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第1話 有名勇者のご所望は……

「ドラゴンを用意して欲しい」


 そのひと言で、空気が変わった。


 冒険者ギルドでも名を馳せる男、レグス。光沢のある黒銀の鎧をまとい、背中の大剣は床にかすかに擦れるたび、金属音を鳴らす。男の発する威圧感は、受付の空間を数度冷やした。


 新米の僕でも分かる。有名冒険者がドラゴンを要求するとなれば、それはS級モンスターに違いない。名声、実績、強さ――すべてに裏付けられた大物だ。


「どのランクを用意いたしましょうか?」


 カルロスさんの声は、いつもの柔らかさだった。何百人もの冒険者を相手にしてきたベテランらしく、表情一つ変えない。


 でも、僕にはわかる。聞くまでもない。S級。最上級に決まっている――。


「F級を頼む」


 ……は?


 思考が止まった。僕は言葉の意味を何度も頭の中で反芻する。


「それなりのお金が必要ですが……」


 カルロスさんは動じない。淡々と、まるで「いつもの注文ですね」とでも言いたげな態度。


 レグスは無言で、麻袋をカウンターに叩きつけた。鈍く重い音。中には、手に持った瞬間に骨が軋みそうなほどの金貨が詰まっているのは間違いない。


 カルロスさんは袋の口を少し開け、中を一瞥すると、うなずいた。


「分かりました。手配します」


 事務処理のように、簡潔だった。


「で、どこの階層にしますか?」


「三層目だ。あそこは新米が多い。奴らにはドラゴンなんて倒せるわけがない。そこで俺が颯爽と現れて、ガツンと倒す。観客は拍手喝采、ってわけだ」


 その口ぶりは、まるで舞台俳優が台本を語るようだった。


 その瞬間、背中を冷たいものが走る。まさか、ヤラセ……?


 有名冒険者が、弱いモンスターを買い、わざと低層に配置させる。そして自分が「偶然」通りかかり、「劇的」に倒す。名声はさらに上がる。誰も損しない――いや、僕ら以外は。


「カルロスさん、これは――」


「いいんだよ」


 僕の言葉を、彼は静かに遮った。


「三日後、三層目に行ってください。外見は少し荒々しく見せておきます」


 レグスは満足げにうなずき、長いマントを翻して去っていった。


 重い沈黙が、室内に残る。


「……今の、違法じゃありませんか?」


 言わずにはいられなかった。


 カルロスさんは書類の山を整えながら答える。


「シモン。お前、新入りだから仕方ないがな。これは日常だ」


 口調は穏やかだが、その中に鉄の芯があった。


「ダンジョンを維持するには金がいる。特にモンスター育成にはな。毎月の餌代、訓練、魔力の供給管理……。しかも、冒険者たちは『強い敵がいない』と文句を言い、いれば『危険すぎる』と騒ぐ。適度に強く、適度に倒される敵が一番金になるんだ」


「でも……それって――」


「お前は無給で働きたいのか?」


 カルロスさんの視線が、初めて僕に正面から向けられた。その目に、怒りはない。あるのは、現実の色だ。


「おい、エミリー。F級ドラゴンの手配を頼む」


「はーい」


 金髪を後ろで束ねた女性が、カウンター奥から姿を現す。モンスター教育係のエミリーさん。肩には鱗のような模様が刻まれた革製のグローブ。小型のドラゴンに噛まれても平気なやつだ。


「F級ね。S級は手間もコストもかかるし、なるべく出したくなかったの。助かるわ」


 さらっと言うその言葉が、妙に胸に刺さった。


「でも、あの子……生まれて最初に私を見たから、私のこと“親”だと思ってるの。名前は……フィリス。まだちょっと甘えん坊だけど、炎の威嚇は一人前」


 彼女は一瞬、視線を落とす。


「我が子を“演出用”に出すなんて、気持ちいいもんじゃない。でも、これが仕事」


 明るく振る舞ってはいるが、ほんの一瞬、眉の奥に影が差したのを僕は見逃さなかった。


 この人たち……もう感覚が麻痺してるんだ。


 助けを求めたくなる。どこかに、まっとうな人間はいないのか――。


 その時、ゆっくりとドアが開いた。冷たい風と一緒に入ってきたのは、ギルド管理人のジャスミンさん。


 知的な眼鏡に、きっちり結ばれた髪。凛とした雰囲気に、正義感を感じさせる人だ。


 この人なら……!


「えっと……これ、お持ちしました……」


 おどおどとしながら、ドサリと麻袋をカウンターに置いた。


 見慣れた袋。聞き慣れた音。


「依頼人の報酬の一部です。あの……今日はちょっとだけ少なめですけど……」


「まあ、そういう日もあるさ。明日もよろしくな」


 カルロスさんはにっこり笑う。まるで、日替わりパンの受け渡しでもするかのような気軽さで。


 ギルドも、グル……?


 僕の中で、芯のある女性のイメージが音を立てて崩れた。


 その瞬間、コツ、コツ、と硬い靴音が階段から響いてくる。


 重々しいその足音は、やがてスーツ姿の男を連れて現れた。モンスター管理課のトップ、ライルさん。四十代半ば。無精ひげに冷たい瞳、書類の束を脇に抱えている。


「シモン」


 彼は一言だけ僕の名を呼び、階段を降りきると、僕の前で立ち止まった。


「これが、ここでの日常だ」


 誰の目にも異常なこの光景を、平然と言い切った。


「新米の君には、腐っているように見えるかもしれない。でもな――」


 彼は僕の肩に手を置き、口元だけで笑う。


「ようこそ。ダンジョン運営部、モンスター管理課へ」

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