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戦場と化した謁見の間において、魔族が新たな魔物たちを召喚した。
どれもが、他の魔物たちとは別格であるという雰囲気を放っている。
事実、今はゴールドレッドドラゴンという切り札と言える存在を手にしたが、その前は直接戦闘の力が乏しいこの魔族にとって、新たに現れた魔物たちは元々の最大戦力であった。
どの魔物も冒険者ランクでいえば、S、Aランクレベルでなければ対処できない強さを持ち、隷属の首輪が嵌められていることで完全に魔族の制御下にある。
この魔族が、この場の戦いを終わらせようとしてきた。
だが、目立たないように普通のゴブリンやオークなどの魔物を倒していたノインが、新たに現れた魔物たちの中に白い狼が居るのを見た瞬間――。
⦅……居た! 見つけた!⦆
この瞬間を渇望していたと叫ぶ。
それでも声を出さなかったのは、ギリギリで理性が働いたからだ。
今はまだ大声を上げて注目を集めるべきではなく、寧ろもっと慎重に動くべきだ、と。
だからこそ、念話で叫んだ。
そこれこそ、思いの丈を示すように思いっきり。
テレビをつけたら大爆音だったような感じであったため、不意に聞かされたニトは若干迷惑そうな視線をノインに向ける。
ノインとしても大音量だったという自覚があったため、ニトの視線に対して若干申し訳なさそうにした。
⦅……はあ。まあいい。それで、あの白い狼で間違いなんだな?⦆
⦅そうだよ。私の娘だ⦆
⦅そうか⦆
ニトも新たに現れた魔物たちの方に視線を向け、その中の白い狼だけを確認する。
ノインの元の大きさは人の何倍もあるが、その白い狼は人を乗せて走ることはできると、人より少し大きい程度。
あとは白い狼なのは間違いないのだが、置かれていた環境がよくなかったのか、その毛並みはノインと比べると少し汚れている。
⦅……あの魔族。マジコロス⦆
白い狼が置かれていた環境を考えてか、ノインの殺意がかなり上がるが、外に漏れ出している訳ではないからか、ニトは気にした素振りを見せない。
ノインの殺意が相手を容易に震え上がらせるだけの濃密さであっても、やはり変わらず気にしないだろう。
というのも、殺意の濃密さは関係なく、元から殺すつもりだっただろう? と思うからだ。
なので、そのままニトは白い狼を見る。
意思のようなモノは感じられないというか、少なくとも見てわかる状態ではない。
ノインの娘とは言っても、未だフェンリルとしては若く未熟なのか、隷属の首輪に対抗できていないのだろう、とニトは推測した。
⦅とりあえず、狙い通りとほくそ笑むかどうかは置いておいて、姿を現したのならさっさと解放するか⦆
⦅なら、私がどうにかして連れて来るから、首輪を外して⦆
⦅その必要はない⦆
端的に答えたニトが、早速行動を移す。
⦅サッと行って首輪を外して……連れて戻ってくればいいだけだ⦆
ノインに念話で答えながら、ニトは言った通りにサッと、一瞬で新たな魔物たちの中に姿を現し、誰にも……それこそ魔物たちにすら気付かれることなく、ノインの時と同じように力業で反応する前に白い狼の隷属の首輪を掴み壊して外し、白い狼を担ぎ上げて連れ戻って、そのままノインに預けるように渡す。
⦅はい。終わり。これで協力の約束は果たしたからな⦆
⦅……ああ、ありがとう⦆
ノインは元の大きさに戻り、愛おしそうに娘に体を擦り寄せる。
最初は突然のことに戸惑っていたかのようなノインの娘も次第に状況を理解して、嬉しそうにノインに体を擦り付け始めた。
これに驚いたのは、近くで戦っていた近衛騎士たち、それと冒険者ギルドマスターや周辺に居た人たちだろう。
何しろ、ニトの動きがまったく見えなかったため、突然白い狼が現れたかと思えば、先ほどまで共に戦っていたように見えた小狼が一気に人の何倍も大きくなったのだ。
驚かない訳がない。
戦闘中であるにも関わらず。
そのため、戦う手がとまってしまった。
それは、戦闘中である魔物たちの方も普通なら手がとまってしまってもおかしくない。
突然大きくなったのもそうだが、本来のノインであれば何よりも存在としての格が違うため、本能で察して逃走を選択してもおかしくないのだ。
それでも戦っていた魔物たちが逃走しなかったのは、隷属の首輪によって行動が戦闘一択に絞られているからである。
なので、動きをとめた冒険者ギルドマスターや近衛騎士たちに向けて、そのまま魔物たちが襲いかかろうとした瞬間、ニトがすべてを瞬殺した。
「……まったく。狼が大きくなった程度で。襲いかかってくる敵を前にして動きをとめるとか、時と場合を考えろ」
ニトは戦っていた者たちに向けて、そう注意をする。
けれど、言われた方の感情としては、小狼が大狼になることを知っていたと思われるニトに対して、お前こそ時と場合を考えろと言いたくなった。
冒険者ギルドマスターは持ち前の勘でなんとなく普通ではないと察していたが、驚く時は驚くモノだ。
特に、予想よりも上だった場合は。
ただ、状況は別にとまっていない。
倒したのは次々と出てくる方の魔物たちであったため、再び召喚されて襲いかかってくる。
確かに今はとまっている場合ではないと、戦っていた者たちは再び戦闘を開始した。
「あっ、一応言っておくが、アレらは敵じゃないから攻撃しないように。何かあれば、そいつの自己責任ってことで」
ついでに、とばかりにニトはノインとその娘を指し示して注意を促す。
同時に、まあ、攻撃しても通じるとは思わないけど、と思ってもいた。
というのも、どこにだって馬鹿なヤツは居るというか、このような状況であっても余計な欲を抱く者は現れるもの。
ノインとその娘がフェンリルだと気付いているかどうかはわからないが、普通ではなく特殊な存在であるということは、誰の目から見ても明らかである。
そのため、安易に余計なことを考えてしまう者も現れてしまうため、ニトは牽制というか、とりあえず忠告だけしたのだ。
まあ、間違いなく返り討ちに遭うだろうし、ニトもその責任を取るつもりは毛頭ない。
言うことは言ったし、あとは言ったように自己責任である。
そして、ここでニトが幸運だったというよりは、魔族の方が不運だったと言うべきなのが、今この時において、この出来事はここに居る者たちしか知ることがなかったということだ。
何しろ、ニトが瞬間的に行動し過ぎて物音一つ立たなかったことと、この場に居た者たちも特に騒がなかったために、注目を集めるような大きな音が出なかった。
そのため、ウォルクとイリスは魔族に注視していて、エリオルは特別製スケルトンの相手で他に注意を向けることが難しく、魔族もウォルクのみに意識を向けていたため、誰も気付かない。
誰もが目の前の相手だけに意識を向けているため、視界が狭まっているのも関係しているだろう。
ゴールドレッドドラゴンは気付いているが、何かしらのアクションを起こすことはなかった。
魔族の命令に従う、隷属の首輪を嵌められているのと同じような状態なので、命令を理解して従う頭脳はあっても自主性はないのだ。
なので、魔族に報告する、といったこともない。
隷属の首輪による自主性の喪失は、こういう場合の弊害と言ってもいいだろう。
だからといって、ここで魔族が気付いていれば、何かが変わっていたということもない。
気付いていないからこそ、そのまま自己顕示欲を満たそうと行動している魔族は、どこか滑稽に映る。
「ケヒヒ。ワシの忠実なる魔物共よ。姫を、あの女をワシのところに連れてくるのだ。隣の男は痛めつけるには構わないが、殺さないようにな。絶望の表情を見てからで……なんだお前は?」
魔族がとても楽しそうに新たに現れた魔物たちに命令していたところ、それは阻むように、魔族とウォルクの間に立ちはだかる者が現れたのだ。
立ちはだかった者――ニトが、悠然と佇みながら口を開く。
「なんだと言われてもな。別も用件が済んだから、自分の用件を済ませるために、こっちにきただけだ」
「何をしている! ここはいいから別の方へ!」
ウォルクがニトに向けて、ここから離れろと手を大きく振って退避を促す。
ニトが邪魔だから、ということではなく、こちらに来る余裕があるのなら、最初に現れた方の魔物たち、もしくはエリオルの方に協力して特別製スケルトンをどうにかして欲しいと思っているからだ。
エリオルが評価したのだから、ニトが弱いとは思っていない。
ただ、魔族がドラゴンや強力な魔物たちを従えているのと、これまでの会話から自分とイリスが直ぐに殺されるようなことにはならないとわかったため、自分たちのところは一番時間的猶予があると判断していた。
なので、その時間的猶予の間に状況を変えられるだけの力を持っているのは、ウォルクからすればエリオルが第一候補であり、そのエリオルに評価されるだけの力を持っているニトに、まずは他方を優先して欲しいと考えたのである。
ただ、ニトに動く様子はない。
ウォルクの言葉は聞こえているし、その意図もわかっているだろうが、それでも動く必要はないと言わんばかりに佇むだけ。
ただ、魔族の方も逃がすつもりはなかった。
「訳のわからないことを……ああ、思い出しました。お前は五つの宝物を集めた者でしたか。なるほど。確か、捜している者が居て、それがワシだった……いや、あの場合はオイドの方か?」
「そうだな。最初は魔族であるお前に聞きたいことがあったが、今はそれだけじゃなく、宰相としても聞いておきたいことがあるな」
「そうですか。宝物を五つ集めてもらったのですから、できれば答えてあげたいところですが、ワシの興を阻害した罪はそれよりも大きい。償ってもらわなければ許せません」
魔族の視線が新たに現れた魔物たちに向けられる。
そこで魔族は……白い狼が居なくっていることに気付かない。
注意深く見ていないということもあるが、これは魔族の魔物たちに対する認識によるモノの方が大きいだろう。
結局のところ、この魔族にとって魔物は道具でしかなく、道具に愛着を持ってすらいない。
だから気付かず、今居る中での一体――人を容易に丸呑みできそうな大蛇に視線を向ける。
「あれを絞め殺しなさい」
魔族の命令に従って、大蛇が這ってニトの下へ。
その速度は非常に素早く、常人であればあっという間である。
大蛇はそのままとぐろを巻くようにニトに巻き付きながら内部に閉じ込め、締め上げていく。
ギチギチと、大蛇の鱗が擦れていく音が妙に響く。
「安易に邪魔をするからそうなるのです。五つの宝物を集めて、調子に乗ってしまいましたか? たかが冒険者風情が分不相応だと知りなさい。……まったく。せっかくこれからというところで邪魔が入るとは思いませんでした。もう少し、時と場合というモノを考えて行動して欲しいですね。さあ、ウォルク。続きを始め」
「話の邪魔だ」
魔族が再びウォルクに話しかけようとしたが、その間にドムン! と柔らかいモノを殴ったかのような鈍い音と、その直後に弾けるような音が響く。
ウォルク側からは見えていないが、魔族側からはハッキリと見えている。
大蛇の一部が吹き飛び、そこからニトの拳が飛び出ていた。
ニトの拳がそのまま手を開くのと同時に大蛇の体表をガシッと掴み、上に投げる。
大蛇は抵抗、したかもしれない。
ただ、それで対抗できるような力ではなく、大蛇は上空に放り投げられ、ニトはそのまま落ちてくるところを迎え撃とうと再度拳を握るが――大蛇が落ちきる前に、飛び出すように現れたノインが空中で爪を振るって細切れにして、ニトの傍に下り立つ。
「……余計なことだったか?」
娘を取り戻した以上、もはや隠す気はないとノインは口を開き、ニトに向けて話す。
それならそれで、とニトも気にした素振りは見せずに答える。
「いや、手間が省けたが、こっちにきていいのか?」
「構わないよ。今までこちらの手伝いをしてくれたんだ。なら、今度はこっちが手伝う番だよ。アレには借りもあるしね」
「そういえばそうだな。だが、話を聞き終わるまでは殺すなよ」
「わかっているよ。ニトこそ、勢い余ってうっかり殺すんじゃないよ」
「そうだな。あいつ弱そうだし、気を付けることにしよう」
ニトは気負った様子もなく悠然と構え、ノインは獰猛な笑みを浮かべる。




