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影縫う剣と蒼き城の執事  作者: わまたよ


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第一部 第一話 ――名もなき剣士、異界に立つ

 最初に感じたのは、音がないという違和感だった。


 風の音も、虫の声も、遠くを走る車のエンジン音もない。

 あるのは、妙に澄んだ空気と、耳鳴りのような静寂だけ。


 ――死んだのか?


 そう思ったのは一瞬だった。


 次に感じたのは、地面の感触だ。

 固い。だが、コンクリートではない。湿り気を含んだ土と、短く刈られた草が掌に触れている。


 ゆっくりと、男は目を開けた。


 空は青い。

 だが、見慣れた青とはどこか違う。雲の流れが緩やかすぎる。空気が澄みすぎている。


「……ここは」


 喉から漏れた声は、思ったよりも落ち着いていた。


 上半身を起こし、周囲を見回す。

 小高い丘。広がる草原。その向こうに、濃い緑の森が横たわっている。


 そして。


 自分の隣に、一本の刀があった。


 黒塗りの鞘。使い込まれた柄。

 間違いなく、自分のものだ。


 椎名しいな 恒一こういちは、安堵とも戸惑いともつかぬ息を吐いた。


「……夢じゃないな」


 刀がある。

 それだけで、状況の半分は理解できた。


 日本。現代。

 彼は、そこで生きていた。


 剣術道場の師範代として。

 競技ではなく、実戦を想定した剣を、ひたすらに積み上げてきた。


 勝つためでも、名を上げるためでもない。

 ただ――「生き残るため」の剣。


 だからこそ、今の状況でも、心は不思議なほど静かだった。


 立ち上がる。


 服装は変わっていない。

 動きやすい黒の上下。腰には刀。違和感はない。


 遠くで、音がした。


 金属がぶつかるような、不規則な音。

 複数人。足音。荒い呼吸。


 椎名は、無意識に重心を落とした。


 森の縁から、三つの影が現れる。


 ――人ではない。


 灰色の肌。歪んだ体躯。

 牙の覗く口から、獣のような唸り声。


(……化け物、か)


 驚きはあった。だが、恐怖はなかった。


 相手は、生き物だ。

 ならば、斬れる。


 椎名は、刀の柄に手をかける。


 抜かない。

 まだ、抜かない。


 距離を測る。数を数える。

 風向き。地面の状態。


 化け物――魔物たちは、理性のない目でこちらを見ていた。


 次の瞬間、飛びかかってくる。


 椎名は、一歩、前に出た。


 ――鞘走り。


 音は一瞬。

 だが、その一瞬で、すべてが終わった。


 最初の一体の首が、ずれる。

 次の一体は、踏み込みの勢いのまま胴を断たれる。

 最後の一体は、恐怖を理解する前に、袈裟に斬られた。


 血が、草を濡らす。


 刀を振り、血を落とす。


「……ふぅ」


 息を整えながら、椎名は考える。


 ここは、どこだ。

 なぜ、自分はここにいる。


 そして。


「……魔法、か?」


 倒した魔物の死体は、じわりと霧のように崩れ、やがて消えていった。


 現実では、あり得ない。


 その時。


「――お見事です」


 声がした。


 振り返ると、丘の下に数人の人影がある。

 剣や槍を持った者たち。整った装備。


 先頭に立つ男は、壮年で、落ち着いた雰囲気を纏っていた。


「あなたは……冒険者、ではないようだ」


 椎名は、刀を鞘に収めた。


「違います」


 短く答える。


「ここがどこかも、わかっていません」


 男は、少しだけ目を見開き、そして微笑んだ。


「なるほど。――ではまず」


「この世界の話から、始めましょうか」


 風が、草原を撫でる。


 その瞬間、椎名は直感した。


 ――戻れないかもしれない。


 だが、不思議と後悔はなかった。


 刀がある。

 生きている。


 それだけで、十分だった。


 そしてこの出会いが、

 後に世界の均衡を静かに揺らすことを、

 まだ誰も知らない。


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