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第三十二話 ローにも期末は訪れて

前回までの、七兜山無免ローヤー!

 「伝説の不良」の威を借りてピンチを切り抜けた無免ローヤー。家に辿り着いてさあ安心、と思った瞬間、守亜女生徒の突撃と、前原女生徒の冷たい視線が突き刺さる。素晴らしいお出迎えですね。無免ローヤーは今日も戦う! 変身! 法に代わって、救済する!

 何者かの悲鳴が響き渡る懲罰房、その地下。暗黒に包まれた奥深くに、怪しい人影があった。全身を特殊スーツで隠し、近未来的なデザインの仮面をつけている。コンピュータに接続し、何かを探すさまは、まさに諜報機関のスパイのようであった。侵入者は、デバイスに表示された意味不明の文字列に、素早く目を通していく。


 その時! 突如画面が明滅し、文字が置き換わる。カウンタープログラムの起動により、「偽造カード等及び盗難カード等を用いて行われる不正な機械式預貯金払戻し等からの預貯金者の保護等に関する法律」が表示され、条文がスクリーンを埋め尽くした! バツンっ、という音と共に、部屋の電灯が点けられる。侵入者がハッとして振り向けば、通路の奥から、ツカツカと靴音を立て、二人の壮年男性が現れた。


「文部科学省、いや、内閣府の秘密統治委員会といったところか」


「最近はこの大学も、きな臭い人間の出入りが多いですからねえ。困ったものです……」


 赤原教授と糸井教授であった。


「ナナカブトダイガクホウガクケンキュウカキョウジュ、アカハラ、イトイ……ワタシノタチバヲリカイシテイルノナラ、ジャマシナイデモラオウ」


 侵入者の、電子音に変換された抑揚のない声が響く。


「それはできない。法の研究者として、貴様らのようなlegitimacyを欠いた秘密機関の存在は黙認できない」


「ワタシトタタカウツモリカ? タカダカダイガクキョウジュフゼイガ?」


「大学自治は貫徹しなければなりませんから。何かしたければ、正当な手続きを踏んでから、どうぞいらっしゃってください」


「ペラペラトゴタクヲナラベルノダケハトクイダナ。ダガ、クチダケダ。キョウカシュジュツヲウケタカイゾウニンゲンノワタシニカテルトデモ?」


「貴様こそ、象牙の塔には象牙の塔なりの戦いがあるのを知らんと見える」


「そうですねえ、ま、向こうのお偉方にとっても、影の人間は影に沈む運命ですから。ああ、安心してください、こちらとしては、貴方の人権は最大限保障するつもりですよ」


「……イタシカタナシ」


 侵入者が両腕から十重二十重の刃物を展開し、構える。同時に糸井教授は闇を纏って怪人へと変貌した。赤原は何もせずその場に立ったまま、右手に開いた六法を眺めている。


 瞬間、三人の姿は、闘争の中へと消えた。


 〇


 それと同じ頃のこと、神崎邸に帰宅した水去を迎えたのは、守亜女生徒の突撃と、前原女生徒の凍てつく視線であった。


「ま、前原さん……っ⁉」


 水去の潰れた声が玄関に響く。神崎が横からひょいと顔を出したが、奥の様子を認識した途端、苦笑いして引っ込んだ。


 ふと、前原の口角が微かに上向く。


「律君は、守亜帝子さんと、仲良しなんだね……?」


 前原が口元だけ微笑んで言う。そこに秘められた感情を、水去は測りかねた。仲良しって、何……? 守亜女生徒のふわふわした香りに包まれながら、どうしようもなく停止している。実に行動力のない男だ。そんな沈黙の空気の中、「水去さま! 今日はわたくしが夜ごはんを作りましたの!」と、胸元の守亜が彼を見上げて言った。


「えっ、ホント⁉ なにかな? なにかな?」水去はこれ幸いと話に乗っかる。


「近所で獲ってきた川魚の素揚げですわーっ!」それは安全に食べられる魚なのだろうか。


「川魚⁉ すげー、ワイルドですなーっ! あっじゃあ、前原さん、夕食まだなら一緒に食べませんか! 作り置きのおかずも出したら、四人分になるだろうし、ねっねっ!」


 この時の、水去がしたフォローが適切だったのか、それはよく分からない。


 〇


「おっ、う、うまー!」


 食卓にて、ぱりぱりと魚の素揚げを食べながら、水去が呟いた。「確かに、けっこういけるね。素朴な味付けなのに生臭さも全然ない。何の魚かは分かんないけど」神崎坊ちゃまも素直に驚いている。前原も静かに箸を口に運んで、「美味し……!」と呟いた。三人の反応を見ていたコック守亜は、「ふふーん! 川は得意ですの! 摑み取りはサバイバルレディの嗜みですわ!」と嬉しそうに胸を張った。


 それから無言で食事が続いた。守亜の料理はそれくらい美味かったのである。器に山盛られた魚は、ほどなくして食べ尽くされた。美味しい料理は、いや、それほど美味しくなくっても、食べるという行為によって、人の心は柔らかくなる。食べれば元気になるものだ。少々歪んでいた空気も、いつの間にか和らいでいた。


「ところで、前原さんはどうしてここに?」


 一段落した水去が、右斜め前に座る前原に尋ねた。ちなみに座席は、水去の右隣に神崎が座り、机を挟んで正面には守亜が、そして守亜の隣に前原、という位置関係である。


「えっと、律くんに電話をもらった後、バイトを終わらせて急いで来たの。桜たちがいろいろ迷惑かけてたみたいだから、謝りたくて。でも、守亜さんだけだったから……」


 前原の声は、そこでもにょもにょと途切れた。今度は守亜が言葉を続ける。


「そうですわよ! どうしてこんなに帰りが遅いんですのっ? わたくし、早くお料理を振舞いたくて待ってましたのよ。ずーっとずーっと待って、ぴんぽんが鳴って、やっと帰って来ましたわー! って飛び出して行ったら前原さまで、誤って抱き着いてしまったんですからっ! ほっそり締まってて素晴らしいお体でしたわ! もう!」


 守亜女生徒が前原に突撃していく状況を想像したのか、神崎が噴き出した。


「猛嬢注意だね、玄関先にステッカー貼っとかなきゃ。ふふっ……」


「時間を無駄にさせて、すまんかったです……いや、怪人を倒した後、ちょっと校舎とか直してたんだよなー。あっ、でも、赤井さんたちは皆いい子だったよ! 前原さんの名前を出したらいろいろ手伝ってくれたし。その、伝説の不良って、すごいね……!」


 水去が探るようにちらりと見れば、前原の頬がぽっと火照って、みるみる紅潮した。「ち、違うもん、勝手にそう呼ばれてるだけで、私は不良じゃないもん! あの学校はバイトしやすかったから入っただけだし、いろいろ言われてるのも全部、向こうが仕掛けてきたのに最低限の対処をしただけだから! 私、悪い事はしてないから! みんな大袈裟なの! お願い、信じて、律くん……!」


 前原が瞳を潤ませる。どうも、伝説の不良、という呼び名に複雑な感情を抱いているようなので、水去は「あっ、あっ、そうでしたか、ちょっと安心した」と言って話を打ち切った。


「でも、赤井桜さんとか、けっこう常人ではない戦闘力だったよね。木刀でどつき合いできる高校生って中々いないし。家庭教師で一体何を教えてるんです? 剣術とか?」と神崎が尋ねる。


「いや、普通に英語と数学だよ? 戦闘術はさすがに教えたらまずいから」と前原は答えた。


「へー、じゃあ、赤井さんも素であの強さなのか。ほえー」と水去。


「確かに、立ち姿のバランスの良さは光るものがあるかな、桜は。あっ、でも、難舵北高校って、私が入った時から不良の中では名門だったみたいだから、生徒の平均戦闘レベルは高いのかも。私じゃ違いが分かんないけど……」


 前原が消え入りそうな声音で言う。その様子を見ながら、「須永もトンデモナイ奴らをターゲットにしてたんだな」と、水去が呟いた。


 それですわよ! と、守亜女生徒が勢いよく立ち上がる。「怪人との戦い、わたくしも近くで見たかったですわー! ぜひお話を聞かせてくださいまし!」机に手をついて、水去に迫った。大きな瞳に自分の姿が捉えられてるのを見て、水去は心の奥底で怯む。守亜はさらに身を乗り出す。


 水去は詳しい事を彼女に告げずに戦いに出ていたのだった。


「う、うーん、須永にとってはわりとセンシティブな話だからな。あんまりペラペラ喋るのも……」少し身を退きながら水去が唸る。


「でも、試験が嫌だから八つ当たりで高校生に試験拒否させるなんて、同情の余地はないとボクは思うけどね」神崎は厳しく言い切った。


 須永青年、いや、怪人宗教利用男がどうして期末試験拒否などさせたのか。それも、サブ青年を操り、堂島青年に甘言してその野心に付け込むという、随分回りくどい方法なのである。戦いを進めても、どうにも動機がはっきり見えない事件だった。


 それで、怪人撃破後に、水去は須永青年に尋ねたのである。その答えは、もうすぐ法科大学院の期末試験が迫る中、人を試すというこの傲慢な制度に憎しみを抱いて絶望したから、不良高校生たちに試験拒否させ憂さ晴らししていた、というものであった。試験という概念そのものに対する攻撃なのだ。まあ、水去にも理解できないことはない。二十数歳にもなって、未だ期末試験のテスト勉強なんぞしなきゃならんというのは、随分屈辱的で、馬鹿馬鹿しいことだから……


「さすがに動機が薄っぺらすぎないかい? 怪人ってそういうものかもしれないけどさ」

 

 神崎の言葉も、間違ってはいない。


 その時ふと、守亜が神崎の方を向いて、大人びた、静謐に色づいた表情をした。


「ねえ、神崎さま。誰もが誰よりも大きな闇を、心に抱えてるものですわよ。みんな、自分だけが苦しくて、自分だけが寂しいの。だって、自分だけが特別ですもの」


 守亜はほっと、小さく吐息を漏らした。それから、両手の指をテーブルの上でふわりと絡めて、ほんの少し、首を傾げる。細い喉がかすかに動いて、小さな口元が微かに笑みを形作った。部屋の空気は、しめった水彩絵の具で淡く塗られたようだった。


「先は続いてるのに、簡単に蹴とばせない大きな、大きな石ころに行く手を塞がれてしまった人たち……わたくしにもたくさん見えますけど、でも、横目でちょっと覗いただけで笑っては、いけませんわ」


 思わぬ発言に、水去のいつも眠そうな上瞼が吊り上がっている。黒い虹彩の中に映った守亜の姿。しとやかな姿だが、突然ドタンッと立ち上がった!「そう! だから! むしろ! 一緒に蹴り飛ばして差し上げなきゃいけませんのよっ! えーいですわよっ! えーいっ! お分かりでしてーっ?」ぱっと守亜の表情がハジケる! 雰囲気が台無しだ!


 換気でもしたかのように、一瞬でいつもの雰囲気に戻ってしまった。


 しかし、なおも水去だけは考え込んだような顔をして、「まあ、蹴り飛ばした石ころが今度は他の人の道を塞いじゃったりするから、難しいよな。今回だって……それでも、蹴らなきゃいけないときは、あるんだけども」と呟く。それから周囲に目を向け、困ったように笑って、「なんでもかんでもローヤーキック! ってわけにはいかないからなー」と続けた。


 神崎が肩をすくめる。


「相手にどれだけ寄り添うかは別にして、一番の問題は、毎回キミがピンチになってることでしょ。負けたら救えるものも救えないし。解説席で、キミは強いんだか弱いんだか分からないって言われてたけどさ、試験拒否なんてふざけた話で、苦労してちゃダメなんじゃないの?」


「うぐっ……い、いや、今回けっこうヤバかったんだぞ。むりくり宗教利用の点を主張しまくって取消訴訟に持ち込めたから勝てただけで、馬鹿正直に怪人の犯罪を論じてたら、多分負けてた。だから俺は……とっても頑張ってたんだよっ!」


 水去が眉に皺よせ歯を食いしばって言う。それに合わせて前原が、「律くん、その鼻先の絆創膏って」と声をかけた。「ん? ああこれ? コケた!」水去の軽い返答。


 やり取りを見ていた神崎が、少し咳払いする。


「……で、負けそうだったってのは?」


「あー、試験拒否って、成立し得るのはせいぜい業務妨害くらいだろうと思うんだよな。で、偽計業務妨害……サブを通して堂島に働き掛けて試験拒否させたってのが偽計か? でも、神戸高専事件の存在そのものは事実だし、堂島自身ノリノリだったし、欺罔とか不知・錯誤の利用と言えるのか……かといって、堂島らによる威力業務妨害の教唆犯としても、生徒がテストを拒否するのって業務妨害なんだろうか? なんか変な気もする。正犯が成立しないなら教唆犯は成立しないし……それに、不特定の者を唆したんなら、教唆じゃなくて扇動だしなあ。うーん、やっぱりよく分からん!」


 水去が悪びれもせず笑った。「だから、刑法的な議論をしてたら負けてたんだな。それで、あいつを業務妨害男じゃなく、怪人宗教利用男と断定して、ハッタリ八割の行政訴訟でごり押したってわけだ」


「ええっ、怪人の名前とかって、キミが勝手に決めてるの⁉」神崎が驚きあきれる。


「まあそこまで厳密なものじゃないな。怪人本人が自分で名乗ってることも多いけど、俺が名付ける時は、過去の記録で有名なのがいればそこから引っ張るし、フィーリングで名づけることもある。そんなにハッキリしてねえよ。例えば、詐欺の闇を抱えた怪人詐欺男とかでも、人によって能力は全然違うみたいだしなー」


「へ、へえー。な、なんか複雑というか、雑なんだね……」


 困惑する神崎のためか、前原が思い出したくない記憶だろうに、「私の感覚だけど、暗闇の中で、ずっと遠くに自分のしたいことが浮かんでる、みたいな感じだったかな。衝動がはっきりしてるなら、名前も自任できると思う」と、怪人の精神状態を補足した。


 前原の言葉に、何故か水去も首肯した。


「ま、怪人ってのは人の闇が表に出た存在だからな。人が千差万別ある以上、怪人もいろいろあるだろうよ……」


 〇


「律くん、その傷、本当は転んだんじゃないでしょ?」


 夕食を終え、御暇の時間となった前原を、水去は外まで見送りに出ていた。月が夜を照らす中、七兜山の急坂で、彼女がふわりと振り返る。そうして、門前に立つ水去の目の前に戻ると、彼の鼻先に顔を近づけて、優しく言ったのだった。


「でしょ?」


「えっ、あっ、これは……」はっきり否定もせず口ごもる水去。


「桜は、私がちゃんと叱っておくから、ごめんね? ……でもね、私、そんなに心配してないんだ」

 

 夏の風が、前原の黝色の髪を揺らした。


「神崎君は、律くんが弱いんじゃないかって心配してたけど、弱くないよ。 ……あなたは、弱くない」


 昆虫たちの鳴き声を載せた心地よい風が、くるくると二人を包み込む。


「だって、律くんは、私を、止めてくれたんだから。そんな人、今までいなかったもん」


 前原が、きれいな歯を見せて、にっこり笑った。


 彼女の言葉に、水去も一瞬嬉しそうに笑って、それから困ったように、表情を隠すのだった。


 〇


 暗闇がどこまでも広がる場所にいた。


 周囲にいくつも文字が転がっている。刑法や、民法、会社法、そんな言葉たちだ。力なく、傷つき、砕けて、壊れている。死んだようにごろごろと、法という文字を伴った存在が、そこら中に落ちていた。


 右手には、揺らめく黒き剣がある。それから左手は、何かを掴んでいた。闇の中で目を凝らす。それは、「民事訴訟法」の文字列だった。彼は左手を持ち上げ、民事訴訟法を目と同じ高さまで持ち上げた。手元の法はされるがまま、力なくうな垂れている。


 彼は右腕を動かす。闇さえも塗り潰すような、重い漆黒の揺れる剣。その柄を握りしめ、刀身を、民事訴訟法の「民」と「事」の間に当てる。ずっと沈黙を保っていた民事訴訟法が、プルプルと震え始める。


 しかし彼は、容赦なく民事訴訟法を切り裂いた。「事訴訟法」が音を立てて地に落ち、手元に残った「民」も、無造作に投げ捨てられる。生首のように転がる「民」の字。


 彼はすぐさま次の法を掴み上げた。そうしてまた、黒き剣で、残虐に切り裂いた。


 〇


 はっ、俺は……と、水去は目を覚ました。「終了まであと十分やでー」という教授の声が響く。ああ、そうか。あと十分か。十分、十ぷん、じゅっぷん、じゅっぷん……


 あと十分っ⁉


 慌てて解答用紙を見る。百二十分の試験で、あと十分。起案用紙は、まだ四分の一も埋まっていない。えっ、ヤバくない……? どうすんの……?


 水去は慌ててボールペンを掴み(法学部や法科大学院の試験は、横書き用紙にボールペンでひたすら論述していく、という方式が基本だ)、慌てて何かをごちゃごちゃ書き始めた。


 怪人宗教利用男との戦いから、はや数日。難舵北高校に期末試験があるように、当然、ロースクールにも期末試験はやって来る。彼が居眠りしていたのは、民事裁判実務の試験。こうして、水去による支離滅裂な回答と、気持ちばかりのお気持ち表明が、答案用紙を汚していくのであった……

次回予告

先輩! 後輩! 肩先! 第三十三話「先代は当代を鍛えるか」 お楽しみに!

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