3-1 鳥類史上、最多
絶滅種シリーズ第四弾 リョコウバト編
はじまります。
はじめまして。私、リョコウバトと申します。ハト目ハト科、リョコウバト属に属する鳥類。
・・・・・・絶滅種です。
私ども北アメリカ大陸、東岸に生息して居りました。ですからアメリカリョコウバトとも、称されてマス。全長40㎝前後、渡りを行う鳩ですの。
夏は涼しいカナダ、冬は暖かいメキシコ湾添い。一年に二度、お気に入りコースを旅行していたので、旅行する鳩『リョコウバト』と命名されました。
横文字だと『パッセンジャー・ピジョン』、漢字表記だと『旅行鳩』デス。
渡りの時には大きな群れとなり、通過時には何時間も空を覆うほど。移動速度は時速、約60㏕。止まり木にした枝が重さに耐えきれず、バキッと折れたナンテ事も。
となれば当然、残ります。止まり木の下には雪のように、糞がコンモリ積もって。
あら、お食事中でしたか。失礼しました、話を戻します。
実は『鳥類史上、最も多くの個体数を誇る』なんて言われてマシタのよ。オホホ。けれど乱獲により20世紀初頭、絶滅。
・・・・・・フゥ。
19世紀初頭には約50億羽が生息していた。と、考えられています。けれど食用を目的とした乱獲により、およそ100年の間に個体数が激減。
野生のリョコウバトは1907年を最後に、確認されてオリマセン。
私どもが絶滅するなんて、1890年頃までは誰も考えなかったようで。気づいた時には手遅れ。
なぜ気づくのが遅れたのかって?
お伝えした通り私ども、大群移動する渡り鳥。居る所には居る、居ない所には全く居ない。ですから数が減っている事に気づくのが、とても遅れたのです。
皆さま、ご存じですか? アメリカの博物学者で動物画家、ジョン・ジェームズ・オーデュボンを。
少年時代をフランスで過ごし1802年、新古典主義美術の創始者で指導者、ダビットから素描を学びました。
18歳で渡米し、残念ながら事業に失敗。荒んだ心を癒すため、鳥を描き始めます。
鳥類図集の出版を志してヨーロッパに渡り、1827年から10年がかりで完成した代表作、『アメリカの鳥類』がロンドンの商会から刊行。
彼が各地を歩いて実際に観察し、羽の一本一本まで丁寧に描いた作品がズラリ。435点の手色彩銅版画を収めた、大判のフォリオです。
はい、その通り。私たちリョコウバトをモデルに、とってもステキな絵を残してマス。木に止まってね、ウフフ。口移しで、餌を与える絵ですの。キャッ。
羽色は眼の下から頭上、腰が青灰色。喉から胸、腹は淡い紫褐色。背、翼、中央の尾羽は紫灰色。他の尾羽は白。風切羽は黒くて、雨覆羽には少数の黒斑が有りマス。
尾は長くて先が尖り、下尾筒は白。嘴は黒くて脚は赤紫色。メスはオスより色彩が控え目。背中が淡褐色で、腹は灰色。
落葉広葉樹林に住みつき、集団繁殖。堅果や液果、果実、ミミズや昆虫などを食べて暮らしてマシタ。
実は私ども、繁殖力の弱い鳥類だったのです。小さな集団では繁殖できず、繁殖期は年に一度。しかも一回の産卵数は一個だけ。
・・・・・・絶滅種あるある、でしょうか。オオウミガラスさんも年に一度しか、産卵しませんでしたよね。