7
緑溢れる広大な平原に一筋の白光が走る。
その速度は障害物が少ないということもあって、一度でも瞬きをすれば視界から消えるほどであった。
いや、障害物――魔物が居ても速度に影響はない。
瞬きのような速度を維持したまま、その白光は魔物を通りすがりに裂いていく。
細かなことすら今は煩わしいとでもいうように。
何しろ、その白光――フェンリルには急ぐ理由があった。
願い、もしくは必ず成し遂げなければならないことが、フェンリルにはあったのだ。
ただ、それを自分だけで達成することが難しいのも理解している。
可能であれば、人間の協力者が居た方がいいのだ。
というのも、向かう先はこの国――オーラクラレンツ王国の王都。
人が営みを送る都である。
そのような場所に自分のような存在が居れば、余計な注目まで集め、目的の障害となることを、フェンリルは理解していた。
それに、だ。
目的地が王都ということがわかっていても、その王都内のどこに、という内部の細かいところまではわかっていなかった。
自分の身で満足な調査、もしくは成果を得るのは難しい……いや、極めて難しいこともわかっている。
だからこそ、協力者が必要なのだ。
もちろん、ニトもその辺りのことは理解していた。
「それで、わざわざ俺を連れて行って、何を手伝わせるつもりなんだ?」
フェンリルがちらりとニトを見る。
「……言ったように、魔族のところまで連れて行ってやるよ。小童はその魔族の相手をすればいい。私はその魔族にやり返すよりも優先することがあるかね。そっちをやらせてもらうよ」
「だから、その優先することを教えろって言ってんだよ。別にそれで何かをするつもりはない。連れて行ってもらう代わりに、せめて邪魔だけはしないように知っておきたいだけだ。まっ、どうしても、というなら無理に聞く気はないが……邪魔になっても文句を言うなよ」
「………………」
ニトの言葉を受けて、フェンリルは少しだけ考える素振りを見せる。
そのまま少しの間無言で駆けるが、やがて口を開く。
「……小童が壊した首輪があるだろ?」
「ん? ああ、あれね。それがどうした?」
「これから向かう先に居る魔族は、ああいう道具を作り出すことを得意としていてね。その道具の力は強いよ。それこそ、能力で私を操ろうとした魔族よりも、その強制力は強いね」
「まあ、だろうな」
ニトは納得を示す。
能力と首輪。
その二つによってフェンリルは操られていたが、能力だけで通じていなかったのは、先ほどの光景を思い出せばわかること。
つまり、二つの内で重要なのは、首輪の方だったということになる。
「といっても、首輪だけで私を縛ることはできないけどね」
ふんっ! と鼻息荒く、どこか自慢そうなフェンリル。
ニトの方はその話を聞いて、向かう先に居る魔族は戦闘型ではなく非戦闘型か、と思っていた。
「それで、なんでそんな話を?」
「……その魔族に、娘が捕らわれているんだよ。首輪を付けられてね……忌々しい」
「なるほどね。それを助けるため、か。……あんたに首輪が嵌められたのも、その辺りが理由か?」
「そうさ。あの魔族、先に私の娘に首輪を嵌めて……決して許せるモノではないね」
再びフェンリルの体から殺意が漏れ出る。
ニトは軽く受け流しているというか気にした素振りはないが、周辺で生息しているモノにとってはたまったモノではない。
フェンリルが駆け抜ける瞬間的とはいえ、濃密な殺気を感じ取った動植物は一時的に恐慌状態に陥っていた。
そこまで話を聞けば、ニトにもフェンリルが急ぐ理由にも見当がつく。
行動を起こすなら、早ければ早い方がいいのだ。
何しろ、魔物を操る能力持ちの魔族がやられたことを知り、そこにフェンリルの姿がないとわかれば、これから向かう先に居る魔族が警戒してフェンリルの娘たちに何をするかわからない。
それが伝わる前に行動を起こせば、こちらにとっての様々な出来事に対する成功確率は相当高いだろう。
「なるほどな。わかった。もし、あんたと別行動になった場合で首輪付きのあんたそっくりなのを見つけたら、同じように首輪を引き外してやるよ」
「わかったのなら、私と小童は互いに協力者だ。……『ノイン』という名前がある。好きに呼びな」
「ん? 名前か。わかった。一応言っておくが俺にも小童ではなく、ニトって名前がある」
「はっ。私からすれば、人間共はどれも小童だよ」
一体いくつ……と聞こうとして、そもそもその前提となる質問をしていなかったことを思い出す。
「それで、名前と声の感じから察するに女性……メスか?」
「見ればわかるだろう!」
フェンリル――ノインの声に若干の怒りが含まれる。
いや、普通見てもわからないだろう、というのがニトの偽ることのない本音だった。
せめて別個体――オスの姿を見ているとか、そういう判断ができる箇所を見ないことには……と考えて、もうわかったことだとそれ以上考えることをやめる。
「はいはい。見てわからなくて悪かったよ。それで、話の続きだが、王都に辿り着いたとしても、あんた……ノインが中に入るのは無理だろ。いや、入れたとしても間違いなく注目される。それはノインの目的にとって不利じゃないか?」
「問題ないよ。策はある」
ニヤリ、とノインの口角が上がる。
―――
オーラクラレンツ王国の王都・ヴィロール。
高く、大きく壁によって内部は守られている。
ただ、その壁の見た目は古びており、長い歴史を感じさせるモノだった。
パッと見た感じであれば、耐久性や他にも破損や劣化などの問題があって、とてもではないが魔物などの襲撃があった際には長く持ちそうに見えない。
けれど、実際は違う。
この世界には魔法があり、ここは世界一の強国と呼ばれる国の王都なのだ。
見た目通りの壁である訳がない。
実際、この王都の壁は魔法的な処理が施されていて、見た目以上の強度と耐久性を誇っている。
それこそ、他国の王都にある壁と遜色なく、下手をすればそれ以上のレベルで。
といっても、やはり見た目が見た目なので、改修案が出ていない訳ではないが……。
また、壁に合わせて門も大きく、それこそ馬車が四台ほど一列に並んでも入れるくらいであった。
往来も激しく、人々が忙しなく出入りしていて、門番の兵士たちによる犯罪者や指名手配がかけられていないかなどのチェックも忙しそうである。
だからといって、門番の兵士たちによるチェックが甘いとか、いい加減という訳ではない。
疑わしきは別室でより詳しく再チェックや、身元を証明するモノを持っていない者への個別対応など、迅速かつ正確に行われていた。
そうしたチェックをきちんと抜けて、ニトがノインと共に王都に入って歩を進める。
「とりあえず、あれだな……」
そのままチラリと横を見るが、その視線は少し不機嫌なモノだった。
「そういうことができるのなら、もう少し前に言っておいてくれないか? 口裏合わせというか、自分の使役する魔物だと説明する時にちょっとしどろもどろになって、門番に『……冒険者なら冒険者ギルドできちんと登録しておくように』と少し怪しまれていたぞ」
ニトの視線の先で、ノインは口角を上げる。
まるで、それはお前の演技力が足りないからだ、というように。
ただし、ノインの姿は先ほどまで違っている。
一番の違いは、その大きさ。
人の何倍もあったノインの体は、今は普通の狼よりも少し大きい程度で、その大きさに合わせてなのか、フェンリルとしての威圧感や雰囲気も潜むように消えて感じられない。
そこらの狼となんら変わらない姿となっていた。
実際、ニトが門番の兵士に「これは従魔の狼です」と言って通用するくらいだ。
ただ、冒険者であればギルドカードに登録・明記されているなど、従魔である証明というのがある。
それがなかったために、門番の兵士から注意喚起されたのだ。
もし従魔が何か問題を起こせば、その責任はキミが取るということを忘れずに、という言葉と共に。
ノインには、自らの大きさを変える力があった。
そうした理由は王都に入りやすくなるなど色々あるが、その中で一番大きいのは自らの存在を秘匿するため。
誰から隠したいのかは、当然ここに居る魔族から、である。
もし自分が近くまで来ていることがわかれば、自分の娘がどうなるかわからないため、ノインとしてはギリギリまで自分の存在は秘匿したいのだ。
普通の狼の姿を取っているのは、そのための擬態のようなモノである。
――それと、もう一つ。
⦅私の力で常時繋げているのだから、念話で話しな。狼に話しかける危ないヤツに見えるよ⦆
⦅……まだ慣れないんだよ⦆
念話――口頭ではなく思うだけで言葉が伝達される力。
テレパシーと表現してもいい力をノインが持っていて、ニトとそれで話しているのである。
普通、狼は話さない。
人の言葉を話せるノインが口を開けば、それだけで注目を集めてしまうため、それを避けるための念話である。
実際、先ほどニトは声に出してノインに話しかけたのだが、ここは王都というだけあって往来の人が多く、丁度タイミング良くすれ違った何人かは、アイツ大丈夫か? といった視線を向けていた。
ニトはその視線をなかったことにしている。
それに、こういったことを直前で説明されたため、ニトは門番の兵士に対しては半ば混乱状態のままだったのだ。
多少しどろもどろになっても仕方ないし、少しだけその状態が続いていただけのこと。
けれど、それはもう済んだ話。
王都に入った以上、次の行動にさっさと移るべきなのだ。
⦅……それで、魔族はどこに居る?⦆
⦅そうだね……⦆
ノインは周囲を窺うようにキョロキョロと視線を彷徨わせる。
その動きに合わせてニトも周囲の様子を窺う。
当たり前だが、リーンとは違うな、というのがニトの印象だった。
人の往来の多さもそうだが、建物自体も違う。
デザイン自体にそれほど違いは見えないが、リーンと比べて全体的に綺麗なのだ。
清掃がきちんと隅々まで行き届いているというか、手入れを怠っていないような感じである。
いや、それは建物だけではなく、王都全体がそうだった。
今ニトとノインが歩いている場所は門から続く大通りだが、きちんと舗装されていて、ゴミ一つ落ちておらず、欠けた部分も見られない。
少なくとも、今ニトとノインが歩いている部分は。
一本外れればどうなっているかはわからないが、ニトはわざわざ確認しようとは思っているので、そのまま大通りを進んでいく。
……やがてノインの視線が一点に固定される。
それは、この王都においてもっとも高い建造物であり、象徴。
――王城。
世界一の強国と言われるだけはあって、その見た目は華やかなモノではなく、質実剛健、もしくは堅牢といったモノだった。
物々しい雰囲気を感じさせ、さすがに内部の様子まではわからないが、煌びやかに着飾るのではなく、剣や槍、斧に全身鎧と、武具類を飾っていそうなイメージを受ける。
ノインの視線は、その王城に注がれていた。
⦅……城、か⦆
⦅ああ、あそこから魔族の気配がするね。ただし、自らの正体でも隠しているのか、どこから……まではわからないのが悔やまれるよ。目視で直接確認できればわかるだろうけどね⦆
⦅直接か。……まっ、どっちにしろ、城には行く予定だったし、ついでに直接確認もするか⦆
⦅ついで? 他に何か目的があるのかい?⦆
⦅あるぞ。寧ろ、ここに来たのは元々そっちが主目的だ。といっても、魔族の方を蔑ろにする訳ではなくて、そっちはそっちで大事だけどな⦆
⦅そうかい。私としては、娘が助かればそれで充分だよ⦆
⦅それじゃ、行きますか⦆
ニトとノインは王城に向かう。