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辺境都市・シウルは、辺境という割には発展していた。
王都・ヴィロールに比肩する……とまではいかないが、それに準ずるといっても過言ではないレベルである。
大通りは石畳で綺麗に舗装されていて、ゴミ一つ落ちていない。
また、建物は基本的に木造、石造が主だが、それでも二階建てが多く、中には三階、四階建ての建物も見える。
といっても、他と比べれば、住居の数はそれほど多くはない。
いや、正確に言えば、都市レベルであるため住民の数は他の町や村とは比べるまでもないが、比率だけで言えば少ないのだ。
逆に多いのは、商店、商会、もしくは倉庫、といったところだろうか。
何しろ、辺境ということは、自国だけではなく、他国にも接しているということでもある。
実際、辺境都市・シウルから近いところで言えば、レイノール王国がもっとも近く、それ以外の国にも行くことができるような立地にあるため、常に商人たちが出入りし、輸出入が行われている商業の中心地、もしくは中継地なのだ。
そのため、自然と商人の数が多く、商売関連の建物が多い……ということもあって、大きく発展したという訳である。
そんな他のところとは違って商人が多い都市に、ニトたちは足を踏み入れた。
屋台も出て非常に賑わっている大通りを進んでいく。
そうすると、当然――。
「冒険者のお兄さん! それ、フェンリルでしょ? すごいね! で、物は相談だけど、その素材を少し……」
「フェンリル素材を売りに出すなら、是非ウチに! いつもより上乗せして買い取らせてもらうよ!」
「こっちはこれだけ! これだけ出すから、どう? なんだったら、フェンリル素材と比べたら質が落ちるけど、それなりに希少なのも付けるよ?」
目ざとくというか、商人たちがここぞとばかりに詰め寄ってくる。
狙いはもちろん目立つノインで、詰め寄る商人たちの中には、ニトではなくノインに直接声をかける者まで現れるほどであった。
商魂たくましいと言えばそれまでだが、大抵の場合、そこで失敗してしまうものだ。
ニトとノインに話しかけて、フィーアに気付かない訳がない。
そこでフィーアにも声をかけてしまうという愚を犯してしまい――。
「………………(殺」
ノインの殺意が放たれ、耐えられる訳もなく、全員泡を吹いて倒れるという結果になる。
そこでノインが退けと頭を振れば、サッと道が開く……が、少し進めばまた同じように商人たちが詰め寄ってきて、同じく泡を吹いて倒れるということを繰り返しながら進んでいくことになった。
それでもというべきか、きちんと不躾な商人たちだけを狙い撃っての殺意であるため、その他には一切影響はない。
ここでその他に影響があったのなら、さすがにニトも何かしら言っていただろうが、そういうこともないので何も言うことはない。
ただ、そもそもの原因として、ノインが大きさを変えれば詰め寄られることもないのだが、ニトはそれに関しても特に何かを言うようなことはなかった。
そこを不思議に思ったノインがニトに尋ねる。
「……小さくなれ、とは言わないんだね」
「ん? 別に言う気はないが、言えば変えてくれるのか?」
「ふん。変える気はないよ。私がどう過ごそうが私の自由だよ」
「ああ、それでいいんじゃないか。無理して今の大きさとかならまだしも、通常がその大きさなら、変える必要はない。欲に駆られてそこらのが勝手に絡んできているだけだ。……まあ、いい加減邪魔だと思うけどな」
イライラしている、とニトは拳を握る
「あの門番は、私よりニトの方に、暴れないようにと言うべきだったね」
ノインはやれやれと頭を振り、フィーアは楽しそうにニコニコとしている。
そうして、詰め寄ってくる商人たちをノインが殺気だけで気絶させつつ、ニトたちは露店や商店を回っていく。
時にはそこらの人に商店の場所を聞きつつ、ある程度回り……辺境都市・シウル内でも一、二を争うと教えられた商店にも向かったが――。
「馬鹿なあ!」
ニトは崩れ落ちた。
大通りの真ん中で、ノインとフィーアに見守られながら、思いの丈を叫んだ。
「あああ……あああああ……」
ニトはこの世の終わりだとでもいうような、絶望の表情を浮かべている。
なかったのだ。
ここまでの町と同様に、ここにもイリスの肖像画は一枚もなかった。
売り切れである。
もちろん、この結果もニトは予想していた。
というより、いやいや、ないない、と心の中のどこかで思い考えることで防波堤を作り、心そのものを守ろうとしたのだ。
ただ、結果として、やっぱりな、と思えなかっただけ。
ニトとしては、都市ともなれば入荷量自体が違うだろうし、販売量や在庫量、補充速度などを踏まえて、ここまで商人ばかりならあるではないか、と一方的な希望を抱いてしまっていたのである。
その希望が砕かれ、絶望したのだ。
この時ばかりは、ノインよりもニトが目立ち、周囲の人たちが何事かと騒ぎ始める。
「ニ、ニト、とりあえず、まずはどこかで宿を取ろう。そこで泣け。そこで落ち着け」
さすがにここまで落ち込むとは思っていなかったのか、ノインが少しだけ狼狽えている。
フィーアもノインに同意するようにコクコクと頷く。
「あの、大丈夫ですか?」
そんなニトに声をかける者が居た。
ニトが崩れ落ちている場所が店先であったということも関係しているだろう。
商売の邪魔とか、思わずといった、そういう思いがあったのかもしれない。
ノインとは別の声に、ニトが顔を上げて確認する。
三十代前半ほどの男性。
金の短髪に、それなりに整った顔立ち。
仕立てのいい服を着ていて、如何にも商人といった風貌であった。
「……何故、絵がない」
「……」
ニトの言葉に、その男性は少しだけ考える素振りを見せ、直ぐに人の良さそうなニッコリとした笑みを浮かべる。
「もしかして、イリス姫さまの肖像画、その中のどれかですか?」
正解だ、と頷くニト。
ノインは少しだけ関心したような表情を男性に向ける。
男性が近付いてきていたのはわかっていた。
最初は、これまでと同様に、フェンリルである自分に声をかけてくるとノインは思っていたのだ。
一瞬、だが、男性からの視線をノインは感じていた。
しかし、視線を感じて不快だと思えば、次の瞬間にはそんなモノはなかったと言わんばかりに、男性はノインに興味はないという姿勢を見せてニトに近付き、声をかけたのである。
それに、共に居たからノインはそれだとわかっているが、この男性はニトがどういうモノを求めているかを、今の一言だけで当てたのだ。
中々やり手のようだね、とノインは思う。
「そうですか。確かに、イリスさまの肖像画は様々な画家が描いていますし、中には多くのファンを得ている方や、貴族が抱えている、もしくは抱えたくなるような方も居ます。そもそも、イリスさまの肖像画というだけでも非常に人気の品。残念ですが、今このシウルで販売しているものはすべて売り切れています。どこの商店でもありません」
「……本当か?」
「ええ、本当です。これでも商人の端くれですから。商品の販売状況の把握は基本です」
そう言う男性の姿勢は、それが事実であると物語るように堂々としていた。
ただ、ニトからすればそれは絶望でしかない。
寧ろ、トドメを刺されたようなモノである。
さらに落ち込み項垂れる結果となった……が、パンドラの箱に希望が残されていたように、ニトにも希望がもたらされた。
「ですが、ご安心を。お客様の希望の品を用意するのが商人です」
「用意する……いや、売り切れなのだろう?」
「ええ。ですが、それは『今は』です」
「……まさか、入荷予定があるのか?」
「はい。このような事態になることは見越していましたので、今回はいつもより仕入れを早めていましたので、私の予測が正しければ、二、三日中には私の店先に並ぶと思います。まあ、私の予測よりも早く売り切れてしまいましたので、私もまだまだかもしれません。イリスさまの人気の高さを見誤ってしました」
ここで、この男性が「予測」と言ったのは、確実ではないためだ。
いや、この男性の中では、十中八九確定している。
しかし、それは絶対ではない。
何しろ、この世界に車や船、飛行機は存在しないし、物流の基本は馬車である。
魔法に至っても物質転送のようなモノはない。
せいぜい、利用できるのは「アイテムボックス」のような能力だろうが、使い手は希少であるため、大抵は国に抱えられて一商人が雇うのは無理に近く、現実的ではないだろう。
要は、物流の発展はまだまだということだ。
なのに、この商人は先を見越して売り切れた商品を仕入れようとしていたのだから、商人としての能力があるのなら、非常に高いと言える。
「つまり……数日中に……」
「はい。入荷予定です」
「わかった。今から店頭に並んで待っていてもいいか?」
「……ん? え? はい?」
「並んで待っていてもいい場所はあるか? できれば広い場所がいい。ノインとフィーアが居るからな。それで、あんたの店はどれだ? そういう場所があるか確認をしたい」
そう言うニトの目は希望という輝きに満ち溢れ、その体からはやる気が噴き出している。
入荷までいつまでも待つし、必ず手に入れてみせる、という意志の強さを感じられた。
これには、さすがにどうしたモノかと苦笑を浮かべる男性。
そう切り返されると思っていなかったのだろう。
「どこに並べば……」
「まったく。私よりもニトの方が迷惑をかけているね」
ぐにゅ、とノインは前足の肉球をニトの顔に上から押し当てる。
落ち着け、と。
「別に、入って直ぐなくなる訳ではないんだろう?」
ノインのその問いかけは、ニトにではなく男性の方に、だった。
人語を口にするノインに対して、男性は驚くような素振りは見せない。
フェンリルのような存在であれば、それぐらいはできて当然だと理解していたかのように、男性はなんでもないように答える。
「はい。もちろんです。充分な数を仕入れていると思いますし、なんでしたら、予約として取り置いてもおきますよ」
「是非に!」
答えたニトの声色には、歓喜と感謝が多く含まれていた。
「ちょっと黙ってな」
ニトの前にノインが立つ。
ノインの視線は男性に向けられ、男性は視線を受けても表情は崩さず、一歩も後退らない。
そんな男性の様子に、ノインは表には出さないが、少しだけ評価する。
自分がフェンリルだとわかっていても退かないのは、どうやらそこらの者たちとは違うようだね、と。
「まったく……普通は疑うものだが、今のニトは使い物にならないね。……それで、何が目的だ?」
ノインが男性を疑うのは……普通のことである。
本来なら、もっと警戒すべきなのだ。
何しろ、見ようによっては、甘言で惑わそうとしていると言ってもおかしくない。
それに、先ほどまでフェンリル素材を狙って群がる商人たちばかりを相手にしてきたのである。
目の前の男性はそう口には出していないが、将を射んと欲すれば先ず馬を射よ、という言葉があるように、まずはニトに借りを作って、そこからノインに手を出そうとしていることだってあり得るのだ。
この男性が親切だから、という考えもあるにはあるだろう。
しかし、それは知り合いならばそう考えるかもしれないが、今が初対面なのだ。
「いや、せっかく予約取り置きしてくれると言うんだ。それに乗らない手はない」
「今のあんたは黙ってな! まったく……こういうことに駄目になると憶えておかないとね。それで、できれば答えて欲しいんだけどね?」
ニトにもう一回肉球を当てて黙らせ、男性に向けて疑いの眼差しを向けるノインに対して、男性は綺麗に一礼する。
「邪な目的は一切ありません。あえて言うのであれば、知古を得るために、でしょうか。ですので、ご安心ください、と言って安心するかは定かではありませんが、これでフェンリルさまたちに何かを要求するような真似は致さない、とお約束します。これで不誠実を働けば、私の評判は落ちるでしょう。何しろ、ここにはこれだけの数の証人が居るのですから」
男性が周囲を指し示す。
先ほどよりも多くの人が集まり、この場での様子を窺っている。
「それに、本音を語るのであれば、私の勘が告げているのです。こう言ってはフェンリルさまに失礼かもしれませんが、決してフェンリルさまを侮っている訳ではありません。ですが、フェンリルさまよりも、そちらの男性と知古、もしくは友誼を結んだ方がいい、と」
その言葉に嘘偽りは一切ありません、と男性はノインを真正面から見据えた。
ノインは男性をジッと見て……笑みを浮かべる。
「ふん。面白いではないか。私を前にしてそこまで言うことができるとはね。……このままだとニトは使い物にならないし、言葉に嘘偽りがないというのなら、言ったように数日中に用意ができると?」
「はい。もちろんでございます。こう言ってはなんですが、ここまで早急に用意できる者は、ここ辺境都市・シウル内において、私以外に居ないでしょう。辺境都市・シウルで一番の商人であると、自負していますので」
ニッコリと人の良さそうな笑みを浮かべる男性。
その背後には、他のところとは違ってレンガ造りで、敷地面積も三倍以上はありそうな、「ヘンドゥーラ商会」と看板が掲げられた四階建ての建物があった。




