26
レイノール王国。王都。王城。中庭。
その上空では戦いが繰り広げられていた。
「『散らし 喰い 失い 無 命を狩る』」
単語のあとにしっかりとした言葉が綴られる。
同時に、痩せ細り、枯れたような手が左から右に振られると、その軌跡上に多くの黒く禍々しい小玉が出現し、射出するように飛び出す。
追尾機能でも付いているのか、多くの黒く禍々しい小玉はそれぞれが独立しているかのように四方に飛び出していくが、狙うは一点であるかのように収束していく。
収束する場に居るのは、輝く純白の毛並みを持つ美しい狼――フィーア。
黒く禍々しい小玉を放ったのは、老齢の魔族である。
「――!」
フィーアが咆哮を上げる。
ただ、それは咆哮と言うよりは美しい旋律のように聞こえ、まるで祝福されたかのように、優しい風がフィーアの周囲に吹き始めて膜のように覆う。
黒く禍々しい小玉は優しい風と衝突して霧散していく。
ただ、すべてが、という訳ではない。
黒く禍々しい小玉がぶつかる度に優しい風はその勢いを弱めていき、膜の形を保つことできず、破けるように隙間ができ始める。
あとはタイミングの問題。
隙間を通り抜けて、黒く禍々しい小玉がフィーアに襲いかかるが、そこにフィーアは居なかった。
何も攻撃を防いだからといって、馬鹿正直に留まり続けていないのだ。
それに、フィーアはまだ種族的に幼い方だといってもフェンリル。
特徴として挙げられるモノの一つは、健脚だ。
高速移動と称しても差し支えない動きでフィーアが空中を駆けていき、弧を描くようにして老齢の魔族へと迫る。
フィーアの高速移動を目で追う老齢の魔族は嘆息を吐く。
「やれやれ。そう急くな。この歳にもなると、目で追うのも大変なのじゃから」
迫るフィーアが高速移動の勢いのままに前足を振るう。
振るわれる前足の爪がキラリと光り、老齢の魔族を容易に裂きそうだが――それは当たればの話。
老齢の魔族は濃密な魔力によって形成された無色透明の障壁が防ぐ。
フィーアの爪の衝撃と、陽光によって照らし出された障壁が一瞬輝く。
「フェンリルとしてはまだまだ幼いというのに、恐ろしいのう。才気に溢れておるわ」
飄々と、老齢の魔族はフィーアをそう評する。
実際、この言葉にはなんら偽りはない。
老齢の魔族は、素直にそう思ったのだ。
その根拠にあるのは、フィーアの爪を防いだ障壁が関係していた。
少し前から既に戦闘は始まっており、そこからの経験で、フィーアの爪を防ぐためには想定している以上の強度が必要であり、その分を上乗せするように老齢の魔族は魔力を消費しているのである。
それこそ、少しでもそれを見誤れば、障壁は裂け砕け、そのまま老齢の魔族の体と命を裂くのは間違いない。
ただ、それを見誤るほど、老齢の魔族は迂闊ではなかった。
フィーアを見て、にたり……と歪で歪んだ笑みを浮かべる老齢の魔族。
「良いのう。良いのう。死霊魔法でワシの玩具と化す時がより楽しみになったぞ」
老齢の魔族がフィーアに指先を向ける。
それが魔法発動前の行動だと察して、フィーアは障壁を足蹴にして飛び退いて距離を取り、直ぐに次の行動に移った。
「――っ!」
フィーアが咆哮と共に、老齢の魔族に向けて空中を裂くように前足を振るう。
先ほどと違い、今回の咆哮はどこか攻撃性が含まれているような力強さが感じられ、爪で引っかかれた痕のような風の刃が老齢の魔族に向けて飛んでいく。
それを、老齢の魔族は指先から放つ魔力で構成された光線だけで打ち消していった。
打ち消すだけでは終わらず、次はフィーアに向けて放つが、フィーアは高速移動と身体能力、左右だけではなく上下も駆使した立体的な動きによってかすりもさせない。
寧ろ、光線は王城の城壁や周囲を囲う壁、王都内の建物や王都を囲う魔物たちの方に被害を出していた。
「もう諦めたらどうじゃ? お主ももうわかっているのだろう? 体感しているのだろう? ……現時点において、ワシの方が強いということを」
だから諦めて、さっさとワシに使われろ、と老齢の魔族はフィーアに向けてそう口にする。
対するフィーアは諦める気はないと動きをとめることはなく、高速移動と身体能力で老齢の魔族からの魔法攻撃を回避しつつ、前足を振るい、時に噛み付き、時に体当たりと攻勢を続けるが、老齢の魔族が張る障壁を突破することはできなかった。
老齢の魔族が、現時点とわざわざ言ったのは、フィーアの攻撃が自分には通じないとわかっていたからだ。
正確には、王城の上空で幾度かぶつかり合ったことで、確信を得たのである。
身体能力や攻撃能力などを総合的に見れば、老齢の魔族よりもフィーアの方が勝っていた。
戦闘における勝利に直結している要因の部分だけを見れば、間違いなくフィーアの方が優勢である。
しかし、現状はフィーアの方がやや劣勢であった。
そうだというのは、フィーア自身が一番体感している。
そうなっている最大の原因は、フィーアと老齢の魔族の戦闘経験値を比べた際、フィーアの方が圧倒的に足りないということであった。
戦闘経験値は、何もどれだけ戦ってきたのかを証明するだけではない。
戦闘を通じて、自分と向き合い、知り、もっとも適した戦い方を得るということ。
それが戦闘における自分だけの強みとなり、自分だけの強さとなっていく。
老齢の魔族はその見た目通り、長い時を経ていて、それだけ多くの戦闘をこなしてきた。
格上との経験もあるため、その際にどう戦えばいいのかもわかっている。
老齢の魔族から見て、フィーアにはある弱みがあった。
フェンリルという種族による強みのすべてをその身に宿し、才能と言えるだけの感性を宿してもいて、同じ時を生きてきた者たちの中では、この世界の全種族で比べても上位、あるいはもっとも高い頂に居てもおかしくないと思っている。
しかし、老齢の魔族から見れば、フィーアはその幼さ故か戦い方が未熟であった。
直接的な攻撃力にはフェンリルということもあって目を見張るモノがあるが、その直接的な攻撃力を相手に食らわせるための間接的な攻撃手段が、今のフィーアはまだ稚拙であり、老齢の魔族に通じていないのである。
戦い方を工夫するには経験値が足りない。
圧倒的な力で蹂躙するには年月が足りない。
老齢の魔族はフィーアに対してそう結論付け、己の勝利を確信した。
また、それで高揚して、迂闊な手を打つといったミスをするほどの若さもない。
老齢の魔族は、フィーアを綺麗な体で死霊として使ってやろうと、なるべく傷が付かないように、少しずつ消耗させていく。
真綿で首を締めるようにじわじわと、フィーアを殺す算段を立てながら戦っていた。
ただ、これは老齢の魔族から見た場合の、互いに命を懸けた戦闘。
フィーアは賢く、老齢の魔族の相手を未だ自分だけで相手取っている理由を、ニトとノインの意図を正確に理解していた。
それを理解した時から、フィーアからすれば、これはもう戦いではないのだ。
自分の現時点での力を正確に測るために、老齢の魔族とやり合っているだけに過ぎない。
もちろん、殺意、敵意は本物であるし、殺すつもりで戦っている。
それでも今こうして老齢の魔族は生きて、立っているのだ。
フィーアは老齢の魔族とやり合うことで、相手の方が強いということとその強さがなんなのかを知り、それによって自分の強さに足りないモノを把握していき――もう充分だと判断したところで、チラリと地上を見て一鳴きする。
「――」
それは、フィーアにとって戦闘ではなく既に鍛錬、訓練と化したこの状態を終わらせるために必要なモノを呼ぶ、とても短い一鳴き。
どこかの誰かに向けられた合図のようなその一鳴きはただしく届き、地上からフィーアに向けて剣が飛んできた。
フィーアはパクリと剣の柄を咥えるように噛む。
『ちょっ! お嬢さま! 自分を呼ぶのが遅くないですか! 下で見ていてヒヤヒヤしていましたよ! まあ、心はいつも熱々の熱血精神を兼ね備えていますけれど! なので、自分が来たからにはもう安心安全です! あんなヤツ敵でもなんでもありませんので、一思いにスパッ! と斬ってやりましょう!』
「……」
『はっ! 今思い返してみると、自分、これが初実戦です! 所謂実践デビューってヤツですよ! 自分の初めてを行うのがお嬢さまで……自分、感慨深いです!』
フィーアの咥えた剣――エクスが水を得た魚のように怒涛に喋るが、フィーアは答えないというか、答えられない。
言葉を発することができないし、念話で繋がることもできないため、聞き役に徹している。
なので、エクスが一方的に話すだけなのだが、これまでエクスは孤独の中にあり、持ち主となったフィーアが喋れずとも、自分の話を聞いてくれるだけで嬉しかった。
どこか弾んだ声が聞こえた老齢の魔族が、興味深そうにエクスを見る。
「ほほう。なんじゃそれは? その剣が喋っておるのか? なんとも面白そうなモノを使うのじゃな。お主を手に入れたら、ついでにそれも分解して仕組みでも見てみるかの」
愉快痛快と、老齢の魔族は笑う。
老齢の魔族からすれば、喋るという特異性を持つ剣を手にしたところで、自分の優位性、勝利は揺るがないと思っていた。
両者の間にある確かな実力差は、たかが剣一本で結果が変わるようなモノではないと。
たとえ、その剣が喋る以外にも何かしらの特異性を有していたとしても、だ。
考え付かなかった、または想像できなかったのである。
その剣が、たかが剣一本どころではなく、最強の聖剣であり、振るえる者が居ればそれだけで戦局を一変できるだけの力を有しているということを。
『自分を分解するとか言っていますよ! あの魔族! 正直気持ち悪いですし、そもそも触れもしないくせに!』
「……」
さっさと終わらせようと、フィーアがエクスの鞘を小突くと、キン! と小さな甲高い音が鳴るのと同時に、鞘がずり落ちて地に向かって落ちる。
露わになるエクスの剣身部分。
封印されていたモノが解き放たれ、照らされた陽光を取り込むように剣身は輝きに満ちている。
その剣身から――いや、エクス全体から発せられる聖なる力の巨大な津波のような奔流が周囲に拡散していく。
拡散された奔流は老齢の魔族まで届き、そこで老齢の魔族は自分の思い違いを悟る。
「なんじゃ、その剣は!」
自分の中の本能とでも言うべきモノが、警鐘を乱暴に鳴らし続け、緊急性と命の危機を知らせてくる。
その本能に急かされるように老齢の魔族は障壁をさらに強化しようと魔力を注ぎ始めるが――それはもう遅い。
そもそも、身体能力はフィーアの方が勝っているのだ。
理解してから動くのでは遅い。
フィーアが駆け始めたかと思えば、老齢の魔族との距離はあっという間に詰まり、そのまま駆け抜けるようにしてフィーアがエクスを振るう。
――一閃。
なんの抵抗もなくエクスは振るわれ、フィーアが駆け抜けていったあとは、首が切断され、驚愕の表情を浮かべた頭部と体が斬り離されて絶命した老齢の魔族が、地上に向けて落ちていくだけだった。
ここで一つだけ確かなことを言うのであれば、たとえ老齢の魔族が全魔力を注いで障壁を強化しようとも、エクスは何にも引っかかることなく斬り裂くことができていた。
結果は――老齢の魔族が何をどうしようが、何も変わらないのである。
最強の聖剣は、飾りではないのだ。
『ああ……振るわれるって……最・高!』
エクスは感極まっていた。
目があれば泣いていることだろう。
フィーアはよくやったというように、器用に前足を使ってぽんぽんと優しく叩き、落とした鞘を拾いに地上に下りていく。




