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政治経済エッセイ

原爆被害者の“本当の悲劇“――長崎原爆の日での6大使出席拒否から考察

作者: 中将

筆者:

 本日はご覧いただき誠にありがとうございます。


 今回は、原爆被害者の「本当の悲劇」について2点ほど僕が思ったことについて語っていこうと思います。



◇原爆の平和記念式典では欠席と言う形で「政治的関係を見せつけられた」



質問者:

 長崎原爆の日の平和記念式典に「イスラエル大使をロシア大使と同列にした」という理由でアメリカ、イギリス、フランス、イタリア、オーストラリア、カナダの6か国の駐日大使が一斉に欠席する意向を表明したことが物議を醸していますよね。



筆者:

 6日に広島市で開かれた式典には、イスラエルが招待され、パレスチナは招かれなかったのでアメリカなどの6ヵ国は出席しました。

 一方で9日の長崎の式典にはパレスチナが招かれ、イスラエルは招待されないことを受け、米国などが参加見合わせを決めたようですね。


 このことによって原爆を落とした張本人である「アメリカ様」は犠牲者の鎮魂をすることでは無く、

 「政治的関係」を優先したという事は本当に「日本とアメリカ様の力関係」を如実に示したといっていいと思います。


 これは本当に戦没者や原爆被害者にとっては悲劇と言わざるを得ません。



※アメリカ、イギリス、イスラエルの3ヶ国の大使は9日には代わりに東京増上寺で行われた犠牲者追悼のための法要には参加したようです。

 しかし、現地で追悼することに意義があると感じています。



◇アメリカへの追及について「日本は放棄している」



質問者:

 8月になると度々話題になることなんですけど、アメリカが日本に原子爆弾を落としたことや東京大空襲で民間人を狙ったことは戦争犯罪にならないんですか?



筆者:

 本来であれば国際的責任をアメリカに問われる立場にあります。

 しかし1955年の「原爆訴訟」や「下田事件」と呼ばれる東京地裁の判決では、


「原爆投下はハーグ陸戦条約などの国際法の理念に違反するとしたが、原告の請求は棄却した。国際法の法主体は政府だけである。米国は軍の行動に対しての賠償請求権を認めていない。日本の裁判所は米国政府を裁くことはできない。

 ただし、日本政府に対して補償を請求をすることは可能である」


 と言う判断を下しています。

 

 この判決を機に1957年の「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律」、1968年には「原子爆弾被爆者に対する特別措置法」、1994年に「原子爆弾被爆者の援護に関する法律」(被爆者援護法)などの、原爆被害者への医療や福祉の根拠となる法律は制定されています。


 しかし、アメリカ政府に対しては何も請求できないと判断されてしまっています。



質問者:

 でもいくら敗戦国だからと言って何もアメリカに対して請求できないのはおかしくないですか?



筆者:

 平成27年9月14日の参議院我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会で安倍晋三首相(当時)は、


「原爆の投下については人道上非道な行為であるということを、非道な原爆の投下ということを申し上げてきているとおりでございますが、国際法上の言わば視点について言えば、我が国としては既にサンフランシスコ講和条約を受諾をしているという立場にあるわけであります」


 と、無条件降伏をしたことや、サンフランシスコ講和条約において日本はアメリカに対する請求権や戦争犯罪を問うことはできないという判断を示しているみたいです。



質問者:

 国際法上はそうだったとしても何とか道義的に謝罪を引き出すことってできないんでしょうか……。



筆者:

 オバマ大統領(当時)やバイデン大統領が広島の原爆慰霊碑に献花するぐらいが限界だと思います。


 彼らにもメンツがありますから、心の中では申し訳なく思っていたとしても、

公的に謝罪するともなれば国際的地位が危うくなることを恐れているのです。


 日本のようにちょっとでも追及されればホイホイと頭を下げる国とは違いますからね。

 

 アメリカ様はむしろ、


『アメリカや、日本の統治下や占領下にあったアジアの国々などでは、原爆が戦争を終わらせ、結果として多くの人の命を救った、原爆が日本の支配から解放した』


 などと原爆投下の正当性を主張していますからね。昨年亡くなった多くの大統領のフィクサーだったキッシンジャー元国務長官などが代表格だと思います。


 今回の一件で大使が式典に出席することすらも「政治的要因」でいとも簡単にキャンセルされてしまうことが分かりましたしね。


 戦争の勝者が歴史を作り、今も自衛隊駐留、農産物などによる間接統治をしているのも事実もあります。


 総合的に見たら「アメリカ様」は「属州日本」に対して今更謝罪することは考えにくいんです。


 これが原爆被害者にとって最大の“悲劇”とも言えると思います。



◇「核廃絶」の道筋は立っていない



質問者:

 核兵器と言えば核廃絶への道と言うのも遠そうなんですけど……。



筆者:

 現実問題、街を一つ消し飛ばすだけの力を持つ兵器をやすやすと棄てるとは思えません。

 

 しかも、「小型核兵器」や「戦術核兵器」とも呼ばれる「気軽に使えそうなタイプ」の核兵器は、日本に落とされた2発の原爆の十倍ものの威力もあるそうです。

 新型の大型核兵器は何十倍やそれ以上と言ったもう考えられないような領域に到達しています。


 単なる「核弾頭数」だけで見た場合においては最大数を記録した1987年の7万発と比べ、現在は1万2千発ほどと減ってはいるのですが、「作戦配備」されている数は米露で増加傾向にあるようです。


 そして、上記のように威力も格段に増大しているために、世界的脅威は増していると言えるでしょう。



質問者:

 いつでも核戦争を始められる状況だから、米露は直接戦う事はしないんですね……。

 


筆者:

 「代理戦争」はウクライナをはじめアフリカや南米など各地で展開されてますけどね。

 

 このように「核廃絶」の道のりは遠い上に、仮に廃絶されたなら「もっと恐ろしいこと」が訪れるのではないかと思ってしまいます。



質問者:

 えっ……核兵器が廃絶されたら良い未来は待ってないんですか?



筆者:

 仮に核兵器を棄てると言ったことを全世界的に起きた場合は、

 「核兵器より更に効率的に殺傷できる兵器」が登場している可能性が高いからです。


 その際には、「核抑止能力」と言うのは関係なくなり、保管しているだけでお金が膨大にかかりますから、棄てていくことになります。


 僕があり得ると思っているのはロボットなどが毒ガスや生物化学兵器などを積み込んで津々浦々までまき散らすと言った方法ですね。



質問者:

 そんな未来ではない形で核廃絶が進むことを心から祈りますね……。



筆者:

 こうした大量破壊兵器は無くならないことも戦没者や原爆被害者の方々にとっての悲劇だと思います。



◇今の日本人が戦没者や原爆被害者に対してできること



質問者:

 こうなると、本当の意味での“霊の鎮魂“と言うのは起こらないのでしょうか?



筆者:

 8月の原爆や終戦の式典は、

「これから先の日本の未来には、もう同じことは起こさせてはいけない」という強い戒め

 を刻むことで次代に凄惨な歴史を語り継ぐことが大事だと思います。


 その方法としては、やはりどういう形であれ、戦争を起こさない方法を日本国民全員で考えることです。


 僕の考える方法は単に軍事的強化をするのみでは足りず、「脱資源弱小国」を目指すことが大事だと思っています。


 結局のところ資源や食べ物の輸入を止められた瞬間が弱すぎます。

 第二次大戦で日本が先制攻撃をした時のように、

「やむを得ず、開戦をさせられてしまう」と言った現象が起きるか、

 国民が飢餓や電力不足に苦しむかの2択になりますからね。


 いずれにせよとんでもない悲劇が待ち受けているわけです。


 

質問者:

 確かに戦争が無かったとしてもアメリカに今も従属しているのはその2つの要素が大きいですよね……。



筆者:

 今、マイクロチップの技術革新など「成長産業」とやらに全振りしようとしているのですが、

 それよりも遥かに日本列島近海に眠っている海洋資源を発掘する技術や、

 平時の農業生産能力向上、食品の安全向上に全力を挙げるべきです。


 現在の状況では例え「人と人とが殺し合う戦争」が起きずとも、

 「物量的戦争」において常時見えにくい形で敗戦し続けることになりますからね。


 日本に物資が入ってこなくなることに対する想定――例えばホルムズ海峡封鎖や台湾有事などが起きたケースに対する想定があまりにも脆弱だという事です。



質問者:

 私たちは起きないでくれと願うだけですけど、政治家はそうであってはいけませんよね……。



筆者:

 それを防ぐための政策提言や皆さんが考えていただくための一助として僕はこれからも発信を続けたいと思います。


 そして、戦争の過ちを繰り返して欲しくないですし、

戦没した霊の鎮魂や戦争被害者の気持ちが少しでも癒されてくれることを心から願いますね。


 という事でここまでご覧いただきありがとうございました。


 今回は戦争下で生き残った人たちや被爆者、戦没者などの方々は本当の意味では報われないのではないか?

 同じ戦争を繰り返さないためには「脱資源弱小国」を目指すことが最も重要であることをお伝えしました。


 今後もこのような時事問題や政治経済について個人的な意見を書いていきますのでどうぞご覧ください。

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