第二十二話 死ぬ気で貢げこの俺に
前回までの、七兜山無免ローヤー!
ささチーを食べながら結婚について考えた無免ローヤー。網言正刀に守亜帝子と、急に登場人物が増えて、彼の周りもざわざわし始める。その裏で、夜に倒れし知間青年はどうなるのか? 無免ローヤーは今日も戦う! 変身! 法に代わって、救済する!
ドラえもおおおおおん! 零点のテストをジャイアンに取られちゃったんだよー! これをバラされたくなかったら、オレに従えって言うんだよおおお! あんなのをバラされたら、もうボクはおしまいだ。助けてよお、うわーん。
もう仕方ないなあ、のび太くんは。どうせまた論点を完全に外したんでしょ。論点主義の弊害とか言っていつもバカにしてるけど、予備校本でも買った方がいいんじゃないの?まあ、取り敢えず……テッテレー!〈ポータブル国会!〉これで、民法の規定をのび太くんが論じた通りに変更してやろう! そうしたら、のび太くんのテストは満点になるはずだよ!
ありがとう、ドラえもん! うっしっし、これでこの世の法制度はボクのものだ! ようし、まずは、既存の法律は全て無にして、日本を無法地帯にしてやるぞ!
「あの……お昼の話なんですが……」
その日の講義が終わった黄昏、曖昧な記憶で国民的漫画を改変する冒涜的妄想にふけりつつ、ガランとした構内を歩いていた水去の前に、怒甲女生徒が一人で現れた。
「前原さんの言ってたやつですかね? いろいろ人が来ちゃって、なんか結局よく分かんないままになっちゃって」
「はい……あの、私の問題なんです……それで、偶然機会があって、天祢さんに相談したら、お昼は、その、あんな感じに……でも、やっぱり、自分で話さなきゃいけないと思って、それで……あの……天祢さんに、無免ローヤーというのを。教えてもらったんですけど……」
「あ、怪人がらみですか」
「えっと……まあ、はい……」
怒甲女生徒がぽつぽつ話したことをまとめると、要するに、彼女と結婚している大澤青年が、最近ずっとおかしい、怪人かもしれない、ということであった。夫も七兜大学の法科大学院生なんだから、怪人になってもおかしくはないだろう。しかし、どうにも要領を得ない。
西日の差し込むベンチで、隣に座る怒甲女生徒に、水去は説明する。
「怪人ということは、それぞれ何らかの傾向をもった違法行為に及ぶということです。怪人詐欺男とか、怪人心裡留保女とか。そんな感じで。まあ、怪人絶対王とかいう訳分からんのも記録上いるらしいですが。で、その、夫、あ、いや、なんて呼んだらいいんですかね、大澤、あ、怒甲さんも今は大澤なのか、うーん、まあ、その、大澤(男)さんは、どんなことをしているんすかね?」
「それは……言えません……」
「え」
「愛する人のことを悪く言うなんて、私にはできませんっ!」
怒甲女生徒が急に声を荒げたので、水去はそう、びっくり、した。それはないだろう、と。まあ言ってる意味は分かる。しかし、怪人がどんな犯罪をしているかによって使える条文は変わってくるし、それが分からないままだと困るのだ。ぶっちゃけ、犯罪の内容が分からなければ、ローヤーは何もできない。
「ど、どうしても言えませんかね?」
「……ごめんなさい」
「えーと、愛する人の犯罪を止めるためにするなら、悪く言うことはならないと思うのですが。むしろ、それこそが愛なのでは?」
「水去さんに……愛のなにが分かるんですか!」
「あ……そっすか……スミマセン」
内心ちょっと憤懣を抱えながら、水去は怪人の情報を聞き出そうと何度か食い下がってみる。しかし怒甲女生徒は何も教えてくれなかった。結局、「よろしくお願いします!」と頭を下げて、彼女は走り去ってしまう。いや、そんなんでお願いされても……と、ベンチに残された水去は、呆然としているしかなかった。七兜山に吹く風が、咲いている野草の花々を虚しく揺らす。
「よくないなあ……こういうのは。君は法律戦士として弱いんだから、情報収集くらいは、ちゃんと役立ってもらわないと……」
網言正刀が、水去の背後から肩に手をおき、耳元で囁いた。
「うおおおおおっ……あっ、網言! お前どっから出てきた!」
その場から跳び退いた水去が、ベンチを挟んで網言と睨み合う。
「新たな怪人の出現とはね……全く、この大学は犯罪者養成機関のようだなあ……!」
「法科大学院がクソなのは否定しない。くだらん場所だからな。絶望して怪人になるのも仕方ねえよ」
「生来のクズが半端に法律を学んだ結果、それを利用しようとして怪人になる。怪人になるような奴らは、もともと正しき法に従えない人間だった……そんなところだと僕は思うけどねえ……」
「はっ、ロンブローゾとかフェリみたいなこと言うのな。いつの時代の考え方だよ」
「……? 君のような頭の悪い人間に、刑事学的な知識があるとは思わなかったな」
「俺はどうにも法律が嫌いなだけだ。もういいだろ。取り敢えずお前の望みどおり、怒甲、じゃない、大澤夫妻について調べてやるよ」
水去はさっさと会話を切り上げて、網言に背を向ける。歩いていく水去を、網言はじっと見つめる。二人の間に夕陽が落ちて、暗い影が川のように広がり、無免ローヤーと非弁ローヤー、その変身者たちを断絶した。
○
「そっか、律くんにも言ってくれなかったんだ」
「あなたが鈍感だから、またズレた対応をしたんじゃないの」
「いや、そんなことはないと、思うのですが……そうか、でも、お二人も知らないのか」
翌日、水去は前原に、怒甲とその夫である大澤について聞きに行った。しかし前原も、一緒にいた佐藤女生徒も知らないという。学部に比べて学生数も少なく、非常に狭い世界の法科大学院、誰か一人くらいは知ってる人がいるだろうと高をくくっていた水去であったが、どうにも困ってしまう。
「あ、でも、怪人の能力は関係ないかもしれないんだけど……うーん……」
大学のおんぼろビルの廊下、その塗装の剥げた壁を背にして、前原が言い淀んでいる。そんな彼女に「どんなことでもいいから教えて欲しい。実は、怪人捜査にイニシアチブを取らなきゃいけない事情もあって、何でも知りたいんだ」と、水去が詰め寄った。二人の様子を眺めていた佐藤女生徒が、小さなくしゃみをする。
大人のお店っていうか、その……と前原が口を開いた。
「私、体力づくりもかねて、早朝に走って新聞配達のバイトをしてるんだけど……」
「は、走って新聞配達……⁉」
「それで、ここら辺一体を周ってるの。で、難舵町の四宮通りに、大人のお店、えっと、キャバクラみたいなのかな、があって。そこから大澤君が出てくるのを、配達中に見ることがあるんだよね」
「え、難舵町ってキャバクラとかあるんだ。ほえー、意外」
「律くんはあんまり近づかない方がいいよ。で、気になるのは……」
前原女生徒の話によると、ここ最近、泥酔した大澤青年が道に放り出されていたり、なにやら店と揉めて追い出されていることが、何度かあったらしい。それでも、彼は随分その店に執心していて、通い詰めている様子である。
「私には詳しいことは分からないし、デリケートなことだから、怒甲ちゃんにこの事を伝えるべきなのか……それが判断できるほどの関係性が、まだ築けてなくて」前原が困ったように呟く。
実は、前原女生徒と怒甲女生徒の関係性はごく最近成立したもので、前原が占い師のアルバイトをしている時に、怒甲女生徒が客として偶然現れたのに端を発するらしい。当初、前原女生徒が占い師用ベールで顔を隠していたために、互いに法科大学院の知り合いであることに気付かなかった。で、夫が変になったという抽象的な相談を受けて、へえ学生結婚なんですね、なんて掘り下げているうちに、相手が同じクラスの怒甲女生徒であることに気付いた、ということだ。
前原がベールを上げ、占いではなく現実的な助言として、七兜山の法科大学院生は怪人になっておかしくなることがある、と伝えると、怒甲女生徒は随分その話に興味を持ち、無免ローヤー=水去を紹介してくれと頼んだ。それで、今に至るそうなのである。だから、前原も詳しい事情を知っているわけではないらしい。
それを聞いた水去は、話がややこしくなるので「占い師のアルバイト」という謎にはあえてツッコまずに、話題を大澤青年のキャバクラ問題に戻した。
「まあ、そりゃ、夫がキャバクラ通いじゃ、結婚生活の破綻が窺えるもんなあ」
水去がそう言うと、横で話を聞いていた佐藤女生徒が、「じゃああなたは結婚したらそういうお店は行かないんだ?」と口を挟む。「いや行かんでしょ。想いを軽くあしらわれていたという事実が、どれだけ人の心を深く傷つけるかって話です。あと、金払って知らん人間に会いに行くとか嫌だし……」というのが彼の答えだった。
まあそもそも、貧乏学生の水去に、そんなお店へ行く金は無い……ん? 金?
「その大澤氏は、どうやって遊興費を稼いでいたんだろう? 彼だって法科大学院生、そこまでお金を稼ぐ手段があるわけではない気もするけど」水去が頭を捻る。それにシンクロするように前原も「アルバイト界隈で姿を見かけたことはないよ?」と小首をかしげた。
そこで、呑気な会話を続ける二人に対し、佐藤女生徒が核心を衝く発言をする。
「水去君、結婚した後もフラフラして、パートナーを苦しませたら許さないからね。それは、心の部分もそうだし、金銭的なことだってそう。あなたダメ男っぽいから、お金と暮らしの方面がとても心配なんだけど。ちゃんと働くんでしょうね?」
「う、うん? あ、なるほど。結婚生活には愛だけでなく金も重要というですな……?」
愛と金。怪人の犯罪の動機となることの多いこの二つが、今回の事例においても、やはり見え隠れしているようだった。
○
ドラえもおおおおん、しずちゃんと一緒に遊びに行くお金がないよおおおお。助けてよおおおおん!
数日間に及ぶ調査の結果、どうやら事情はこんな感じらしいというのが分かった。問題なのは、本件におけるのび太くんは成人男性であり、遊びに行く先はキャバクラであり、しずかちゃんはキャバ嬢であり、ドラえもんは未来の猫型ロボットではないということだ。ただ一点、神崎に連絡が取れないから詳しくは分からないものの、怒甲家というのは名の知れた名家であるらしく、怒甲女生徒はそれなりの金額を自由にできたらしい。そんな彼女が、間接的、黙示的ではあるにせよ助けを求めるくらいであるから、どうも大澤(男)すなわち大澤葛登青年は相当なことをしでかしているようだ。
どうやってここまでのことを調べ上げたのか。取り敢えず、彼の通うキャバクラのウェブサイトを確認した。それからキャバ嬢のブログを読んでみた。わりと面白かった。実際にキャバクラに行ってみようかと思ったが、金が無いため一瞬で断念した(当り前だが、無免ローヤー活動にかかった経費を赤原に申請すれば戻ってくる、みたいな制度は無い。全部手弁当である)。結局、よく分からんかった。
で、何のことはない、大澤青年本人に聞きに行ったのである。
「あ、あの、君が既婚者であると聞いたんだ! 本当に尊敬する。どうか、生まれてこの方ちっともモテないこの俺に、結婚にまで至ったそのテクニックを教えてくれないかっ!」
そうやって頼み込めば、大澤青年は、快く水去を弟子にしてくれたのである。水去は数時間にわたって、彼のレクチャーを受けた。
大澤青年が教授したそのモテ・テクニックの内容については、誰かがこれを悪用してはいけないため、ここには書かない。ただ、水去にとっては、頭で理解はできても魂の部分でそれを受け取ることができず、結果として実行にも至らない、役に立たないものであった。生来の気質として、暗い・ダサい・気が利かない、の非モテ三原則を兼ね備えた水去では、どうにもできないのである。ロンブローゾの言う「生来的犯罪人説」は、現代において首肯することのできないものであるが、「生来的童貞人説」には頷かなければならないかもしれない。この世界はとても哀しい。
しばらく話を聞いていると、大澤青年の講義内容は、どのようにして異性を引き付けるか、から、どのようにして異性から金を毟り取るか、へと変化した。段々水去は、聞いているのが辛くなってくる。阿諛追従の笑顔を浮かべるのが苦しい。怒甲女生徒は大澤青年の言われるままに、全てを差し出しているらしいのだ。その様子がありありと想像できる。そして、彼女の愛は憂さ晴らしに費消され、金は……金はキャバクラ遊びにつぎ込まれている……
「死ぬ気で貢がせる、その段階までイケたらもう、好きにできるぜ」
大澤青年がそう言うのを聞いて、水去は絶望的な気分になった。人をそれほどまでに追い詰めたら、これはもう、一種の暴力である。
○
その数日後、事態は急転直下を迎える。
水去が網言と情報共有していると、携帯に着信があった。画面には、怒甲百合、と表示されている。有事の際に備えて、彼は一応、怒甲女生徒と連絡先を交換していた。
「はい、もしもし、どうかしましたか」
水去が電話に出る。しかし雑音が酷く、相手の音声が聞き取れない。「あのー! 大丈夫ですかー!」と彼が声を張り上げると、隣で網言が「例の怪人絡みかな?」と言う。その時、携帯から小さな声が漏れ出てきた。水去が、しっ、と網言にジェスチャーで伝える。
「……ぐすっ……あの、助けてください。わた、私の名前でいっぱい借金されてて……保険金も掛けられてたみたいで……それで死ねって……事故死しろって……」
「じ、事故死⁉ 大澤葛登がそう言ったんですか! 今どこにいるんですっ?」
「布神の滝の上です……ここから飛び降りろって……私、どうしたらいいのか、もう分からなくて、このままじゃ……」
「何言ってんだアンタ! 今すぐ逃げるんだよボケっ! 自分の命だろうがっ!」
「ううう……ぐすっ……その、私……あっ」
「もしもし? もしもし? ああーっ! くそっ!」
そこで通信は途絶えてしまった。水去がかけ直すが、繋がらない。「ふん。保険金殺人ってとこかなあ……やはり怪人になるような人間の考えることは、浅ましいねえ……」と網言が言う。「そんなこと言ってる場合か! 行くぞ!」と水去は走り出す。
布神の滝は、七兜山の上の方にある観光名所である。そこまで人気のスポットではないが、水が落ちる崖のすぐ近くまで道路が引かれていて、滝つぼを見下ろすことができる。水量は本当に少なく、実際に見てみると迫力が無くてショボいなあという感じなのだが、落口から滝壺までの高低差は非常に大きい。あそこから飛び降りれば、死ぬかもしれない。
水去と網言は、法科大学院自習棟の裏に移動し、そこにある倉庫の扉を開けた。中には法律戦士の相棒、すなわち、原動機付自転車「無免号」と「非弁号」が埃を被っている。二人はそれらを引っ張り出すと、エンジンに火を点け、大きな音を立てて、構内をぶっ飛ばしていく。
大学を出た二台の原付が、七兜山の急坂を駆け抜けて、布神の滝へと急ぐ。怒甲女生徒の身に何が起こっているのか、果たして彼らは間に合うのか。
七兜山の空には、夏の暗雲が立ち込めていた……
次回予告
ジャンプ! ブレーキ! 段ボールハウス! 第二十三話「背景にあるべき事情は」 お楽しみに!




