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第三十三話 先代は当代を鍛えるか

前回までの、七兜山無免ローヤー!

 期末試験を受けている無免ローヤー。しかし水去は、民事裁判実務の試験で居眠りしてしまう。戦い続きで疲れているのか? 試験を乗り切れば、とりあえず休みが来るはずだ、頑張れ! 無免ローヤーは今日も戦う! 変身! 法に代わって、救済する!

 バカは悲しい。バカだと世の中は、悲しいことばっかりだ。


 そんな事を痛感させられた水去の試験期間、約一週間に及ぶ七兜大学法科大学院期末試験は、最後、選択科目著作権法の試験をもって終了した。試験用紙への記述だけでボールペンを三本くらい使い切るような、少なくとも水去にとっては過酷なイベント、それをとにもかくにも終えたのに、水去の表情は少しも冴えないままだった。酷く暗い、思いつめたような表情である。悲しいことばっかりなのかもしれない。


 水去は一人で、試験の実施された建物から出てきた。他の学生たちが問題の感想を言い合っているなか、孤独に、俯いて、蟻のうろうろする舗装路を眺めながら、大学構内を歩いて行く。彼の足はそのまま、見慣れた建物に、赤原の研究室が設置されている法科大学院棟に向かっていた。己が愚劣を懺悔でもしにいくだろうか。周囲は蝉がわんわん鳴いて、照り付ける太陽が真夏の気怠い空気を揺らしていた。空は底抜けに晴れて白い光が眩しく、気落ちした身体を刺し貫く。一筋の汗が、彼の首筋を流れた。


 法科大学院棟の自動ドアを越えれば、よく効いた空調が彼を包み込んだ。そのまま階段を昇って、ひっそりとした研究室が密集する階に出る。目的地の扉の前に辿り着いた水去は、一度深呼吸して、気持ちを整えてからノックした。返事はない。そおっと扉を開ける。部屋の電灯は消えたままだ。


 誰もいなかった。いじわるな赤原教授の姿はどこにもない。


 水去はふらふらと、室内に入った。汚い書籍が高く積まれた部屋を見回す。ブラインドの向こうから光が漏れ入り、観葉植物の碧の葉を照らしている。部屋の中は何も動かない。静けさが充満していた。どうしようか、と彼は思案して、しばらくぼうっと過ごした後、近くの戸棚から一冊のファイルを取り出した。それは、今年の法科大学院事件ファイル、怪人についての報告書をまとめたものだった。


 素早く頁をめくる。自分の書いたものには興味がない。彼が探しているのは、網言正刀、すなわち非弁ローヤー登場以後の記録だった。……あった、これだ、と彼は最新の記録まで辿り着く。怪人宗教利用男に関する文書を挟んで、三枚の見知らぬ報告書があった。作成者は網言青年、理路整然と書かれたその内容を追えば、水去の知らぬところで、非弁ローヤーは三体の怪人を撃破しているらしい。しかも、随分ややこしくて難しそうな怪人である。短期間のうちにこれだけの仕事をこなすとは、非弁ローヤーの戦闘力の高さは明らかだった。おそらく無免ローヤーとしての自分では、とても敵わない。


 その時、扉が音を立てて開いた。「おや、君は何を、しているのかなあ?」と、網言正刀の声が出入り口から飛んでくる。水去はゆっくり振り向いた。


「網言……お前も怪人を倒したんだな。俺のいない所で」


「そうやってわざわざ含みのある言い方をするのは、どういう意味なのかな」


 網言が、語尾を静かに断ち切るように言った。向かい合う水去には、光に照らされた細かい埃が、二人の間の空間をふらふらと舞っているのが見えた。


「意味なんかねえよ。ただ、怪人を倒した後、お前がどんな対応をしているのか、気がかりなだけだ」


「君はまるで自分が正しいかのように思っているな。だがそれは間違いだ。罪には罰を、たったこれだけのことを誤魔化すから物事がこんがらがっていく。複雑な法が必要になる。分かるかなあ?」


 そうして網言は部屋の中に踏み入り、水去が広げていたファイルを指差した。


「この女、怪人株式等売渡請求承認公告後株式譲受女だけど、特別支配株主の売渡請求における会社法一七九条の四第一項及び第二項に基づく対象会社の公告がされた後に売渡株式を譲り受け、会社法一七九条の八第一項に基づく売買価格決定の申立てをした例だ。最高裁で決着がついている問題なのに、全く、馬鹿としか思えないなあ……。理論的には確かに、公告日株主を保護することを目的として、公告後株主に売買価格決定の申立てを認める必要性を示唆する見解もあるけれど、あまりに迂遠すぎるし、いずれにせよ、公告後株主を保護するためのものじゃない。こんな愚かな人間を、保護する必要は考えられないね……! いいかい、愚かさは罪なんだ……!」


 網言が至近距離で睨む。罪深くも愚かなる水去は、彼の説明を一言も理解できなかったので、とりあえず「あー、怪人の名前、ちょっと長すぎないか?」と答えた。瞬間、網言が怒りを表して机をバンと叩く。「これが怪人の性質を正確に表現した呼称だっ!」刺々しい剣幕、謎の位置に逆鱗があるのを知った水去は驚き慄きながら、「す、すまん」と謝った。


「ところで、お前、戦った怪人におかしな点とかなかったか?」


「おかしな点……? 怪人は常に異常だと思うけどねえ……!」


 網言の突き放すような答えに、水去が食い下がる。


「いや、そうじゃなくてだな、俺が戦った怪人宗教利用男、どうも動機が不自然だし、戦ってる時に、俺たちのことを『教えてもらってる』って言ってたんだ。誰に? って話だろ。で、倒した後に聞いてみたら、『そんなことは言ってない』って答えるんだよ。キョトンとした顔で。俺が見るに、嘘をついているというより、本当に記憶が欠落してるって感じだったんだけど。お前はそういうことなかったか?」


 網言は不快そうに首を振る。


「知らないね。怪人の戯言じゃないのかな。……一つ忠告しておこうか。犯罪者共の発言を判断の材料にすべきじゃない。聞く耳を持つべきじゃない……! 甘すぎるんだよ、いずれ、利用されるぞ……!」


「で、でもよ、大澤の時だって、動機が明らかに不自然だったし——」


「まだそんな話をするつもりかあっ!」


 網言が水去の胸倉を掴み上げる。机の上のファイルが落ちて音を立てた。「どこまで莫迦なのかなあっ、君は!」身体に及ぶ力が強まる中、「ああ?」と水去が珍しく怒りを見せ、掴み返す。荒事とは無縁に育ってきたように見える二人が、こんなに粗暴な振る舞いに及ぶのはどういうわけか。瞋恚を帯びた視線がぶつかり合う。


「もしなんか事情があるなら、助けられるかもしれないだろ」


「違う……! 奴は、ただの、犯罪者だ……!」


「仮にそうだとしても、救わない理由にはならない。どんな人間だって、救いを求めてるんだよ!」


「救いたいなら救えばいい……! だがその前に罰が必要なんだ、この社会には正しき罰が足りていない……!」


 その時ガタリと扉が開いた。


「もおおーっ、こんなとこでキミたち何やってんのおーっ?」


「んえ?」


「は……?」


「もしかしてさ、喧嘩ーっ? ダメじゃんいい歳して喧嘩なんかさあーっ!」


 不穏な空気が薄暗い研究室を覆う中、唐突に、やたらと陽気な、軽い、ふざけた声が響いた。それに合わせて、水去と網言も気の抜けた声を漏らす。見れば、出入り口から顔を赤らめた女性がこっちを覗いていた。掴み合う姿勢のままで二人が目を丸くしているのを確認した彼女は、満足そうに右手を突き出してVサインした。ちなみに左手には、アルコール飲料の入ったアルミ缶が握られている……


「……どちらさまでしょうか?」水去を掴んだ姿勢のまま、網言が尋ねた。


 女性は胸を張って答える。「ふっふっふぅ、今は、キミたちの先輩、すなわち、先代無免ローヤー、とだけ言っておこうかな。名前は秘密です! 秘密保持! なんちゃってーっ!」にへらと笑った。


 いや名乗れよ。


 〇


 ニコニコ笑って常に目が細く、愛嬌のある顔立ち。けれども小さな口元はどこか上品で、古い画のような気品がある。白いきめ細やかな肌、艶のある長い黒髪、細くしなやかなスラリとした体形。そうした美しい印象の全てを、酩酊の危うさが打ち消してしまっている……


「赤センは来ないよー。なんか急な仕事が入って忙しいみたい。だから今日はアタシだけでキミたちの指導に来たんだーっ。気軽に、先代サマ、って呼んでね、よろしくっ!」


 先代無免ローヤーを自称する酔っ払い女に連れられて、当代無免ローヤー変身者水去律および非弁ローヤー変身者網言正刀は、大学構内をバカみたいに歩いていた。


「あのー、一応聞くんですけど、俺たちどこに向かってるんです?」水去が聞く。「自習棟に決まってるじゃんっ。チョーバツボーだよチョーバツボー!」これが先代の回答。続けて網言が、「……僕たち、試験終わりに赤原先生に呼び出されていただけで、詳細は伝えられていないのですが、もし可能であれば用件を教えていただけないでしょうか」と、スマイルを顔に貼り付け恭しく尋ねる。


 前を歩いていた先代無免ローヤーが、くるりと振り返った。酒の香りがふわりと立つ。


「だから言ってるでしょー、この先代サマが、手取り足取り、やさあしくキミたちを教え導いててあげようってことっ! ねっ?」


 先代サマが突然腕を伸ばして、ぽんぽん質問者の頭を撫でる。網言の右頬が引きつった。


「司法試験も終わったしさーっ、赤センが今年のヤツは腑甲斐無いから、どうにかしろって言ってきたんだよねー。んふふふふふっ!」


 撫でていた手が突然べしっと勢いよく頭を叩いた。網言は左頬まで引きつって、愛想の微笑みが完全に崩れる。その様子を肴にでもしているかのように、先代無免ローヤーはグビリと一口、アルミ缶を口に運んだ。ぷはー、と息を吐けば、またアルコールの匂いが広がる。


 う、ウザい……っ!


 静止した網言の眼球だけが動いて、行き場のない怒りを放出するかのように、隣にいる水去を睨んだ。己の腑甲斐無さを自覚している水去だが、さすがに先代のウザさまでは責任がとれない。水去も睨み返す。



 どーなってるんだ! 君のせいだぞ!


 なんで俺のせいやねん。どーしよーもないやないか!


 君が! 君が馬鹿だから、こんなのが呼び出されたんじゃないのかなあっ!


 こっちだって、好きで馬鹿やってるわけじゃないわいっ!



 一瞬の内に視線で会話した二人は、諦めたように前を向き、それでもほんの少し躊躇いを見せた後、大学内をスキップしながら移動していく先代サマの後を追った。奇異の視線を集めながらも、法科大学院自習棟に辿り着き、先代が鼻歌まじりにパスコードを入力すれば、自動ドアが開く。


「はいっ、行きましょーっ!」


 飲み終えたアルミ缶を近くのごみ箱に捨てて、何者かの悲鳴や叫喚が空気震わす懲罰房を、迷いなく進んでいく。三人は古い蛍光灯の照らす不気味な廊下を歩き、自習室の入り口を通り過ぎて、普段誰も訪れない奥地に入り込む。悲鳴の発生源が近づいてくる中、法律戦士の変身者たちを迎えたのは、地下へ伸びる階段であった。


 水去には見覚えがあった。かつて糸井教授と開廷の修行をした空き部屋、それを含む広大な地下空間につながる階段である。もう少し補足すれば、内閣府秘密統治委員会の改造人間が侵入していたのも(侵入経路は別だろうが)ここから続く地下空間であった。何故こんな場所があるのか、それは、この法科大学院自習棟が懲罰房と呼ばれる由縁と深く関係しているのだが、事情を正確に知っている人間はほとんどいない。


 暗い階段を下りて、先の見えない廊下を少し歩くと、先代無免ローヤーは、外見だけは病院の病室みたく小綺麗な引き戸を開け、地下の一室に入った。彼女に促されて、水去たちも仕方なく中に足を踏み入れる。


 全く使われている様子のない、殺風景な部屋だった。キャスターのついた古い机と椅子がいくつかあるだけ、糸井教授と修行した部屋と同じような雰囲気である。地下だから窓もなく、蛍光灯の明かりの下で、空気が沈んでいた。誰からも閉ざされた空間。こんな場所に、若い男二人と女が一人、一体何が始まるのだろう、困惑に立ち尽くす水去と網言。


 並んで立つ二人の背後で、先代無免ローヤーが扉を隙間なく閉じた。艶やかな吐息が空気を濡らす。彼女は若人たちにそおっと近づき、両腕を静かに開いて、彼らの肩先に絡めるように置いた。突然の身体接触に驚く二人の青年、特に水去の背筋が分かりやすくぐっと伸びる中、先代サマは後輩たちの体を、後ろから静かに抱き寄せた。


 彼女の方が背が低いから、少し背伸びするようにして、細いオトガイが水去と網言の間、二人の肩の上に載る。正面から見つめ合っているわけではないとはいえ、他人の顔がすぐ隣、至近距離なのは緊急事態。水去の心臓が跳ね上がる。


 しとやかな気配が周囲を包む中、女の、細い喉が動いた。


「スイキョー君が無免ローヤーでーっ!」


「え?」水去が間抜けな声を上げる。


「アミゴン君が非弁ローヤーであってるよねーっ!」


「は……?」網言も間抜けな声を上げた。


 先代無免ローヤーが二人の身体をバシバシ叩く。


「だーっかーっらーっ、スイキョー君が無免ローヤーで、アミゴン君が——」


「いや水去(みなさり)……」


網言(あみこと)です」


 二人の訂正に、先代無免ローヤーが一際大きな声を出す。「もおーっ! それくらい知ってるってばーっ! あだ名よ、あ・だ・名♡ 後輩ちゃんたちに親しみを込めて言ってるのーっ! だから、アタシのことも、先代サマ♡ ってかわいく呼んでいいよ♡」耳元でカン高い声が響き、それと共に酒の匂いが充満する。


 ま、マジでウザいぞ……っ! この、酔っ払い……っ!


 この時、水去と網言の思考は、驚異のシンクロ率を見せた。二人の思考が初めて一致した瞬間である。


 それを感じ取ったのか、ドンッ、と先代サマが彼らの背中を押した。よろけた二人が空足を踏み、すぐさま振り返れば、先代無免ローヤーが自信満々に胸を張っている。


「ま、赤センの頼みだしさ、まだまだ未熟なキミたちに、法律戦士がなんたるか、アタシがみっちり教えてあげる。厳しく扱くけど、もし泣いちゃったら、ちゃーんとおねーさんが慰めてあげるから、安心してねーっ!」


 無免ローヤーは一年交代制、よって、先代ということは、水去たちより一学年上、ロースクール三年次であることを意味する(法科大学院は未修者を一年生とするので、既習一年目の水去たちは二年生である。そして、先代の彼女は既習二年目、つまり最終学年、三年生なのだ)。たった一年しか違わない、しかもふざけた酔っ払い、だというのに水去には、彼女の姿が大きく自分と違って見えた。


 期末試験も終わり、法科大学院は夏季休暇に突入した。青春の思い出作りなどあり得ない、司法試験に向けて死ぬ気で勉強すべき夏、その最初のイベントは、先代無免ローヤーとの鍛錬であった。

次回予告

痴気! 歴史! 儀式! 第三十四話「そんな変身じゃダメよ」 お楽しみに!

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