第一章 五話目 魚屋と客
紺スーツが仁に彼の父親のことを話してから1日、
仁の様子が気になり、僕は魚屋へ向かった。
仁は店の前で先日も来ていた腰の曲がったおばあさんと話をしていた。
「でも本当に良かったわ。これからも仁さんのお店の魚を食べられるなんて本当に幸せ。それじゃあ、また来るわね。」
おばあさんは先日とは異なり、嬉しそうに帰っていった。
仁が僕に気づき声をかける。
「おっ、やっと来たか。飯の用意するから座敷で待ってな。」
そう言われて僕はいつもの座敷へ向かう。
やがて準備を終えた仁が食事を持ってくる。
これは、チーズと猫草の和物と…マグロの切り身!?
大好物の登場に僕は我慢できるはずもなく飛びついた。
「うはは、やっぱりお前はマグロが大好物なんだな。お前が俺の作ったものを食べてるところを見ると楽しいよ。」
仁は吹き出して笑っていた。
やっと僕が食べ終わって仁を見ると、仁は優しく微笑んで話し始めた。
「俺さ、決めたよ。やっぱりこの魚屋はもう閉めることにする。」
僕は黙って彼を見つめる。
「でもな、俺はこの店を改装して定食屋にするよ。自慢の魚を使って美味しい魚料理を食べさせたり、足腰の弱いじいちゃんばあちゃんたちには家まで弁当の出前をするんだ。」
僕は予想外の言葉につい目を丸くする。
「俺がこう思えたのもお前のおかげなんだ。猫のご飯とはいえ、俺が作ったものを毎日毎日飽きもせず美味しそうにお前が食べてくれるのを見てて、俺は誰かのために食事を作るのが楽しいのかもって思えたんだ。」
…そうか。それはいいアイデアだと思う。
実際仁の作ってくれた食事はどれも絶品で、
優しい味がするからきっと人間たちも喜んで食べるだろう。
「定食屋をするのに必要な資格とかも、偶然魚屋になる前の仕事で必要だったから持っててさ。あとは店内を少しだけ模様替えすれば準備完了ってところだ。」
仁は続けていう。
「猫用のメニューもちゃんと準備するからさ、またいつでも遊びにこいよ?」
僕はなんだか心の中がいっぱいになって、仁の体に自分の頭をコツンとぶつけた。
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それから1ヶ月が経ち、仁の定食屋が開店した。
開店してすぐの数日間と比べると人は減ったが、それでもまだ多くの人が店に来て、仁の作った美味しいご飯を食べて、笑顔で帰っていく。
僕が仁の店に行き中を覗くと、魚屋の時から通っていた腰の曲がったおばあさんが仁に話しかけている。
「アタシね、本当に嬉しいよ。仁さんが魚屋を閉めるって聞いて本当に寂しかったんだ。仁さんところの魚は本当に美味しいし、何より仁さんみたいないい男と話せる場所がなくなっちゃうと思ったからね。いやぁ、ホントに……」
おばあさんは感極まったようで、ハンカチで目を押さえている。
「静香さんの言う通りよ。この町に住む老人みんな仁ちゃんのこと本当の孫みたいに思ってるとこあるのよ?」
腰の曲がったおばあさんと一緒にご飯を食べていたおばあさんが言った。
「いやいや、あの時おばあちゃんが魚屋を閉めるのを止めてくれたおかげで俺も考える機会ができたんですよ。おばあちゃんこそありがとうね。」
仁は微笑む。
それを見て僕は思う。
…そうか、お前は自分のことを一人ぼっちだなんて言ってたが、決して孤独なんかじゃないよ。お父さんに似て優しいお前は、この町のみんなから愛されているんだから。
僕はまた心の中がいっぱいになり、仁を見つめる。
それに気づいた仁は
「お、来たか。今日はお前の大好きなマグロがあるぞ。」
と笑いながらいい、お皿を持って僕の元にやってくる。
さあ、明日からまた僕が生きていた理由探しを頑張らないとな。
そう思いながら、僕は仁が差し出したマグロを食べた。