3-2 際限なく、奪われる命
『アメリカの鳥類』の刊行により、一躍名を知られるようになった博物学者で動物画家、オーデュボン。1838年の日記に、私どもに関する記録が御座います。
頭上を通過中のリョコウバトの群れが、まるで空を覆い尽くすかのように三日間、途切れる事なく飛び続けたと。
かつてはアメリカ東部の、至る所で見られたリョコウバト。当時の個体数は資料によって異なりますが、北アメリカで60億とも90億とも。
2022年11月。世界の総人口が80億人を突破したことが、国連の『World Population Prospects 2022』で明らかになりました。
つまり現在の人類総数にも匹敵する数のリョコウバトが、その姿を完全に消したのです。
絶滅の原因は、必要以上に捕獲した人類。
リョコウバトの肉は非常に美味。都会でも高値で売れたので、銃や棒を使用して捕獲。群れの中に入って棒を振り回したり、石を投げたりして。
どれだけ殺しても減らない、簡単に入手できる食料扱いですよ! 殺すだけ殺して、処理できるダケ回収。残りは豚を放って、食べさせました。
・・・・・・ハァ。
北アメリカの先住民たちも食用にしていましたが、自然に対する配慮を怠りません。
例えば親バトを殺せば雛が死ぬので、繁殖期には狩りをしない。雛を狩る場合、矢尻の無い矢で巣を下から撃ち、雛を弾き出して捕らえる。といった、節度あるモノ。
対して17世紀以降、ヨーロッパから北アメリカに入植した白人は、そのような配慮を一切しません。
雛を入手するため、多くの巣がある木を切り倒す。とまぁ際限なく、取り尽くしました。
これは同じく、白人により絶滅寸前に追い込まれたアメリカバイソンやプロングホーンなど、北アメリカ在来の野生動物についても言えますね。
19世紀に入ると、北アメリカにおける白人の人口が急増。
電報などの通信手段が発達すると、効率的な狩猟が可能に。1850年頃には鉄道が敷かれ、汽車による輸送が行われます。
はい、お察しの通り。一日に数万ものリョコウバトが塩漬けにされ、樽に詰められ出荷。
網猟も盛んに行われ、一挙に何百羽と捕らえられました。一日に一万羽も捕った者が居たとか、居なかったトカ。
・・・・・・居たでしょうね。
肉は食用、飼料にも。羽は布団の材料になる。となると当然のように『昨日もハト、今日もハト。もうハト肉なんて食べたくナイ』なんて声が開拓者のみならず、都会で暮らす人たちからも。
ヒドイ話です。無秩序、無制限な乱獲が行われた結果、数十年で個体数が激減。
リョコウバトを『保護すべき』との声があがり1857年、オハイオ州で『リョコウバト保護法案』が提出されます。けれど成立しませんでした。
驚くほど数が多いから、絶滅の心配がナイと判断されたのです。
長旅には膨大なエネルギーが必要。リョコウバトだって同じです。
好んで食べたのは樫、栗、橅などの木の実や果物。虫類、特に幼虫の類は御馳走。それらが無くなれば?
かつてアメリカの大地には、リョコウバトの命を支える樫や橅などの木が、どこに行っても豊かに茂っていました。けれど白人はソレらを、バッサバッサを切り倒します。
開拓の時代、薪や建材にするために。
大群で飛んでくるリョコウバトは、農作物を荒らす害鳥だと目され、駆除の対象になりました。
何も好きの込んで農作物を狙ったワケでは有りません。食べる物が無かったのです。