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辺境都市・シウルで一番の商会の会長だというゲイルと、その取り巻きだと思われる冒険者崩れたちが、ニトに対してノインとフィーア――フェンリルを寄こせと迫ってきた。
ニトの返答は決まっている。
「断る」
ニトはそう断じた。
そもそもの話として、ニトとノイン、フィーア間の従魔契約はあってないようなモノである。
便利というか、その方が都合がいいから、という理由でしかなく、双方をそれで縛るようなモノではないのだ。
それに、とニトは思う。
ノインは人語を喋れるし、フィーアはまだ上手く喋れないが理解はしている。
意思疎通ができるのだから、ノインとフィーアが欲しいのなら、自分で交渉すればいいのだ。
それでノインとフィーアが付いていくかどうかは、また別の話だが。
ニトとしてはノインとフィーアの意思を尊重するつもりだが、さすがに目の前の相手――ゲイルたちに付いていこうとするのはオススメしないので、さすがに引き留めるくらいはするつもりである。
もしくは、そうする理由が……何かしらの裏があるのでは、とニトは判断するだろう。
なので、わざわざ自分に言うのではなく、ノインとフィーアの方に直接言えばいい、とニトが思ったところで、ふと思うことがあった。
「……あっ、もしかして、あれか? 今朝というか深夜の襲撃に失敗したから、それで俺の方に来たのか?」
ニトからすれば、どこか確信というか、少なくとも何かしらの形で関係していると思った。
ゲイルは特に変化はないが、取り囲んでいる冒険者崩れたちの方は違う。
反応はそれぞれだが、言葉に詰まったり、ニトから視線を外したりと、明らかな反応を示した者が何人か居た。
わかりやすいことで、とニトは内心で少し呆れる。
ゲイルは反応を示した冒険者崩れたちを一瞥というか一睨みした。
その一睨みに表れているのは、こいつ使えないな、というモノ。
ゲイルはニトに視線を戻し、口を開く。
「Fランクごときが生意気なことを語るな。それとも、この私が関わっているという証拠でもあるのか?」
「さあ、どうだろうな?」
ニトは肩をすくめてそう言う。
もちろん証拠はない。
襲撃者たちも、ゲイルに繋がる証人にはならないだろう。
だからといって、正直にないと言う必要もない。
「ふんっ! どちらにしろ、関係ない話だ。お前は黙って私にフェンリルを寄こせばいいのだ」
そう言うゲイルのニトを見る目は、完全に下に見ていた。
先ほど強調された、Fランクという部分が関わっているのだろう。
ニトとしては、Fランクであることに間違いはないので別に気にしないが、どうしてそれを知っているのかは少し気になった。
何しろ、ニトが辺境都市・シウルに来たのは昨日。
それも時間で言えばまだ一日も経っていない。
なのに、ニトがFランク冒険者であると知っているのは……ゲイルという商人の言動や態度、自称というか他称の肩書から、冒険者ギルドの職員辺りに、ロクでもない手段で聞いたんだろうな、とニトは思う。
それはゲイルが辺境都市・シウルにおいて、ある程度の力を有しているということの表れでもあるが、ニトはそれこそそんなことは気にせず、一度断っている以上、ニトの中ではもう終わっている話であった。
「てか、さっき断るって言ったと思うけど、その耳は飾りか? それとも、つい先ほどのことすら憶えてないのか? よくそれで商人なんて名乗れるな」
ニトの返答にゲイルは憤慨し、強く睨んで脅すように口を開く。
「随分と調子に乗ったことを吐くな、Fランクごときが。知らないようだから教えてやる。私はとある大貴族の庇護下に受けているのだ。逆らえばどうなるかわかるな?」
「さっぱりわからないな。それに、お前はお山の大将でもないのか。まっ、お前みたいなのが居る山なんて、大貴族とかいうのもたかが知れているな」
肩をすくめるニト。
ニトを見るゲイルの目はさらに怒りが露わとなり、冒険者崩れたちはこいつ終わったな、とニヤニヤとしている。
「いいだろう。どうなるのか、その体に教えてやる。おい、痛めつけてやれ」
その言葉を待ってましたといわんばかりに、冒険者崩れたちは握った拳をポキポキ鳴らしたりと意欲を見せる。
冒険者崩れたちの中の一人がニトに襲いかかろうとした瞬間、その外側に居た者の一人が声を張り上げながら、知らせるようにとある方向を指差す。
「まずい! 警備兵だっ!」
ゲイルと冒険者崩れたちが差された方向に視線を向ければ、少し離れた場所から、武装した警備兵五名がここに向けて一直線に走ってくる姿が見えた。
「ちっ。運の悪い……辺境伯が出てくると面倒だ。退くぞ。精々これから周囲に気を付けることだな」
そう言い残して、ゲイルも含め、冒険者崩れたちは四方八方に散るようにニトの前から姿を消していく。
ニトは手出ししようと思えばできたが、手出しせずにあとも追わなかった。
相手をするのが馬鹿らしくなっていたというのもあるが、潤い不足でやる気が減退しているという方が割合的に大きかったのだ。
警備兵五名はニトの下に二名残し、三名がゲイルと冒険者崩れたちのあとを追う。
残った警備兵二名は、ニトに負傷はなく無事であると確認する。
「大丈夫ですか?」
「別に問題はない」
「そうですか。ご迷惑をかけました。何かありましたら、直ぐに警備兵までお知らせください。それでは」
ニトに敬礼をして、残った警備兵二名もゲイルと冒険者崩れたちのあとを追い始める。
その様子を見ていたニトだが、随分とタイミングがいいというか、早い段階で現れたな、と思っていた。
普通は騒ぎが起こってから誰かが呼びに行って――ゲイルと冒険者崩れたちがボコられ終わる頃に何事かと現れるだろうとニトは思っていたのだ。
随分と早い到着……ご苦労様です、とニトも軽く敬礼して、この場をあとにする。
ただ、実際のところは違う。
警備兵が早い内に現れたのは、王城騒乱の報告通りに動いた辺境伯の命令で、少し離れた位置からニトの動向を窺っていたのである。
ニトがゲイルと冒険者崩れたちに絡まれた際に、警備兵たちは不穏な気配を感じ取って直ぐにでも駆け付けようとしたのだが、場所が大通りということもあって往来の人が多く、それで少し間ができてしまったという訳であった。
また、本体なら警備兵たちはニトから経緯や事情などを聞くべきなのだが、それはフェンリル狙いであることがもうわかっていることなので、命令通りなるべく関わらないように、そういう手間をかけないという配慮と、ちょっかいを出してきた者たちの排除を優先したということである。
何しろ、下手にちょっかいを出されて、その結果がフェンリル大暴れとなれば、どうしようもない……抵抗らしい抵抗すらできずに辺境都市・シウルが崩壊することを、警備兵たちは辺境伯から教えられたからだ。
そんな辺境伯から命令が出されていることなんて知らないニトは、散歩を再開していた。
先ほど絡まれたことに関しては、一切気にした素振りはない。
ぶらぶらと歩き、時に屋台で軽く食べ、冷やかして程度に雑貨屋で物を物色し、絵があればかぶりつくように凝視……眺めたりと、どこか休日を満喫しているように見えなくはない。
ただ、やはりと言うべきか、どこか覇気のようなモノが窺えないのは、ニト曰く、潤いがないからだろう。
そうしてどこか覇気がないまま、ニトはそのまま宿に戻っていった。
―――
辺境都市・シウルは王都などの大都市と同じく、その内部はいくつか区分けされている。
区分けの中で最大面積を誇るのは、商人や商会が多いということで、店舗、倉庫が大きな割合を占めている商業区なのが、この辺境都市の特色の一つと言えなくもない。
そんな区分けされた中の一つ――貴族街と呼ばれている区域があった。
一般的な住居とは違い、庭付きの大きな屋敷ばかりが立ち並び、どの屋敷の門に門番が立っている。
屋敷の大きさは、それこそ貴族としての地位や力がどれだけのモノなのかを表しているだろう。
そんな貴族街にある屋敷の一つ。
貴族街にある他の屋敷と比べると、あまり大きくない……寧ろ、貴族街の中で小さい方の部類に入る屋敷。
その屋敷の主は、とある四十代ほどの男爵である。
貴族としては一番下ではあるが、貴族基準としては男爵という地位の割には上等に整えられた客間で、ある報告を受けていた。
「……つまり、フェンリルの入手に失敗した、と?」
男爵はアンティーク調の椅子に座り、おそらく茶葉からして上等であろう紅茶を飲もうとしていたが、口にする前にそう尋ねる。
その声色には、どこか怒りが交っていた。
「はい。それに関しては申し訳なく……」
男爵とはアンティーク調のテーブルを挟んで、頑丈そうな椅子に座って報告をした者――ゲイルは頭を軽く下げる。
ゲイルの口調がニトに向けた時とは違い、どこか丁寧なモノになっているのは、やはり貴族が相手だからというのがあるが、二人の力関係を表してもいた。
実際のところ、二人は仲間や同志といった間柄なのだが、どちらが上かは一目瞭然である。
なので、ゲイルの前にも紅茶は置かれているのだが、手を出す、もしくは出した様子はなかった。
男爵は紅茶に口を付け、香りや味を少しだけ楽しんだあと、口を開く。
「まあ、仕方ない。どうせ、報告された通りに、たかが獣如きを恐れて、辺境伯が手を回したのであろう」
「はい。どうやら、周辺警備を厚くしたようで……ところで、報告、ですか?」
そんな話は聞いていない、とゲイルは尋ねる。
男爵は面倒そうに表情を少しだけ歪めた。
辺境伯にも届けられた王城騒乱とそれに伴うニトたちの件は、貴族である男爵にも届けられている。
それをゲイルに言うかどうか、男爵は一考した。
教えてもいいのだが、問題はそれでゲイルが尻込みするのでは? と男爵は思っている。
結局のところ、同志であるとはいえ、ゲイルは商人でしかなく、貴族である自分とは覚悟の質が違うだろう、と男爵は考えて結論付けていた。
だから、真実というか、王城からの報告を安易に教えてしまえば、ゲイルは尻込みだけではなく、逃げ出すのではないかと、どうしても考えてしまう。
それでは、男爵とゲイルがこれまで積み重ねてきたことが無駄になってしまうのだ。
これまで積み重ねてきたこととは辺境都市・シウルでの悪事で、その責任の矛先が辺境伯に向かうようにして、辺境伯を失墜させることが狙いである。
そのような狙いを抱いているのは、ゲイル、それと男爵のうしろに居る大貴族――とある侯爵であった。
侯爵の最終的な目標は、ここの領主を男爵にして、領主の地位と力を利用してゲイルを文字通り辺境都市・シウルで一番の商会にすることで商業を牛耳らせ、そこから得られる莫大な金を得ようとしているのだ。
男爵とゲイルは、領主と一番の商会という見返りもあるため、侯爵の部下、もしくは配下として動いていた。
辺境伯もそういう動きがあることは把握しているのだが、未だ明確な証拠は入手できず、手が出せないのが辺境都市・シウルの現状である。
「……まあ、貴族に向けられた報告だ。商人であるお前が知っても意味はない」
いずれ、噂という形で伝わるかもしれないが、どちらにせよ今使い物にならなくなっては困ると、男爵はゲイルに教えないことを選択した。
「いずれにせよ、フェンリルという存在を手にすれば、これまでのようにちまちまとした行動はしなくて済む。それに、侯爵に献上すれば私たちの未来も安泰……いや、より素晴らしいモノになるのは間違いない」
「それは確かに」
男爵は頭の中で、フェンリルを手にしたあとのことを考え始めるが、それはまさに、勝手な思い込みの想像である。
普通であれば、フェンリルの成体の力となると、小国ではどうしようもないレベルであるため、そのような存在をどうやって従わせるのかなど考え、手に余ると諦めるモノだ。
だが、男爵とゲイルはそういういったことは一切考えていない。
従魔としてFランク冒険者と共に居るのだから、自分たちにも従うという、浅はかとしか言えない思い込みで行動している。
そのような思考になっているのは、実際のところは焦りがあるからだ。
それなりに上手くいっている悪事だが、辺境伯の手腕というか能力が高いためにこれ以上が見込めず、現状は停滞していると言ってもいい。
このままでは、いずれ侯爵から自分たちの代わりが派遣されてもおかしくないのだ。
そこに現れたのは、人に従っているフェンリルであった。
これは好機と手を出したのである。
「それで、そのFランクはここに留まりそうか? 時間があるのなら、それなりに取れる手段があるのだが」
「部下に調べさせたところ、ヘンドゥーラ商会にイリス姫の肖像画を予約したようです」
「アレか。予約ということは、これから入荷するのか?」
「はい。次の王都から戻ってくる馬車に詰め込んであるようです」
「ふむ。……フェンリルと比べて価値があるとは思えないが、何かに使えるかもしれんな」
「では?」
「仕方あるまい。ヘンドゥーラ商会には不幸に遭ってもらおう」
男爵とゲイルが悪い笑みを浮かべる。
その行動が、自分たちの終幕を早めたとも気付かずに――。




