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ニトたちはレイノール王国を出て、小国・ドフ国に入った。
ノインとフィーアの速度であれば小国規模なら直ぐに駆け抜けることはできたが、既に昼を過ぎ、もう少しで陽が沈みそうな時間帯であったため、手近な人の気配がするところ――村に立ち寄って一泊することにする。
ノインとフィーアに夜通し走る気はさらさらなく、ニトも強要はしないというか、その気もない。
夜道が危険だとか、そういった理由ではなく、誰も急ぐ気がないといったところである。
目的地に早く着くに越したことはないかもしれないが、全体で見れば誤差程度でしかないため、そうする理由がないのだ。
立ち寄った村に関しては、最初はノインとフィーアの存在に驚かれたが、辿り着く前にバッタリ遭遇して倒した魔物を見せると、最近村の周囲をうろついて危険を感じていた魔物であったことがわかり、ニトたちは諸手を挙げて歓迎された。
小さいながらも宴が開かれ、ニトも「アイテムボックス」の中から食用を取り出し、楽しい時間を過ごす。
翌日。村人全員ではないかと思えるような人数に見送られながら、ニトたちは出発した。
軽やかに進み続け、麓の森に入り、山を越えればタリスト国に入る――という前に、まずノインが足をとめ、フィーアも次いでとめる。
そこは草原。
何もなく、魔物の姿すらない。
端から見ればとまる理由は一切ないが、それでも足をとめたのには訳があった。
「……何か、居るね」
そう呟き、ノインは周囲を窺う。
フィーアも同様の行動を取り、ノインの背にのっているニトも目だけは周囲の様子を窺っていた。
「勘違い、ではないな。こちらを窺うような視線があった。今は消えているが、こちらが気付いたからか」
ニト、ノイン、フィーアが窺う中、村や町中では目立って仕方ないが、こうして外に出てしまえばはばかるモノもなく構わないだろうと、エクスも言葉を発する。
『え? 本当に?』
「なんだ。俺たちの感覚を信じないのか?」
『そんな! 滅相もない! ただ、自分は何も感じなかったので、本当かどうか確認したくて。それに、大事ですよね? こう、本当に? と確認するヤツって』
「……時と場合によるな。大抵はウザがられると思うが」
『やっぱり必要ないですね。そんなヤツは。しかし、こちらを見ていたって、いつからですか?』
「村を出て少ししたら、だな」
「そうだね。そのくらいだよ」
ニトの言葉にノインが同意する。
その視線は周囲を忙しなく窺っているままだ。
探るのはノインに任せたのか、ニトはそのまま言葉を続ける。
「その時はそこらの魔物か獣だろうと思ったが、ずっと付いてきたからな。全力ではないとはいえノインとフィーアの速度に付いてきたし、今はこうして姿を隠している。所謂、只者ではない、といったところだろうな。わざわざ付いてくるとは、一体何者で何用なんだか」
面倒だ、と息を吐くニト。
エクスが『はあ~、なるほど』と納得する。
『確かに、この最強の聖剣である自分に何も感じさせず、姿も見せないとは……只者ではありませんね。中々やるな、とある種の称賛を与えましょう』
「何言ってんだ、こいつ」
ニトは素直な感想を口にした。
エクスを生物のカテゴリーに入れていいかはわからないが、少なくとも気配の察知ができるような構造はしていないだろうと、ニトは思う。
そこで別々の方向を見ていたノインとフィーアが、揃って同じ方向を見る。
視線は外さず、ジッと。
すると――。
「フフフ! バレていましたか。いやいや、想定よりも鋭い。やっぱりフェンリルだからですか? それとも、それだけあなたという個の能力が特出しているということですか?」
どこか軽い調子の男性の声が周囲に響く。
「姿を見せるよりも先に口を開くとは、随分とお喋りなヤツだね」
ノインが唸る。
フィーアも同様で、ニトはノインから飛び降りて、ノインとフィーアが見ている方向に視線を向けた。
そこで、全員の視線が向けられている部分の空間が揺らぐ。
「ああ、それはよく言われます。ですが、私としては意味がわからないのですよ。黙している時は本当に黙しているというのに、何故か私の評価はそれに尽きるのです。冷静、と言われるのなら、まだわかるのですが」
わかっていないから、そういう評価なのでは? とニトたちは思った。
若干苛立ちを感じさせる声色で、ノインが口を開く。
「それで、姿を見せる気はあるのか? なくても構わないよ。あんたのような感じは、面倒になる前に殺すだけだからね」
「おお、怖いですね。素晴らしい迫力ですよ、フェンリル。ですが、殺されるのは勘弁して欲しいので、姿を見せます。ですが、その前に一つ、よろしいですか?」
『………………』
もう面倒だな、と誰もが思った。
しかし、声の主はそんなことは気にしていないと変わらない。
「沈黙は肯定と受け取らせていただきますね。では、これから姿を見せますが、今のところあなたたちに向けた害意は私にはありません。見ていたのはただの興味本位です。ですので、姿を見せても襲わないでいただきたい」
『………………』
「沈黙は肯定と受け取らせていただきますよ」
念を押すような言葉のあと、空間の揺らぎはさらに強くなり――そこから一人の男性が姿を見せる。
青髪で二十代ほどの男性。
痩せ型で仕立ての良い服を身に纏っている。
それだけであれば、そこらに居る男性だろう。
しかし、そうではないモノが、その男性にはあった。
黒く歪な二本の角。
男性は魔族であった。
「初めまして。ヴァレード、と申します」
ニトたちに向けて、魔族――ヴァレードが優雅な一礼をする。
ただ、そんなヴァレードとは逆に、相手が魔族ということでノインとフィーアは警戒を露わにした。
エクスは、またもや出番か! と張り切る。
ニトだけは特に態度を変えずに、ヴァレードを見ていた。
「まさか、魔族の方から姿を見せるとはね。殺されにきたのか?」
ノインがいつでも襲いかかれると歯を剥き出して唸る。
フィーアもいつでも動けるような姿勢を取り、エクスは早く振るって欲しいを期待し出す。
対するヴァレードは首を横に振った。
「いいえ、違いますよ。先ほど申したではありませんか。興味本位です、と。本当にあなた方に興味があっただけなのですよ。二国に潜んでいた魔族を立て続けに撃破したあなた方に、ね」
ニッコリと、笑みを浮かべるヴァレード。
その笑みを見て、ノインは信用ならないと思った。
「おや? 何やら不穏な気配ですね。どうやら、フェンリルは私を信用できないようで……残念です。しかし、そこで安易な選択はしない方が賢明だと伝えておきましょう。私に戦う気はありませんが、手を出されれば黙っていませんので」
「その言い方……まるで、私よりも強いと言っているように聞こえるね」
「ふむ。そのように聞こえてしまいましたか。これで心証を悪くしたのであれば、申し訳ありません。ですが、美辞麗句で誤魔化されるよりは、良いのではありませんか?」
「面白いことを言う……なら、試してみるか?」
ニトたちの傍からノインの姿が消えた瞬間――その姿はヴァレードの傍に現れる。
現れた時には既に前足を振り上げ、あとは振り下ろして相手を引き裂くだけ、といった姿勢であった。
とめる理由はないと、ノインは一切の躊躇いなく振り下ろす。
「おっと」
ヴァレードは振り下ろされたノインの前足を腕で受けとめる。
ずしり、とヴァレードの体が僅かながら地面に沈んだのは、それだけの威力が込められた前足であったということと、それでもその程度で済ませられるだけの力、もしくは技術をヴァレードが持っていることの証明だろう。
そして、両者はそのまま戦闘を開始する。
ノインが攻め、ヴァレードが守る形となった。
「いつまで防げるだろうね」
「お望みとあれば、いつまでも踊りましょう」
ノインがやってみせろと笑みを浮かべれば、ヴァレードも受けて立ちますと笑みを浮かべる。
笑みとは裏腹に、戦闘は次第に激しくなっていき、立ち位置から動かないヴァレードを中心にして、自然環境が破壊されていく。
そんな様子を、ニト、フィーア、エクスは眺めているだけだった。
「ノインはなんか随分と張り切っているな」
(スコシマエノ、タタカイハ、シュウイニキヲツカッテイタノデ。ココハ、キニシナクテモイイ)
ニトの感想に、フィーアが念話で答える。
「なるほどな。ノインとしても、思いっきり動ける場所ということか」
『すみません! 今、お嬢さまと念話していましたよね! 自分を差し置いて会話しないでください! お嬢さまは自分のお嬢さまです!』
何言ってんだ、こいつ……と、ニトはエクスに呆れた目を向ける。
(なんだ、まだ念話を繋いでないのか?)
(オチツキガタリナイ)
ニトがこっそりと確認していると――。
『……今! 念話していませんでしたか?』
エクスの勘が冴え渡る。
「さてな。それにしても、いつまで続けるつもりなんだ」
『どういうことですか?』
「どうも何も、あの魔族からは本当に害意、あるいは敵意を感じない。本当に興味だけで見にきたのかもな。だからか、やり合っているノインの方にも戸惑いが見られる」
『つまり?』
「なんか真面目にやり合うのが馬鹿らしくなって、途中でやめるだろうな」
ニトが結論のようにそう言うと、実際そうなった。
激しくなっていた戦闘は、突然何もなかったかのように終わる。
攻めるのをやめたノインが、ニトたちのところに戻った。
ヴァレードも追い打ちのようなことはせず、見ているだけ。
「なんだい、あれは。やり合っていて何も感じないよ。気持ち悪いね。気色悪いとしか言えないよ」
ノインがニトに向けてヴァレードについてそう述べる。
ダメージはあった。
「ぐふっ。物理が駄目なら口撃ですか? しかし、覚えておいてください。時に言葉は物理よりも強いということを……気持ち悪い……気色悪い……違う。冷静なだけ」
ヴァレードが崩れ落ちた。
「……あ~あ」
「私が悪いのか!」
ニトの一言に食ってかかるノイン。
フィーアがまあまあと宥める中――。
『……自分、なんか共感できます』
エクスだけが仲間意識を持ったように納得を示した。
よろよろと立ち上がるヴァレードに向けて、ニトが声をかける。
「それで、結局何がしたいんだ、お前は」
「そうですね。バレた以上、こっそりと覗いていても仕方ありませんので、間近で見たいと思います」
先ほど崩れ落ちたのはなんだったのかと言いたくなるほど、ヴァレードは軽快に答えた。
「……つまり?」
「同行しても構いませんか?」
ヴァレードはニトたちに向けてニッコリと笑みを浮かべる。




