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ハジマル


 教卓を前にして、黒板に背を向けて彼女は話をしていた。肩ほどまでに伸びた茶髪は一般の女性を思わせる。普通の女性の、普通の女性教諭の言葉。その彼女よりの記憶している一言目より回想。

 「君は本物を越える偽物って見たことあるかい?」唐突に質問を投げかけられる。


 「深く考えないでくれよ。別に一私の生徒である君に無理難題を突き付けようってわけでも無いんだ。」ただ聞いているんだと、彼女は一言つく。

 「偽物。いや、見た目、性質、色、感触、それぞれが完全に同じもので、ただそれは絶対に本物では無い物ってこと。完全に偽物で、完全な偽物ってこと」言って、言葉と共に彼女の白い手は八の字に前方に持ち上げられる。白々しく、仰々しく、劇っぽい印象のくどい動作。そう思いつつも、その動きがあまりに流麗で軽くて蚕の糸でも掬いあげるように見えた。一般の女性らしい茶髪をしながら。


 僕は手の動きに目を一瞬奪われる。奪われて取り返す。

 なんだかそうすることがいけないことをしているようにも思ったし、何よりその上に配されている紅の引かれた口の両端が数度程上がっているように感じたからだ。だから小首は前傾に動いた。ちょうど何かを深く考え込むように映ったと思う。


 「深く考えないでくれよ。私は君の率直な意見が欲しい」きっぱりと彼女は切り離す。僕の返答に、続けて彼女の言葉。

 「ふむ、なるほど。それはそうだ。完全に性質が同じものでただその本物で無さというのが、ただその事実から来ているのだとすれば、完全に同じ価値の偽物であっても最初の質問には不適切だね。」前方の手はいつのまにやら彼女の頬に吸い寄せられて、ファジーな蚕糸<さんし>は当たり前のように霧散する。


 「そう、本物と限りなく同義の偽物があったとしても、それは最高点は本物と同価値でしかない。」


 「越えるなんて、あっちゃならない。偽物である限りは」ふっと一息ついて彼女は輪郭から指を数間這わせると、またもダラリと腕を下ろし、基本姿勢へと戻った。


 彼女が何故こんな話をしたのかを今となっては思い出せない。数か月前のことであるはずだし、今こうやってふと思い出してしまうほどに印象的な人生のメルクマールになるべき転換点であったように感じるのに。脱力した彼女の体はそれでも疲れが滲み浮かんでいる。落ちる肩峰から軋みが目から鼓膜を揺らすみたいだった。そんなところまで記憶しているのに。


 「いや、夢の話だよ。どうしようもない夢の話」


 こう言って最後に記憶の中の彼女の話は終わる。


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