エピローグ 一章
時は少し遡って、大きな穴に落ちたニトは、そのまま謁見の間の下に……ではなく、穴ができた際の瓦礫の勢いが少々強過ぎたために、落ちた衝撃で下の階の床も崩れ、もう一階分下に落ちた。
といっても、それでニトに被害はない。
無傷で降り立ち、服に付いた埃を軽く払う。
「さて」
行くか、と思ったところで、上から更に白い塊が落ちてきた。
それも二つ。
どちらも白く、巨大な狼と普通の狼。
体格だけではなく、その容姿は似ているため、親子狼であることが見てわかった。
巨大な狼――ノインが、ニトに向けてジト目を向ける。
「まったく……勝手に行くんじゃないよ。それとも、私たちを置いていく気か?」
「は? 置いていくも何も、ノインは娘を取り返し、俺は用件を済ませた。協力関係はもう終わっただろ。これ以上一緒に行動する必要性はないと思うが?」
「何を言っている。そもそも従魔契約をしているだろう? ニトには、私たちを養う義務がある」
「は? ねえよ。それに、そもそもその契約はここにノインを連れて入るための口実でしかないだろ。もうそれに縛られる必要はないと思うが?」
「別に縛られてはいないよ。ただ、預けている食べ物もあるし、定期的に美味しい物を食べるには、ニトについてきてもらわないといけないからね」
「俺がついていく方なのか」
ただ、確かにニトは大量購入した食べ物を能力の中に仕舞っている。
それを娘に食べさせたいと、ノインが言っていたことをニトは思い出した。
「……わかった、わかった。だが、それならせめて、自分の食事代くらいは自分で働いて稼げよ」
「はあ~……器の小さい男だね。そこは俺が全部出してやるよ、と言えないのか?」
「それを言ったら、俺の金はそれこそ泡のように簡単に弾けて消えるだろうな」
だから自分で稼げと言っているんだ、とニトは目線で訴える。
「まあ、自分の力に自信がなくて、俺の庇護下に入りたいっていうなら養ってもいいが? 適当に魔物を狩って、冒険者ギルドに運べばいいだけだしな」
「はっ! 言ってくれるね。なら、私たちの食事代くらいは稼ぐよ。ニトが言ったように、魔物でも狩ってね」
「ああ、是非ともそうしてくれ」
「なら、これで本当の意味で従魔契約完了だね」
「そうだな」
ニトとしては、まあ、自分たちで稼ぐというか、魔物を狩ってくるのなら、それを金に換えて食べ物を買うくらいならやってもいいと思ったが、ノインにはもう一つ思惑があった。
ノインがニヤリと笑みを浮かべる。
「言質は取ったよ。よし、これで、ニトに食べ物を預ければ、私と娘はいつでもどこでも好きなように好きな物が食べられるね」
「それが狙いだったのか」
呆れたモノだ、とニトは思うが、実際のところ、ノインがニトについていこうとする理由は他にもある。
――他にも、なのは、これも立派な理由の一つだからだ。
ノインの理由の中で一番大きな割合を占めているのは、ノインがニトに対しての借りを返したいと思っているのである。
というのも、ニトが居なければ、ノインは未だ自由な身になっておらず、娘フェンリルを助け出すこともできていなかったから。
その場合の最悪の想定は、そのまま何もできずに朽ち果てること。
そうなる可能性は充分あった。
けれど、実際は違う。
ノインは自由の身で、娘も助け出せた。
口には出さないが、最良とも言える結果になったのはニトのおかげだと、ノインはそう思っている。
だから、その借りを返すために、ニトについていって協力しようと思ったのだ。
それに、ノインはニトの強さが自分を大きく超えていることもわかっている。
少なくとも、自分では風圧だけで巨大竜巻を消し去るなんて真似はできない、と。
それだけの強さを持つニトの傍であれば、娘を安全に育てることができる――少なくとも、自分だけで育てるよりは遥かに安全だろうと考えたのだ。
あとはまあ、どうせまたダンジョンに行くだろうし、そういう時に道案内できる者は必要だろう、と。
「……ついてくるのに、なんか失礼な理由はないだろうな?」
「あると思うのか?」
「………………」
どう答えても認められそうになかったので、ニトは諦めた。
「降参。それに、ここでこうして話していても仕方ないしな。さっさとここを出るか」
「そうだね。下手に残っていると、色々と面倒そうだしね」
「そういうこと。とりあえず、ノインの大きさを今だけ小さく変えてくれ。その大きさはさすがに目立ち過ぎる」
「今さらだと思うが、主の懇願なら従おうかね。やれやれ、従魔も楽じゃないよ」
「それは俺のセリフだし、そもそも主だなんて欠片も思っていないだろ」
ニトとノインは互いに肩をすくめ、移動を開始する。
そうして王城を出ていく途中で女性を見つけ、それが誰かを思い出したニトとノインは、門番の兵士を思い出して、ニヤリと笑みを浮かべた。
―――
王城を出たあとも、ニトたちは壁を飛び越え、屋根の上を疾走し、王都の外壁すら跳び越えて、「人としての壁を飛び越えたつもりですかー!」という声がどこかから飛んできても足をとめずに、王都近隣の草原まで一気に駆け抜けていった。
そこまでいって、漸く足をとめる。
「ここまでくれば、もう大丈夫だろ」
「そうだね。それに、まだあっちは大騒ぎの最中だろうから、私たちを追う余裕も今はないだろうしね」
「追ってくると思うのか?」
「追ってくるよ。ただし、私たちではなく、あんた――ニトをね」
「俺を? なんで?」
「居て欲しそうにしていたからね」
誰が? とニトは首を傾げるが、思い当たらない。
ノインはそんなニトを見て、楽しそうに笑みを浮かべるだけで、教えるつもりはないようだった。
「どうせ、壊した床の弁償代とか、そんなところだろ。まっ、払う気はないけど」
ニトとしては、壊れるほどに踏み込んだからこそ、巨大竜巻を退けられるだけの風圧を起こせたのだから、それで請求される謂れはないと思っている。
それよりも、今は別に気になることがあるというか、聞きたいことがあった。
「それで、ノインの娘も一緒に来るんだよな。それなら、きちんと紹介して欲しいんだが?」
「それもそうだね」
ノインが娘フェンリルに視線を向けて少しすると、前に出て来てニトに向かってよろしくと頭を下げる。
そこでニトは改めて娘フェンリルを見た。
汚れた白い毛並みはあとで洗うとして、大きさはやはり普通サイズの狼。
ノインの娘であると、その顔立ちはノインとどこか似ていて、まだ幼さは残っているが美しさを感じさせる。
⦅……ヨロシク、オネガイ、シマス⦆
当然のように念話を使ってくるが、ニトは別に驚きはしなかった。
親であるノインが平然とやっているのだから、娘もやってくると思っていたのである。
ただ、その言葉はどこかたどたどしい。
「ああ、よろしく。と言っても伝わるのか?」
ニトが確認するようにノインに尋ねると、頷きが返される。
「人の言葉はきちんと教えていないけど、ある程度言葉は理解しているし、表情や仕草で善意や悪意も感じ取っているから問題ないよ。しばらくは私が教えながら通訳するし、その内普通に発声もできて、話せるようになるよ。何せ、私の娘は天才だからね」
誇るようにノインは言う。
娘フェンリルは意味を理解しているのか、少し恥ずかしそうだ。
ああ、親バカか、とニトは思う。
「ああ、そう。それで、名前はあるんだろ?」
当たり前だろ、とノインは娘フェンリルに視線を向けて促す。
⦅『フィーア』ト、イイマス。スキニ、ヨンデ、クダサイ⦆
「フィーアね。改めてよろしく」
そのままニトは娘フェンリル――フィーアに近寄り、頭を軽く撫でる。
フィーアは気持ち良さそうな表情を浮かべるのだが、それを許容できない者が居た。
撫でるニトの手をペシンと叩いて払い退け、ノインは唸る。
「娘が可愛いのはわかるが、手を出したら承知しないよ!」
小狼のままなので迫力には欠けるが、声に凄みはあった。
また、発している雰囲気も本気である。
迂闊に手を出せば痛い目をみると、誰もが思いそうだ。
「意味がわからん」
といっても、ニトにそんな気はさらさらなかった。
フィーアの方も、どこか困ったような表情を浮かべている。
ただ、ノインに退く気はない。
フィーアを全力で守る気全開オーラである。
「まあ、とりあえず、わかったから落ち着け。それに、これから一緒に行動するんだから、今からそれだと身が持たないぞ」
「最初にバシッと言っておくのは基本だよ!」
どういう理屈だよ、と思わなくもなかった。
⦅ハハガ、スミマセン⦆
ノインからは見えないが、フィーアが頭を下げて謝る。
ある程度言葉を理解しているのならば、とニトは念話で気にするなと言っておく。
ノインとしても言って満足なのか、態度を軟化させて別のことを口にする。
「まあ、私がしっかりと見ておけばいい話だね。それで、城の中で話していたけど、ニトの目的は魔王、魔族を倒すことなのか?」
「ああ、目的の一つというか、正確には世界のバランスを戻して欲しいと言われた。それに、魔王、魔族が関わっていると。それに関してノインに聞きたいんだが、今回のように魔族の居場所を遠くから感知することはできるか? 俺は直接会わないとわからないから、もしそうなら正直助かるんだが」
「どうだろうね。今回のは相手を知っていたからわかったのかもしれないけど……ある程度近付けば……いや、確証がないまま言うのもね。その時になってみないとわからないから、何かを感じれば教えるよ。協力関係の再構築だね」
「そういうことになるな」
笑みを浮かべ合うニトとノイン。
フィーアはその様子を見て少し嬉しそうだ。
「それで、これからどうするんだ? 私は娘を助け出したし、今はこれといった目的はないね」
だから、あんたの好きに決めればいいよ、とノインはニトに任せる。
「そうだな……魔族がどこに居るのかわからない以上、正直どこにでも居そうというか、潜んでいそうだから、どこに行っても同じな気はするな。それでも情報が集まりやすい、もしくは得やすいのは大きな国だろうから、辿り着いた町でそういう情報を集めるか。もしかしたら、魔族が出現したという情報が手に入るかもしれないし」
「楽観的で、行き当たりばったりだね」
「何が起こるかわからなくて、ワクワクするだろ」
「ワクワクするのか?」
「いや、別に」
⦅ワタシハ、ハハト、イッショデ、ワクワク⦆
「ワクワクするね!」
フィーアが念話でニトとノインの会話に交ざって伝えた瞬間、ノインは即座に肯定した。
付き合いきれん、とニトは歩み出し、ノインとフィーアがそのあとをついていく。
「あとはまあ、俺にとっての神絵師『ouma』の情報、もしくは本人を見つけないといけないのと、複製されているはずだから、どっかの露天商からもう一度『ouma』が描いた姫さまの肖像画を手に入れないといけないな」
「ああ、ニトの怒りが爆発した部分のヤツだね。私は絵に詳しくないけど、そんなにいい絵なのか?」
「絵にいいも悪いもない! 上手い下手もない! 心に響くか響かないかだけだ! そうだな。これから時間はたっぷりあることだし、その辺りを詳しく教えてやる」
「……勘弁して欲しいね」
ニトは意気揚々と語り始め、迂闊なことは言うものではないとノインはどこか辟易とし、フィーアはニコニコと笑みを浮かべている。
周囲から見れば賑やかなニトたちは、そのままオーラクラレンツ王国を出て、別の国に向かった。




