第二十五話 一緒に暮らしますか?
前回までの、七兜山無免ローヤー!
非弁ローヤーに叩きのめされた無免ローヤー。断罪論に敗北し、血を吐いて、それでも救済しようと縋りつく水去。彼の真意はどこにあるのか? 大澤事件は本当にこれで解決なのか? 無免ローヤーは今日も戦う! 変身! 法に代わって、救済する!
皆様は覚えているだろうか、第十九話以来、久しく登場していないあの人物の存在を。
七兜山の坂道を黒いリムジンが登って行く。後ろの座席には、仕立ての良い衣服を身に纏い、容貌に優れた、人ウケのいい青年が座っていた。少し日に焼けたらしい。彼は手に持ったカメラの内容を確認していた。白い砂浜、紺碧の海……七兜山とはまるで似つかわしくない、明るく陽気な南の島の、キラキラ光るエキゾチックな風景が、沢山の写真として収められている。
丁寧な運転、快適で静謐な空間、夜の濡れた路面を滑るように、スムーズにリムジンは走る。そうして車は、七兜山の上の方の、庭付き邸宅の前に止まった。運転手がドアを開けると、すらりと長い脚が見えて、中から青年が姿を現す。
そう、彼こそ、お嬢様方に拉致され、そのまま行方不明となっていた、神崎八太郎坊ちゃまであった。運転手に礼を言い、門の扉を開けて、庭の中の小路を歩く。暗い夜空を背景に、神崎の一軒家が、真の主を迎えてそびえ立っていた。
いやー、大変だったよー。あのまま知らない島に連れていかれて、別荘で彼女らの接待してたら、どうもくだらないサロンみたいなのが開催されちゃってねー。神代鳳凰院家のお嬢様とかも来ちゃって肩身が狭いのなんのって。ハハハ、いい感じの写真がいろいろ撮れたのはよかったけどね。ま、でも、あんな風景ありがちだし、七兜山の奇々怪々な雰囲気の方が、撮るのは面白いかなーって、結局ボクにはここが一番興味深いよ。
玄関の扉を開けながら、神崎は自分を待っているであろう同居人への土産話を、いろいろ想起していた。靴を脱ぎ、廊下を進む。リビングに続く引き戸の磨りガラスから、光が漏れていた。在宅中らしい。ただいまー、と言いながら、神崎は戸を引いた。
「美味んめえですわっ! 美味んめえですわっ! 脂のエネルギーを感じますわー! マシマシですわーっ!」
「わはははは! いい食べっぷりだあ! いくらでも作ってあげるから、どんどん吸収しなさいよ! 雑な焼きそばでこんなに喜んでもらえるなんて、俺は嬉し……って、ああーっ! かかか神崎! 帰って来たのかっ!」
ダイニングルームにいたのは、テーブルに置いた電気プレートで山盛りの焼きそばをつくる同居人と、彼の作った焼きそばをドカ食いしている謎の女。しかもこの女は……拡散した長い髪に、薄汚れたジャージ姿、全力で焼きそばを頬張る口元、全体的にどうも不潔だ。そして奇天烈な似非お嬢様口調なのである。そう、本当のお嬢様は「美味んめえですわっ!」なんてさすがに言わない。というか語尾に「わ」を、付けることはあっても、そんなあからさまに強調しない。神崎はそれを嫌というほど知っている。
うーん……
同居人が勝手に女を連れ込んでいて、しかもそれが明らかにヤベーイ! な女だった。
さすがの神崎もすぐには受け入れられないのである。
「水去君……ボクのいない間に、ナニヤッテンノカナ?」
「か、か、神崎さん! げ、元気にしてたか? お前が拉致されてからというもの、俺は、ず、ずっとお前のこと心配してたんだぞ!」
水去があからさまに狼狽しながら、へつらいの言葉を述べる。その姿に軽く哀れみを感じつつ、神崎は微笑んだ。
「うん。それはいいんだ。ボクが聞きたいのは、そこにいらっしゃる方の身元だよ」
「わたくしは守亜帝子ですわ!」
慌てふためく水去をよそに、空気が読めないのか読まないのか、守亜女生徒が喜色満面で、元気いっぱいに自己紹介をする。「あっ、あっ、えと、法科大学院の、俺の知り合いでございます」と水去がフォローを入れた。「そのっ、事情があって、彼女を家にお呼びした形です」と額の汗を手で拭う。
神崎は笑みを浮かべたまま、テーブルの椅子を引いて、守亜の正面に座った。すかさず水去がコップを置き、麦茶を注いで媚びへつらう。神崎はサーブされた茶を一息で飲んで、守亜に向かった。
「それにしても、でっけー家ですわね! ここに住めるなんて、まるで、麗しきレディのようですわーっ!」守亜女生徒が声を上げる。
「へえ、ここに住んでいいって、水去君が言ったの?」神崎が静かに尋ねる。
「その通りですわ! 棲み処を失ったわたくしを、水去さまが招いてくださったのです! わたくし、生まれてこのかたずーっと貧乏でしたから、今この瞬間が夢のようですわっ!」
守亜女生徒が両頬を手で押さえながら、夢見るように睫毛を伏せた。その姿が実に幸せそうなのである。神崎は隣に立つ水去を見上げた。「あっ、えとっ、守亜さんはホントに貧乏みたいで、段ボールハウスで暮らしてたみたいで」と水去が補足説明する。
「へー、段ボールハウス! 出会った頃の水去君より酷いね。どんな暮らしなの? それ」
神崎が興味深げに問いかける。それに対して守亜女生徒は、指をオトガイに当て、斜め上に目を向けて、コケティッシュに考える仕草を見せた。
「そうですわねー……大学で拾ってきた段ボールに、大学で拾ってきた雨避けのビニールシートをかけて家にしてましたわ! 大学よりちょっと上の方の、道、滝、大きな木が全部近くに揃った、山の中の物件でしたの!」
「あ、あの、これはマジです」と水去が頷く。
「それで、こんなに薄汚いんだね……」神崎は何気に酷いことを言った。
「そんな……わたくし汚いですか……? でもでも! トイレは大学で済ませてましたし、髪なんかも滝で洗ってましたわ! 確かに、最近暑くなってきて、頭がかゆいですわーっって感じることも、あったりしますけど……」
「あっ、分かる! シャンプーって偉大なんだよ! 水で拭いてるだけだとホント駄目なんだ! 俺も、昔の住居の時は、偶に大家さんの家のお風呂借りてたくらいだったから……髪が長いともっと大変だろうなあ……」
「分かってもらえますのね! 貧困の虚しさ、哀しさ、頭のかゆさが……!」
「分かる! 分かるよう! 俺には分かる! うんうん! 金持ちの神崎にはこの苦しみが想像もつかないから、平気で汚いなんて言えるんだよ。でも俺は、守亜さんの気持ちが、染みるほど理解できるよ……!」
「嬉しいですわ……! 嬉しいですわ……!」
守亜女生徒が眦に浮かんだ涙を拭い、椅子から立ち上がって近くの箱からティッシュペーパーを取ると、ちーんと鼻をかんだ。水去がゴミ箱を差し出すと、彼女は「ティッシュがこんなに気軽に使えるなんて、夢のようですわ……!」と呟いた。
それを聞いて、水去の眼にもぶわっと涙が浮かぶ。
「ううう、守亜さん! 苦労してきたんだねえ! もう大丈夫だよ、きっと、ここにいるお金持ちの神崎君が、君に部屋を提供してくれるからね……!」
「水去さま……そうなったらわたくし、どれほど幸せなことか……! でも、わたくし、とっても不安ですの。追い出されたらどうしようって……」
「もしそうなったら、二人でノブレス・オブリージュを主張しよう! 貧乏仲間として、俺は君のために戦うよ!」
「水去さまっ!」
「守亜さんっ!」
守亜女生徒が水去の胸に飛び込んだ。謎の盛り上がりを見せる二人。その様子を、神崎があきれ顔で眺めている。目の前にある彼女の頭を、そっと撫でるべきか撫でざるべきか、水去の手が空中をわたわた動いた。
その時、彼は何かに気づいたらしく、「ん?」と声を上げた。「どうしたんですの?」という守亜女生徒の問いに、「ちょっと失礼」と、水去が彼女の髪に触れる。何かを摘まみ上げた。
みんなでそれを覗き込んでみる。
水去の爪の先に見える小さな存在。それは、有吻類・催痒性の小節足動物、中島敦の「名人伝」で趙の邯鄲の都に住む紀昌という男が弓の修行に用いた、虱、という生き物であった。
ひいいいいいいいいい! という悲鳴が、状況を理解した男二人の心中で響き渡る。「ふ、風呂! 風呂だ! 風呂を沸かせ! あと神崎、虱用の薬あるか⁉」「薬箱に一通りそろってるから、探してみる!」「はわわ、し、失礼しました、ですわ。恥ずかしーですわーっ」「ううん、大丈夫! と、取り敢えず風呂に入って、シャンプーで洗ってから、櫛で髪をよく梳こう! そうしよう!」
ドタドタと一同が動いて、リビングに埃が舞った。
〇
なーなーなー♪ なーなーなーなー♪
浴室からシャワーの音と、変な歌声が響いてくる中、リビングにて水去は、かつてないほどの美しい土下座をかましていた。
「すみませんでした……」
さっきまでとは打って変わってガチ謝罪である。年上の同居人が床にひざまずいて、深く深く頭を下げる姿に、神崎も「いや、別に、ボクはいいんだけどさ……」と答えるしかなかった。「許してくれるのか!」と水去が顔を上げる。神崎は小さく頷いた。
「で、どういう経緯でこーなったわけ?」
「えーと、今日のお昼に、あー、無免ローヤーとしての戦いがあったんですが、その過程でですね、彼女の段ボールハウスに原付で突っ込んでぶっ壊しちゃって。で、代わりに住む場所を提供しなきゃいけなくなって、こんなことに……」
「戦ったんだ! 今回はどんな怪人? というか、ボクがいない間のこと、教えてよ!」
「あー、そうだな。うーん、話しづらいことが多いなあ……」
水去は、一連の出来事を話した。怪人無権代理女のこと、非弁ローヤーのこと、怒甲女生徒と大澤青年のこと、しかし網言の存在については、非弁ローヤーの変身者という言い方で誤魔化した。当然ながら、神崎が、「で、非弁ローヤーの変身者ってのはどんな人なの?」と追及してくる。
「いや、本人が、正体については隠したいらしくてな。口止めされてるんだよな。どういう事情があるのかは知らんが」
「なんだよそれー。まあヒーローに変身できるなんて、傍目にはドン引きされることかもしれないけどさ……ねえ、ボクにだけ教えてくれない?」
「え、いや、それは……うーん……」
「キミと守亜帝子さんを住まわせてあげてるのは、どこの誰だっけ?」
「うう、そう言われるとツラい……しゃーない、あー、一応、ここに留めておけよ? 変身者は、網言正刀っつってな、法科大学院の同級生だ。学部は東の都大学らしいし、文書作成の講義でいつも模範答案になってるから、法律はかなりできる。実際、法律戦士としても強い。まあ性格の方には、かなり難があるような気がするが……」
「へえー、心強い味方ができたじゃん。ボクの研究も、いろいろ変えてかないといけないなー」
「味方、ねえ……どうなんだろうな……」
それから非弁ローヤーの話がしばらく続き、ふと、神崎が守亜帝子を話題に出した。
「キミの隣の部屋でいいよね? ゲストルームで、一通り家具は揃ってるから」
「ああ、それがいいか。ありがとう」
「そういえば、彼女がここに住むって、天祢さんとかは知ってるの?」
「いや? 今日決まったことだし、別に伝えてないけど……」
「それ大丈夫なの? 明日も講義で顔合わせるんでしょ?」
「うん? そりゃそうだが、なんかマズイことでもあるか?」
「別にマズくはないだろうけどさ。ふーん。キミはそういうヤツなんだねー」
「な、なんだよ急に……」
「割とキミって人との距離の測り方が分かってないよね。それは美点でもあり、欠点でもあるけどさ」
「はあ……」
水去が困った顔をする。それを見た神崎は立ち上がって、旅先で買ってきたお土産の紐をほどき始めた。
こうして、神崎邸に守亜女生徒が入居したのである。もとより水去と神崎の関係自体、言葉で言い表しがたいヘンテコなものだったのに、新たに一人加わって、ますます訳が分からなくなった。一体どうなるのか、いつまでこの状態が続くのか、それはまだ、当人たちにも予測のできないことである。
〇
「なるほど、例の非弁ローヤーの変身者は、やっぱり網言さまでしたのね。確かに、独特のニオイがする方でしたわ。そしてとってもお強い……無免ローヤーの変身者が水去さまで、非弁ローヤーの変身者が網言さま……なるほど……」
いつからか廊下で聞き耳を立てていた守亜帝子が、さらさらになった髪を梳きながら、小さく呟いた。
〇
翌朝、せっかくなので豪勢な朝食にしようと思い、早めに起き出してきた水去は、洗面所で守亜女生徒と遭遇した。それなりに朝早いので、彼女がもう起床していたことに驚いた。「おはようございますですわー」と、守亜は鏡を見ながら言う。ヘアアイロンを駆使して、肩より下まで伸びた長い髪をくるくる巻いている。水去がぼんやりそれを眺めていると、早くどけと催促されていると思ったのか、「もうちょっと、お待ちくださいまし、夢にまで見た、念願の、縦ロールですの、ああっ、難しいですわ!」と守亜が唸った。「ああいや、のんびりやってねー」とその場を離れ、キッチンでピーマンのチーズ焼きを作っていると、守亜女生徒が走って来て、「できましたわっ! ふふーん、いかがですか? いかがですか?」と、髪の巻き具合を自慢する。すげー、派手派手ふわふわだナー、と水去は思った。
のんびりした朝である。
神崎はその日、午前に講義がないのか起きてこなかったので、守亜女生徒と二人で朝ごはんを食べた。神崎の分にラップをかけて冷蔵庫に入れ、身支度して家を出る。ほぼ同じ講義を受講しているので(七兜大学法科大学院の講義は必修が多い、自由がない)、スケジュールは同じ。二人で連れだって家を出た。坂を下り、大学へ向かう。いろいろ喋りながら歩くのが楽しい。
そうして騒動は、講義室に辿り着いた頃に起きるのである。
地味で通っている水去青年と、変人で通っている守亜女生徒。それまで接点があまりなかった二人が、並んで部屋に入って来たのである。しかも、にこやかに話しながら。法科大学院は学部よりも狭い世界。当然、人間関係の噂は好奇の的だ。
一番最初に反応を示したのは、前原天祢女生徒であった。
「あれ、律くん、珍しいね。守亜さんも。どこかで合流したの?」
「わたくしたち、一緒に暮らしておりますの!」
探るような前原の問いに対し、守亜女生徒は笑顔で直球ストレート! しかもデッドボール! あまりに直截な表現を喰らい、衝撃で放心している前原女生徒の姿を見て、「ま、待って、その言い方は誤解を生む!」と水去が慌てる。
しかし守亜女生徒は止まらない。
「どう誤解を生むんですの? 同じ屋根の下で、同じ釜のごはんを食べて、同じ時間を過ごして、仲睦まじく、いつも、いつまでも……そうではありませんの?」
「昨日からだからね! 最近です! それに、いつまでもってわけじゃないし!」
「そんな、まさか水去さま、もうわたくしをお捨てになるんですの……?」
「ええっ! いや違うよ! そうじゃなくて!」
「酷いですわ水去さま! わたくしの大事な場所に、凄い勢いで突っ込んきておいて……」
「そそそ、その言い方はよくない! 洒落にならん! 駄目だ、違う!」
「賠償は必ずするっておっしゃったじゃありませんか! なのに、飽きたら追い出すなんて、酷いですわよ……よよよ、わたくし裏切られてしまいますの……?」
「いろんな解釈ができる言い方はやめてっ!」
漫才のように滑らかに進むやり取り。そこで意識を取り戻した前原が、精一杯水去を睨んで、二人の会話に割り込む。
「律君、解釈って、どういうこと……? 私に、どう解釈してほしいっていうの……?」
「文理解釈して文言通り受け取っていただければオーケーですわっ! ね、水去さま!」
横からすかさずブッ込んでくる守亜女生徒。あまりの攻撃力に、水去は冷や汗が止まらず、
「ち、違う! いや、違わないけど! 怪人と戦ってる時、バイクで事故って彼女の家を壊しちゃって!」
と、他の生徒もいる講義室なのに、怪人やらなんやら大声で口走ってしまう。
「だから神崎の家のゲストルームに住んでもらってるだけなんだ! それだけなんだ!」
「だから今日も二人一緒に大学まで来たのですわ! 一緒に暮らしてますから! おーっほっほっほっ!」
守亜女生徒の、ソプラノ高笑いが響いた、
そこで近づいてくる影が一つ。
「みいいなああさあありいい! なあにやってんんだお前えええええ!」
「う、うわ、駒沢!」
駒沢青年が場に参戦した。スゴイ勢いで水去に掴みかかろうとして、寸前で停止する。
「……と、言いたいところだが、水去、よくやった! お前が脱落するとは! これでライバルが減る!」実に嬉しそうである。
「な、何言ってんのお前?」
水去は困惑しつつ、しかし助け船が来たと言わんばかりに、彼の方を向いた。その前に前原女生徒が割り込んでくる。
「律くん! 今度の日曜! バイト全部休むから! 私も律くんの家に行くから! もうすぐ期末試験だし! 一緒に勉強会しよう!」
前原に真っ直ぐ見つめられて、へどもどした水去は「お、俺の家じゃ、ないけど、神崎の家だけど、う、うん、ぜひ」と返答した。
「いいですわね! わたくしも参加しますわ!」と守亜女生徒。
「水去が両手に華だと? 危ない! 危なすぎるな! 俺も行く!」と駒沢。
ここに、水去・前原・守亜・駒沢の四人による、法律勉強会が発足した!
次回予告
ベランダ! ジャンプ! パンツ! 第二十六話「水去、ブラを手にして」 お楽しみに!




