかに進み、表向きは友好的な意見交換で終わった。
だが、屋敷へ戻る馬車の中で、ラルトは低く言った。
「……思った以上に、こちらを囲い込む気だな」
「ええ。ですが、本日は“釣り糸”を見せてきただけでございます」
椎名は静かに続ける。
「本命は、もう少し後でしょう。
おそらく――会議が本格化する前に、一度“揺さぶり”をかけてきます」
「脅しか? 取引か?」
「いずれも、でございます」
ラルトは短く息を吐いた。
「……首都は、やはり厄介だ」
椎名は、窓の外に流れる街並みを見つめながら、静かに答えた。
「ですが、公爵。
この濁流の中でも――正しく立っておられる方は、必ず目立ちます」
そして、心の中で続ける。
――その“目立ち方”を、致命傷にならぬ形へ導く。
それが、自分の役目だ。
ヴァルアスの空は、どこまでも晴れている。
だが、その下では、確実に次の一手が準備されつつあった。




