サブイベント 「キューピット?」
オーラクラレンツ王国の王城に勤める文官の女性は、どうなるんだろうと、ふと考える時があった。
それは、今や王都内だけではなく、この国だけではなく他国にまで話が広まろうとしている「イリス姫の婿取り」。
その最初の条件――五つの宝物を集めることからして、一般からすれば無謀としか言えなかった。
何しろ、ダンジョン「内剛外柔」の踏破は、どう考えても不可能としか思えなかったからだ。
特に五つ目の宝物は竜素材。
しかも鱗など、もしかして運が良ければ、で手に入るようなモノではなく、心臓である。
文官の女性からすれば、そんなのを手に入れる者は化け物で、早々現れるモノではないと思っていた。
婿取り最有力と言われている「光剣」と「全弓」ですら、まだまだ時間のかかることであるため、文官の女性は日々をいつも通りに過ごす。
けれど、そんな文官の女性には目下の悩みがあった。
それは、「イリス姫の婿取り」に触発されてか、自身の父母から、結婚はまだかの催促が頻繁なのだ。
文官の女性としては、その気もないのに頻繁に言われれば、多少なりともイヤになってくる。
まだ若く、遅れていると言われるような年齢ではない。
ただ、周囲というか、同年代で既に結婚している、もしくは子も居る者も居るため、早過ぎるということでもないのだが、今のところ、そういう相手も居ないし、まだまだ先の話だと文官の女性は思っている。
王城勤めというだけでも一般からすれば所謂エリート街道なのに、この文官の女性は若くして出世していて既に部下も居るため、叱ることもあった。
その上、この国は世界一の強国と呼ばれていることもあってか、文官の数が足りていないという訳ではないが、仕事も多く、相手にするのは所謂脳筋が多い。
そんな相手に対しても頑として意見を言える胆力も持ち合わせているため、文官の女性はそんな自分自身を可愛げのない女性だと思っていた。
ただ、自分の目線と周囲の目線は、案外違うモノだ。
周囲からすれば、この文官の女性は仕事ができる頼もしい存在というだけではなく、叱っているのもきちんと相手のためであるため、寧ろ優しい女性という受け取り方をされている。
その上、見目も麗しいということもあって、俗に言う高嶺の花であった。
そうとは知らぬは、本人ばかりである。
だから、日々の仕事が忙しく、好意を寄せる相手も居ないため、自分の結婚はまだまだ先だと、文官の女性は思っていた。
――そんなある日のこと。
「イリス姫の婿取り」の達成者が現れる。
しかも話によると、たった一日でダンジョン「内剛外柔」を踏破したという。
(……冗談、よね。でも、こんな誰にでもわかる嘘を吐くとは思えないし、まさか本当のこと? それに、従魔一体だけとかほぼソロだし……本当に化け物ではないよね? この人物)
踏破者の情報を聞いて、内心で戦慄する文官の女性。
ただ、次の情報でさらに戦慄する。
(え? ウォルク陛下がこの人物と早急に会おうとしている? それってつまり……色々とやりくりして予定を空けるってことだよね、これ。絶対、色んなしわ寄せが……)
睡眠時間……あるだろうか? と文官の女性は天を仰いだ。
そこからは、激務、激務であったが、それでもどうにか予定を空けて、そこに謁見の時間をねじ込むことができた。
文官の女性が、決まった瞬間に思わずガッツポーズしたほどの激務である。
そして、当日。
この日は、文官の女性だけではなく、王城に勤めている者たちに、王都の方でも驚愕に満ちた日であり、のちに語り継がれる日となる。
途中まではつつがなく進んだが、異変が起こり出したのは、王城内に響く魔物の咆哮に、地震かと思うほどに伝わる振動と破壊の衝撃音。
一気に慌ただしくなる城内。
騎士、兵士たちが率先して動き出し、文官の女性も含めて文官たちは避難行動に移る。
「必要な物以外は放棄! 騎士、兵士の誘導に従って!」
自分の部下たちに指示を出しつつ、文官の女性も避難行動を取る。
そこで、事件は起こった。
王城全体に伝わっていた振動の影響からか、突如天井が崩落し、文官の女性だけが分断されてしまう。
「私のことは気にせず、先に行ってください! 私は別の道で脱出を図ります!」
単独で避難を始める文官の女性。
この時、幸か不幸か、文官の女性は外の様子を確認することはできなかったため、王城上空で繰り広げられた巨大狼とドラゴンの戦いを見ていない。
あとから聞いて、非常に驚くことになる。
何より、この時の文官の女性は外を確認する余裕はなかった。
一人になったことで、このまま生きて出ることができるのか、それともここで死んでしまうのかと、不安が胸を締め付けていたのだ。
死を意識したからこそ、文官の女性は、こんなことなら誰かと結婚しておけばよかったな、と思う。
まあ、その誰かが居ないし、誰も自分と結婚したいとか思わないだろうけど、と少々卑屈な部分と共に。
そうして一人、王城内を進んでいた時、それはなんの前触れもなく起こった。
急に体が震え出し、どうにも動かすことができず、呼吸も苦しくなる。
まるで、誰かに心臓を鷲掴みされたかのように、ただただ怖くなった。
それに耐えられなくなり、蹲ろうとした時に、一気に解放される。
先ほどまでのはなんだったのかと、なんの爪痕も残さずに恐怖が消えた。
文官の女性がわかることは一つ。
明らかに異常な事態が起こっていて、明らかに自分の許容範囲外である、と。
早く王城を出たいと文官の女性は急ぐが、今度はカタカタと震え出す。
震えているのが自分でないことは、直ぐに理解した。
まるで大嵐の中の建物のように、王城全体が震えているのがわかる。
けれど、その震えも直ぐに治まった。
「……本当に、一体何が起こっているの」
文官の女性は、思わずそう呟いてしまう。
こんな日は、さっさと帰って酒でも飲んで寝たかった。
そのために脱出を、と歩を進めていくと、漸く自分以外の人を見かける。
それは、冒険者のような風貌の黒髪の男性。
何故か、小さな白い狼と、普通の大きさの白い狼を連れている。
(王城内で?)
意味がわからない、と文官の女性は思考を放棄したかった。
ただ、目の前の光景に対して、一部合致する情報が文官の女性にはある。
(確か、ダンジョン「内剛外柔」を踏破したのは……)
それが目の前の人物だろうか? と考えた時、別のことも考えていた。
(この訳のわからない騒動を起こした敵……ではないよね? 声をかけても大丈夫かしら)
文官の女性には判断材料がなさ過ぎるため、明確な答えは出ない。
ただ、文官の女性が黒髪の冒険者たちを見ていたように、黒髪の冒険者たちも文官の女性を見ていた。
黒髪の冒険者は、文官の女性をジッと見て……首を傾げたかと思えば、何かを思い出したかのように、ポンと手を打つ。
「ああ! 門番の!」
門番? と首を傾げる文官の女性。
その間に、黒髪の冒険者は白い狼たちを伴って、文官の女性の下へ来る。
「もしかして、迷子か?」
「えっと、そういう訳ではありません。ところどころ崩れているので、外へ出ようと迂回している間にここに……それで、あなたは五つの宝物を集めて、ウォルク陛下と謁見されている……はずの方ですよね?」
「ああ、そうだけど、それはもう終わった。今から出るところ」
「そうですか。それで、えっと……」
文官の女性はどう話せばいいのか悩む。
何より知りたいのは、敵かどうかで、安全かどうかを知りたかった。
「……どうやら、私たちがどういう立ち位置かで悩んでいるようだね」
突然、文官の女性ではない女性の声が聞こえた。
文官の女性は驚き、声が聞こえた方……白く小さな狼に視線を向ける。
まさかね……と、文官の女性は自身の正気を疑うが――。
「そうなのか?」
「まあ、上の状況が伝わっていないだろうし、騎士や兵士は居らず、私たちも連れて居るからね。怪しまれても仕方ないんじゃないか?」
「つまり、原因は自分たちにあると言いたいのか?」
「はっ! 愛くるしい私たちとあんたなら、どっちを信じるかは明白だろうよ」
白く小さな狼が、黒髪の冒険者に向けて挑戦的な笑みを浮かべる。
黒髪の冒険者の方も、面白いことを言うじゃないか、とどこか挑戦的だ。
一方、文官の女性は――。
「しゃ、しゃべ……」
白く小さな狼が言葉を発していることに驚いていた。
そんな文官の女性に、黒髪の冒険者が声をかける。
「まあ、いいや。出口を知っているなら、案内してくれないか? 危険だと思うのなら、距離を取ってくれても構わない。俺としては最悪壁を壊して出るつもりだったが、壊さなくて済むのなら、そっちの方がいいからな」
文官の女性としても一人で行動するよりは、と道案内をすることにした。
何より、黒髪の冒険者と白い狼たちから発せられる雰囲気がどこか和やかなモノだったのが、その選択を選ばせた。
そして、道すがら今回の出来事を黒髪の冒険者から聞いたのだが――。
(……どこまで本当なんだろう)
と、にわかには信じられなかった。
そして、そろそろ出口――外が見えるところまでくると、黒髪の冒険者が文官の女性に声をかける。
「案内ありがとう。助かった。このお礼は、そうだな……俺に五つの宝物を集めればいいと指針を示した門番の兵士からもらってくれ。ついでに、『色々教えてくれて助かった。それと、頑張れよ』と、俺からの激励の言葉も伝えてくれると助かる。じゃ!」
一方的に伝えて、文官の女性を追い越した黒髪の冒険者と白い狼たちは王城から飛び出すように出て行く。
文官の女性が王城から出た時には、もうその姿はどこにもなかった。
―――
後日。
今回の出来事を知った文官の女性は、黒髪の冒険者が言っていた門番の兵士が誰かを特定し、言われたことを伝える。
黒髪の冒険者の感謝の言葉と、道案内のお礼はその門番の兵士からもらってくれ、ということを。
ただ、文官の女性としては、伝えただけで終わっている。
道案内をしただけで、お礼をもらおうとは思っていない。
けれど、門番の兵士の方は違う。
これは黒髪の冒険者から与えられた機会だと思っていた。
余計なお世話とか。なんとか心の中で悪態を吐きつつ、門番の兵士は顔を真っ赤にして、勇気を振り絞る。
「あ、あの、でしたら、自分と、その……お食事でも行きませんか!」
「え、あ、はい。私でよければ」
翌年、この二人は結婚する。




