告別式と残酷な恋心
誰かの声がする。
耳触りの良い声。
僕を優しく呼び掛ける声。
まるで語り掛ける様な。
『凪君』
声が僕を呼んでいる。
君は、誰。
ズキンッ
どこかにぶつけたのか、頭が酷く痛い。
ぐるぐると回るように、瞼を閉じてるのにその先で火花の様な星の様な。
チカチカと光が瞬いてる。
耳鳴りが、止まない。
息を吸っているのかどうかも分からない。
僕は今何処に――――――。
重い瞼を開く。
「あれ、知ってる天井だ」
病院の天井でもなければ、僕が轢かれた場所でもない。
見慣れた僕の部屋。
じゃあ、あれは夢だったのかな。
僕は死んだ。そういう夢を見た。
本当に唐突だった。
夏休みに入って早々だなんて、運が悪いにも程がある。
だけどそれは夢で、現実じゃない。
僕はこうして生きているし、明日が来ればいつもみたいに、水乃ちゃんに勉強を教えている。
それに海に行く約束も果たせるだろうな、なんてワクワクして2階の部屋から1階に降りた時。
むわり、と暑い空気が僕の肺を満たした。
廊下から開け放たれた玄関には真っ黒な列が。
喪服を着ている近所の人達が並んでいた。
中には水乃ちゃんの両親も。
ぐずぐずに泣いてしまっている水乃ちゃんのお母さんの肩を支え持つ水乃ちゃんのお父さん。
並んでいる人達に挨拶をして廊下の先、リビングに入る。
そこでは告別式が開かれていた。
誰かの告別式。誰の?
部屋の端、挨拶を受け取る母に声を掛ける。
母の目元は赤く腫れていた。
「母さん、何が――――」
母が見つめ、挨拶をした人達が手を合わせた先の棺からとても嫌な予感がした。
そして少し視線をずらした先、お坊様がお経を唱える先には花に囲まれた写真があった。
僕の、不器用な苦笑混じりの笑顔の写真が。
まるで時が止まってしまった様に、呆然としてしまった。
夢なんかじゃ、なかった。
こんな形で、僕が死んだ現実をまざまざと突き付けられてしまった。
そっか、僕本当に死んだんだ。
僕自身の告別式を見つめる事になろうとは夢にも思っていなかった。
あれから数時間後、帰路に付く近所の人たちや親戚の背中を眺める。
玄関には、帰って行く人達に挨拶する父さんが居た。
泣きそうで泣けない、迷子になってしまったかのような窶れきった表情をしていた。
告別式に、水乃ちゃんは来なかった。
「水乃ちゃん……」
会いたいよ。
数日後。
落ち着いた僕は初めて誰の許可も得ず、僕の部屋から直接水乃ちゃんの部屋に来ていた。
隣の家だから出来る特権、みたいな物かもしれない。
僕は告別式の時に体が半透明になっている事に気付いた。
僕が確実に死んでいる事は明白だった。
そして、直ぐに気付いた。
告別式に来た人たちは僕に気付かないどころか、僕を目の前にしてスルリと、すり抜けていた。
そして、僕も。
意識さえすれば、壁をもすり抜ける事が出来た。
時計の秒針の音が目立つ薄暗い部屋。
水乃ちゃんは泣いたのか、赤くなった目元をそのままに気だるげに体を仰向けに横たえていた。
「私、こんなに凪の事……好きだったっけ?」
水乃ちゃん。
水乃ちゃんの呟きは嬉しい。
けど同時に凄く悲しい。
さっきだって泣いたばかりだったんだろうに、また水乃ちゃんの瞳が潤み始めた。
今すぐに水乃ちゃんの涙を拭いたい。
「あぁ。うん、そっか。失って初めてってやつか……」
水乃ちゃんのしゃがれてしまった震え声に、手を伸ばして涙を拭おうとする。
けれどやっぱりと言うべきか、水乃ちゃんの目元に添えた指先をキラリ、と光る物が通り過ぎた。
水乃ちゃん……。
水乃ちゃんに触れたい。
今すぐ声を届けたい。
そう、強く思った。
だから、何度でも水乃ちゃんの名前を呼んだ。
水乃ちゃん。
目の前に居るのに、こんなに遠く感じるなんて、寂しすぎるよ。
水乃ちゃん、届いてよ。
触れたいのに、こんなの酷いよ。
誰か、神様、どうか…………。
死んで初めて、神様に祈った。
そしてもう一度、もう一度と水乃ちゃんの名前を呼ぶ。
もう何度目かもわからないもう一度を繰り返した頃、奇跡が起きた。
『水乃ちゃん』
「?」
一瞬、僕の声が届いた気がする。
『水乃ちゃん、聞こえますか?』
「えっ?」
同時に目が合った気がする。
『水乃ちゃん、見えますか?』
「な……」
水乃ちゃんが勢いよく起き、混乱した様に揺れる。
そして確認する様に呟く。
「な、んで……」
水乃ちゃんの瞳がまた潤みだす。
僕の声が、届いた。
僕の姿が水乃ちゃんに見える様になったのがわかる。
「え、えへへ……」
混乱と、嬉しさが同居する。
苦笑混じりの照れ隠しを浮かべる。
「凪、なんで……」
「え、えっとね。
どこから説明すれば良いでしょうか」
僕のこの言葉に感極まったのか、水乃ちゃんは涙を流しながら僕の名前を沢山呼び始める。
そして、僕に向かって勢いよく両手を伸ばす。
「凪!本当に凪なのね!凪!やっと会えた!」
「あっ!待っっ!」
僕を抱き締めようとしたのだろう。
だけど水乃ちゃんの手は僕をすり抜けてしまった。
ゴンッ
水乃ちゃんが勢いよく壁にぶつかる。
鈍く酷い音がした。
「水乃ちゃん!大丈夫ですか!?」
「今、すり抜けて……」
赤く腫れたおでこを押さえて呆然と言う水乃ちゃん。
あれ、水乃ちゃんは僕が死んだ事を知らないのかな。
「ごめんなさい。僕、これでも幽霊なので……」
「幽霊……」
僕を呆然と見つめる水乃ちゃん。
「未練があって一時的に戻ってこれた、みたいなんです」
「未練、って……」
水乃ちゃんの顔が、段々青冷めていく。
「水乃ちゃんに伝えたい事、言えてなかったから……ですね」
「……伝えられなかった、事?」
水乃ちゃんから表情が無くなる。
「水乃ちゃん、僕……「待って」
「へ?」
唐突だった。
水乃ちゃんが僕の言葉を遮る。
まるで僕の言葉を聞きたくない、と言うように。
「凪が、今私の目の前に居る凪が夢や妄想じゃないって証明して」
「えっ……」
水乃ちゃんと目が合わない。
振り切るように首を振る水乃ちゃん。
「だって、いきなりこんな……。
あり得ないでしょ!?都合良すぎる!!」
「水乃ちゃん……」
向かい合っているからか、よく見えてしまう。
俯いた水乃ちゃんの瞳が強く揺れるのが。
「ねぇ、貴方は本当に凪なの?
私、凪が死んだって聞いて。
ずっと凪の事を考えて、それで貴方が……」
水乃ちゃんの表情はもう、絶望しきっていた。
「違います」
「何が違うって言うの!?凪は死んだの!!
それに幽霊になったら私の所じゃなくて家族の所に行かなきゃおかし「水乃ちゃん」
今度は僕が遮る番だった。
「っ!?」
「落ちついてください
水乃ちゃん、混乱させてごめんなさい
でも嘘なんかじゃ、無いんです」
驚いたのだろう水乃ちゃんが、弾かれた様に僕を見る。
僕が遮ったのは初めてだからかもしれない。
「…………」
「えぇ、勿論家族が心配では無いのかと聞かれてしまえば心配ですとしか答えられないし、先に死んでしまってごめんなさいとも謝りたいのは確かですが……
どうやら僕の姿を見せられるのは一人だけみたいなんです」
水乃ちゃんの表情が血の気を取り戻していくのがわかった。
「そんな。一人までなんて、誰かに言われたの?」
「いいえ。ですが不思議とそういったルールがあるって事を知ることが出来たんです」
「でも、それなら尚更家族の内の誰かに……」
水乃ちゃんが僕の事を考えてくれているのがわかる。
それが、嬉しくて。
「それじゃ駄目なんです。
家族の内の誰かに伝言を頼むんじゃ、意味がなくなっちゃうんです」
「……そう」
同時に水乃ちゃんが、僕以外を思った事が寂しくて。
「でも、一番伝えたかった事が。
僕の願いは、それじゃなかったみたいなんです」
「……凪」
「うん」
「本当に、凪なの……」
「はい、そうですよ」
「そう、なんだ。……そうなんだっ!!」
水乃ちゃんの瞳からぼろぼろと涙が溢れる。
涙を拭おうと無意識にまた手を伸ばす。
僕の手がまた空を切る。
「水乃ちゃん……」
「……うん、今ここに居る凪は私の幻影なんかじゃないわ。
だって私はそんな小難しい設定、考え付かないもの」
水乃ちゃんの安心しきった様な笑顔。
僕が幽霊って事を忘れてないといいな。
「あはは……」
「ねぇ、凪の伝えたかった事って……何?」
「あぁ、えっと。あのですね」
「凪の伝えたかった事……
話終わったら約束、果たせる?」
「あっ……」
訝しげに僕を見つめる水乃ちゃんに強い罪悪感が生まれた。
「……凪?」
「ごめんなさい、水乃ちゃん」
「……へ?」
「僕は、未練を取り除いた瞬間……」
「え……」
明確には言えない。
僕に儲けられたルールは曖昧過ぎて。
その分、水乃ちゃんとは直ぐに別れを告げなければならないだろうから。
ごめんね、水乃ちゃん。
残酷な事だよね。
本当に酷いのは僕の方だった。
きっと、本当は僕が水乃ちゃんの前に現れちゃいけなかったんだ。
それなのに僕は願ってしまった。
会いたいと、触れたいと。
想いを伝えたいと 。
だから水乃ちゃん。
どうか、僕を赦さないで。
御愛読感謝します。




