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世界一の強国と呼ばれている国・オーラクレンツ王国。
その国内にある町の一つ、リーン。
リーンは、国内の中では発展している方の町だった。
といっても、そのレベルはそれなりに、である。
主要都市などではないが、その間を繋ぐ中継地点のような位置づけの町。
現在、その町に向けて魔物の大群が向かっていた。
「魔物大氾濫」である。
冒険者ギルドで魔物の討伐依頼を受けた冒険者パーティは、リーンから少し離れた位置にある森の中で討伐対象の魔物を探していた。
薬草とかがあれば採取しておきたいとか、陽の高い内に帰りたいなど、どこか余裕が見える。
それも仕方ない。
この冒険者パーティにとって、この依頼は既に何度か受けた事のあるモノであり、慣れているのだ。
今も、さっさと終わらせたあとの事を考えながら行動している。
かといって、注意力が散漫という訳ではない。
会話はしているが、周囲の様子は常に探っているのだ。
何しろ、この冒険者パーティは新人という訳ではない。
ベテランとまではいかないが、そろそろ中堅クラスに入りそうなレベルであり、冒険者ギルド・リーン支部からの評価も高いといっていい感じである。
だからこそ、だろうか。
新人レベルであれば、おそらく先に発見はできずにそのまま飲まれて食い物にされていただろう。
それなりのレベルであったからこそ、先に発見する事ができたのだ。
始まりは、森の中に動物の姿を見かけない事に気付いた事だった。
そこで何かしらの異変を感じ、軽口は潜めて周囲を警戒しながら進み、位置的には崖下に魔物大氾濫を発見したのだ。
様々な種が揃い、おびただしい数の大群を。
そして、その進行方向上にあるのは、リーンだという事に気付く。
冒険者パーティは直ぐ引き返し、リーンに向けて必死に駆け戻る。
魔物大氾濫よりも先に戻らなければいけないと、その思いを胸に秘めて。
―――
魔物大氾濫の報告を受けて、リーンの町全体が混乱に包まれる。
何より重要なのは、その位置だった。
少し離れた位置にある森の中で発見され、その報告が届けられる頃には、もうかなり近くまで侵攻していたのだ。
まだ時間があれば、取れる手段も増えただろう。
他にも色々とあったはずだ。
しかし、もう取れる選択肢がそれほどないくらいに近付いているため、町の者たちが取る行動は大きく三つに分けられた。
一つは、迎え撃とうとする者。
一つは、それでも逃げ出す者。
一つは、神に祈る者。
何しろ、魔物大氾濫となれば、襲撃されれば町一つがなくなってもおかしくないレベルの話なのだ。
細かい行動は他にもあるが、大きく分けるとその三つであった。
もちろん、この世界の魔物が当然のように生息しているため、町は魔物の侵攻を防ぐために高い壁に囲まれているのが通常である。
中には様々な理由で壁がないところもあるが、どちらかといえば、そちらの方が稀だ。
リーンはその例に漏れず、高い壁に囲まれている。
だからといって、絶対に安全、という訳ではない。
耐久度というものがある。
一体二体……強さの程度にもよるが、十数体くらいであれば壁は耐えきれるだろうし、その前に排除してしまえばいいだけなので、問題なかっただろう。
しかし、魔物大氾濫はそもそもの数が、前提が違っている。
十数ではなく、数十、数百単位であり、現在リーンに向かっている魔物大氾濫の数は、その数百単位の方であった。
構成としては、ゴブリンを従えるオーガといった感じだろうか。
大多数の通常ゴブリンに、上位種であるゴブリンメイジやゴブリンナイトの姿も確認でき、更にその上に君臨しているオーガキングを筆頭にした、オーガの中でも上位種たち。
その力の総数を数値化すれば、間違いなく町一つを壊滅できるだけの戦力を有している。
そして、リーンを治める代官――正確にはリーンがある領内を治める貴族から派遣されている代官の選択は、籠城だった。
報告を受けて直ぐに主要都市に向けて救援依頼の使者を送り出し、あとはその到着を待つまで耐えればいいと判断したのだ。
ただし、それにはある問題が付きまとう。
救援の援軍を送り出せるだけの戦力を有している町、もしくは都市となると、どれだけ早くてもリーンまで一日半はかかる。
その上で援護という数を用意して戻ってくるとなると、単純な往復時間ではなく、さらに数日を有するのは間違いない。
それまで魔物大氾濫を耐えなければならず、壁がもつかは運次第である。
代官としては、それまで壁がもつという判断。
ただし、大人しく救援を待つのではなく、壁の上には四、五人が並んで歩けるだけのスペースがあるため、そこから弓矢や魔法で数を減らしていけば、充分助かる見込みがある、と考えたのだ。
それに異を唱えたのが、冒険者ギルド・リーン支部のギルドマスターであった。
リーン支部のギルドマスターは屈強な男性である。
というのも、元々Aランク冒険者からの叩き上げでギルドマスターになったという経緯があるからだ。
だからこそ、と言うべきか、ギルドマスターは元Aランク冒険者という経験からくる勘が告げていた。
――守っているだけでは駄目だ、と。
もちろん、代官の案が正しい事もあるが、今回は違う気がしてならない。
嫌な予感、のようなモノが、ギルドマスターの脳裏から消えなかった。
故に、打って出るべき、だと考えている。
実際、届けられた報告から判断すれば、リーンの戦力だけでも充分に対抗できるという目算も立てられる。
何しろ、この国は世界一の強国と言われているのだ。
騎士や兵士、それこそ冒険者も、その質は他国よりも高い傾向にある。
それに、報告だけを鵜呑みにしている訳ではない。
正確な報告かもしれないが、それでも予期せぬ事はいつだって起こるのだ。
ギルドマスターも冒険者時代にはそういう経験を何度もしている。
それでも乗り越えて今に至るからこそ、己の勘というモノを信じたかった……いや、信じたい。信じているのだ。
故に、冒険者ギルドは代官の指示に従わず、独自の判断で動く事になった。
それが許されるのが、冒険者ギルドという組織である。
冒険者ギルドは世界各地にある一組織であるため、その国に所属しているという訳ではなく、寧ろ有事の際は独立行動権が認められているのだった。
―――
冒険者ギルド内にある一室。
魔物大氾濫による緊急作戦室として用意されたこの部屋の中央には大きな机と、その上にリーン周辺の地図と、集められた情報を記した書類がたくさん置かれている。
その机の周辺に、ギルドマスターと、リーン所属の高ランク冒険者数名が集まり、そこにリーンの警備隊隊長の姿もあった。
「……悪いな、巻き込むような形になって」
ギルドマスターが警備隊隊長に向けて謝罪の言葉を告げる。
対する警備隊隊長は苦笑を浮かべた。
「いいさ。私もどちらかと言えば、あなたの意見寄りだからね。ただ、さすがに全隊員の参加はできない。町内の警備もあるからね。それに命を懸ける必要もあるし、まずは有志だけとなるが、それで許して欲しい」
「いや、人が増えるのは単純に助かる。冒険者だけだと、ちと厳しいからな。それに、騎士や兵士も何人か寄越してくれるそうだ」
「そうなのかい? まあ、ここの騎士団は代官ほど頭が固くないからね。こういう場合は、柔軟に対応してくれて助かるよ」
それほど規模は多くないが、リーンには領主である貴族持ちの騎士団の一部が派遣されている。
基本的には代官の命令に従わないといけないが、それでも融通を利かせてくれたのだ。
警備隊に関しては、その所属は代官ではなく町そのものであるため、もちろん従わないといけない場合もあるが、ある程度の自由が許されているため、今はこうして冒険者ギルドに協力しているのである。
代官としては冒険者ギルドと警備隊にも籠城に協力して欲しくはあるが、命令として強制はできないのだ。
なので、そんな中でもわずかばかり派遣してくれるのはありがたい、とギルドマスターだけではなく、警備隊隊長も内心で思う。
ただ、それでも厳しい状況なのは変わっていない。
何より、ギルドマスターにはある不安要素があり、その事が頭の中から離れて消えなかった。
僅かばかりの違和感として、警備隊隊長が敏感に察する。
「どうかしたのかい?」
「いや……なんでも」
「こういう事態だからね。何か思うところがあるのなら、言ってくれた方がありがたいかな」
「……そうだな。もしもの想定は必要だ、ただ、これは眉唾……確定している訳ではないが、冒険者ギルド本部から全支部に伝えられた情報の中に……北の国で魔族による襲撃があったとの報告があった」
「なっ! それで?」
「町は壊滅状態に近く、その魔族はどこへなりとも姿を消したらしい」
「そうか。それはなんとも言えないが……今、その話をするという事は、まさか、これもそうだと思っているのかい?」
「……普通なら起こらないだろう魔物大氾濫というだけではなく、狙ったようにここに向かって来ている、というのがな。どうにも作為的なモノを感じてしまう。といっても、俺の勘でしかなく、確証は何もないが」
「いや、最悪の想定をしておくのは悪い事じゃないよ。それに、この前だって、その勘で冒険者パーティを救っていたじゃないか。キミがリーン所属の冒険者たちに慕われている理由の一つなんだから、邪険にする事はできないよ」
警備隊隊長の言葉に、この場に居る高ランク冒険者たちも同意するように頷く。
「……ふんっ」
そっぽを向くギルドマスターだが、その頬が少しだけ赤くなっているので、感情までは隠しきれていなかった。
「と、とにかくだ。とりあえずだが、調べられるだけ調べてもらった情報を元に、これからの行動を決めていくぞ。まず気を付けるべきは、やはり上位種だろう」
ギルドマスターが中央の机の上に置かれている地図や書類に目を向ける。
その動きに合わせて、この場に居る他の者たちも同じように机の上に視線を向けた。
と、その時――ドバンッ! と部屋の扉が乱暴に開けられる。
室内に居た全員が何事かと臨戦態勢を取るが、視線の先、開けられた扉の先に居たのは、足を突き出している姿勢の男性が一人――ニトだった。
「邪魔する」
ニトはそのままズカズカと中に入っていく。
ギルドマスターたちが呆気に取られている間、ニトは机の上に置かれている地図を一瞥して、書類を数枚手に取って確認し出す。
「……ふーん」
ニトは納得するように頷くが、ギルドマスターたちは納得していない。
「なんだ? 誰だ、お前は」
ギルドマスターが険しい目付きでニトを見るが、ニトは特に気にした様子は見せず、書類を次々と見ていき、一言告げる。
「……お気になさらず」
「それは無理だ。ここに居るという事は冒険者だろうが、ここは今関係者以外の立ち入りを禁止されている。冒険者としての評価にも関わるし、違反行為と捉えられてもおかしくない」
「ああ、お構いなく。そもそもランクは一番下だからな。下がりようがない。それに、もう知りたい情報は得られた」
手に取っていた書類を元の位置に戻し、ニトは室内に居る者たちを順に見ていってから、グッと握った拳を見せる。
「まっ、今来ている分はここの戦力だけで大丈夫だろ。頑張って。じゃ」
それだけ告げて、ニトはなんでもないように出て行く。
「……なんだったんだ、あいつは。……いや、あんなのに構っている暇はない。早急にこれからの事を決めなければ」
突然の乱入者に構っている暇はないと、この場に居る者たちは魔物大氾濫に向けて作戦を早急に練っていく。
それこそ、突然現れたニトの事など気にも留めず、忘れ去って――。