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3-3 旅行したコトありません


ガンガン狩られて数を減らした、リョコウバトです。


私どもねぐらを一度ココと決めると、ソコに戻る習性が有りました。厄介なモノです。人類に襲われても同じ塒に、何度でも戻ってしまう。



年に二度、渡るという習性も命取りに。


春と秋に同じルートを通るため、開拓者たちは決まって。ハァ。農作物と違い、私ども野生動物。なのに収穫するノリで待ち構えられ、殺され出荷されるのです。






前回お伝えしましたが、19世紀の後半に入り、リョコウバトは急激に減少。真剣に考えなかったのは、同じ場所に来たり来なかったりする鳥だったから。



人類は私どもを、『生命力が強くカサカサ動く昆虫』と同じだ、くらいに考えていたのでしょう。


数が減ってもドコか人の知らない土地に、大群で移動して生息しているハズ。なんて根拠の無い考えを、支持していたのか。



北米大陸は白人による開拓が始まり、生活の場を失った私どもは困窮します。結果、畑などの農作物を荒らすように。


農民たちは怒り狂います。当然ですよね、食べ物を奪われたのですから。



でも、お考えください。先に食べ物を奪ったのはドチラですか。あなた方、人類ですよね。






1867年、ニューヨーク州で『リョコウバト狩猟禁止法案』が成立。


その頃には個体数が激減しており、珍鳥の一種に数えられるホド。なのに人類は私どもを見かけると、嬉嬉として撃ち殺しました。



信じられない事にリョコウバトを撃つ事は、遊びのようになっていたのです。




1878年ミシガン州、パトスキーの森林地域で10億ほどのリョコウバトが発見されました。その時点で、これだけの個体数が確認される事は奇跡です。


なのに人類は・・・・・・虐殺しました。



この事件は『パトスキーの虐殺』と呼ばれ、大きく取り上げられます。けれど真剣に取り組むのは、いつだって一部の人間。残りは、ハト撃ちゲームをめません。



人類って恐ろしい生き物ですよね。食べるためでは無く、楽しむために命を奪うのですから。






1890年代に入ると、私どもの姿はほとんど見られなくなります。で、やっと重い腰を上げました。けれど手遅れ。


当時の技術では、繁殖させる事が出来ません。加えて本来の生息地だった森林の開発により、個体減少に拍車をかけました。



鳩を取るか、人の暮らしを取るか。答えはカンタン、人の暮らしを選択。


一度、害鳥認定されましたからね。駆除するのは当たり前。保護? ナニ言ってんの。といった具合に。






1907年9月23日カナダ、ケベック州。ハンターにより、一羽のハトが撃ち殺されました。それが最後に見られた野生、最後のリョコウバトです。



飼育されていたリョコウバトは1910年8月、オハイオ州シンシナティ動物園で飼育されていた私、マーサのみとなりました。



人類は大変な事に、やっと気づきます。


あれだけいたリョコウバトが、幾ら殺しても心配ナイと思われていたリョコウバトとが、私一羽になったのですから。




私は動物園生まれの、動物園育ち。アメリカ大統領ワシントンの妻に因んで、『マーサ』と名づけられました。


悪い事して無いのに一生、檻の中で生活していたのです。



旅行する鳩だからリョコウバト。なのに私、旅行したコトありません。檻から出た事、無いんです。




最後の一羽となった私は一躍、有名に。


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