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「グガアアアアア!」
ゴールドレッドドラゴンがこれまでで一番の咆哮を上げる。
大気が震え、壊れた壁からパラパラと破片が落ちていく。
それだけ気合のようなモノを込めなければいけない相手だと、わかっているからだ。
咆哮の向かう先は、ノイン。
ゴールドレッドドラゴンは魔族の命令通りにしか動けないが、知能がない訳ではない。
だから、理解しているのだ。
本能、と言い換えてもいい。
自身の中の生存本能が訴えているのだ。
この相手は、少しでも気を緩めれば……生存競争に負ける。
つまり、殺される、と。
ゴールドレッドドラゴンが気合を込めたのには理由がある。
何故なら、先ほどまでは恐怖と絶望しかなかったからだ。
けれど、今は違う。
諦めていた生存本能が動き出し、ゴールドレッドドラゴンに、生き残ってみせるという希望が灯された。
「……やれやれ。先ほどまでは震えていたのに、私を相手にして生き残ろうと思うなんてね」
ノインは、そんなゴールドレッドドラゴンの心中を正確に見抜いていた。
先ほどまで抱いていた恐怖と絶望についても。
「舐められたモンだね。この私が……。まっ、その理由もわかるけどね」
チラリ、とノインはニトを見る。
ゴールドレッドドラゴンは憶えていた……いや、もはやここまでくれば刻まれていた、というべきか。
自分を構成する元となったモノすべてが、ニトの圧倒的な力によって蹂躙されたことを。
もし命令されれば喜んで、それか縛る存在が居なければ、ニトを視界に捉えた瞬間、直ぐにでもゴールドレッドドラゴンは逃げ出したかった。
だが、ゴールドレッドドラゴンが実際に相手をするのは、他の狼とは大きさが違うだけとしか思えない白い巨大狼。
確かに強い力は感じる。
それこそ、下手をすれば自分より強く、死力を尽くさなければいけない、と。
命令されたから、という部分もあるにはあるが、自分にとっての恐怖と絶望の象徴でないのなら、やってやれないことはない、と思っている。
いや、この場合は恐怖と絶望から解放されたことによる反動で、自分は生き残れる、勝利できると希望を抱いた、思い込みたかったといったところか。
ノインは、ゴールドレッドドラゴンのそれら感情を正確に読み取っていたのだ。
「……はあ。出来損ないの粗悪品ごときが、私に勝てること自体が無謀だと教えてやらないとね。……その身をもって」
ノインから発せられる圧力が増す。
ただ、それは敵意や殺意の類いではなく、純粋な闘争心によるモノ。
ノインからすれば敵は敵だが、そういう感情を向けるべき相手かどうかの区別はある。
ただ、倒すだけ。
それと、魔族がゴールドレッドドラゴンの強さを自慢げにしていたので、それを打破するのはさぞかし痛快だとうという意図が、若干含まれている程度である。
「グガアッ!」
ノインの闘争心に反応して、ゴールドレッドドラゴンが羽を広げ、ここでは満足に動けないとでもいうように飛び立つ。
ただ、ゴールドレッドドラゴンの思惑としては、安全圏を得たかった。
ノインの姿を見て、空中という優位性を取得したのだ。
空中に留まっているゴールドレッドドラゴンは、どこか安堵が見え隠れしていた。
ノインは顔を上げて、ゴールドレッドドラゴンを見る。
「……そういえば、生まれたてだったね。だったら、知らなくて当然……まあ、間抜けには見えてしまうだろうけど、それは安易に空中を選んだ自己責任だよ……アォーン!」
ノインが遠吠えと同時に魔法を発動。
足を出せば、まるでそこに見えない足場があるかのように空中で踏ん張り、そのまま上空へと駆け上がっていく。
なんてことはない。
本当に見えない足場があるのだ。
ノインが魔法で風を操り、踏み出した先の箇所の空気の流れを留めて足場としている。
空を疾走している姿は、まるで絵画、物語の一場面のよう。
そのまま空中で、先ほどと同じようにゴールドレッドドラゴンと対峙したノインは、ニヤリと口角を上げる。
「空中なら自由に動けるね。それに、いい眺めで気分もよくなったよ」
空中は安全圏ではないと示されたゴールドレッドドラゴンは、少なからず動揺して目が見開かれる。
「おや? 驚かせてしまったようだね。翼も羽もないのに空中に居るのが不思議か? でもこれは、私だからできるってことではなく、フェンリルであれば……いや、これくらいのこと、ある程度以上強くなれば、何かしらの方法でどうにでもできるモノなんだよ。私は、こうしているってだけで、ね」
フェンリルというだけではなく、種族、と一区切りごとに分けられようが、実際はどこも同じくその中で個性があり、得手不得手は存在している。
相手が有利な場所に居るからといってそれで決する訳ではなく、ノインが言ったように、ある程度以上の力を持つまでに至れば、得手不得手の中から何かしらの対抗手段を作り出すモノだ。
ノインの場合、もっとも得意としているのは、風を操ること――風属性の魔法を扱えることである。
魔法の使い手としての技量もだが、魔力量も豊富ということで、そこらの者なら当然のように、たとえ一流が相手であったとしても引けを取らない……どころの話ではなく、それこそ世界でも数えることしかできないレベルの使い手であった。
そんなノインにとって、敵が空中に居るというのは大した問題……いや、些細ですらなく、そもそも問題として捉えるようなことではない。
「それじゃあ、いくよ」
宣言して、ノインは空中を駆ける。
弧を描くようにして、ゴールドレッドドラゴンに迫っていく。
ゴールドレッドドラゴンもまた、ノインの動きに反応。
羽ばたきを始め、ノインと同じように弧を描きながら高速移動を始める。
両者は直ぐに顔を見合わせ、すれ違いながらノインの爪とゴールドレッドドラゴンの爪がぶつかり合い、空中に硬いモノ同士がぶつかる鈍い音と火花が散った。
それで終わりではなく、両者は円を描きようにして動き続け、接触するたびに鈍い音を響かせながら火花を咲かせる。
「ガアッ!」
先に動いたのは、ゴールドレッドドラゴンの方。
円を描く動きは変わっていないが、接触していない間、口を開いてそこから魔力の塊――魔力弾というべき攻撃を連射していく。
牽制の意味合いが強いが、ドラゴンが放っている以上、その威力は牽制レベルではない。
ノインは速度の緩急やジグザグ走行ですべて回避しているが、外れた魔力弾のいくつかが遠くの山や森に着弾すると同時に大爆発を起こしている。
まともに当たれば大きなダメージを負うのは間違いなかった。
ただ、当たらない。
どれだけ威力が込められていようとも、当たらなければどうということはないと、ノインはすべて回避し続けながら駆けていく。
次に動いたのはノイン。
円を描くような疾走をやめ、ゴールドレッドドラゴンに向かって一直線に突き進む。
急な動きの変化に戸惑うゴールドレッドドラゴンは、焦るようにノインに向けて魔力弾をさらに連射。
ノインは速度を緩めず、サイドステップだけで回避していくが、その内の一発が当たりそうになって――その一発が自らノインを避けるようにして外れていく。
なんてことはない。
魔法で風を操り、受け流しただけである。
ゴールドレッドドラゴンからすれば受け流せるような威力で放っていないために驚愕だが、ノインにとっては造作もないこと。
驚愕したことで対応が遅れたゴールドレッドドラゴンは、一直線に疾走してきたノインが振るう爪に腹部の一部が裂かれる。
「グガアッ!」
「どうだい? 生まれて初め感じるだろう痛みは? 喜びを感じるようなら、これ以上相手はしたくないもんだね」
「グギィッ!」
「怒りを露わにして襲いかかってくるか。まだ相手をして欲しいのなら、撫でるくらいはしてあげるよ」
ゴールドレッドドラゴンも直線的な動きに変わり、ノインに襲いかかる。
爪や魔力弾だけではなく、突進や噛み付き、尻尾を振るうなど、ゴールドレッドドラゴンは次々と攻撃を繰り出していくが、ノインはそのすべてを回避していく。
しかも、ギリギリではなく、余裕をもって、だ。
「なるほど。戦闘能力値は……まあ、思っていたよりはいいみたいだね。でも、圧倒的なまでに戦闘経験値が足りない。体の動かし方ってのがわかってないね。……ここまでやれば、あんただって薄々気付いているんじゃないか? 自分が弱いということを……想定よりも、考えているよりも弱いということを。それが当然なんだけど、どうやらそれがわかっていないようだね」
ゴールドレッドドラゴンの攻撃をかわしつつ、ノインはそう口を開く。
それは、図星だった。
ゴールドレッドドラゴン自身も、ノインとの戦闘を経て似たようなことを考え始めていた。
ドラゴン――とは、言ってしまえば種族において最強である。
もちろん、その中にも強弱は存在するが、最強種族である以上は基礎となる強さは他と比べるまでもないほどだ。
なのに、ゴールドレッドドラゴンは、ドラゴンでありながら、自身が思っているよりもドラゴンとしての強さを発揮できずにいた。
その理由を、ノインは知っている。
「あんたが悪いんじゃないよ。あの魔族が勘違いして、馬鹿なだけだね」
ゴールドレッドドラゴンの攻撃をかわしつつ、反撃として爪で裂きながら、ノインは笑みを浮かべる。
――かけ合わせる。
それがそもそもの間違いなのだ。
ドラゴン――竜種は、その存在自体が既に完成形なのだ。
竜種を軸に別のを一部を交ぜるのなら、まだ許容範囲である。
だが、竜種が何かの一部でしかないのなら、たとえ竜種が持つ膨大な魔力の源と言われている心臓を利用しようとも、所詮は全体の一部でしかない。
元の竜種の本来の力には遠く及ばないのである。
竜種としての力の源があろうとも、その力を発揮できるだけの器の方が耐えられないのだ。
何を代用しようとも、竜種の膨大な魔力に対応、もしくは順応できるのは、竜種の血肉だけ。
なので、ゴールドレッドドラゴンと大層な名を付けられようが、所詮竜種の力を宿しているのはその心臓だけであり、竜種としてみれば竜種としての力を振るえるだけの器がなく、その存在は「欠陥品」としか言えなかった。
つまり、魔族が行った五つの素材を元に作成した、というのは聞こえがいいだけで、ドラゴンの心臓という強大な力に対して、残り四つの素材は足を引っ張るだけのマイナス要因でしかない。
さらに言えば、そこに魔族の魔力という不純物まで追加されている。
竜種としてみれば、ゴールドレッドドラゴンは心臓の元となったレッドドラゴンの劣化版でしかなかった。
このことに、魔族は気付いていない。
魔族からすれば、かけ合わせることで強くなると思っているゴールドレッドドラゴンの戦闘力とノインの戦闘力が、どれだけ違うのかを把握できるだけの強さは持っていないため、わからないのだ。
強いということがわかっても、それがどれだけ強いのかがわからないのである。
自分の作成したモノが弱い訳がない、最強であるという思い込みしかなかった。
ノインと戦い、目の前の相手と比べて自身がどれだけ弱いかを、ゴールドレッドドラゴンは悟ってしまう。
死力を尽くせばどうにかなる、なんてレベルの話ではなく、そう思うこと自体が思い上がりでしかなかった、と。
それでも、命令に従って戦うしかない。
逃れることはできないのだ。
「グガアアアアアッ!」
ドラゴンブレスを吐くゴールドレッドドラゴン。
「私からすれば大した違いではないね」
真正面から突き進みながら、ノインは風属性の魔法で、魔力弾と同じように無理矢理軌道をずらして逸らせる。
ドラゴンブレスはさらなる上空に進んだ先で霧散するように消えていく。
ノインはそのまま一直線に迫り――。
「また殺されるとは憐れだけど、今度は安らかな眠りを与えてあげるよ」
そんな言葉をゴールドレッドドラゴンに残して、ノインは両爪を瞬間的な速度で縦横無尽に何度も振るう。
ゴールドレッドドラゴンはその速度を追うことができず、ノインの両爪によって細切れにされてその命を落とした。
「火はそこまで得意じゃないんだけどね」
それでもできないことはないと、ノインが小さく息を吐けば火が照射され、それに風属性の魔法を加えてさらに燃焼させて、ただの火から猛火へと発展し、火炎放射となる。
ノインは、それで肉片となったゴールドレッドドラゴンをすべて焼き尽くす。
本来の竜種であれば、たとえ死亡したとしても猛火程度であればすべてを焼き尽くすことはできないが、これも劣化版故に可能なことであった。
「……さて、戻るとするかね。本命も残っていることだし………………ニトがうっかり片付けてなければいいが」
苦笑を浮かべて、ノインは謁見の間に向けて下りていく。




