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第二十六話 水去、ブラを手にして

前回までの、七兜山無免ローヤー!

 人の家に女連れ込んで飯食わせてた無免ローヤー。寛大なる神崎は、守亜女生徒の入居を許す。けれども前原女生徒は、守亜の同棲(寄生?)に不満なご様子で、勉強会の開催が決定! 無免ローヤーは今日も戦う! 変身! 法に代わって、救済する!

 よく晴れた日曜の朝、神崎邸の二階のベランダで、水去が洗濯物を干していた。その表情はお天気に反して暗く、どんよりと鈍い頭で、あれこれ考え事をしていた。


 ……大澤は怪人じゃなかった。しかし、間接正犯的な殺人を起こそうとした。これが分からない。あまりに短絡的すぎる気がする。怪人だったなら、分かる。犯罪衝動に吞み込まれたということだ。それなら理解できる。だが、普通の人間が素面でそれをやるか? いや、刑法の裁判例なんか見てると、なんでそんなことするんや、という犯罪はいくらでもあるが。うーん、もちろん、人間の理性はそんなに合理的には働かない。それも分かる。俺だって、事に及べば何をしでかすか、自信はない。むしろ確信犯的に動くこともある。しかし、大澤が怒甲さんを金づるにして、いろいろ不都合なことがあったといっても、殺すほどか? 彼だって法科大学院生だ。殺人の末路くらい想像が及ぶはず。何か、他に要因がある? 黒幕、とか? 唆した者がいる? いや、まさか……


 そこで水去は、神崎邸の庭の門が開く音を聞いた。思考を打ち切って視線を向ければ、夏の輝く陽射しによく似合う、肩先の開いたシャツ?(水去はその形状の衣服を適切に言い表す言葉を持ち合わせない)を着た、前原天祢女生徒が見えた。きらきらと光を反射する濃い緑の葉に囲まれた、白い石の小路を歩く彼女に、水去が手を振って、声をかけた。


「前原さーん、おはようございまーす」


「あっ、律くん、おはよ——」


 水去の声に気付いて、顔を上げた前原の歩みが、凍り付いたように突如停止した。立ち止まり、ぎこちない表情で、こっちを見ている。「?」と水去が首を傾げると、前原女生徒が「それ……」と何かを指差した。「ああこれ洗濯——」と言いながら水去が振っていた手元を見る。


 ハンガーにはピンク色のブラジャーがかかっていた。


 いや、別におかしなことではない。下着だって、外に干すこともあるだろう。隣家の窓が寸前に迫っていて丸見えとかならともかく、神崎邸は広い庭に囲まれている。不都合ない干し場所があるなら、ちゃんと太陽の下で乾かした方がいい。


 しかしまあ、あらためて指差されると、なんか恥ずかしい。水去は混乱した。


「のあっ、ノー! ノーです! 違うっ、これは俺のじゃない! 俺のじゃない!」


 謎の弁明を繰り返しつつ、慌ててハンガーを引っかけようとする水去。それが近くのピンチハンガーに掠って、吊っている洗濯物を引っ張ってしまう。で、これまたピンク色の女性用下着が、洗濯バサミの拘束を抜け出し、解放された。ふわりと飛び立つ。


「ああーっ、パンツーっ!」


 水去が手を伸ばすも届かず、一枚の下着は、風に舞いつつ重力に従い、落ちた。ちょうど、前原女生徒の目の前に。彼女がしゃがみ込み、下着を拾い上げる。手の中にあるのは、小さな紐があしらわれた、ファンシーなデザインのパンツだった。


「あっ、ごめっ、前原さん! ありがとっ!」


 上から声をかける水去に対し、前原は無言のまま、くるりと背を向けた。そのままスタスタと、来た道を引き返し始める。水去が慌てて、「待って! 違う! 帰らないで! なんか誤解だっ!」と叫ぶと、彼女が振り返った。安堵する水去。


 しかし、その表情はすぐ恐怖に彩られることになる。

 

 前原がトーンと地面を蹴った。そのまま二歩三歩と、幅跳び選手のように軽快に助走をつけ、不意に大きく踏み込む。瞬間、敷石が抉れる音と共に、彼女の身体が浮いた。太陽を背にして、黒い影が水去の視界に踊った。


 ダアアアアアアアン! 


 ベランダの鋳物手すりに、前原女生徒が勢いよく着地した! 細長い手すりの上に、忍者、いや、ヤンキー座りのように脚を開き膝を折り曲げた姿勢で、こっちを見ている! 不安定な足場なのに、少しも体幹がブレない!


 ひええええええええ! 


 気圧され腰が抜けた水去は、取り落とした洗濯物がバラバラに散る中、その場にへたり込んでしまっていた。一応確認しておくが、ここは二階のベランダなのである。ジャンプして侵入するなど、想定していない。当たり前だ、普通、現生人類にそんなことはできない。


 逆光の中で、前原の表情はよく見えず、こちらを見下ろす眼の、冷たく白い強膜だけが、冴え冴えと光っていた。


「これ、守亜帝子さんの?」


 前原が手に持った下着を差し出して言う。「は、はいっ、そうです!」と慌てて答える水去。彼女はなおも畳みかけるように「律君が、あの人の下着まで洗ってるわけ?」と尋ねる。「えっ、いやっ、まあ、洗濯籠に入ってるのは三人分まとめて洗うので……あっ、洗濯ネットはちゃんと使ってるよ!」水去は謎のフォローをする。


 前原が手すりから降りて、水去の手を取る。そうして彼を立ち上がらせた。ぎゅっとひき寄せられて、二人の視線が近づく。


「あ、洗い方とか干し方、なんか間違ってた? あの、これで大丈夫だと思ってたんだけど」


 オドオドと尋ねる水去の肩を、前原が掴んだ。「あのね! 律くん!」「はいっ!」そう言った瞬間、「どうしたんですのー?」という声が響いた。


 守亜女生徒であった。いつの間にか部屋に入って来ていて、開いた窓から外を覗き込んでいる。眠そうに目をこすりつつ、夏らしい薄いネグリジェに、乱れた髪の、しどけない姿だった。前原が困ったように水去から離れると、彼女の姿を認めた守亜が、驚いたようにテンションを上げた。


「まあっ、前原さま! さっきの音は前原さまだったのですね? もしかして、下から跳んで来たんですの? キャー、スゴイですわっ!」


 無邪気にはしゃぐ守亜を見て、前原の頬が薄く引きつる。


「おはよう、守亜さん」


「おはようございますですわ! 前原さま! 今日お勉強会でしたものね! でも、時間が少しお早いんじゃなくって? わたくし、まだ全然準備できてない……」


「全然お気になさらず。でも、その寝間着姿でうろうろするのは、止めた方がいいんじゃないかな?」


「あらっ、おほほ、失礼しましたわ。客人の前なのに、つい、いつもの調子で」


「きゃくっ、いつもっ……家もないくらい貧乏だから、律くんに住まわせてもらってるって聞いたけど、その割には随分綺麗な寝間着を持ってるのね」


「レディの嗜みとして、化粧着くらいは麗しくしておきたいですから!」


 守亜女生徒が胸を張る。すると、緩いネグリジェで隠れていた身体のラインが強調された。部屋の内と外で睨み合う二人。水去は困ったように女性陣から目を逸らしたまま、洗濯干しの続きをしている。


「……随分無駄な脂肪もため込んでるみたいだし」


 前原が小さくぼそっと呟いたのが、水去には聞こえた。


 どうやら守亜女生徒にも聞こえたらしい。


「バストの話をしてるんですの? そうなんですのよ! 昔、ご飯がなくて、酷く痩せこけてた時期があったんです、でも、ココだけは全然減らなくて、むしろ大きくなっていくんですの! きいいーってなりましたわ! 今すぐカロリーが欲しかったのに! 困っちゃいますわよね、もうっ! 引き出せないエネルギーの貯蓄ですわ! 預金封鎖ですわー!」


 守亜女生徒の恐るべき発言に、さすがの前原も愕然として「へ、へえ……そ、それはよかった、ね……」と言うばかりであった。落とした洗濯物の埃を軽く払っただけで、そのままこっそり干し終えた水去が、「俺も、謎に足の人差し指の方が親指より長いし、身体的特徴は、遺伝の影響が大きいから、あはは」と、またしてもズレたフォローをした。


 〇


「お、ちょうど戦ってる」


 ベランダから前原が来訪して、水去たちは階下に降りる。リビングでは神崎がノートパソコンに向かっている。現在午前九時十七分。集合時間は九時半なので、駒沢がまだ来ていない。持て余した時間。不穏な空気を切り替えるべく、水去は滅多に見ないテレビをつけた。ちょうど、子供向け特撮テレビドラマが放送されていた。仮面のヒーローと怪人が戦っている。水去は現実から目を逸らしてソファーに座り、画面の中のもう一つの世界の方を向いた。


 長い髪が蛇のように逆立ったデザインの、女型の怪人が攻撃を放ち、ヒーローを吹っ飛ばした。こっちも、不穏な展開である。敵の高笑いが響く。


「あら? わあっ! なんですの、これ? 面白そうですわね!」


 自室で着替えを終えた守亜女生徒が興味を持ったのか、リビングに入るなりとたとたやって来て、水去の隣に座った。ソファーの上のクッションを抱えて、ドラマに見入っている。


 怪人による闇を纏った大規模な攻撃が、無差別に展開して街を破壊していく。逃げ惑う人々を守るため、ヒーローは自らの身を挺し、爆炎の中に飛び込む。やっと攻撃が終わり、周囲を白い煙が包んだ。刹那の静寂が、戦場に訪れる。


 瞬間、輝きが辺りを満たし、煙が霧消する。現れたのは、真っ直ぐ地面を踏みしめて立つ、正義の味方の強き姿!


 ヒーローがベルトのガジェットに触れ、どこからか取り出した巨大な銃にエネルギーを充填する。鮮やかな効果音が鳴り響き、そうして、正義の一撃が放たれた! 目の前の悪を滅ぼさんと、光が空間を切り裂く!


 しかし! 突如としてもう一人の怪人が現れ、立ちふさがった! 漆黒に覆われた男型の怪人が、闇を纏った剣で、襲いくる光線を切り裂く。女の怪人を守ったらしい。光は消えて、黒い剣を構えた乱入者が、ヒーローを牽制する。


「この怪人さま、かっこいいですわ!」守亜がきらきらした視線で言う。


「ほう、怪人! なかなか目の付け所が渋いね。確か、冷徹漫画家の凍気氷瑠先生がデザイン担当だったような……」


 水去はここぞとばかりに蘊蓄を披露する。これはよくない男性的傾向である。それでも守亜女生徒は邪険にせず、目を輝かせていた。


「そうなんですのね! ステキですわー! こんな怪人さまに、会ってみたい……」


 正義の味方の必殺技は、闇の力で防がれた。乱入してきた黒き剣の怪人は、どうやらヒーローの攻撃を消す力を持っているらしい。強敵である。どうやって倒すのか……二人の怪人が、連携して攻撃を始め、敵を圧倒する。大きく迫力のあるアクションで、怪人が力を振るい、ヒーローは時に躱し、時に受け、時に吹っ飛ばされて宙を舞う。


「スーアクさんってスゲーよなー。俺、変身してもあんな動きできん……」


「戦う姿、カッコいいですわねー……」


 水去と守亜が食い入る様に画面を見つめる。ダイニングでその様子を眺めていた前原女生徒が、「いつもこういう感じなの……?」と、彼らの家主に尋ねた。神崎はパソコンをカチャカチャさせつつ、「わりとこんな感じですよねー。思いのほか相性がいいみたいです」と答えるので、頭を抱える前原女生徒であった。


 女の怪人と、黒き剣の怪人が、闇の力を溜め、一気に解き放った。ついにヒーローは倒れ、変身が解除される。若くてイケメンの役者が、苦しそうに地面に這いつくばった。とどめを刺さんと、剣を持った怪人が近づいていく。


 ピンチ! 一体どうなる!


 その時、男の怪人の身体に、電撃が走った。醜悪な造形をしたスーツを、ビリビリしたエフェクトが駆け巡り、怪人は苦しみの声を上げて、剣を取り落とす。突如、怪人の身体にベルトが顕れた。バックルの機構が展開し、なんと怪人は、もう一人のヒーローへと変身した!


 まさかの展開! そこで、本編が終了し、画面が次回予告に切り替わった。ほあー、と水去と守亜が、ソファーに並んで脱力する。


 神崎がノートパソコンを閉じて立ち上がった。どっか行くのかー? とソファーから水去が尋ねると、「医学部で、怪しげな実験が行われてるって情報が入ってね。面白そうだからちょっと調べてくるよ」と神崎は答える。ほーん、どこの学部も治安悪いな、気を付けろよー、と水去は言いつつ、CMが終わって流れてきた次の特撮番組を観始めた。


 状況に馴染めず困り果てた前原が、レースカーテンをめくって窓の外に目を向けると、庭の向こうを歩いてきた駒沢の姿が見えた。彼女の姿を認め、嬉しそうにブンブン手を振る駒沢青年。小さく手を振り返しつつ、前原はため息を吐く。駒沢青年、可哀想……と言いたいところだが、既に次の番組が始まっている時間、つまり、集合予定の九時半を過ぎている。遅刻者に同情の余地は無い。


 水去と守亜だけは、ソファーで楽しそうに盛り上がっていた。


 〇


令和二年司法試験論文試験民事系科目第三問設問三を題材に


駒沢:えーそれでは、議論を始めたいと思います。よろしくお願いします


一同:よろしくお願いします(わ!)


駒沢:ほんじゃ、水去さん、問題の概要を簡単に説明してください。


水去:は、はい。えーと、えっとですね、建物賃借権を相続した二人を被告として、賃貸人が建物明渡請求をしている状況で、被告の一人との間で訴えを取り下げることができるか、という問題です。


前原:その前提として、まず本件訴訟が共同訴訟のどの類型に当たるのかを考慮する必要があるんだよね。


守亜:ぱっと見る限り、固有必要的共同訴訟になるのかどうかってのが問題ですわねー。


駒沢:その通りです。では水去さん、基本的な事項を確認しますが、仮に固有必要的共同訴訟ではないとしたら、どんな訴訟になりますか?


水去:……⁉ ……っ! えー、あー、えっと、あー、通常……共同訴訟……?


駒沢:判断が遅いっ! 腕立て伏せ三十八回!


水去:なんでやっ⁉ ち、ちくしょう……(腕立て伏せを始める)


前原:律くん、頑張って! ……で、通常共同訴訟なら、被告の一人だけに対する訴えの取下げができるけど、固有必要的共同訴訟ならできないってことだよね。


水去:ぐはっ……(腕立て伏せ二十回目にして力尽きる)


守亜:実体法上、合一確定の必要があるのかってのが、一番重要な分水嶺ですわよね?


駒沢:一応、訴訟法的観点も考慮すべきだとは思うが、まあ、まず実体法的観点から考えるか。


前原:これまだ遺産分割されてないんだよね


守亜:ということは、共有、民法二四九条の共有の規定と、賃借権ですから、準共有、民法二六四条ですわ!


駒沢:じゃ、水去君、再び質問だ。賃貸借契約の終了に基づく建物明渡義務の性質をお答えください。


水去:……っ⁉ ……? ……っ?


前原:不可分債務、民法四三〇条、だよね!


水去:えっと、右に同じです。


駒沢:じゃ水去は腹筋四百三十回な。


水去:なんでやっ⁉ ひえーん……(腹筋を始める)


守亜:不可分債務ということは、連帯債務の規定である民法四三六条を準用しますから、債務者の一人に対する請求もできますわね!


前原:個々に明渡義務を履行できるから、実体法的に合一確定の必要はないってことになる。


水去:(腹筋しながら)あのっ、その、でもっ、これって、合一確定の必要はないっていうけど、一方の被告には明渡判決が出て、他方には請求棄却とかだと、変じゃないんですか? 建物は、一つだから、せっかく、棄却を得たのに、取られるって……


駒沢:仕方ないんじゃないのか? 一人でも明渡義務の履行はできるから、矛盾はしないだろ。個々に明渡請求を認めてるってそういうことだろ。それに確か、強制執行は各人に対して債務名義を得るか、同意を得なけりゃできないらしいから、保護はされてるんだろ。


水去:あっ、そう……(力尽きる)


守亜:で、固有必要的共同訴訟ではなく、通常共同訴訟ってことですわね!


駒沢:うむ。というわけで、民事訴訟法三十九条だ。


前原:共同訴訟人独立の原則……


守亜:独立に訴訟追行できますわーっ!


駒沢:よって、共同被告の一方に対する訴えの取り下げは認められるってわけだな。分かったか、水去?


水去:ぜえ……ぜえ……はい……


 このようにして、検討会は進んでいく。議論に中々ついていけず、筋トレばかりさせられた水去は終始、己の無知と無能を恥じ苦悩と後悔に塗れた表情をしていた。お前ホントに無免ローヤー、というか法科大学院生なのか? なんでそんなに法律苦手なんだ? 今まで何を学んできたんだ? バカか? やっぱりバカなのか?


 水去の明日はどっちだ! それは誰にも分からない!

次回予告

高校! 宗教! 扇動! 第二十七話「期末試験拒否運動の会」 お楽しみに!

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