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予約した物が入荷するまでの数日間は、至って平和であった。
というのも、ニトはゲイルと冒険者崩れたちに絡まれた翌日から、ノインとフィーアを連れ立って行動していたのだが、特にこれといったことが起こらなかったのである。
屋台で飲食をしたり、雑貨屋で物色をしたりと、普通に都市内を出歩いていても、一切絡まれることはなかった。
ゲイルと冒険者崩れたちだけではなく、商人たちからも。
というのも、ニトがゲイルと冒険者崩れたちに絡まれたという報告を受けた辺境伯が、直ぐに周辺警備の数を増やして強化したため、それでゲイルと冒険者崩れたちは迂闊に手出しできなくなってしまったのだ。
商人たちの方も、辺境都市・シウルで一、二を争うヘンドゥーラ商会の会長であるモラルスの影響で、欲に駆られて詰め寄るといったような真似はしなくなったのである。
ニトたちの周辺は、初日と比べればかなり快適になったと言えるだろう。
ただ、初日のノインとフィーアに対する襲撃者に関しては、それほど進展していない。
宿屋「黄金の杯亭」もそうだが、これには辺境伯も協力して解明に乗り出している。
その結果でいくつかの商店が関わっていることはわかったのだが、誰しもが諸悪の根源であると睨んでいるゲイルのジャーラ商会の関与だけは未だに見つかっていない。
上手く隠しているというか、調べてもジャーラ商会には繋がらないようになっているのだ。
そのため、ジャーラ商会に関しては未だ野放しであった。
ただ、ニトだけではなく、ノインとフィーアも襲撃を気にした素振りは一切ない。
ニトたちからすれば、寧ろ襲撃を起こしてくれた方が楽かもしれない……いや、実際、襲撃した時点で返り討ちにできるので、そちらの方が簡単なのは間違いなかった。
そうして、当人たちは気付かなかったが、この数日の平和は、それこそ嵐の前の静けさそのもの。
数日の平和は直ぐに終わる。
その日、ニトが食堂で朝食を食べていると、ヘンドゥーラ商会からの使いが来た。
「会長からの伝言です。『予約された商品は、本日届けられます』と」
「……」
ニトは無言のまま、顔を上げ、両手を高々と掲げる。
内から溢れる喜びが見事に表現されていた。
ただ、疑問に思うことがあったので、ヘンドゥーラ商会からの使いに尋ねる。
「それは、本当か?」
「はい。会長が読み間違える訳がありません」
ヘンドゥーラ商会からの使いは自信満々に答える。
ニトとしては、携帯とかもないのにどうやってという思いがあった。
ただ、この世界には魔道具があり、実際に冒険者ギルド全体に連絡を出せる魔道具は存在している。
ニトもそういうのがあるのだろうと考えて、それ以上の追及はしなかった。
それに、ニトにとって今何より重要なのは、今日入荷するということである。
そのことより優先すべきことは、ニトの中には存在しない。
わかったと伝えるとヘンドゥーラ商会からの使いは店舗へと戻り、ニトは朝食を終えると、ノインとフィーアを連れ立ってヘンドゥーラ商会の店舗へと向かう。
「目的の物が漸く手に入る訳だけど、どうするんだ?」
ヘンドゥーラ商会の店舗に向かいながら、ノインがニトにそう尋ねる。
「どうする、とは?」
「手に入れば、そのまま出発するのか?」
「そうだな。別に急いでいるという訳ではないが、各国を巡るのは確定しているし、ついでに向かった先に居る魔族を潰さないといけないから、一国に留まることは今のところないな。それに、ここには元々絵を描くために寄っただけだ。終われば近くの国に……」
そこまで言ったところで、ニトはふと思う。
ノインに視線を向けて、そのまま口を開く。
「まさかとは思うが、この数日、ここの屋台やら飲食店を巡っていたが、まだ食い足りないのか?」
「まだまだ食い足りないね、そもそも、私はフェンリルだよ。食事量そのものが小童共とは違うよ」
「まあ、そう言われればそうだが、さすがにここ数日の食事代金を考えると、そろそろ金策を行った方がいいかもしれないな」
女神に持たされた金額は、ニト一人で使用した場合での計算である。
そこに二頭増え、さらに食事量も人とは比べ物にならない。
「どうしてだ? まだあるだろう?」
ノインが不思議そうに尋ねる。
まだあるのは間違いない。
ノインが言いたいのは、女神に持たされたニトの金の方ではなく、ダンジョン「外柔内剛」で倒した魔物とかを王都の冒険者ギルドで買い取ってもらった分の方のことだ。
「あるのはあるが、俺が言いたいのはそうではない。金払いの方だ」
「金払い?」
「都市や町、村に関係なく、冒険者ギルドは大体のところにあるから、魔物の買い取りはいつでもお願いできるだろうが、ノインが狩る獲物となると、質と量が揃っているのは間違いないだろ?」
「まあ、私ほどになれば、倒せない方が少ないだろうからね」
居ない、と断言しないのは、皮肉でもなんでもなく、ノインはそれが事実であると認識しているからだ。
絶対的な強さを持ち、フェンリルの中で最強と思ってはいるが、世界の中で最強とは思っていなかった。
世の中、上には上が居る。
その例の一つ――一人が、直ぐ横に居るのだから。
「質と量は気にすることではないが、問題は金払いの方だ。都市、町や村を比べて、同じ量を買い取りに出した場合、都市なら問題ないだろうが、町や村だと下手をすれば買い取り不可になる」
「ああ、なるほどね。言いたいことはわかった。それなら、ここを出る前に軽く運動した方がいいってことだね」
「そういうことだ」
ノインが獰猛な笑みを浮かべる。
丁度近くに魔物が出る森があることだし、そこがノインの狩場になるんだろうな、とニトは思う。
フィーアも、どこかやる気を見せていた。
そうして、ヘンドゥーラ商会の店舗に辿り着いたニトたち。
「えっと……」
ヘンドゥーラ商会の従業員が困惑顔でニトたちを見る。
それはそうだろう。
何しろ、ニトたちは朝食が終わると同時に来たのだ。
つまり、朝早く、まだ開店前である。
多くの従業員が、開店準備で慌ただしく動いている最中なのだ。
そんな中、ニトたち――というかニトは、それが自然な行いであるかのように、店舗入り口近くでそこに列があるかのように待機。
ノインとフィーアにも並ぶように指示を出す。
ちなみに、他の客はまだ居ない。
このまま放置していいのかどうかわからない従業員は、店内に駆け込み、モラルスに指示を空仰ぐ。
なんとなくそうなるような気がしていたのか、モラルスは苦笑を浮かべて、ニトたちのところに向かう。
モラルスが店舗の外に出ると、困ったような笑みを浮かべた。
情報として知ってはいたが、実際に見ると中々勢いがある、と。
「兄さん! これなんてそこのフェンリルさまにどうよ? さすがに冷めちまってるが、それでもタレを充分に染み込ませているから美味いぜ!」
「……買いだそうだ」
「こっちのサンドイッチはどうだい? さっき収穫してきた新鮮な野菜をふんだんに挟み込ませているし、俺がこれまでの経験を活かして作成した特製ソースをパンに塗り込んでいるぞ!」
「……そのソースに興味があるようなので買いだ」
「魔道具でキンキンに冷えた果実水はどうだ? もちろん、果汁100%だぜ」
「……いただくようだ」
ニトたちを相手にして、飲食関係者たちが自身の商品を売り込んでいた。
それに答えて代金を払っているのはニトだが、これは別にニトが食べるためではなく、選んでもいない。
フィーアと共に食事中のノインから念話で送られる返答によって、ニトは伝えて代金を払っているだけなのだ。
というのも、それでなくても巨大狼というだけで注目を集めているのに、ここ数日は屋台を含む飲食店を巡りまくっていたのだ。
しかも、一日の食事時間に合わせた数軒とかではなく、一日に数十軒と。
それこそ、たった数日で辺境都市・シウル内の飲食店は屋台も含めてほぼ網羅できてしまうくらいのペースで。
ただ、別にその場で全メニューを制覇した訳ではない。
ノインとフィーアが気になったモノを中心にいくつかで、その中にはいつでも食べられるようにと、ニトの能力の中に収納されている。
それでも、大部分は既にノインとフィーアが食べ尽くしており、その量はニトが途中でどれだけ食べるのかという思考を放棄したほどだった。
また、ノインの感覚は人よりも数段優れているため、味にうるさい――所謂グルメであることと、ノインがフェンリルだからか、それとも異世界だからかはわからないけれど、特に食べてはいけない物はないということが、ここ数日でニトがわかったことである。
別にグルメだからといって不味い物を食べない訳ではなく、それしかないとか必要であれば食べるのだが、より美味い物を食べたいという思考なのだ。
なので、こういう都市や町となると、ノインは厳選する。
相手から出されてもいただくという訳ではなく、ノインなりの基準があり、その基準を超えた物だけを食していた。
また、ノインの行動はそれだけ留まらず、基準に届いていないのもすべて否定するのではなく、見込みがあればこうすればいいなどの助言をすることも時々ある。
中には獣風情に何がわかると怒る者も居たが、大半が受け入れていたのは、それが的を射ていたからだろう。
そういう行動の結果、ノインは辺境都市・シウルの飲食業界における重鎮のような存在になり、ノインが食べたというだけでも、ある種の箔が付くようになっていた。
ニトがそんなノインの行動を不思議に思い、どうしてあんな助言のようなことを? と尋ねた時がある。
「私は美味い料理を食べたいだけだよ」
ニヤリ、と笑みを浮かべるノイン。
訳がわからん、とニトは考えることをやめた。
しかし、ノインのこの行動により、辺境都市・シウルで出される料理は全体的に質を上げて美味しくなり、美味い料理が出される都市としても有名になっていく……のは、ニトたちが出発したあとの話。
そのような感じで有名になっているニトたちを見つければ、飲食業界関係者であれば放置する訳もなく、今では寧ろ相手側から持ち込んでくるまでになっているのだ。
中には人気店もあるので、並ばなくて食べられる、もしくは買えるのは楽だな、とニトは思っていた。
その光景を実際に見て、モラルスは商魂たくましいというか、ここが辺境都市であると同時に商業都市でもあると再認識して、嬉しそうに笑みを浮かべる。
「この数日で、随分と人気者になりましたね」
モラルスがニトに向けてそう声をかけた。
それでニトたちを取り囲んでいた者たちはモラルスの存在に気付き、会話を邪魔しないように少しだけ離れる。
少しだけしか離れなかったのは、まだまだ売り込みたいからだろう。
それでも自分たちよりモラルスの方を優先させたのは、やはりモラルスが辺境都市・シウルで一、二を争う大商人というのもあるが、ニトたちがここに居る理由の人物だとわかっているからである。
「それは俺のことではないな」
そう答えるニトが視線を向けるのは、食事中のノインとフィーア。
「俺は間に立っているだけだ」
「いえいえ、そうして間に立つことができるからこそ、今の人気があるのですよ」
「まっ、どれだけ人気だろうが、こっちはまったく気にしていないけどな」
美味しそうに飲食をしているノインとフィーアを見て、そういう意味ではどこか大物に見えるな、とニトは思う。
ニトは視線をモラルスに向けて尋ねる。
「それで、今日入荷するのは間違いないんだな?」
「はい。そうですが、まだ入荷はしていませんよ。これから届く予定で、お渡しできるのは店が開いてからになりますが……言っていたように、並んで待つのですか?」
「ああ、ここで待つ。邪魔なら移動するが?」
「いえ、それは別に構いませんが、なんでしたら店内でも」
と、モラルスが勧めようとしたところに、馬が駆け込んでくる。
馬に乗っているのは、武装した軽装の若い女性であったが、問題はその女性が傷だらけであったことだ。
その女性はモラルスの前に馬をとめると、崩れ倒れるように地に降り――。
「申し、訳……ございません。……強い盗賊に、襲われ……て……」
息も絶え絶えにそう告げた。




