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時は遡り――ニトが冒険者ギルド内に急遽設置された作戦会議室から出て直ぐ。
ニトはそのまま冒険者ギルドを出ると、これまでお世話になった宿――恵みの森亭に向かう。
リーン内部は慌ただしかった。
それはそうだろう。
現時点では、下手をするとリーン崩壊の可能性もあるのだから、当然のように人々は慌てる。
食料品を買い求めて奔走したり、武具類を身に付けて身の安全を優先したり、どうすればいいのかわからずオロオロしたりと、取る行動は人それぞれ。
それでも、そこまで治安が悪化することはなかった。
まあ、中にはそういう行動を取る者も居たが、警備隊によって直ぐ鎮圧される。
ここに居る全員の身に降りかかった出来事なのだ。
それに、この世界は魔物と呼ばれる存在が普通に居て、どこであろうとも、こういう出来事が起こる可能性はゼロではない。
それが、偶発的であろうとも、作為的であろうとも。
だからこそ、人々の中には協力して乗り越えようという意識が芽生えていた。
ある意味、共通の敵を前にして手を取り合うようなモノである。
そうして、籠城にしろ、迎撃にしろ、町を挙げて協力していこうという雰囲気の中、ニトは町中をスイスイと進んでいき、恵みの森亭に入り、女将に声をかける。
「世話になった。出発するが、前払いしておいた分はそのまま受け取ってくれ」
「……まあ、こんな状態だしね。仕方ないか」
そう言って、女将は宿内に視線を向ける。
ここも外の例に漏れず、慌ただしく人々が動いていた。
「あんたがそれでいいのなら、前払い分はもらっておくよ。まあ、生きて使えるかはわからないけどね」
「大丈夫だ。ここの戦力なら、今来ている分の魔物は町に被害を出す前に倒せる。多少の人的被害は出るかもしれないが」
ニトの言い方は、どこか確信があるようなモノだった。
だからこそだろうか、女将は笑う。
「はっはっはっ! まるで見てきたように言うね」
「情報を確認してきたからな。彼我の戦力を比べての結論だ。まあ、予想外がある可能性はゼロじゃないが、今からそれを潰してくる予定だから、大丈夫だろう」
「潰してくる? まあ、なんにせよ、ここを出るんなら急いだ方がいいよ。東西どちらの門も閉めるって話があるしね」
疑問に思いつつも、今はこちらを伝えた方がいいと、女将はニトに向けてそう口を開く。
「まあ、閉められていたら閉められていたで無理矢理開けるだけだ。壁を飛び越えてもいいし」
ニトはそう言うが、女将としてはそんな無茶な、と思う。
ただ、それでも女将から否定の言葉が出ないのは、ニトがあまりにも自然とそう言うので、もしかすると? とも思ってしまったからだ。
そんな事はある訳ないと思いつつも――。
「とりあえず、出ること自体に問題はない。ただ、行き先の問題はある。だから女将。ここから王都に向かうにはどうすればいい?」
それだけは確認できなかったと、少し困ったようにニトは女将に道を尋ねるのだった。
―――
ニトが女神から授かった能力は二つ。
当人としては別にというか、自力でどうにかするつもりだったが、女神からあった方がいいと無理矢理押し付けたような形で得た能力。
一つは、回復魔法。
その気になれば重傷からすら瞬時に回復できるだけの力強さと、重症も癒すだけの治癒力を与えられている。
健康は大事だから、と女神の説得に、ニトが確かにと応じた。
もう一つは、アイテムボックス。
簡単に言えば、異空間を利用した、物の出し入れが可能な力で、生物は死亡していれば収納可能、内部の時間停止、限界のない無限収納と、破格のタイプである。
ゴミ箱としても利用できるから、と女神の説得に、ニトが環境は大事だと応じた。
なので、長く宿を利用していようとも、ニトはアイテムボックスの中にすべての持ち物を入れているので、特に準備といったモノはない。
ニトは直ぐ宿を出て、東門に向かう。
リーン内部は既に通達がされたのか、住民は籠城に向けて動き出し、武装した者――特に選りすぐられた冒険者たちは西門に向けて駆けていた。
思いは人それぞれだが、やってやろうという意志を滾らせている者が多いのは、それだけこの町所属の冒険者が多く、愛着を持っているからだろう。
そんな慌ただしい町中をニトは駆け抜け、東門へ。
「……まっ、こうなるわな」
東門の様子を見て、ニトはそう呟く。
というのも、出て行こうとする人でごった返していたからだ。
リーンの住人が、ではない。
そもそも、ここは都市間を繋ぐ中継地点のような町であるため、人の往来は多い方である。
そのため、商人などが都市間を移動する際によく寄っているのだ。
そういった、この町の住人ではない者たちが、魔物大氾濫の情報を得たことで移動を始めているのである。
危険であるために脱出しようと。
「急いでください! 魔物がこちらにも回ってくる可能性があります! もう少しすると東門も閉めますので、それまでに出発する方はお急ぎを!」
警備隊が誘導していく。
その様子を見て、ニトは門から町を出ようとした場合、もう少しかかりそうだと判断する。
できれば急いだ方がいいと考え、別の手段を取ることにした。
ニトは門の前に居る人たちに向けて駆け――そのまま群衆を一跳びで跳び越え、外壁に着地すると同時にそのまま駆け上がっていく。
外壁の上に着地すると一気に跳躍して、東門の外に居た人たちも跳び越えてなんでもないように地上に着地すると、そのまま駆け出していく。
その速度は非常に速く、まさに風のよう。
東門の外に居た人たちの視界の中から、あっという間にその姿を消す。
東門を間に挟んで、その周囲に居た人たちは、突然の出来事に呆気に取られる。
「………………こ、こらー! 門は通るモノであって、跳び越えるモノじゃないぞー!」
誰が言ったかはわからないが、そんな声が上がった。
―――
魔物大氾濫発生による救援依頼の書状を持った使者は、道中の護衛として冒険者の一パーティを伴って、リーンの東門から進んだ先にある都市に向けて急ぐ。
その緊急性の高さから、代官は早馬を人数分――使者だけではなく、冒険者パーティを含めた数を用意した。
それもこれも、リーンが存続するため。
冒険者ギルドマスターとの意見の相違はあったが、代官もリーンを守るために動いているのだ。
そういう思いも汲み取って、使者たちは先を急ぐ。
代官から託された希望である書状を、戦力がある都市に届けるために。
しかし、その試みは叶わなかった。
使者たちが都市に向かう道中にある森の中の道を進んでいた時、危険を察してか、馬がいななく。
どれか一頭ではなく、すべての馬が。
使者たちは何事かと慌てるが、もう遅い。
森の木々の中から、今までどこに居たのかと言いたくなるような存在がその姿を使者たちに見せる。
ゴブリン、オーク、ウルフ、オーガと種類は様々だが、その数は多く、そのどれもが種族の中での上位種――ゴブリンキングやハイオーク、ハイウルフやオーガキングであるということ。
そして、それら上位種の魔物を従えるように、軽装を身に纏い、頭部に目立つ黒い角を生やしている二十代ほどの男性が使者たちの前に現れる。
黒い角――それは、人類が敵対している魔族であることを示す象徴のようなモノだった。
使者たちを逃がさないと上位種たちが取り囲んで退路を断つ。
状況の異常さに絶望的な雰囲気が使者たちの中を漂う。
その様子をご満悦な表情で見る魔族の男性が、使者たちへ嬉しそうに声をかける。
「残念ですが、この道は通行止め……いえ、あなたたちの死に場所です。大人しく死んでくれると、こちらとしても面倒なことをしなくて済むのですが、いかがでしょうか?」
その問いかけに、使者はどうすればいいのかわからない。
絶望的な状況の変化についていけていないのだ。
しかし、護衛の冒険者たちは違う。
多数の魔物の上位種に囲まれて、更に魔族まで居るのだ。
どうしようもないとはわかっていても、それでも臨戦態勢に入った。
絶望的な状況だということは、冒険者たちはこれまでの経験でわかっている。
それこそ、周囲に居るどの魔物も、自分たちのパーティが死力を尽くしたとしても勝てないだろうな、ということを肌で感じていた。
しかし、何かをしなければ、何も起こらないということを、冒険者たちは知っている。
そして、この場においての希望は――希望を繋ぐということは、リーンを救うための救援依頼の書状を持っている使者を救うこと。
つまり、最悪でもこの場から使者さえ逃がすことができれば、リーンが救われるという希望が繋がるのだ。
冒険者たちはアイコンタクトで意思疎通を図り、使者だけでもこの場から逃がそうとするが、魔族の男性はそれも見越していた。
魔族の男性がパチンと指を鳴らすのに合わせて、ハイウルフが群れで襲いかかる。
ただし、その狙いは使者や冒険者たちではなく、馬の方。
一斉に馬の脚に噛み付き、そのまま倒して命を奪っていく。
冒険者たちは咄嗟に下りて回避。
その際に使者も強引に下ろして連れていた。
使者を守るような布陣を位置取り、臨戦態勢を取る冒険者たち。
ただし、状況は絶望的なモノからより絶望的なモノになっている。
馬がやられたため、運よくこの場からの逃走が成功したとしても追いつかれる可能性が高い……いや、確実に追いつかれるだろう。
それでも冒険者たちが絶望した様子を見せないのは、矜持だろうか。
「フ、フフ、フフフ……。やせ我慢ですか? しかし、それは悪手というモノですよ。何せ、この私は人の絶望した表情を見るのが大好きなのです。それこそ、他から見れば余計な手間だと思えるようなこともするくらいに。そう、たとえば……」
魔族の男性が笑みを浮かべる。
その笑みは、冒険者たちや使者がこれまでの人生の中で最も醜悪だと断言できるようなモノだった。
「どこかの町に向けてギリギリ勝てる程度の魔物の大群を放ち、その相手を終えたところに別の、更に強い魔物の大群を差し向ける、という手間などをするくらいに。おや? そういえば、この近くに魔物の大群に襲われそうになっている町がありましたね。それに、ここにも丁度いい魔物の大群が居るのですが……どうしましょうか? フフフ」
魔族の男性が愉快そうに笑う。
木々や今見えている魔物たちの体で奥は見えないが、更にその奥から感じられる気配が強くなる。
それこそ、その存在感の強さだけではなく、数も一つではなく複数。
つまり、魔族の男性の言葉通り、大群が控えているということである。
冒険者たちと使者は、魔族の男性が何を言っているのかわからなかった。
いや、理解したくなかったのだ。
理解してしまえば、否応なしに現実が突き付けられてしまう。
どう足掻こうが、自分たちだけではなく、リーンまでもが滅ぶ――絶望という未来が。
恐怖からか、絶望からか、冒険者たちが身構えている武器が少しだけ震える。
使者に至っては、もう既に絶望に染まり、歯がガチガチと音を奏でていた。
その様子を、魔族の男性は満足そうに見る。
「そうそう。人はそうでないと。しかし、まだまだ絶望していない。もっともっと、絶望してもらいましょうか」
魔族の男性が周囲の魔物たちに襲撃の指示を出そうとした時、空から人が冒険者たちと使者の前に立ちはだかるように飛来する。
その人物は周囲の様子を窺って――。
「……よし。間に合った」
と、一つ頷いた。