アイスキャンディ
ミーンミンミンミ──────…………
見慣れた僕の部屋の天井。
開け放たれた窓の向こうから大きな蝉の鳴き声が聞こえる。
暑い。気怠い。
この一言に尽きる。
幽霊だと言うのに僕は、異常な程の暑さを感じていた。
ここは僕の部屋。
主である僕は今こうして生身が無い身である為、母さんと父さんからは当然認識されたりはしない。
だから当然、扇風機や冷房を着けたりはしない。
誰も居ない筈の部屋の冷房が唐突に着くのは、恐怖でしか無いから。
実は今朝は、それほど暑くは無かった。
爽やかな暑さはあったものの、それでも夏にしては涼しい方だった。
蜩が鳴く程には。
それなのに10時を回る頃から陽は強く汗ばみ、午後にはもう冷房が着いてないと熱中症になってもおかしくはなかった。
だから僕は自分の部屋の扉を空気の入れ替えの為にと、開ける。
日陰の廊下は、少し涼しい事が分かる。
そうして夕方を待つ。
夕方の時間帯が一番涼しく、体調も崩しにくいから。
きっと、水乃ちゃんも外出するならそうするだろうから。
夕方が来る頃を待って水乃ちゃんの家の前で待とうと、決める。
けれど、どうやら今日の天気は曇りの様だ。
それに気付いたのは、開かれた窓からカーテンを片面退かして見た空の雲があまりにも分厚かったからだ。
きっと晴れていた午前中の涼しさはこの分厚い曇が来る前兆か何かだったんだろうなと納得させる。
湿っぽい暑さは残るだろうけど、風もあるし慣れれば、丁度良い。
僕はカーテンを戻してまたベッドに横たわる。
そうして夕方が来る頃。
時間は見てないけれど、窓越しの蝉が蜩混じりに鳴く頃。
僕は水乃ちゃんの家の前に居た。
数分後、水乃ちゃんの家の玄関の扉が開かれる。
行動が半ば水乃ちゃんの行動を読んだみたいだと思われるかもしれないが、長年お隣さんをしていると、分かる事があるのだ。
幼なじみの勘、みたいな物だ。
こんばんは。
「水乃ちゃん、今日は何します?」
一瞬だけ、意外そうに瞬く、水乃ちゃんの瞼。
出来ることなら本当は、その瞼に唇を落としたい。
頬を赤く染めた彼女はきっと誰よりも綺麗だろうから。
「別に、何もしないわよ」
水乃ちゃんの無情い反応に意識を戻される。
そう言いつつも、水乃ちゃんの足は迷う事なく進む。
どうやら、今夜の行き先は決まっている様子。
「えー、つまらなくないですか?
どこか遠くへ行きましょうよ」
そう、海だろうと山だろうと水乃ちゃんと二人きりの世界に行けるなら何処へでも。
「嫌よ、面倒くさい」
やっぱり無情い。
でもそんな水乃ちゃんも悪くない。
そう思う僕はもう、末期なのかな。
水乃ちゃんの若干の苛立ち混じりの声。
それでも僕の言葉にきちんと返って来る返答。
僕はそれが嬉しくて、どうしても水乃ちゃんに声を掛けてしまう。
「なら明日はどうですか?」
それに、僕のこの言葉に理由が無い訳でもない。
僕にはもう時間が無い。
以前図書館で読んだあの民話が本当なら、僕が正気でいられるのも半月は無い。
このままだと危険なのは僕では無く、水乃ちゃんだ。
「明日も何もしないわよ」
水乃ちゃんはそう言ってコンビニに入ってしまう。
ここまで来てしまうともう、人目があるから返答をもらえない。
少し遠くに感じる気がして、寂しくて悲しい。
生きている人との違いを実感してしまう。
水乃ちゃんの後に着いて返事を待つ。
「なら────…………
水乃ちゃんはカゴに飲み物とアイスをいくつか入れ、会計へ向かう。
その間、やっぱりと言うか何と言うか。当然、僕らの間に会話は無い。
水乃ちゃんは僕と話すのが嫌なのか、それとも最近は意味が無いと思ってるのか、返事が軽い。と、言うよりは適当だ。
この調子で水乃ちゃんの心も少しは軽くなれば、と思わない事もない。
でもだからと言って虚無感を抱いては欲しくない。難しい所だ。
僕は水乃ちゃんに、何をしてあげられるだろう。僕はずっとそれが知りたい。
せめて、海に誘うその時までには。
けれど、やはり焦れてしまう。
僕が正気である内に、水乃ちゃんとお別れをしなければ。
決意した矢先だったのに。
家に帰る道中。人の気配の少ない住宅街に入り
ふと、水乃ちゃんから声を掛けられた。
凪、ただそう言って。
だから気が抜けてたんだと思う。
ん?なんて素で応えて隣の水乃ちゃんを見た。
そしたらコンビニで買ったらしい小さなアイスキャンディを、照れた様に僕に差し出す水乃ちゃんが居た。
ドキッ
こ、これは所謂「あーん」と言うやつでは…………。
付き合ってもいないのに、良いのだろうか。
告白だってまだなのに。
でも、せっかくの…………。
考え過ぎていたらしく、水乃ちゃんの指に溶けたアイスキャンディが垂れた。
「…………あ」
僕は慌てて水乃ちゃんの指先とアイスキャンディを舐める。
「ん、冷たくて甘いね」
スッキリとした甘さが…………ん?
僕、幽霊なのにアイスキャンディ食べれた?
図書館の民話にも載ってなかった事をしてる気がする。
水乃ちゃんを見上げると、顔を真っ赤にして固まっていた。
僕は慌てて水乃ちゃんに声を掛けるも暫く反応が無かった。
恥ずかしいけれど、幽霊である僕が見えているのはどうせ水乃ちゃんだけだから。
悪戯っぽく微笑み、耳元で囁いてみる。
僕の耳が熱を帯びてるのが水乃ちゃんに気付かれてないと良いな。
「水乃ちゃん。アイスキャンディ、溶けちゃうよ」
「ひゃっ」
顔を真っ赤にしたまま、片耳を押さえて飛び退く水乃ちゃん。
もう大丈夫かな。
「早く家に帰らないとそのアイス僕が食べちゃうよ」
笑ってそう言ってみたら、「そう言うのどこで学んでくんのよ!」と叫んで家まで走って行ってしまった。
僕は見事に置いて行かれた訳だが。
良かった。本当に。
水乃ちゃんが走り去ってくれていなかったらどうなっていたことやら。
幽霊になってから鳴る筈の無い僕の心臓が高鳴ると同時にさっきは危なかった。
さっき舐めた水乃ちゃんの指先から味覚と同時に唇が離せなくなる様な、ずっと触れていたくなる様な感覚があった。
そして同時にそれはあまり良いことでは無いのも分かった。
気を付けないと。




