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リーンに訪れた危機――魔物大氾濫。
本来であれば、町一つが壊滅してもおかしくない出来事である。
リーンを治める代官の選択は、救援を待っての籠城。
そのための使者を送り出したあと、リーンの東西にある門の内、東門は固く閉ざされた。
救援を出せるほどの都市で、リーンからもっとも近くにあるのが東門から出た先というのもあるが、そもそも魔物大氾濫が西門の方に現れているというのが大きく関係している。
その西門も、当然のように閉ざされていた。
といっても、完全に、という訳ではない。
門の横には、警備関係者が利用できる、小さな扉がある。
そこが解放されていて、そこから出入りができるようになっていた。
というのも、西門の前で陣取っている者たちが居るからだ。
その者たちの特徴を挙げるなら、全員何かしらの武装をしているという事。
冒険者、警備隊、騎士、兵士と様々な戦闘職が揃っている。
西門の前で陣形を組み、その時を今か今かと待ちわびているように見えた。
また、西門がある壁の上にも多くの者たちが陣取っている。
弓矢を構える者、杖を掲げる者など、誰しもがその時の準備を行っていた。
そして、この場を取り仕切っているのは、冒険者ギルドのギルドマスターである。
そのギルドマスターは、ここが俺の居場所だと示すように、最前線に陣取っていた。
「……できれば、この場の総大将なのですから後方に居て欲しいのですが」
「はあ? これでも毎日稽古は欠かしていない。まだBランクくらいの力は出せる」
苦言を呈す警備隊隊長の言葉に、ギルドマスターはそう返した。
絶対に下がらない、と態度でも示す。
「そういう事ではなく、総大将としての指示出しとかあると思うのですが?」
「できそうなヤツに任せておいた。臨時……緊急対応って事で」
「……はあ。言っても聞かなそうですが、そもそもBランクレベルの力があったとしても、現役を退いて何年ですか? さすがに戦闘勘は衰えていると思うのですが?」
「衰えているだろうな。だからこそ、再度鍛え直す、もしくは取り戻すためには実戦が必要だ。俺の勘は頼りになるんだろ? だったら、磨いておかないとな。相手には困らないし、好きなだけ磨けるぜ」
あっ、これは何を言っても無駄なヤツだな、と警備隊隊長は思った。
なので、別のことを口にする。
「なら、せめて死なないでくださいよ。こんな事態の後始末は面倒なんですから。押し付けられても困りますし」
「おう、わかって……ちょっと待て。押し付けって、後始末手伝ってくれるよな?」
「はっはっはっ」
警備隊隊長は笑って濁す。
そして、魔物大氾濫がその姿を見せた時、戦端が開かれる。
―――
呼称として、ギルドマスターは自分たちのことを「リーン防衛隊」と銘打った。
そのリーン防衛隊と魔物大氾濫がぶつかり合う。
状況は五分五分……とはいかない。
有利なのは、魔物大氾濫の方であった。
その理由は大きく分けると二つ。
まず一つ目は、元々の数が違うというのがある。
今回現れた魔物大氾濫の数は、推定数百体。
それも、四桁に届くのではないかと思われるような数である。
――数は力。
いや、魔物大氾濫となると、数は暴力、と表現すべきだろう。
そう表現されるだけの数が一斉に襲いかかってくるのだ。
対するリーン防衛隊の総数は二百にいくかどうか、といったところで、単純に四、五倍の数が相手である。
質が量を上回る事例が存在する世界ではあるが、今は残念と表現すべきか、リーンは言ってしまえば普通クラスの町。
そこまでの事を行えるような存在は居ない。
二つ目は、魔物すべてがただただ異常であるということ。
通常であれば、たとえ魔物であったとしても、ある程度痛めつければ逃走を選択する場合があるし、相手に対して恐れを抱く、もしくは何かしらの感情を見せてもおかしくない。
しかし、リーン防衛隊が今相対している魔物には、それらが一切見られないのだ。
どれだけ傷付けようが……それこそ何かしらの部位を失おうとも、ただただリーンめがけて襲撃し続ける。
痛みすら感じていないように。
感情すら見せずに。
傷付いても悲痛な声を上げず……そもそも、魔物大氾濫は現れてから声一つ上げていない。
その姿を表すのなら、操り人形、である。
どう見てもそれは異様であり、異常事態であった。
そんな状態であるため、魔物たちは自分の状態というモノを鑑みない。
どれだけ傷付こうが目的遂行に向けて邁進していく。
いくら町を囲む壁が頑丈であろうとも、己の負傷を気にしないような異常な攻撃を前にすれば、そう長くはもたないだろうことは明白であった。
だからこそ、ギルドマスターは打って出るべきだったという自分の勘が間違っていなかったことを悟る。
これは、籠城でどうにかなるような事態ではない、と。
しかし、ギルドマスターからすれば、この場合は当たって欲しくなかった勘だっただろう。
こうなってくると、異常な魔物大氾濫という事態をとめるには、壁に近付けさせず、確実に一体ずつ倒していくしかない。
何しろ、致命傷であってもとまらず、動き続けて、逃げようともしないのだから。
そんな魔物だけで構成されている魔物大氾濫。
序盤はまだ均衡を保っていた。
リーン防衛隊も体力、気力ともに充分であったというのもあるが、均衡を保てた一番の理由は、いくら異常であろうとも、対する魔物が低ランクに該当する程度の強さでしかなかったからだ。
まるで、最初はそこから始めるモノだろう? とでも表現されているかのように。
リーン防衛隊のメインは冒険者であり、この場に居るのはその中でもDランク以上、俗に言えば、中、高ランク以上の選りすぐりである。
であるならば、数が多かろうが、いくら異常であろうが、そこまで気にするような問題はそう起こらない。
なので、序盤は均衡。
問題が起こりそうなのは、中盤以降……上位種が出てきてからだろう。
その間に、ギルドマスターは行動を起こす。
ハッキリ言ってしまえば、低ランクの魔物を相手にするのに高ランク冒険者は必要ない。
たとえ低ランクであろうとも、相手をすれば体力は消費してしまう。
相手が異常な状態であれば、それは尚更である。
故に、低ランクの魔物の相手はD、Cランクの冒険者や警備隊、兵士に任せることにした。
何しろ、上に行けば行くほど、その数はふるいに落とされるようにみるみる減っていく。
戦闘能力の高い高ランク冒険者や騎士の数は少ないのだ。
そこを温存するのは当然の措置であり、その少数による精鋭部隊を組み上げ、上位種が出て来た場合にあてる。
ここでギルドマスターにとって幸運かもしれないことは、魔物大氾濫の方も上位種の数はそれほど多くはないということだろう。
ただ、その上位種たちを倒したとしても、この魔物大氾濫が終結するかは……終わってみればわかる事だと、ギルドマスターは戦いに集中する。
何より、自分が生きてリーンに戻れるかもわからないのだから。
―――
予想外なことはいつだって起きるモノ。
この場において、その予想外のことが起こったのは、そろそろ序盤も終わり、魔物大氾濫の方は上位種が出始め、その動きに合わせて精鋭部隊も前に出始めようとした頃。
予想外のこととは、異変が起こったのだ。
――魔物大氾濫の方に。
魔物たちが襲撃をやめ、周囲の様子を窺い始めたのだ。
その様子は、まるで永い眠りから目覚めたかのようで、何故今自分がここに居るのかがわかっていないようだった。
そんな魔物たちの視界に映るのは、巨大な壁と、その前で守るように陣取っている、武装している人間たち。
「グギャッ!」
そこで響くのは、魔物の悲鳴。
この場において、それが最初に聞く魔物の声だった。
悲鳴を上げた魔物は死亡し、そこで前線に居た魔物たちは自らが傷付いていることに気付く。
気付けば――次いで痛みを感じる。
ほぼ同時に、前線の至るところで魔物の悲鳴が上がり始めた。
その悲鳴には、痛みによるモノだけではなく、恐怖の感情も含まれている。
何しろ、リーン防衛隊はとまっていない。
そもそも、今は戦闘中であり、魔物たちの様子の変化にはまだ気付いていない……気にしている余裕はないのだ。
それに、たとえ気付いたとしても、戦いをやめたかどうかは微妙……いや、それはないだろう。
なんであろうとも、未だ魔物の方が数は多く、攻められている状況に変わりはないのだから。
また、結局のところ、魔物は脅威であることに変わりはない。
魔物を放置して傷付けられるのは、明日の自分、もしくは知人かもしれないのだ。
すべての魔物がそうだと断定はできないが、少なくとも、今リーン防衛隊が相手にしている魔物たちは攻め込んできている状況である。
それと、様子が変わったからといって、手をとめるようなことにはならない。
そうして、リーン防衛隊による攻勢が続けられると、魔物たちは右往左往し始める。
いや、これはもう、混乱していると言ってしまってもいいだろう。
前線の魔物たちは痛みと恐怖、混乱によって……逃走を選択して開始する。
我先にという感じで、他の魔物など気にも留めずにバラバラに逃走し始めた。
そこで漸く、ギルドマスターは異変に気付く。
魔物たちの様子がおかしい……いや、先ほどまでの異変が消え、いつも通りに戻っている、と。
一人が気付けば、連鎖、伝播するように他の者たちも気付いていく。
比較的早くに気付くのが高ランク冒険者なのは、やはりそれだけ魔物を相手にしてきたという経験からくる、全体を見渡せるだけの余裕があるからだろう。
そうなってくると、リーン防衛隊の勢いは少しだけ弱まり、絶好の機会だと魔物たちは更に逃げ出す。
ただ、中には残って襲いかかる魔物も居た。
主に上位種のカテゴリーに属するモノは、特にその傾向が強い。
何しろ、自らの強さに自信を持っているからだ。
人が大勢居ようが、それだけ獲物が多いという認識しかない。
ただ、そういう魔物は非常に目立つ。
何しろ、多くの魔物が逃亡している中を進んでくるのだ。
背中を見せるのではなく、正面を見せている。
その姿はさながら的でしかない。
直ぐに精鋭部隊が出張り、ほぼ瞬殺される。
その姿は、井の中の蛙大海を知らず、という言葉そのままだろう。
そこまでくると、もう状況は変わらない。覆らない。
逃走と討伐によって魔物の数はみるみる減っていき、魔物大氾濫の様相は崩れていく。
また、元々リーン防衛隊の人数がある程度揃っているということもあって、事態は直ぐに収束していった。
仮定の話として、普通にやり合っていても実際のところはリーン防衛隊が勝利を収めていた。
ただしそれは、リーン防衛隊の多くの者の命を犠牲にしたモノであり、下手をすれば町中にも魔物が雪崩れ込んでいた可能性すらある。
それだけのことが起こっていたのだ。
けれど、いざ蓋を開けてみれば、負傷者は居るが死者は居ないという、ほぼ完勝のような形で終わった。
このような結果に終わったのは、まず間違いなく魔物たちの様子の変化……元に戻ったということが関係しているだろう。
ギルドマスターは一体この事態はなんだったのかと考えるが、周囲から巻き起こる勝利の喜びに押されるように、そのことを頭の片隅に追いやった。
それに、その時には既に忘れていた。
今回の事態に対する作戦を決める際、その場に乱入してきた者のことを。
その者――ニトの姿はここになかった。
いや、そもそも、その姿はリーンの中にも既になかった。