第二部 第一話 ――首都ヴァルアス、静かな濁流
首都ヴァルアスは、遠目には栄華の象徴だった。
白い石で築かれた城壁は陽光を反射し、幾重にも連なる塔と尖塔が空へと伸びている。整然と敷かれた大通りには魔導灯が並び、昼夜を問わず街を照らす。行き交う人々の衣は華やかで、商人の呼び声と馬車の音が絶えない。
――表向きは。
城門をくぐった瞬間、椎名はわずかな「重さ」を感じ取っていた。
空気そのものが、どこか淀んでいる。
森で感じた魔力の揺らぎとは質が違う。人の思惑、欲、恐れ、嫉妬――そういったものが幾重にも積み重なり、目に見えない圧となって漂っている感覚。
「……さすがは首都、でございますね」
そう口にした声は、いつも通り穏やかだった。
だが、内心では気を引き締めている。
隣を歩くラルト・アルヴァリア公爵は、表情を崩さず前を見据えていた。
辺境伯としての威厳を保ちつつ、首都という“他人の庭”に踏み込む覚悟を秘めた顔だ。
「華やかだろう?」
ラルトは静かに言う。
「だが、この街は美しさと同じだけ、醜さも抱えている」
椎名は深く頷いた。
「人が多く集まる場所ほど、澱も溜まりやすいものかと存じます」
今回の上京は、公爵個人の意思ではない。
名目は「諸領地合同会議への出席」。
だが実態は、中央貴族たちによる力関係の再調整――そして、中立公国の今後を巡る駆け引きの場だった。
アルヴァリア公爵領は、あまりにも“優秀すぎる”。
辺境でありながら財政は健全。
騎士団・魔法師団の練度は中央に劣らず、民の支持も厚い。
それは、権力争いに明け暮れる貴族たちから見れば、目障りであり、同時に「利用価値のある駒」でもあった。
宿舎として用意されたのは、貴族専用区画にある古い屋敷だった。
豪奢ではないが、手入れは行き届いており、迎えの使用人たちの態度も表向きは丁寧だ。
――表向きは。
椎名は、玄関をくぐる際に感じた一瞬の視線を見逃さなかった。
敵意ではない。
値踏みするような、探るような視線。
「……すでに、始まっておりますね」
ラルトが小さく息を吐く。
「こちらが何もせずとも、向こうは勝手に動く」
椎名は一礼する。
「でしたら、なおのこと“何もしない”という選択はできませんね」
夜。
屋敷の一室で、簡易的な打ち合わせが行われていた。
同席しているのは、ラルト、椎名、そして護衛役を兼ねる数名の騎士のみ。ガイウスは領地に残り、セリウスも今回は同行していない。
「すでに、数名の貴族から非公式の接触があった」
ラルトが低く言う。
「協力を持ちかける者。牽制してくる者。こちらの内部事情を探ろうとする者……」
「典型的でございますね」
椎名は淡々と応じる。
「まずは“どこまで知っているか”を測りに来る」
「問題は、その裏だ」
ラルトは机の上の書状を指で叩く。
「森の件が、すでに首都に流れている」
椎名の目が、わずかに細くなる。
「……早すぎますね」
「そうだ。意図的に流されたと見るべきだろう」
南方の森。
魔力異常。
魔族の可能性。
それらは本来、領地内で慎重に扱うべき情報だ。
それが首都に届いているということは――誰かが、アルヴァリアを舞台に動こうとしている。
「椎名」
ラルトは静かに言った。
「私は、この国を守りたい。だが、力でねじ伏せるつもりはない」
「承知しております」
「だからこそ、知恵が要る」
椎名は一瞬、目を伏せた後、はっきりと告げた。
「では、私が“影”を務めましょう」
その言葉に、室内の空気が引き締まる。
「正面に立つのは公爵。私はその背後で、動きを読み、流れを整えます」
「剣を抜くべき時と、抜かぬべき時。その境を見極める役目を」
ラルトは、ゆっくりと笑った。
「……頼もしいな」
窓の外では、ヴァルアスの夜景が広がっている。
無数の灯りが、まるで星の海のように揺れていた。
だがその光の下では、すでに見えない濁流が動き始めている。
アルヴァリア公爵領を巡る政治の波は、
この首都で――確実に、牙を剥こうとしていた。




