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第四十三話 まだ五月初めの水去律

前回までの、七兜山無免ローヤー!

 温泉に浸かってる無免ローヤー。傍に座る星北との語りは、二人の出会いの頃まで遡ろうとしている。かつて何があったのか。猫たちのお耳がピンと(そばだ)つ中で、星北がこの話題を持ち出す意図は? 無免ローヤーは今日も戦う! 変身! 法に代わって、救済する!

「それじゃあ水去! 一体どのようにして水去と馨が出逢ったのか、その馴れ初めについて、二人でじっくり、ゆっくりと振り返ろう!」


「馴れ初めって、それ使い方合ってるのか? まあ、過去を振り返るのは、構わんけども、あれは、もう三ヶ月くらい前になるのか」


 前原女生徒・守亜女生徒が聞き耳を立てる中、水去と星北の物語が始まる……


 〇


 桜はとうに散り、無免ローヤーはもう戦っている。


 それはまだ五月初めのこと。水去の前に神崎が現れる、約一か月前のことだった。


「どうも、七兜大学法科大学院から来ました、水去律です」


 ゴールデンウィークの初日、当時の水去は在熊町まで電車で来て、少し道に迷った後に、とある旅館を訪れていた。観光客行き交う温泉街から外れた、人の姿の見えない、静かな所である。建物も、その横にある畑も、山岸のひんやりとした空気に包まれ、時間が止まっているかのように見えた。


 ……ボロい場所だ。


 自分だってボロい物置に住んでるのに、失礼にもそんなことを思いながら、水去は暖簾を潜った。それで中に入ると、思ったよりもずっと綺麗で、内心毒づいた罪悪感に震えつつ、出迎えに現れた着物の老婆、女将らしきその人に相対して、どうも――と名乗ったのである。


「まさか警察に頼んだら、学生さん一人が来はるなんてねぇ」


 老婆が不安そうに言った。まあ当然かもしれない。その低い背を見下ろしながら、水去はぎこちなく愛想笑いして答える。


「どういうルートで大学まで話が伝わったのかは分かりませんが、提出していただいた請求書から怪人の闇が確認されたので、俺が伺った次第です。怪人になるのは七兜大学法科大学院の学生、つまり同窓の問題ですから。それに……」


 ここで話を断ち切って、間髪容れずに六法を取り出すと、水去は「変身」と小さく呟いた。バックルにセットすると、光が溢れて彼の身体を包み込む。旅館の玄関で、水去は静かに無免ローヤーへと変身した。鎧の影が電灯に被さる。鈍く光る複眼が、呆気にとられた老婆を見下ろす。


「怪人は一般人を逸脱した力を使います。なので、こちら側も相応の力が無いと処理できない。警察では無理でしょう。まあ、俺なんかじゃ頼りないかもしれませんが、ご迷惑をおかけしないよう、精一杯頑張りますので、怪人討伐に協力いただけたら、と」


 そこまで言って、無免ローヤーは変身を解いた。光が散り、再び姿を現した水去青年が、「よろしくお願いいたします」と頭を下げる。かなり乱暴な自己紹介だった。こんな風に言われたら、普通断れないだろう。ともすれば強迫となりかねないその態度は、暗く、不穏で、どういうわけか焦っているようにも見えた。


 水去は何をしに来たのか。


 もちろんレジャーではない。


「怪人情報だ水去。在熊町。時間を見つけて話を聞いてこい」


「じ、時間を見つけて、ですか……?」


「抽象的な規定を解釈するのが法曹の仕事だろう。それとも、空っぽの脳みそには、一から十まで説明しないといけないのか? 講義の出席要件に例外は無い。休みの間に行くことだ、と指示しているのだ、何故分からない、この愚図が!」


「はい」


「まったく、今年の無免ローヤーは無能すぎる。鈍い。前代未聞だ、こんなことは。ああ、さっさと消えろ! 足りない頭を補うために、少しは授業の予習でもしておけっ! 無駄かもしれんがな!」


「……分かりました」


 このようにして、赤原教授から熱いアカハラ……指示を受け、入学以来初めてのまとまった休日、すなわちゴールデンウィーク初日の午後、水去は怪人の調査にやって来た。睡眠負債と昨日の予習は既に膨れ上がっている。GW中に処理する予定だった憲法科目の違憲論レポートも放り投げた。それで、片道千円の電車賃を自弁して、はるばる在熊町まで来たのである。目の下に隈が濃く、疲れているようだった。


 そんな水去青年は、女将に不審がられながらも中に通され、裏の、四畳半ほどの小さな和室に案内される。調度品などは何もない、ただ畳があるだけの殺風景な部屋だ。壁際に荷物を置き、腰を下ろして、詳しく話を聞く。


 事案の概要はこうだ。


 水去が今いる温泉旅館は、引湯管を使って、山の奥地にある源泉から湯を引いている。この引湯管は約七キロメートルに及び、当然、その設置場所となる土地全てを当該温泉旅館が持っているわけではない。しかし、引湯管が通る土地については、その所有者たちから適法に土地の利用権を得ていた。


 さて、この温泉旅館の近くに三千坪の土地を所有する者(特に重要な人物ではないのでAとする)がいた。引湯管は、Aの所有する土地を通ってはいないと思われていたが、ある時、そのうち二坪分を僅かに通過していたことが発覚する。土地の端っこを掠っていたのである。当然、旅館はAから土地の利用権を得てはいない。しかし当のAも、「どーせ使い道のない山の中の土地だし」と、文句を言うほどでもなかった……のかどうかは分からないが、特に問題とはされなかった。


 しかしそこに、怪人の翳が躍る。突如、謎の人物がAから三千坪の土地を取得。旅館に対し、土地の買い取りを求めてきた。


 この三千坪の土地、全てが山の斜面か荒地であって、大した価値は無い。もっとも安い部分で一坪三十円、高い部分で一坪百五十円程度。したがって、全て合わせてその価値はせいぜい四十万円ほどだ。しかしこの謎の人物は、一坪四千三百円、三千坪合計で千三百万円を請求してきたのである。


 1300万! 40万の土地を1300万円で買えと⁉


 いくらなんでも、使い道のない土地を千三百万円もかけて買うわけにはいかない。引湯管が通っているのだって、たったの二坪なのである。旅館側は買い取りを拒否した。すると相手は、土地の所有権に基づき引湯管の撤去を求めてきたのである。


「引湯管を止めたら、旅館は経営できんくなるし、その二坪をうまく迂回するには、大きくルートを変えんとあかん。工事費が七百五十万円はかかるらしくてねえ……それに、管の距離が延びれば、その分だけ湯の温度も下がってまうかもしれん……本当に、どうしたらええのか……」


 ちなみに、買い取りの請求があってからというもの、不審な人影が旅館の周囲に出没し、客を怯えさせているという。困った女将は、千三百万円の請求書を持って警察に相談しに行ったのだそうである。で、頼りなさそうな学生が尋ねてきた、と……ここまで話終えて、老婆は俯き、悲しそうに肩を震わせた。圧倒的年配者を上から慰める訳にもいかず、何もできない水去は、座り込んだまま、とりあえず顔に笑顔を作った。


「なるほど大体分かりました。安心してください。怪人の仕業であれば、俺がさっき見せた無免ローヤーに変身してですね、こう、ローヤーキーック! みたいなノリで倒せば、遡及的無効、あー、えっと、全部、問題は消えます。おそらく土地の所有権は元の持ち主に戻って、今まで通り営業を続けられると思いますよ」


 意味の判然としない発言に、顔を上げた老婆が苦笑する。


「よう分からんけど、せっかく来てもろたし、ありがたいことです……」


「休みの間は滞在できるので、俺が周辺のパトロールをしましょう。怪人が何か仕掛けてきても、対処できるだけの実力は備えてます。まあ客から見たら、俺も怪人も同じ不審者かもしれないですが。あ、この部屋お借りしても?」


 さらっと言ったが、水去にとって大事な問いかけだった。彼の財布の中には、周辺の宿泊施設に泊まるだけの金はなく、何なら帰りの電車賃すら危うい。かなり重要な駆け引き。水去の眼が老婆をじっと見つめる。旅館の支配者は不安そうに頷いた。


「昔、住み込みで働いてもろてた人の部屋やし、特に何も無いけど、こんな部屋でよかったら……後でお布団出しときます」


「ありがとうございます。ああそれと、問題となってる土地の場所を教えていただけますか? 大体でいいので」


「後で辺りの地図を持ってきますわ。あんまりお構いもできずすんまへん。こんな旅館でも、お客様の多い時期だもので」


「いえこちらこそ、繁忙期の訪問になってしまってすいません。営業の邪魔にならないよう気を付けます。怪人を倒したら、速やかに撤収いたしますので」


「そこまで気をつこてもらわんでも……よろしうお願いします……」


 老婆は手をついて頭を下げ、部屋を出て行った。


 〇


「うーむ、宇奈月温泉事件」


 判例百選を眺めながら、水去は一人、山の中を歩いていた。歩き百選は大変危険なのでやめましょう。ほら水去も、石に蹴躓いて転びそうになっている。勢いで判例集を取り落として、「む……」なんて一人で唸っている。投げ出され、苔むした地面に開いた頁には、大審院昭和10年10月5日第三民事部判決、の文字が印刷されていた。西暦で言うと1935年、戦前の、随分古い判決である。


 水去は書籍を拾い上げて、また歩き始めた。


「まあ、多分、大体この辺りか」


 地図を見ながら行き着いた先は、特にこれといったものはない、山中の斜面だった。確かに、千三百万円もの価値はありそうもない。


「えーと、赤原が言ってたの何だっけ、不動産……登記法、ああ、これか」


 水去は変身六法をめくって、法律の位置を確認する。それから、パタンと閉じると、こそこそ変身ポーズをとって、「変身!」バックルにセットした。光が溢れて、ヘンシン、彼は無免ローヤーに変身する。それから再び頁をめくり、不動産登記法に触れた。六法が輝き、その光が輪となって手に移る。


「んん? これどうすりゃいいんだろ。あー、ごほん、汝の登記を開示せよ……なんちゃって、な」


 無免ローヤーが命令の言葉を発した瞬間、光の輪がくるくる回って宙に浮き、A4の紙に収まるくらいの文字列に変わった。「こんなんでいいのか」ぶつぶつ言いつつ、複眼が文字列を覗き込む。「ふむ、こんな感じか」光の文字は、まさしく登記事項証明書の内容を表していた。


 登記事項証明書のうち、権利に関する登記があるのは権利部。所有権についてはその甲区に記載がある。ここには、所有権保存登記、所有権移転登記などが記録されており、そのうち、「権利者その他の事項」の欄を見れば、所有者が分かるのだ。で、この土地は最近、売買を原因とする所有権移転登記がされていた。おそらく、実際に売買契約や登記申請が正しく行われたわけではなく、怪人の力による洗脳と、登記改竄を行った結果だろう。


 表示されている権利者の名は、星北馨。


「星北……かおる? かな。なるほど、院の入学者名簿に名前があったような気もする」


 役割を終えた文字列を、無免ローヤーが手で掻き消す。ざわざわと風に揺れる木々の間を、光の粒子が飛んで、散っていった。そうしてベルトから六法を外して、変身を解除する。法の鎧が消えて、姿を現した水去は、ほんの少し咳き込んでから、くるりと振り返った。


 登記をもって犯人は特定できた。判例集で戦いの予習もした。


 あとは、怪人を迎え撃つだけである。


 ところで、水去が山に入ってからというもの、ずっと彼を監視している翳からの視線があるのだが、アホの水去は気づいているのかどうか……いや、気づいていない。百選や地図や登記ばかり見て、視野が狭くなっている。そうでなくても、心が狭窄してしまっているのだから……


 〇


 旅館に戻ると、水去はパトロールがてら周囲をぐるりと探索した。旅館の裏手には高い竹垣があって、おそらく露天風呂だろうか、湯気が立っている。その向かいでは、河原に平べったい川が流れていた。


 ふむ、ここなら戦いやすそうだ、と彼は考える。


 四月初め、無免ローヤーとなった頃、赤原に口酸っぱく言われたのは、倒された怪人の爆発、その危険性だった。周囲に人がいる状態や、狭所で怪人を倒してはいけない。怪人の犯罪自体は、倒せば無効になる。しかし爆発による被害は、遡及的無効の対象ではない。これだけは、取り返しがつかないのである。ある意味で、法律戦士が最も気を付けなければならない点なのだ。爆発に巻き込まれて人が死にました、なんてことが起きたら、もう洒落では済まされない。


 したがって、怪人を人のいない場所、できれば屋外へ移動させる立ち回り、それが求められる。また、自分自身が爆発に巻き込まれないよう、至近距離でとどめを刺さない、あるいは、すぐに距離をとること。下手を踏めば、法の鎧があっても五体満足で帰れないかもしれないのだ。


 幸いにして、怪人の爆発は通常の物理現象としての発熱反応とは異なり、特殊なエネルギーの発散であって、おおむね怪人の胸部から上方向への指向性をもって、空間を抉るように放たれる。見た目は派手だが、変貌者自身が爆発に巻き込まれることはないし、床への被害もそこまで気にしなくていい。とにかく、怪人の周囲と、その上部の空間に延焼するものが無ければ、まず二次被害が起きることは無いのだ。理想は屋外、屋内でも天井の高いホールのような場所で戦う、周囲に人がいないか確認する。変身者となったら法律議論なんかより先に、最初に覚え込まされることである。


 だから今回の場合、旅館の中で戦うのは最悪。なんとかして、屋外戦に持ち込みたいところだ。


 一通り周辺の地形を確認し終えて、旅館入り口に戻ってきた彼は、ふと畑の方を向いた。しかし、誰もいなかった。


 〇


「星北……」


 その日の夜、水去は与えられた和室で一人、壁にもたれて座り、ぼんやりと虚空を眺めていた。気になっていたのは、星北馨という名前。


 パトロールを終えて旅館に戻った彼は、老婆に犯人の名前を告げた。そんな名前は知らない、というのが答えだったが、どうも態度がおかしい。いや、後ろ暗いものがあるというわけではないのだろうが、おそらく、星北という氏に、心当たりくらいはある様子だった。


 しかし別に水去も、そこで一歩踏み込んで真相を明らかにする義理はなく、不躾に追及を重ねていい立場でもない。話はそこで途切れて、客に呼ばれた女将が遠ざかるのを、彼は無言で眺めた。


 その後は特にすることもなく、偶に外を歩いて不審者・不審物がないか確認する以外は、部屋に一人で、欠伸をしたり、メモ帳に詞のようなものを書きつけたり、ごく短時間の浅いうたた寝を繰り返したり、軽く咳き込んだ拍子に血を吐いたりしていた。おい、勉強しろよ。


 そうやって、水去は無為に時間を過ごし、古びて弱々しい電灯の下、既に夜も更け始めている。


 ふと、部屋の障子が開いた。老婆が顔を出す。


「水去さん、お風呂入られますか? 今、最後のお客様が部屋に戻りはったから、もしよろしければ」


「俺も入っていいんですか?」


「せっかく来てもろたわけやし、こんな夜に入っていただくのは構いません」


 着替えを入れた袋を持って、水去は立ち上がる。薄暗い廊下の、老婆の後を歩いて、もう暖簾の片付いていた脱衣所の前まで来た。なんとなく、嫌な予感がした。促されて、ほんの少し躊躇ったが、手元を確認してから、彼は一人、中に入る。当然、壁際に棚と籠の並んだ脱衣所に、人影などありはしない。一番手前の棚に袋を放り込む。上着とシャツを脱いだ。履いていた靴下も丸める。ベルトを外して、ズボンを下ろす。脱いだ下着と衣服を折りたたむ。


 覆いを全て失った水去の身体が、蛍光灯の下で頼りなく佇む。


「……」


 脱衣所の籠の中に、六法をそっと潜めた。


 ぺたぺた歩き、浴場の引き戸に手をかけて、開ける。湯気の靄が頬を撫でた。手ぬぐいだけ持って先へ進む。一番近くのシャワーの前に座り、髪を濡らした。シャンプーで洗髪を済ませた後、石鹸泡立てた手ぬぐいで、全身を拭う。途中、ふと、なんとなく、周囲を見回したが、誰がいるはずもない。身体の泡を湯で落とした。立ち上がり、足元や周囲を軽く水で流す。


 一応、湯浴みに必要な行程は、これで全てこなしたはずだ。水去は脱衣所へ戻ろうとした。しかし、何を感じたのか、ゆっくりと振り返る。逡巡して、一歩踏み出した。室内湯を無視して、露天風呂へ続く戸を開けた。まだ春の冷たい夜気が、身体に吹き込んでくる。岩に囲まれた、いかにも温泉らしい温泉がこちらに向かって口を開いていた。戸を閉めて、足を運ぶ。湧き立つ出湯は、地に伏せて獲物を待つ獣のように、その抑えがたい鼓動を沈めている。平らに削られた濡れ石を踏んで、足裏を泉に呑ませた。熱い液体が、中へと引きずり込むかのように、皮膚に触れる。


 茶色く濁ったそのお湯に、水去は肩まで裸身を沈め、ゆっくりと息を吐いた。


 瞬間


 斬撃が目の前の竹垣を襲った。


 空気を劈く破裂音と共に、根元から一文字に切断された竹垣を上空に消し飛ぶ。その先に姿を現したのは、黒い薙刀を手にした怪人。全身を醜悪な闇で包み、そこにあるのは、苦悶と絶望、そして己が身をも亡ぼす悍ましき力。長大な竹垣を一振りで破壊した刃が、わずかな月光によって妖しく縁取られていた。


「やっぱり来たかっ! ここでっ!」


 水去が湯を蹴って立ち上がる。しかし、彼が持つのは、三尺程度の手ぬぐいのみ。まるで無防備な状態の中、彼は揺れる水面の中に屹立して、怪人を睨んだ。対する薙刀の刃先は、水去の左胸を真っ直ぐ狙っている。


「何者なのかは知らないがァ……いずれにせよォ、邪魔者はァすぐに排除するッ……!」


「そう簡単にeliminateされるわけにはいかないんだ。戦わなければならない! 何故なら、俺は、無免ローヤー、哀しき怪人に、親愛なる救済を与える者!」


「無免ッ……ローヤー……?」


 謎深き自己説明に、警戒した怪人が攻撃を躊躇する。その隙に、水去は必死に言葉を重ねつつ、白い手ぬぐいを己のウエストに巻きつけ、縛る。


「もうこれ以上、罪を重ねさせない、自分で自分を損なわせたりしない! 絶望は、本当のお前じゃないはずだ! 不必要なスティグマは、背負うべきじゃない。だから俺が、ここで必ず、お前を止める、止めてみせる!」


「ッ⁉」


「来い、変身六法!」


 水去が右手を高く掲げて叫んだ。脱衣所の変身六法が、彼の声に呼応する。そうして、持ち主たる変身者めがけ、凄まじい勢いで飛来するのだ! 


 バキッ、ドガッ、バキッ


 呼ばれた変身六法は、変身者の下に全力で駆けつける。間に妨害があろうとなんのその、障害物は体当たりで突破だ! 浴場への扉を破壊し、露天への壁を突き破って、変身六法は飛ぶ。立ち塞がる全てを破壊し、持ち主たる水去の右手に、しっかりと収まった! 


 あ、壊っ……!


 水去と怪人、両者の視線が、六法のぶち抜いた穴にくぎ付けになる。微妙な空気。しかし、右手を天高く掲げ、なんともヒロイックなポーズをとっていた水去は(まあヒロイックゆうても全裸なのだが)、もう後には退けず、変身六法を構えた。


「ごほん! へ、変身!」


 水去が六法を手ぬぐいにセット、光が溢れて、彼の裸体を包み込む。輝きは法の鎧へと変わり、無免許の法律戦士が、その姿を現した!


「法に代わって、救済する!」


 無免ローヤーが決め口上を叫んだ瞬間、七兜山の夜空にて、火薬の爆発が躍る。打ち上げられた花火のごとく、暗きを照らす光が、無機質な複眼と、表情を覆いつくしたマスクに反射した。無免ローヤーが構える。怪人も、竹垣の残骸を踏み越え、風呂を囲む岩の上に登った。湯の中に立つ敵へ、長く伸びた凶器を向ける。


 風が吹いて、二人の間に立ち込める煙を揺らし、散らした。


 怪人が動く! 刃が水面を滑り、振るわれる薙刀が半月状の間合いを描き出す!


 しかし僅かに早く、無免ローヤーは条文に触れていた。


【刑法二二二条 脅迫!

一項 生命、身体、自由、名誉又は財産に対し害を加える旨を告知して人を脅迫した者は、二年以下の拘禁刑又は三十万円以下の罰金に処する!】


【刑法二四九条 恐喝!

一項 人を恐喝して財物を交付させた者は、十年以下の拘禁刑に処する!】


 瞬時に変身六法が二振りの法の短剣を構成、逆手で掴み取った無免ローヤーが、横一文字左薙ぎの一撃を、掬い上げるように弾いた。怪人の両腕が泳ぐが、すぐに力が戻り、振り下ろす動きが左の袈裟斬りへと変ずる。再びの攻撃防御、無免ローヤーは直前の迎撃に伸びた左腕と交差するように右手の剣を構え、刃を受け流すように合わせた。


 目の前で火花が散る。


 薙刀が湯を打つと同時に、無免ローヤーは半回転するように身を引く。法の鎧に包まれた足は、そのまま二歩・三歩と慌ただしく温泉の底を踏んで、敵と距離を取る。ひとまず、攻撃は防ぎ切った、が……


 攻防の終了と同時に、法の短剣が二本とも無惨に砕けて、瞬きの中へと消えた。


「……ッ! 対応されたッ!」


 怪人が狼狽える。


「はあっ、いや、できなかった……っ、やっぱり刑法犯じゃなかったかっ!」


 無免ローヤーも焦りの声を上げた。武器を失った法律戦士は、纏わりつく湯気を振り払うように、右手を強く振るう。


「な、何なんだよッ、お前ェ!」


「む、無免ローヤー! 法に代わって、救済する!」


 法律戦士は再び腰の六法をめくり、条文に触れた。


【民法一条 基本原則!

三項 権利の濫用は、これを許さない!】


 先刻を大きく上回る莫大な量の光、輝きが波紋を照らして、無免ローヤーの手元に集まる。法の力は空間を占め、怪人の薙刀に比肩する長さを創り、長大な武器へと変わった。


 構成されたのは、法の槌! 


 無免ローヤーの持つ柄の先で、ハンマーヘッドが重力に従い降り落ちる。轟きと共に、出湯が豪快な水飛沫を巻き上げた。怪人が一歩後退って、薙刀を構える。無免ローヤーもまた、法の槌を手に、敵を見上げた。


 複眼の表面を、水滴が流れ落ちる。まるで泣いているかのように。


 けれど無免ローヤーは、怪人に立ち向かうのだ。


「今度こそ、民法一条三項、権利濫用の禁止で、勝負だ……」


「権利濫用ォ……ッ!」


「いくぞ! 法に代わって、救済する!」


 ヒーローの咆哮が、夜の七兜山に響いた。
























≪おまけ:馨と水去の注釈付きオーディオコメンタリーバージョン≫


 桜はとうに散り、無免ローヤーはもう戦っている。

 それはまだ五月初めのこと。水去の前に神崎が現れる、約一か月前のことだった。


≪馨注:ちょっといきなり神崎って誰だい⁉≫

≪水去注:現在の同居人。よく分からんやつだが、いいやつだぞ≫

≪馨注:はあ……また馨に黙って、水去は本当に仕方がないな≫


「どうも、七兜大学法科大学院から来ました、水去律です」

 ゴールデンウィークの初日、当時の水去は在熊町まで電車で来て、少し道に迷った後に、とある旅館を訪れていた。観光客行き交う温泉街から外れた、人の姿の見えない、静かな所である。建物も、その横にある畑も、山岸のひんやりとした空気に包まれ、時間が止まっているかのように見えた。

 ……ボロい場所だ。


≪馨注:あっはっはっは、毒舌水去≫


 自分だってボロい物置に住んでるのに、失礼にもそんなことを思いながら、水去は暖簾を潜った。それで中に入ると、思ったよりもずっと綺麗で、内心毒づいた罪悪感に震えつつ、出迎えに現れた着物の老婆、女将らしきその人に相対して、どうも――と名乗ったのである。


≪馨注:反省水去≫


「まさか警察に頼んだら、学生さん一人が来はるなんてねぇ」

 老婆が不安そうに言った。まあ当然かもしれない。その低い背を見下ろしながら、水去はぎこちなく愛想笑いして答える。


≪馨注:水去の愛想笑いだ! もっと馨にも笑顔を見せてよ。ほら≫

≪水去注:うるさい≫


「どういうルートで大学まで話が伝わったのかは分かりませんが、提出していただいた請求書から怪人の闇が確認されたので、俺が伺った次第です。怪人になるのは七兜大学法科大学院の学生、つまり同窓の問題ですから。それに……」

 ここで話を断ち切って、間髪容れずに六法を取り出すと、水去は「変身」と小さく呟いた。バックルにセットすると、光が溢れて彼の身体を包み込む。旅館の玄関で、水去は静かに無免ローヤーへと変身した。鎧の影が電灯に被さる。鈍く光る複眼が、呆気にとられた老婆を見下ろす。


≪馨注:いきなり変身だなんて、すごいな。強引な水去も馨は好きだけど、これはびっくりさせちゃったんじゃないかな≫

≪水去注:……悪い事をしてしまったかも≫


「怪人は一般人を逸脱した力を使います。なので、こちら側も相応の力が無いと処理できない。警察では無理でしょう。まあ、俺なんかじゃ頼りないかもしれませんが、ご迷惑をおかけしないよう、精一杯頑張りますので、怪人討伐に協力いただけたら、と」

 そこまで言って、無免ローヤーは変身を解いた。光が散り、再び姿を現した水去青年が、「よろしくお願いいたします」と頭を下げる。かなり乱暴な自己紹介だった。こんな風に言われたら、普通断れないだろう。ともすれば強迫となりかねないその態度は、暗く、不穏で、どういうわけか焦っているようにも見えた。


≪馨注:へえ。暗くて、不穏で、焦ってたの? どうして?≫

≪水去注:ノーコメント≫


 水去は何をしに来たのか。

 もちろんレジャーではない。


≪水去注:以下の会話は、以前、俺が赤原に呼び出された時のものである。アカハラの記録として、いつか告発してやるつもりだ≫


「怪人情報だ水去。在熊町。時間を見つけて話を聞いてこい」

「じ、時間を見つけて、ですか……?」

「抽象的な規定を解釈するのが法曹の仕事だろう。それとも、空っぽの脳みそには、一から十まで説明しないといけないのか? 講義の出席要件に例外は無い。休みの間に行くことだ、と指示しているのだ、何故分からない、この愚図が!」

「はい」

「まったく、今年の無免ローヤーは無能すぎる。鈍い。前代未聞だ、こんなことは。ああ、さっさと消えろ! 足りない頭を補うために、少しは授業の予習でもしておけっ! 無駄かもしれんがな!」

「……分かりました」


≪馨注:うわー、可哀想な水去……ヨシヨシしてあげようか、水去は頑張っているね≫


 このようにして、赤原教授から熱いアカハラ……指示を受け、入学以来初めてのまとまった休日、すなわちゴールデンウィーク初日の午後、水去は怪人の調査にやって来た。睡眠負債と昨日の予習は既に膨れ上がっている。GW中に処理する予定だった憲法科目の違憲論レポートも放り投げた。それで、片道千円の電車賃を自弁して、はるばる在熊町まで来たのである。目の下に隈が濃く、疲れているようだった。


≪馨注:憲法の違憲論とか書かされたね。馨は二週目の担当だった。でも、はるか昔のことみたい……水去は何の担当だったのかな≫

≪水去注:あん摩マツサージ指圧師,はり師,きゆう師等に関する法律のやつ。経済的自由だ。そっちは?≫

≪馨注:幸福追求権。自己の意思に反して身体への侵襲をうけない自由とか、リプロダクティブ・ライツとか、その辺り≫

≪水去注:うあっ、そうだった、授業でやってたわその話。あ、う、お、俺はあの時どうして気づけなかったんだ……いや、気づいてても避けられなかったか……≫

≪馨注:?≫

≪水去注:いや、何でもない……≫


 そんな水去青年は、女将に不審がられながらも中に通され、裏の、四畳半ほどの小さな和室に案内される。調度品などは何もない、ただ畳があるだけの殺風景な部屋だ。壁際に荷物を置き、腰を下ろして、詳しく話を聞く。

 事案の概要はこうだ。


≪水去注:あー……嫌なら無理に振り返らなくてもいいんだぞ≫

≪馨注:いい。実際にあったことだ。水去が無効にしてくれたからって、無かったことにはできない≫


 水去が今いる温泉旅館は、引湯管を使って、山の奥地にある源泉から湯を引いている。この引湯管は約七キロメートルに及び、当然、その設置場所となる土地全てを当該温泉旅館が持っているわけではない。しかし、引湯管が通る土地については、その所有者たちから適法に土地の利用権を得ていた。

 さて、この温泉旅館の近くに三千坪の土地を所有する者(特に重要な人物ではないのでAとする)がいた。引湯管は、Aの所有する土地を通ってはいないと思われていたが、ある時、そのうち二坪分を僅かに通過していたことが発覚する。土地の端っこを掠っていたのである。当然、旅館はAから土地の利用権を得てはいない。しかし当のAも、「どーせ使い道のない山の中の土地だし」と、文句を言うほどでもなかった……のかどうかは分からないが、特に問題とはされなかった。

 しかしそこに、怪人の翳が躍る。突如、謎の人物がAから三千坪の土地を取得。旅館に対し、土地の買い取りを求めてきた。


≪馨注:ごめんなさい……≫


 この三千坪の土地、全てが山の斜面か荒地であって、大した価値は無い。もっとも安い部分で一坪三十円、高い部分で一坪百五十円程度。したがって、全て合わせてその価値はせいぜい四十万円ほどだ。しかしこの謎の人物は、一坪四千三百円、三千坪合計で千三百万円を請求してきたのである。

 1300万! 40万の土地を1300万円で買えと⁉


≪水去注:俺には金額がデカすぎて想像もつかん≫

≪馨注:貧乏水去≫

≪水去注:大瀧詠一の「びんぼう」は名曲ですよ≫


 いくらなんでも、使い道のない土地を千三百万円もかけて買うわけにはいかない。引湯管が通っているのだって、たったの二坪なのである。旅館側は買い取りを拒否した。すると相手は、土地の所有権に基づき引湯管の撤去を求めてきたのである。

「引湯管を止めたら、旅館は経営できんくなるし、その二坪をうまく迂回するには、大きくルートを変えんとあかん。工事費が七百五十万円はかかるらしくてねえ……それに、管の距離が延びれば、その分だけ湯の温度も下がってまうかもしれん……本当に、どうしたらええのか……」

 ちなみに、買い取りの請求があってからというもの、不審な人影が旅館の周囲に出没し、客を怯えさせているという。困った女将は、千三百万円の請求書を持って警察に相談しに行ったのだそうである。で、頼りなさそうな学生が尋ねてきた、と……ここまで話終えて、老婆は俯き、悲しそうに肩を震わせた。圧倒的年配者を上から慰める訳にもいかず、何もできない水去は、座り込んだまま、とりあえず顔に笑顔を作った。


≪馨注:やっぱり嘘の笑顔しか見せないんだな、水去は≫


「なるほど大体分かりました。安心してください。怪人の仕業であれば、俺がさっき見せた無免ローヤーに変身してですね、こう、ローヤーキーック! みたいなノリで倒せば、遡及的無効、あー、えっと、全部、問題は消えます。おそらく土地の所有権は元の持ち主に戻って、今まで通り営業を続けられると思いますよ」

 意味の判然としない発言に、顔を上げた老婆が苦笑する。


≪水去注:無免ローヤーの説明は難しい。非常に難しい≫

≪馨注:難しいというか、あんまり水去が教えようとしない。秘密ばかり作ってる≫

≪水去注:ヒーローは人知れず戦い、怪人は翳に隠れるものだからな≫


「よう分からんけど、せっかく来てもろたし、ありがたいことです……」

「休みの間は滞在できるので、俺が周辺のパトロールをしましょう。怪人が何か仕掛けてきても、対処できるだけの実力は備えてます。まあ客から見たら、俺も怪人も同じ不審者かもしれないですが。あ、この部屋お借りしても?」

 さらっと言ったが、水去にとって大事な問いかけだった。彼の財布の中には、周辺の宿泊施設に泊まるだけの金はなく、何なら帰りの電車賃すら危うい。かなり重要な駆け引き。水去の眼が老婆をじっと見つめる。旅館の支配者は不安そうに頷いた。


≪水去注:泊めてくれない場合、ちょっと非常識だが野宿するつもりだった。泊めてくれてよかった≫


「昔、住み込みで働いてもろてた人の部屋やし、特に何も無いけど、こんな部屋でよかったら……後でお布団出しときます」


≪馨注:……!≫


「ありがとうございます。ああそれと、問題となってる土地の場所を教えていただけますか? 大体でいいので」

「後で辺りの地図を持ってきますわ。あんまりお構いもできずすんまへん。こんな旅館でも、お客様の多い時期だもので」

「いえこちらこそ、繁忙期の訪問になってしまってすいません。営業の邪魔にならないよう気を付けます。怪人を倒したら、速やかに撤収いたしますので」

「そこまで気をつこてもらわんでも……よろしうお願いします……」

 老婆は手をついて頭を下げ、部屋を出て行った。


≪馨注:……っ。いや、目は逸らさないよ≫

≪水去注:辛い過去、忘れたい過去、多いよなぁ……俺がヨシヨシしてやろうか?≫

≪馨注:お願いしても、いいかな……?≫

≪水去注:えっ≫


 〇


「うーむ、宇奈月温泉事件」


≪馨注:うーむ、なんて唸っちゃって、ヘンテコだな、水去は≫

≪水去注:うーむ……そんなこと言われてもなぁ……≫


 判例百選を眺めながら、水去は一人、山の中を歩いていた。歩き百選は大変危険なのでやめましょう。ほら水去も、石に蹴躓いて転びそうになっている。勢いで判例集を取り落として、「む……」なんて一人で唸っている。投げ出され、苔むした地面に開いた頁には、大審院昭和10年10月5日第三民事部判決、の文字が印刷されていた。西暦で言うと1935年、戦前の、随分古い判決である。


≪水去注:宇奈月温泉事件は、民法判例百選Ⅰの最初に掲載されてる判例なのである。だから俺でもピンときたのだ≫

≪馨注:懐かしいね≫


 水去は書籍を拾い上げて、また歩き始めた。

「まあ、多分、大体この辺りか」

 地図を見ながら行き着いた先は、特にこれといったものはない、山中の斜面だった。確かに、千三百万円もの価値はありそうもない。

「えーと、赤原が言ってたの何だっけ、不動産……登記法、ああ、これか」


≪水去注:とりあえず現場に行ったら登記を調べろって赤原に言われてたんだよな≫

≪馨注:ふーん、そうやって一応指示や指令はもらえるんだね≫

≪水去注:基本何も教えてはくれないんだが、四月初め、俺があまりに不甲斐ない戦いをしてたから、とのことだ≫

≪馨注:……まさかのツンデレ?≫

≪水去注:断じてそんなものではないと思う。断じて!≫


 水去は変身六法をめくって、法律の位置を確認する。それから、パタンと閉じると、こそこそ変身ポーズをとって、「変身!」バックルにセットした。光が溢れて、ヘンシン、彼は無免ローヤーに変身する。それから再び頁をめくり、不動産登記法に触れた。六法が輝き、その光が輪となって手に移る。

「んん? これどうすりゃいいんだろ。あー、ごほん、汝の登記を開示せよ……なんちゃって、な」


≪馨注:かわいい≫


 無免ローヤーが命令の言葉を発した瞬間、光の輪がくるくる回って宙に浮き、A4の紙に収まるくらいの文字列に変わった。「こんなんでいいのか」ぶつぶつ言いつつ、複眼が文字列を覗き込む。「ふむ、こんな感じか」光の文字は、まさしく登記事項証明書の内容を表していた。


≪馨注:独り言の多い水去だな。きっと、寂しいんだね≫

≪水去注:……(あーそんなこと言うから水去君は黙ってしまいましたの顔)≫

≪馨注:……(ずっとこうやって見つめ合っててもいいんだよの顔)≫


 登記事項証明書のうち、権利に関する登記があるのは権利部。所有権についてはその甲区に記載がある。ここには、所有権保存登記、所有権移転登記などが記録されており、そのうち、「権利者その他の事項」の欄を見れば、所有者が分かるのだ。で、この土地は最近、売買を原因とする所有権移転登記がされていた。おそらく、実際に売買契約や登記申請が正しく行われたわけではなく、怪人の力による洗脳と、登記改竄を行った結果だろう。

 表示されている権利者の名は、星北馨。

「星北……かおる? かな。なるほど、院の入学者名簿に名前があったような気もする」


≪馨注:ふふっ、馨だよ水去。リピートアフターミー、馨≫

≪水去注:けー≫


 役割を終えた文字列を、無免ローヤーが手で掻き消す。ざわざわと風に揺れる木々の間を、光の粒子が飛んで、散っていった。そうしてベルトから六法を外して、変身を解除する。法の鎧が消えて、姿を現した水去は、ほんの少し咳き込んでから、くるりと振り返った。


≪馨注:この時ちょっと焦ったけど、まるで気づかないもんね水去は≫


 登記をもって犯人は特定できた。判例集で戦いの予習もした。

 あとは、怪人を迎え撃つだけである。


≪水去注:迎え撃つだけ、って……それがどんだけ大変だと思ってんだ≫


 ところで、水去が山に入ってからというもの、ずっと彼を監視している翳からの視線があるのだが、アホの水去は気づいているのかどうか……いや、気づいていない。百選や地図や登記ばかり見て、視野が狭くなっている。そうでなくても、心が狭窄してしまっているのだから……


≪馨注:あっはっは、水去はドンカンだからなー≫

≪水去注:そんなことない。俺は鈍感じゃない≫

≪馨注:どうかな? ああむしろ、いろんなものから目を逸らしてるってところかな?≫

≪水去注:うぐっ……≫


 〇


 旅館に戻ると、水去はパトロールがてら周囲をぐるりと探索した。旅館の裏手には高い竹垣があって、おそらく露天風呂だろうか、湯気が立っている。その向かいでは、河原に平べったい川が流れていた。

 ふむ、ここなら戦いやすそうだ、と彼は考える。


≪馨注:こういうこと、ちゃんと考えているんだね≫

≪水去注:できる範囲でだけど。戦ってる時は余裕ないし≫


 四月初め、無免ローヤーとなった頃、赤原に口酸っぱく言われたのは、倒された怪人の爆発、その危険性だった。周囲に人がいる状態や、狭所で怪人を倒してはいけない。怪人の犯罪自体は、倒せば無効になる。しかし爆発による被害は、遡及的無効の対象ではない。これだけは、取り返しがつかないのである。ある意味で、法律戦士が最も気を付けなければならない点なのだ。爆発に巻き込まれて人が死にました、なんてことが起きたら、もう洒落では済まされない。


≪水去注:その後、自宅は爆発炎上させてしまいましたとさ……≫

≪馨注:え、どういうこと、その話、馨は聞いてない!≫

≪水去注:言ってないからな≫


 したがって、怪人を人のいない場所、できれば屋外へ移動させる立ち回り、それが求められる。また、自分自身が爆発に巻き込まれないよう、至近距離でとどめを刺さない、あるいは、すぐに距離をとること。下手を踏めば、法の鎧があっても五体満足で帰れないかもしれないのだ。


≪馨注:ああ、やっぱり分かってたんじゃないか! なのに、あの時どうして……≫

≪水去注:お前を救いたかったんだ。それだけだじゃ、だめなのか?≫

≪馨注:急にっ……いや、ありがとう、感謝してるよ、水去≫


 幸いにして、怪人の爆発は通常の物理現象としての発熱反応とは異なり、特殊なエネルギーの発散であって、おおむね怪人の胸部から上方向への指向性をもって、空間を抉るように放たれる。見た目は派手だが、変貌者自身が爆発に巻き込まれることはないし、床への被害もそこまで気にしなくていい。とにかく、怪人の周囲と、その上部の空間に延焼するものが無ければ、まず二次被害が起きることは無いのだ。理想は屋外、屋内でも天井の高いホールのような場所で戦う、周囲に人がいないか確認する。変身者となったら法律議論なんかより先に、最初に覚え込まされることである。

 だから今回の場合、旅館の中で戦うのは最悪。なんとかして、屋外戦に持ち込みたいところだ。

 一通り周辺の地形を確認し終えて、旅館入り口に戻ってきた彼は、ふと畑の方を向いた。しかし、誰もいなかった。


≪馨注:残念、その時は、山の方から水去を見てた≫

≪水去注:俺はアスパラガスを見ていた≫


 〇


「星北……」


≪馨注:なんだい、水去///≫


 その日の夜、水去は与えられた和室で一人、壁にもたれて座り、ぼんやりと虚空を眺めていた。気になっていたのは、星北馨という名前。


≪馨注:そんなアンニュイな表情で馨のこと考えてたなんて、水去はエッチだな≫

≪水去注:アンニュイとは、けだるく、ものうい感じであること。倦怠。明鏡国語辞典より引用≫


 パトロールを終えて旅館に戻った彼は、老婆に犯人の名前を告げた。そんな名前は知らない、というのが答えだったが、どうも態度がおかしい。いや、後ろ暗いものがあるというわけではないのだろうが、おそらく、星北という氏に、心当たりくらいはある様子だった。


≪馨注:なるほどね……≫


 しかし別に水去も、そこで一歩踏み込んで真相を明らかにする義理はなく、不躾に追及を重ねていい立場でもない。話はそこで途切れて、客に呼ばれた女将が遠ざかるのを、彼は無言で眺めた。


≪水去注:そっちは夜までどこで何してたんだ?≫

≪馨注:あんまり記憶がないけれど、多分、在熊町を独り彷徨っていたんじゃないかな。それで気づいたら、露天風呂の垣根の前に居たってわけ≫

≪水去注:ほー、怪人らしいな≫


 その後は特にすることもなく、偶に外を歩いて不審者・不審物がないか確認する以外は、部屋に一人で、欠伸をしたり、メモ帳に詞のようなものを書きつけたり、ごく短時間の浅いうたた寝を繰り返したり、軽く咳き込んだ拍子に血を吐いたりしていた。おい、勉強しろよ。


≪馨注:血を吐いたりしていた⁉≫

≪水去注:あ、そっちが気になるのか。詞の方を揶揄われるのかと思った≫

≪馨注:誤魔化しちゃいけないよ水去。吐血ってどういうことなの?≫

≪水去注:大袈裟だなー。鼻血みたいなもんだよ≫


 そうやって、水去は無為に時間を過ごし、古びて弱々しい電灯の下、既に夜も更け始めている。

 ふと、部屋の障子が開いた。老婆が顔を出す。

「水去さん、お風呂入られますか? 今、最後のお客様が部屋に戻りはったから、もしよろしければ」

「俺も入っていいんですか?」

「せっかく来てもろたわけやし、こんな夜に入っていただくのは構いません」

 着替えを入れた袋を持って、水去は立ち上がる。薄暗い廊下の、老婆の後を歩いて、もう暖簾の片付いていた脱衣所の前まで来た。なんとなく、嫌な予感がした。促されて、ほんの少し躊躇ったが、手元を確認してから、彼は一人、中に入る。当然、壁際に棚と籠の並んだ脱衣所に、人影などありはしない。一番手前の棚に袋を放り込む。上着とシャツを脱いだ。履いていた靴下も丸める。ベルトを外して、ズボンを下ろす。脱いだ下着と衣服を折りたたむ。


≪馨注:わおー、サービスシーン……?≫


 覆いを全て失った水去の身体が、蛍光灯の下で頼りなく佇む。


≪水去注:まじでさあ、こういうの誰得なんだよ! セクハラ! セクハラだ!≫


「……」

 脱衣所の籠の中に、六法をそっと潜めた。


≪水去注:なんか悪いことしてるみたいじゃねえか≫

≪馨注:変身アイテムはここに置いてたんだね≫


 ぺたぺた歩き、浴場の引き戸に手をかけて、開ける。湯気の靄が頬を撫でた。手ぬぐいだけ持って先へ進む。一番近くのシャワーの前に座り、髪を濡らした。シャンプーで洗髪を済ませた後、石鹸泡立てた手ぬぐいで、全身を拭う。途中、ふと、なんとなく、周囲を見回したが、誰がいるはずもない。身体の泡を湯で落とした。立ち上がり、足元や周囲を軽く水で流す。


≪馨注:水去は体を洗う時は左の首筋から、と≫

≪水去注:一生使わないだろ、その情報……≫


 一応、湯浴みに必要な行程は、これで全てこなしたはずだ。水去は脱衣所へ戻ろうとした。しかし、何を感じたのか、ゆっくりと振り返る。逡巡して、一歩踏み出した。室内湯を無視して、露天風呂へ続く戸を開けた。まだ春の冷たい夜気が、身体に吹き込んでくる。岩に囲まれた、いかにも温泉らしい温泉がこちらに向かって口を開いていた。戸を閉めて、足を運ぶ。湧き立つ出湯は、地に伏せて獲物を待つ獣のように、その抑えがたい鼓動を沈めている。平らに削られた濡れ石を踏んで、足裏を泉に呑ませた。熱い液体が、中へと引きずり込むかのように、皮膚に触れる。


≪馨注:なんで露天風呂入ろうと思ったの? 一度は引き返しかけたのに≫

≪水去注:勘だ。戦いになる気がした。別に深く考えてたわけじゃない≫

≪馨注:それならむしろ、引き返すべきだったんじゃ……≫

≪水去注:でも怪人として生きるなんて、苦痛でしかないだろ? さっさと倒された方が、多分みんな幸せだ。だから、戦いになる予感があれば、法律戦士は積極的に前へ進むべきなんだと、思ってる。なるべく早く、闇から解放されること……実践するのは大変だけども! 身体重いし! けど、それをしないのは、やっぱり大きな罪なんだろうな≫


 茶色く濁ったそのお湯に、水去は肩まで裸身を沈め、ゆっくりと息を吐いた。

 瞬間

 斬撃が目の前の竹垣を襲った。


≪水去注:ほっと一息ついた途端、ズバアアアアアアンッ! って、竹垣がぶった切られたわけだ。漫画なら、見開き一ページになる勢い≫

≪馨注:我ながらだいぶ危ないことをやっているね。ごめん水去≫

≪水去注:奇襲としては派手で悪くない。しかしどうやって俺がいると分かったんだ?≫

≪馨注:うんそれこそ勘だ。怪人の時って、衝動が強すぎてマトモな思考とかできないし。ただそこに行きたかった。水去と馨が、運命の糸で繋がれたんじゃないかな≫


 空気を劈く破裂音と共に、根元から一文字に切断された竹垣を上空に消し飛ぶ。その先に姿を現したのは、黒い薙刀を手にした怪人。全身を醜悪な闇で包み、そこにあるのは、苦悶と絶望、そして己が身をも亡ぼす悍ましき力。長大な竹垣を一振りで破壊した刃が、わずかな月光によって妖しく縁取られていた。


≪水去注:細長い薙刀に、シルエットがシュッとしてて、わりとスタイリッシュなデザインだったよなー≫

≪馨注:怪人なんか褒めてないで、今の馨を褒めなよ≫

≪水去注:あー、今の星北さんは……えっと、見てるとドキドキします≫

≪馨注:馨も、水去を見てるとドキドキするよ≫


「やっぱり来たかっ! ここでっ!」

 水去が湯を蹴って立ち上がる。しかし、彼が持つのは、三尺程度の手ぬぐいのみ。まるで無防備な状態の中、彼は揺れる水面の中に屹立して、怪人を睨んだ。対する薙刀の刃先は、水去の左胸を真っ直ぐ狙っている。


≪水去注:やっぱ服って大事なんだな。人間って全裸だと情けなさすぎる。怪人の前に立つと尚更、画的に締まりがない≫

≪馨注:一糸纏わぬ水去も、ステキだな!≫

≪水去注:言い方……≫


「何者なのかは知らないがァ……いずれにせよォ、邪魔者はァすぐに排除するッ……!」

「そう簡単にeliminateされるわけにはいかないんだ。戦わなければならない! 何故なら、俺は、無免ローヤー、哀しき怪人に、親愛なる救済を与える者!」

「無免ッ……ローヤー……?」


≪馨注:名前がね、よくないよね。なんか、マジなのかギャグなのか分かんなくて≫

≪水去注:あーっ、言ってはならんことをっ!≫


 謎深き自己説明に、警戒した怪人が攻撃を躊躇する。その隙に、水去は必死に言葉を重ねつつ、白い手ぬぐいを己のウエストに巻きつけ、縛る。


≪馨注:またそうやって下半身に視線を誘導して……怪しからん水去だな≫

≪水去注:それは俺が悪いのか⁉≫

≪馨注:あと、水去ちょっと痩せすぎ。心配になるよ≫

≪水去注:痩せてるおかげで、手ぬぐい巻けたんだぞ。長さが足りなかったら、どうなってたことか≫


「もうこれ以上、罪を重ねさせない、自分で自分を損なわせたりしない! 絶望は、本当のお前じゃないはずだ! 不必要なスティグマは、背負うべきじゃない。だから俺が、ここで必ず、お前を止める、止めてみせる!」


≪水去注:おお、頑張ってペラペラ喋って変身準備の時間を稼いでる≫

≪馨注:えっ、そうだったの……ならあの言葉は、方便だったの? 嘘だったの? 馨を止めるって言ってくれた水去の言葉は、嘘、だったのかい、水去……?≫

≪水去注:うっ……そんな、だって、恥ずかしいこと、言わせんなよ……ああーああっ、もう、別に嘘ではねえよ! 当時本当に思ってたことです! 全身全霊で戦ってましたっ! お前を止めるために!≫

≪馨注:うん! それでこそ水去!≫


「ッ⁉」

「来い、変身六法!」

 水去が右手を高く掲げて叫んだ。脱衣所の変身六法が、彼の声に呼応する。そうして、持ち主たる変身者めがけ、凄まじい勢いで飛来するのだ! 

 バキッ、ドガッ、バキッ


≪馨注:どうしてこんなことになってしまったのかな?≫

≪水去注:変身六法は俺が呼べば飛んでくるんだが、この機能は緊急時以外使っちゃならんことになっててな。まさか壁をぶち破るほどアグレッシブだと思ってなかったのだ。危ないよなー≫


 呼ばれた変身六法は、変身者の下に全力で駆けつける。間に妨害があろうとなんのその、障害物は体当たりで突破だ! 浴場への扉を破壊し、露天への壁を突き破って、変身六法は飛ぶ。立ち塞がる全てを破壊し、持ち主たる水去の右手に、しっかりと収まった! 

 あ、壊っ……!


≪馨注:これ、正直どう反応したら、って感じだったね≫

≪水去注:当時の俺には、これをギャグに昇華するだけの余裕はなかったわけだ……≫

≪馨注:今ならできるの?≫

≪水去注:と、時と、場合によります……でも、怪人ってただでさえ深刻だから、ちょっとでも明るい方がいいかな、と思ってる≫


 水去と怪人、両者の視線が、六法のぶち抜いた穴にくぎ付けになる。微妙な空気。しかし、右手を天高く掲げ、なんともヒロイックなポーズをとっていた水去は(まあヒロイックゆうても全裸なのだが)、もう後には退けず、変身六法を構えた。


≪馨注:かっこいいね!≫


「ごほん! へ、変身!」

 水去が六法を手ぬぐいにセット、光が溢れて、彼の裸体を包み込む。輝きは法の鎧へと変わり、無免許の法律戦士が、その姿を現した!


≪馨注:不思議な力だねえ……≫

≪水去注:えー、変身六法は腰に巻きつけたものに引っ付くという謎機能があって。あと防水仕様だし、飛ぶし、よく考えるといろいろトンチキな存在だよな≫


「法に代わって、救済する!」

 無免ローヤーが決め口上を叫んだ瞬間、七兜山の夜空にて、火薬の爆発が躍る。打ち上げられた花火のごとく、暗きを照らす光が、無機質な複眼と、表情を覆いつくしたマスクに反射した。無免ローヤーが構える。怪人も、竹垣の残骸を踏み越え、風呂を囲む岩の上に登った。湯の中に立つ敵へ、長く伸びた凶器を向ける。

 風が吹いて、二人の間に立ち込める煙を揺らし、散らした。

 怪人が動く! 刃が水面を滑り、振るわれる薙刀が半月状の間合いを描き出す!


≪馨注:本当に危ない。どうしてこんなこと平気でできてたんだろう……≫

≪水去注:ま、最終的に誰も傷つけてないんだから、気にすんなよ≫

≪馨注:水去は……? 水去は傷ついたじゃないか≫

≪水去注:俺はいいんだ。そう痛い傷じゃなかった≫


 しかし僅かに早く、無免ローヤーは条文に触れていた。

【刑法二二二条 脅迫!

一項 生命、身体、自由、名誉又は財産に対し害を加える旨を告知して人を脅迫した者は、二年以下の拘禁刑又は三十万円以下の罰金に処する!】

【刑法二四九条 恐喝!

一項 人を恐喝して財物を交付させた者は、十年以下の拘禁刑に処する!】


≪水去注:あーあー、なんでこんな条文選んじゃったのか。やっぱ刑法かな? とか色目つかってないで、最初っから民法でいけって話だ≫


 瞬時に変身六法が二振りの法の短剣を構成、逆手で掴み取った無免ローヤーが、横一文字左薙ぎの一撃を、掬い上げるように弾いた。怪人の両腕が泳ぐが、すぐに力が戻り、振り下ろす動きが左の袈裟斬りへと変ずる。再びの攻撃防御、無免ローヤーは直前の迎撃に伸びた左腕と交差するように右手の剣を構え、刃を受け流すように合わせた。

 目の前で火花が散る。


≪馨注:人を刃物で襲うって、無茶苦茶だ……酷い……≫

≪水去注:確かに、日常生活で刃物向けられたら、俺もかなりビビるけど。この時は無我夢中だった≫


 薙刀が湯を打つと同時に、無免ローヤーは半回転するように身を引く。法の鎧に包まれた足は、そのまま二歩・三歩と慌ただしく温泉の底を踏んで、敵と距離を取る。ひとまず、攻撃は防ぎ切った、が……

 攻防の終了と同時に、法の短剣が二本とも無惨に砕けて、瞬きの中へと消えた。

「……ッ! 対応されたッ!」

 怪人が狼狽える。


≪馨注:焦ったよね。自分は何でもできる力を得たと思ってたわけだし≫


「はあっ、いや、できなかった……っ、やっぱり刑法犯じゃなかったかっ!」


≪水去注:こっちはこっちで、なに馬鹿正直に答えてんだ。ブラフでも平気そうにしとけアホー!≫


 無免ローヤーも焦りの声を上げた。武器を失った法律戦士は、纏わりつく湯気を振り払うように、右手を強く振るう。


≪水去注:よくよく見ると、これは売買の冒頭規定の条文番号ライダーの真似かもしれん。無意識にやっとる……≫

≪馨注:水去は水去だ。他の誰でもない。真似なんかしない方がいい≫

≪水去注:え、あ、そう?≫


「な、何なんだよッ、お前ェ!」

「む、無免ローヤー! 法に代わって、救済する!」


≪馨注:意味のない質問してる。お互い余裕ないね≫

≪水去注:そうだな。こっちは決め台詞二度目だし≫


 法律戦士は再び腰の六法をめくり、条文に触れた。

【民法一条 基本原則!

三項 権利の濫用は、これを許さない!】

 先刻を大きく上回る莫大な量の光、輝きが波紋を照らして、無免ローヤーの手元に集まる。法の力は空間を占め、怪人の薙刀に比肩する長さを創り、長大な武器へと変わった。

 構成されたのは、法の槌! 

 無免ローヤーの持つ柄の先で、ハンマーヘッドが重力に従い降り落ちる。轟きと共に、出湯が豪快な水飛沫を巻き上げた。怪人が一歩後退って、薙刀を構える。無免ローヤーもまた、法の槌を手に、敵を見上げた。


≪馨注:ハンマー出てきたとき、物凄い圧迫感があったんだ。重そうで、怖いし≫

≪水去注:実際は、取り回し悪くて使いにくかったんだよ、法の槌。でも、そっちも実はビビってたってことか≫

≪馨注:そりゃそうだよ、だって、水去が本気で向かって来るんだから≫

≪水去注:へえー、初めて言われたなーそんなこと。俺なんか弱いのに≫

≪馨注:強さ弱さじゃない。この瞬間の水去は、あんなに深く、深く、深く馨に踏み込んでくれた。少なくとも、馨はそう思ってた。だけど終われば誤魔化しばかり。水去の思いは、ひと時だけの、一方的なものだったのかな。違うはずだ。何が水去を、そうも曇らせている? ねえ、どうしてこっちを見てくれないのかな?≫

≪水去注:はじゅかしい……≫

≪馨注:あっはっは! 素直じゃない水去だなー!≫


 複眼の表面を、水滴が流れ落ちる。まるで泣いているかのように。

 けれど無免ローヤーは、怪人に立ち向かうのだ。


≪水去注:涙は仮面ライダーのモチーフの一つだ。涙ラインというやつだな。中々いい演出じゃないか、うん≫

≪馨注:水去は、普段から泣きそうな顔してるくせに≫

≪水去注:えっ、そ、そんなことないだろ⁉≫

≪馨注:そんなことある。馨が、慰めてあげたい≫


「今度こそ、民法一条三項、権利濫用の禁止で、勝負だ……」

「権利濫用ォ……ッ!」

「いくぞ! 法に代わって、救済する!」

 ヒーローの咆哮が、夜の七兜山に響いた。


≪水去注:はい決め台詞三度目でーす。何回言うつもりなんだ≫

≪馨注:救う! って気持ちが伝わってきて、馨が嬉しいけど≫

≪水去注:余裕がなくて、とにかく言いやすいフレーズを連呼してるだけだ。今見ると、戦い方喋り方が、実にたどたどしい。もうちょっと上手にやれただろ……って感じ≫

≪馨注:でも、ひたむきに馨に向き合ってくれてる感じがして、好き≫

≪水去注:うむ、まあ……全力だったということで……な、なにニヤついてんだよ。あーはいはい、分かってる、分かってますよ、ここからがハイライトなんだろ。けどだいぶ茹ってきたしな、戦いはまだまだ続くが、ひとまず一息。それでは!≫

≪馨注:♡≫

次回予告

極悪! 極悪! 極悪! 第四十四話「砕けや掴めよ、心と手」 お楽しみに!

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