第1話「決意の日」
「まだ村から出て行かないのかい、ベルカ?」
村の男が言うと、周りにいた人々も口々にそうだ、そうだと同調する。悪意は微塵もなく、ただ純粋にベルカが村を出て行った方が良いのではないかと心配だった。それは言われた方もよく分かっていて、庭先で本を読みながら静かに答えた。
「そのうち。だって私のこと嫌いなんだろ」
「俺たちは何も、そんなふうに言ってないよ。ただ、君は、なんていうか」
「この村に似合わない?」
「そう、それ。だって、君は本当にすごい人だ。この村には勿体ない」
村の人々とは、あまり仲良くなれなかった。ベルカが悪いわけではない。かといって近くに住んでいながら疎遠な関係が、良いものになるはずもない。
ベルカ・モーゼルにとっては穏やかな人生を過ごせる快適な村で、ときどき都市からやってくる行商人から食べ物を届けてもらえば困らない。ベルカはその代わりに自身が製造する、あらゆる効能を持った魔法薬を渡せばいい。わざわざ金品を集めて取引をする必要に迫られない、自由な生き方をしていた。
村人のことなど、毛ほども興味はない。周囲の苦言に耐え切れずに両親は出て行き、取り残されたベルカは孤独で、異端者だった。村の行事にも顔を出さず、気分屋で、どこか普通の人間とは乖離しているふうに、ときどき感じさせる。
村人たちには理解できない。どう考えても都市部で暮らしていた方が何かと便利だ。静かな場所だって、探せば見つかるだろう。なのにベルカはそうしない。村に執着しているわけでもないのに、だ。
「都会は息が詰まるよ。どこへ行くにも、人の波に紛れる必要があるんだ。私はそんなことをしたくないし、此処で暮らしていれば薬草も手に入るでしょ?」
「だけどね、ベルカ。若い連中は、もうみんな出て行ってしまった」
いつかは廃れていく村だ。若者は新しい生き方を目指して、古い体質的な田舎の暮らしからの脱却を夢見て旅立った。村に残ったのは年寄りばかりで、一番若くて壮年の男が、嫁も貰わず退屈そうに暮らしているだけ。
「君は年寄りの面倒なんか見ないし、見たくもないだろう。俺たちだってそう思ってる。若い子に面倒はかけたくない。昔から君については散々なことを言ったりもしたが、今では心配だ。はやく町へ引っ越してくれた方が俺たちも安心する」
大きな才能を持つ人間がくすぶったまま小さな村でひっそり過ごすのは勿体ない。年寄りばかりの村で、自身も老いるだけの日常の何が楽しいのか。
あまりにも強く勧められて、ベルカは本を閉じた。
「ああ、うん。なるほど、わかったよ」
長い銀色の髪を縛って束ねていた紐をするりと解き、深いため息を吐く。
「皆が言うように、私も他人の面倒を見れるほど心の余裕なんてない。ましてや、こうも毎日、わざと家の前で話をされていたら気が散って仕方がないよ」
片手に持った分厚い本で、肩をトントン叩く。自分らしい生き方がしたくて村で暮らし続けてきたのに、とうとう出て行けと言われてしまったのだ。なぜ関わらないでおこうと思えないのかと呆れ果てた。
「今日は帰ってくれないか。読みたい本があるんだ」
「読みたいって、その下らない恋愛小説だろう」
「ああ。それの何に問題があるのか教えてくれるかな」
タンザナイトのように美しい青紫の瞳が、村人を冷たく睨む。
「君たちの価値観にそぐわなければ、恋愛小説も下らないのか。それはまた、実に素晴らしい慧眼をお持ちのようで。ドーナツみたいに穴でも開いてる?」
突き刺すような言葉に口をぱくぱくと動かすだけの村人たちを背に踵を返し、さっさと家の中に戻り、玄関の扉をばたんと雑に力強く閉めた。
鍵を掛けた扉に体を預け、頭をごつんとぶつけて天井を仰ぐ。
「私の領域に入るなっての。若いって、いくつまでの話なんだか」
ベルカ・モーゼルは既に三十歳を迎えた女性だ。魔法薬の影響で成長が止まり、十五歳という幼さが残った年齢の外見をしている。だから、村人からすれば幾つになっても子供の様なものとして扱われるのも無理はなかった。
本人としては外見はともかく精神的なものは年相応なので、村人とのそりが合わないのは仕方のないことだ。毎日のように近くで話をしては、何かにつけては、いつ村を出るのか。はやく出て行った方がいいと声を掛けてくる。どうせ自分は永遠に年を取らない人間も同然だと言うのに、とうんざりだった。
「ああまでしつこいとストレスだ。風に当たって本も読めやしないよ。……気に入ってたけど、仕方ないか」
生きている間に、平均的に三回は住処を移ると言われている。そのうちの一回がやってきたのだと思うことにして、がっくり肩を落として自室に戻った。
何を言われても気にはならないが、邪魔をされるのは癪に障る。今まで、同じように何度も邪魔されてきた。それに言われたことにも一理あった。いつまでも村にいたところで、廃れて誰も手入れをしなくなれば、自分の気に入っていた景色は荒れ果てていく。愛した自然の中にある人間の営みが消えるのであれば、村を出て行くのも手段だ。頃合いなのかもしれない、とベルカは受け入れる。
「……よし、じゃあ荷造りでも始めますか!」




