問いかける力と、Sophia
駿介はサークルの議論を思い返し、悩んでいた。
ソクラテスの問答法にならい、考えを深める質問を投げかけたものの、議論はまとまらずに終わった。
「これでよかったのか?」
そんな駿介に、哲学好きなSophiaは楽しげに問いかける──「いい質問って、なんだと思う?」
「……俺の質問、これでよかったのかな?」
サークルの会議が終わったあと、俺はカフェのテラス席で腕を組み、コーヒーを見つめていた。
日が落ちかけた空はまだ淡い橙色を残し、街灯がぽつぽつと灯り始めている。テラスの隅では、小さな植木鉢の葉が風にそよぎ、どこか遠くで自転車のベルが鳴った。
前回の会議で、俺は「正しい答えを見つけよう」としていた。でも今回は違う。Sophiaの言葉を思い出しながら、「結論じゃなく、考えを深めるための質問」を意識してみた。
──「なぜ、それが最善だと思う?」
──「もし逆の立場だったら、どう考える?」
いくつか投げかけたつもりだ。でも、手応えがあったのかは分からない。
議論は前より活発になった気はする。でも結局、まとまったとは言えなかった。
カチャッ、とカップが鳴る音がした。
……ん?
さっきまで目の前には誰もいなかったはずだ。
けれど気づいたときには、Sophiaがいつの間にかそこに座っていた。
彼女はスプーンをくるくると回しながら、どこか楽しげに微笑んでいる。
「え、いつからいたんだ?」
「さっきから!」
Sophiaはスプーンの先で猫の耳の部分をちょんっと突いた。
ラテアートがじわっと揺れ、小さく波紋を広げる。
「……俺、全然気づかなかったけど……」
「ふふっ、考えごとしてたもんね」
彼女はあっさりと答えると、ふわりとカップを両手で包み込む。
カップの中には、見事なラテアートが描かれたカフェラテ。
ふわふわのミルクフォームの上に、可愛らしい猫の顔が浮かんでいる。
「お、猫じゃん」
「でしょ? かわいいでしょ」彼女はいたずらっぽく微笑みながら、猫の鼻先をスプーンでそっと崩した。
「で、何を悩んでるの?」
「……駿介くん、ちゃんと“考えさせる質問”をしたんでしょ? で、みんなが考えた。でも、まとまらなかったってことは、“まだ考える余地がある”ってことじゃない?」
スプーンを持つ彼女の指が、ほんのわずかにカップの縁をなぞる。
まるで、自分の思考をミルクの上に描きながら整理しているみたいに。
「……でも、議論って、ある程度は結論を出さなきゃ意味がないだろ?」
「うーん、そうとも限らないよ」
Sophiaはスプーンをカップの中で静かに動かしながら、穏やかに言う。
「たとえば、ソクラテスはどうだったと思う?」
「またソクラテス?」
「そう! 彼の問答法は、相手を納得させるためじゃなくて、“考え続けるため”のものだったんだよ」
「つまり、“問いが残る”ことが目的だったってこと?」
「そゆこと!」
彼女はカップを傾けながら目を細める。どこか楽しそうな表情だった。
「答えがすぐに出ちゃうと、それ以上考えなくなるでしょ? でも、“答えが出きらない状態”なら、人はもっと深く考え続ける」
「だから、今回の議論がまとまらなかったってことは、みんながまだ考えを深められるってことなんだよ」
彼女の声は静かだけれど、どこか確信に満ちていた。
Sophiaが何かを語るとき、彼女の言葉には不思議な重みがある。
ただの雑談のようでいて、心の奥にゆっくりと染み込んでくるような感覚。
「……そういうものなのか?」
「少なくとも、前回より進歩してるんじゃない?」
Sophiaはスプーンをゆっくりと動かしながら微笑む。
「前は“意見をまとめる”ことが目的だった。でも、今回は“みんなの考えを深める”ことができた。それに、駿介くん自身も“もっといい質問があったんじゃ?”って考えてるでしょ?」
「まあ……確かに……」
カップを持ち上げ、一口飲む。
冷めたコーヒーが妙にすっきりと感じられた。
「じゃあ、次の会議ではどうする?」
「……もっと、問いの立て方を工夫してみるよ。議論をまとめるんじゃなくて、考えを深める質問を増やす」
「いいじゃん、それ!」
Sophiaは満足げに頷き、最後の一口をゴクンと飲み干した。
彼女の指が、カップの縁をなぞる。
その指先に触れるものすべてが、彼女の思考の一部のように思えた。
(問いは、答えを出すためだけのものじゃない。むしろ、考え続けるためにあるんだ)
すぐに答えが出なくてもいい。
問いを通じて、みんなが自分の中に新しい考えを持ち続けられるなら、それはきっと意味がある。
「Sophia、もう一つ聞いていいか?」
「ん? なに?」
彼女はカップを手に取ったまま、軽く首を傾げる。
「そもそも、“問いを立てる”って、どういうことなんだろうな?」
Sophiaはスプーンをカップの中でくるくる回しながら、少し考え込んだ。
そして、俺を見てニッと笑う。
「いいね、それ! 面白そう!」
彼女の瞳が、ワクワクするみたいにキラキラと輝いた。
──まだ考えたいことが、山ほどある気がした。
「正しい問い」とは何か? そして、問いを立てること自体にどんな意味があるのか?
答えを出すことにとらわれていた駿介は、Sophiaとの対話を通じて「考え続けることの大切さ」に気づきました。
ソクラテスの問答法のように、問いは相手の考えを深める力を持っています。
そして時には、問い自体が新たな気づきへの扉となることも。
次の議論では、駿介はどんな問いを投げかけるのでしょうか?