序章の序章。物語は始まってすらいない。
「陶犬瓦鶏」という言葉がある。
由来、なんてものはこの場合どうでもいい。重要なのは意味である。
「陶犬瓦鶏」──形ばかり立派で、実際の役に立たないもののたとえ。(三省堂 新明解四字熟語辞典)
これからこの世界に放り込まれる齢17の少年は、まさしくそんな人間である。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり──」
かの有名な冒頭が女教師の声となって響く教室では、空腹と眠気が限界に達した何名かの生徒が夢の世界へと誘われていた。
今作の主人公──冬越叶は板書を取るついでに前方の壁に掛かっている時計を一瞥すると、ちょうどまもなく長針と短針が頂点で重なろうとしているところだった。
「それではこの冒頭の一文が何を表現しているか──、」
女教師はチョークを置き、後ろを振り向いて教室を見渡す。
今日はいつにも増して旋毛がよく見える。などという呑気なことを考えながら。
冬越が女教師の行動に気づいた時には時すでに遅し。時計を見るためにノートから顔を上げていた彼の視線は、美しいと呼べるほど綺麗に女教師の視線とぶつかった。
指される時、当てられる時、人はどうしてか、その気配を敏感に察する。
「冬越くん、わかるかしら?」
ほら見たことか。
自慢にすらならない、どちらかというと自虐に近い何かを誰にするわけでもなく、指名された彼はその場に立ち上がり、
「……無常観ですか?」
と、なるべく明るく聞こえるように努めて回答したところで、終業のチャイムが鳴った。
冬越叶のランチは『一人で』『屋上で』食べると相場が決まっている。だから本来閉まっているはずの校舎と屋上を隔てる扉が少々開いていることに違和感を持った。
珍しく先客がいるのだろうか。
と特段怪しむこともなく彼はドアノブを手前に引いた。
冬越が人生の選択肢を間違えたとするなら、全ての発端はここだろう。否、この時点で彼にはもう軌道修正の術は残されていなかった。厳密に言うなれば、冬越叶のランチは『一人で』『屋上で』食べると相場が決まっている時点で既に手遅れだったのかもしれない。
扉が開かれると、いつもなら誰もいないはずの屋上で、青空の下、冬越と同年代と思われる少女が赤く染まった太刀を握っていた。
感情の起伏が薄い冬越ですら、この光景にはさすがに驚いた。無論、太刀を持った少女に驚いたのではない(太刀を持った少女も十分に異常ではあるが)。
無理もない。その少女の足元には、
──真っ二つになった人体が転がり、血の海が広がっていたのだから。