21
魔族からすると、最初意味がわからなかった。
順調に進んでいた自分の策略。
あとはどうやって相手に絶望を与えて、自分の趣味嗜好を満足させるか、といったところだったのに、いきなり自分の邪魔をする者が現れたため、排除しようと魔物を差し向ければなんでもないように放り投げられ、空中で白い巨大狼によって魔物が裂き殺されてしまうという結果である。
その巨大狼を見て、魔族の中に何かが過ぎった。
ただし、それは一瞬のことであり、気にすることではないと、そのことを考えようともしない。
未だ、優位……いや、勝利を手にしているのは自分だと、その感覚に浸透しきっているのだ。
それに、魔族自体は自慢の防御陣の中で、それは魔族にとって絶対安全圏である。
だから気付かないというか、認識しないのだ。
それが、不安や恐怖といった感情の発露であったことを。
しかし、それでも魔族にとって気になることがない訳ではない。
というのも、魔族はその白い巨大狼をどこかで見た憶えがあるのだが、次の瞬間にはそんな訳がないと思う。
何故なら、魔族の中でそれ――フェンリルが目の前に居る訳がなかった。
そこらの魔物であれば替えの効く道具としてまったく意に介していないが、さすがにフェンリルクラスともなれば別である。
母娘フェンリルの娘の方を人質のように扱って母親に隷属の首輪を嵌めさせ、それでも抵抗できていたので自分の部下の能力も使ってさらに縛り、今はその部下に同行させている……はずなのだ。
たとえその部下に何かがあろうとも、この魔族は自身の製作した隷属の首輪に絶対の自信を持っている。
容易に外せないというか、製作者である自分以外には外せないような緻密で複雑な施錠機構にしているのだ。
魔族の目に映るフェンリルに、隷属の首輪は嵌められていない。
その形跡すらない。
ならば、と瞬間的に考えた末に魔族が導き出した結論は、自分が捕らえた母親フェンリルとは別個体であるということ。
フェンリルクラスがそこらに居る訳ないが、可能性としてゼロではないため、その結論に至ったのだ。
そして、次に考えたのが、どうやって捕らえるか、だった。
隷属の首輪は収納袋に入っているし、フェンリルクラスが手に入る機会を逃すのは惜しいと欲をかく。
邪魔をしてきた者と従魔契約を結んでいようが、魔族からすれば関係なかった。
隷属の首輪で強制的に従わせるだけだ、と。
同じフェンリルなら牽制、もしくは隙に繋がると思い、魔族は召喚魔法陣から捕らえている娘フェンリルを召喚しようとして……何もしょうかんできない。
召喚魔法陣の故障とか、別の魔物を召喚して、ワニ型の魔物を召喚する。
召喚できるのなら故障ではない。
なら、既に召喚しているのだろう、と魔族は新たに召喚した魔物たちに視線を向け……見当たらなかった。
どういうことだ? と魔族が心の中に言い知れぬ不安を抱こうとする前に、少し離れた位置から歓声が鳴り響く。
何事かと魔族が視線を向ければ――そこでは蹂躙が行われていた。
魔物たちによる、ではなく、魔物たちが蹂躙されているのだ。
フェンリルによって。
「おお! さすがは成体ではないとはいえ、フェンリル! この程度の魔物がいくらいようとも、ものともしないとは!」
冒険者ギルドマスターが拍手と共に称賛の言葉を口にする。
何しろ、すべての魔物が文字通り一蹴されているのだ。
「いや、まったくもって、冒険者ギルドマスターの言う通りだ」
「見ろ。戦いであっても凛々しく美しい姿を。まるで物語に出てくる戦乙女そのものではないか」
「ふわふわ……もこもこ……」
冒険者ギルドマスターだけではなく、戦っていた者や非戦闘員たちも、同じように称賛の言葉を口にしていた。
近衛騎士たちも、フェンリルと戦うことにならなくて、どこかホッとしているように見える。
そうして彼らが見ている中、フェンリルは魔物たちをその爪で薙ぐように一掃し、牙で噛み殺していき、締めは胸を張って誇らしげな姿を見せる。
称賛されて、調子に乗っているようにも見えた。
そのフェンリルにも隷属の首輪は嵌められていないが、その残骸らしきモノは近くの床に転がっている。
魔族は、そこからそのフェンリルが娘フェンリルだと判断して……馬鹿な! と驚愕と狼狽を同時に思い抱く。
ただ、これに関しては魔物がやられていることにではなく、隷属の首輪が外されていることに対する感情……自分以外に外せる者が居たのか、という驚愕と狼狽である。
実際は正規手順で外した訳ではなく、物理で壊して外しただけなのだが、魔族がそこに気付く様子はなかった。
娘フェンリルの様子は、ニトとノインも見ている。
「……あれ、いいのか?」
ニトがノインに言いたいのは、余計な欲を抱いている者たちのことだ。
フェンリルの強さを見せるのはいいが、協力的な姿勢を見せると、なんでも言うことを聞かせられるのではと勘違いする者が出てくるのでは? と懸念したのである。
一応注意はしたが、それでもそういう者は出てくるモノだ。
ニトとしては、せっかく助けたのだから、という思いから尋ねていた。
「娘も鬱憤が溜まっていたからね。発散するには丁度いいのさ」
「いや、そうじゃなく」
「わかっているよ。躾は既に終わっているよ。といっても、私がやった訳じゃないけどね」
ふふん、と問題は解決したと言わんばかりのノイン。
不思議に思ったニトが周囲に居た者たちの方に視線を向ければ、数名がボコられていた。
その数名は、ノインと娘フェンリルを欲深く見ていた者たち。
やったのはノイン――とは、ニトは考えなかった。
そもそもノインなら既に殺っているだろうし、生きている時点で違うと判断。
なので、おそらく、という注釈は付くが、冒険者ギルドマスターやその他の人たちによるモノだろうと、ニトは思った。
今はフェンリルに助けられて命を救われているようなモノなので、そのことに恩を感じているからこそ、そのことすらわからずに手を出そうとしている者たちの愚かな行為によってフェンリルが敵対した場合、それこそ命はない。
母親が黙っていない。
ノインが、ジャッ! と爪を軽く振るうだけで終わる命だとわかっているのだ。
なので、そういう事態が起こらないよう、先手を打っただけである。
ボコった側はどこか晴れやかな表情なので、やられた者たちは常日頃の行いも悪かったのだろう。
近衛騎士たちにも同じような晴れやかさがあるので、きっと間違いではない。
あっちは大丈夫だと判断して、ニトは魔族に視線を戻す。
魔族は、まだ驚愕と狼狽から意識が戻っていない。
だが、それでは困るのだ。
ニトは、魔族に聞きたいことがある。
「呆けるのは勝手だが、まずはこちらの質問に答えてもらおうか」
「……ふ、ふざけるな。隷属の首輪はワシにしか外せないはず……そう、魔族は絶対の上位存在……ワシは支配する側だから……そうか、不良品ということですか。ワシが失敗する訳がない以上、材質の方に問題があったと考えるべき。首輪に使用した魔石の質が悪く、フェンリルの魔力に耐えきれなくなったに違いない。でなければ、首輪が外れるわけがありません。フェンリルに使用したのに不良品が当たったのは面倒ですが、また嵌めてしまえばいいだけ」
ニトの言葉は聞こえておらず、魔族は自問自答で自分にとって都合のいい答えを出す。
こいつ駄目かもしれない、とニトは肩をすくめる。
ノインは、こいつはどうしようもない、もしくはこんなのに捕まっていた自分が情けない、と頭を振って息を吐く。
仕方ない、とニトは先ほどよりも大きな声で言う。
「おい! 聞こえているか、馬鹿。勝手に解釈するのはお前の勝手だが、まずは俺の質問に答えてからにしろ!」
「……馬鹿、ですか? それはもしかして、ワシのことを言っているのか?」
「他に誰が居る。どう見ても俺はお前に向けて話しているだろうが。それとも、目まで節穴なのか? いや、事実や真実を見ていないのだから節穴だったな」
「劣等種族が言ってくれます。フェンリルを従え、別の個体が解放されたことで気が大きくなりましたか? 現状を正しく認識できないのは、やはり劣等種族としか言えませんが」
ニトとノインは顔を見合わせ、呆れた視線を魔族に向ける。
現状を正しく認識していないのはお前の方だ、と。
ついでに、こいつから得る情報の信憑性が怪しくなってきたな、とニトは思った。
「わからない、といった表情だが、お前の自信の源はフェンリルが二体居ることでは? 確かに強い力を持ってはいますが、それはそちらの成体だけ。あちらは幼く、精々あのクラスの魔物を相手にするだけで、その内体力が尽きて動かなくなります。まともな食事を与えていませんから、長く戦えるだけの力はないですし」
自信満々にそう述べていく魔族。
まともな食事を与えていないというところで、ノインがブチ切れそうになった。
瞬間的に殺意が膨れ上がって放出されるが、これで黙らせるのは自分の気が済まないと、直ぐに霧散したために魔族は気付かない。
物理でわからせてやる、と獰猛な笑みを浮かべる。
「それに、成体といっても所詮はフェンリル。ワシが作成したゴールドレッドドラゴンの敵ではない」
「……と言っているけど、どうなの? なんか敵じゃないとか、馬鹿なこと言っているけど?」
「ニトも気付いているようだね。でもまあ、せっかくのご指名だし、私が相手をしてやろうじゃないか。……私の分も残しておくんだよ」
「魔族にやり返す分のことなら、早く済ませるんだな。俺は聞きたいことを聞いたら、さっさと終わらせるぞ」
「なら、こっちもさっさと終わらせないとね」
ノインがゆっくりと前に出て、ゴールドレッドドラゴンと対峙する。
牙を剥き、ノインは好戦的な表情を浮かべた。
その様子を見た魔族は、ノインに向けて嘲る笑みを浮かべる。
「愚かとしか言えません。フェンリルといえど、所詮は獣ということの証明そのもの。戦力差も理解できないとは……ゴールドレッドドラゴン。あの獣を殺しなさい……いや、倒しなさい。素材として利用します。そのために鮮度には気を遣わないと……」
「……」
ノインは視線だけ魔族の方に向けていたが、もうこれ以上は何を言っても無駄だと、何も言わずにゴールドレッドドラゴンの方に視線を向ける。
まるで、相手にするだけ馬鹿らしいというように。
その態度に若干だがイラつきを見せる魔族。
だが、次の瞬間には、これから起こることは愉快だと、ご機嫌なモノに変わる。
「しかし、こうなると、お前の相手はこの魔物たちですか。迷宮を踏破したのですから、複数同時相手でも構わないでしょう?」
「ああ、構わないから、さっさとかかってこい」
「ええ、そうさせていただきます」
魔族が、強い方の魔物たちに命令を出してニトに差し向ける。
「できることなら、直ぐに死なないように。それだとつまらないので……ケヒヒ」
楽しそうに笑う魔族。
命令を受けた強い方の魔物たちが戦闘態勢に入り、一斉に襲いかかった。




