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王城の一角から響く破壊と衝撃音は、王都・ヴィロール全体にも届いた。
謁見の間は王城の中でも上階の方にあったため、立ち昇る白煙は誰の目にも映る。
王都内の人々は何事かと騒がしくなり、推測や予測が飛び交う。
そこで響いたのが、咆哮。
何かはわからないが、只事ではないと認識するには充分だった。
王都内は一気に騒がしくなる。
それは、王城でも同じだった。
寧ろ、王都よりもダイレクトに破壊と衝撃は伝わっているため、騎士、兵士たちは即座に異変が起こった場所が謁見の間であると特定し、武装して向かい始めるが、そこで王都内にも届いた咆哮が響く。
何かしらの異変が起こり、魔物が出現したのだと、その咆哮から推測する。
ただ、普通の魔物とは声量からして違う咆哮に、騎士、兵士たちの緊張感は一気に増した。
王城に勤める非戦闘員たちも避難を始め、中にはなりふり構わず王城から出るといった者も居る。
王都内、王城内の人々は、誰しもが少なからず混乱していた。
突然のことだったのは言うまでもないが、その場所が王城だというのが大きな理由だろう。
王都・ヴィロールを囲う高い壁の外から魔物が現れるのなら、まだわかる、理解できる出来事だが、いきなり王城に魔物が現れたのである。
通常起こり得ないことが起こっている――つまり、異常事態であることは、誰から見ても明らかだった。
―――
全方位の壁と天井が破壊されたことによって、頭上からは陽光が降り注ぎ、謁見の間の中を覆い尽くす粉塵に反射してキラキラと輝いて、場違いな雰囲気を演出している。
中に居る非戦闘者たちにとって幸いだったのは、天井が消し飛ばされたことだった。
壁の砕けた瓦礫は壁際、もしくはその付近に落ちて、柱はそれほど砕けていないため、もし天井が落ちていれば大きな被害が与えられていただろう。
ただ、人によっては、この状態をチャンスと捉えるかもしれない。
粉塵に覆い尽くされているのは、何も自分たちだけではなく、相手も同様である。
視界不良を利用して、扉まで辿り着けるかもしれない。
もっとも、かなり激しい破壊と衝撃が起こったのだ。
当然外にも異変が伝わっているので、わざわざ危険を冒すまでもなく、その内援軍が来ることだろう。
それに、そうしたくてもできなかったというのが実情だ。
非戦闘者たちに、己の命を懸けてまでという気概はない。
周囲の状況が変わっていく中、変わらない場所もある。
どのような状況になろうとも、特別製スケルトンは魔族からの命令のままにエリオルに襲いかかっていた。
生前は剣を使用したのだろう。
振るう剣の鋭さは一流といっていいレベルであり、それが連続して振るわれる。
エリオルは剣や盾を巧みに使い、どうにかいなしていた。
エリオルの力はSランク冒険者と比べても遜色ないレベルなのだが、今使用している武具の性能差だけではなく、特別製スケルトンはAランク冒険者としての力を有しているが、そこをさらに魔族によって強化されているため、容易に倒すことは難しい……というより、少しでも気を抜けば武具が破壊され、一気に追い込まれる状況である。
その証拠に、いなしてはいるのだが、その度にエリオルが持つ剣と盾は少しずつ削れていた。
「……これは、本当にマズい状況ですね」
体力の消耗を示すように滴る汗を、エリオルは乱暴に拭う。
常に気を張っている状態は、考えている以上に消耗するのだ。
エリオルとしては、周囲の状況やドラゴン出現にも気を配りたいのだが、それが許される状況ではなかった。
けれども、エリオルだからこそ、特別製スケルトンの相手をここまでできているとも言えるため、他のところに向かわせないためにも、このまま相手取り続けるしかなかったが、希望がない訳ではない。
援軍が来るのなら、そこで自分の愛剣を持ってくるように頼み、手にするまで耐えればいいだけだと考える。
そうなると、目下の問題となるのは周囲の状況とドラゴンなのだが、エリオルは不思議とそこまで心配していない。
そちらは、少なく見積もっても自分より強いであろうニトに託すことにしたのだった。
そのニトは――。
「ぺっ、ぺっ。口の中に粉塵が……」
嫌そうな表情で衣服に付いた粉塵を叩いて落としていた。
⦅……これは、あとで水浴びでもしないと完全には取れないね⦆
念話でニトにそう伝えながら、ノインは鬱陶しそうに体を振るって粉塵を落とそうと試みていた。
それをわざわざ言うってことは、まさか俺に連れていけ、もしくは手伝えということか? と思いながら、ニトは謁見の間の奥に視線を向ける。
そこでは、ウォルクがイリスを守るように立っていた。
「……大丈夫か? イリスよ」
「はい。大丈夫です。お父さま」
イリスの無事を確認して、ホッと胸を撫で下ろすウォルク。
ウォルクは次いで、頭上から降り注ぐ陽光に照られている謁見の間の様子を窺う。
敵味方共に被害はない。
壁が破壊され、天井が消し飛んだだけ。
天候の変化に対応できなくなっただけである。
それに、風通しもよくなったので、覆われる粉塵も直ぐ吹き飛んでいったので、視界は直ぐに良好となった。
ウォルクの視線が観察から凝視に変わる。
その視線の先に居るのは、歓喜する魔族。
「ケヒヒヒヒ! 素晴らしい! 想定していたよりも魔力出力が高い! さあ、オーラクラレンツ王国、終わりの時の始まりだ!」
「グガアアアアア!」
魔族の高揚に合わせて、ゴールドレッドドラゴンが咆哮を上げる。
その咆哮は大気を震わせ、壊れた壁の一部をさらに壊す。
また、ゴールドレッドドラゴンから発せられる圧力と、先ほどのドラゴンブレスも相まってか、近衛騎士たちを含めた多くのオーラクラレンツ王国側の者たちの心に恐怖を宿す。
冒険者ギルドマスターは、もはやここまでかと諦めの表情を浮かべている。
どうにか耐え切ったウォルクとしては、この状況で援軍がきてもドラゴンが相手となると分が悪い、いや、意味をなさないとすら思っていた。
普通のドラゴンですら超常であるのに、どう見ても目の前のドラゴンは普通ではない。
対峙しているのが馬鹿らしくなってくるくらいだ。
それでも、ウォルクは逃げない。
国王として、というのもあるが、今は父親として、うしろにイリスが居る以上、ウォルクの中に逃走の選択肢はなかった。
「陛下! ウォルク陛下! ご無事ですか!」
謁見の間の扉が開かれながら、内部に向けて確認を取るような声が飛ばされる。
開かれた扉の先には、十数人の騎士、兵士の姿があった。
ただ、その表情は直ぐに驚愕へと変化する。
何しろ、壁は破壊され、天井はなく、ただならぬ圧力を放つドラゴンが居るのだ。
理解が追い付く前に、ウォルクが声を飛ばす。
「魔族が襲来した! 上級騎士と近衛騎士のみで編成した援軍を呼べ! それ以下の騎士と兵士は非戦闘員の避難誘導を」
「ケヒヒ。無粋な者共にはご退場願おう。排除しろ」
ウォルクが言い切る前に魔族がゴールドレッドドラゴンに向けて命令を出す。
魔族の魔力を馴染ませたという工程が関与しているのか、隷属の首輪がなくとも、ゴールドレッドドラゴンは魔族の命令通りに動き、謁見の間の扉に向けて尻尾を振るう。
鞭のようにしなった尻尾が残っていた一部の壁と謁見の間の扉を破壊。
それでも尻尾に傷一つ付かなかったのは、頑丈さの表れだろう。
騎士、兵士たちは咄嗟に避けてどうにか難は逃れたが、壁破壊による破片が飛んできたこともあって、何人かが怪我を負ってしまった。
それでもウォルクが言いたかったことは伝わり――。
「怪我人をここから避難させろ! 傷薬で回復できる範囲だ! それと、上級騎士、近衛騎士全員に至急通達! この国始まって以来の緊急事態だと伝えろ!」
その場で一番立場が高い者が、そう指示を出して現れた者たちは即座にテキパキと行動を開始する。
伝わったことに少しばかり安堵するウォルク。
そこに、エリオルも指示を出す。
「誰か! 私の愛剣を持ってきてください! 私室においています!」
「かしこまりました! そこのお前! エリオル第一騎士団長の私室から剣を持ってこい!」
扉と壁が破壊されたことで、エリオルの姿を確認した騎士が、兵士に向けてそう命令を下す。
慌ただしく動き出す謁見の間の外側。
ただ、確かなのは、援軍が来るまでまだ時間がかかるということだ。
「ケヒヒ。これは悩みます。騎士や兵士の前でウォルクを殺して絶望を与えるべきか、既にウォルクが死んでしまったという絶望を与えるべきか。どちらの絶望がいいと思いますか? ウォルク」
「どちらもごめんだ。寧ろ、貴様に貴様が死ぬという絶望を与えてやる! ここまでのことを行ったのだ。許されると、逃げられると思わないことだな」
「ケヒヒヒヒ。笑わせてくれます。滅ぶ国なのですから、許される必要も、逃げる必要もありませんよ、ウォルク。……そうだ。よりお前が絶望する方法を思い付きました」
ニヤリ、と歪な笑みを浮かべる魔族。
その指先がゆっくりと上がって指し示すのは、ウォルク……ではなく、そのうしろに居るイリス。
「お前の愛娘、イリス姫をいただく、というのはいかがですか?」
「なっ!」
「ワシもその素顔は画家を集めた時に見させてもらったが、魔族の中でも通じそうなほどの美しさであった。魔族にも人にも通じるとなると、その希少価値は相当高く、使い道も多い。ケヒヒ。芸術品として魔王さまに献上するもよし、他の魔族への慰め品として貸しを作るのもよさそうだが……いや、色々といじくって、人の国を内部から傾国させるそうな道具に作り変えるのもいいな」
使い道は色々あると、魔族は既に皮算用を立てていく。
確かなのは、どうなってもロクな目にあわないということだろう。
「……」
イリスにも魔族の言葉は聞こえているため、自分の未来がそうなってしまうのでは? と、恐ろしさから言葉を上手く吐き出せない。
ただ、そんなことを言うことすらウォルクが許すはずもなかった。
「よくもそのようなことを! 貴様だけは殺す! 何があっても殺してくれる!」
憤怒の表情を浮かべるウォルクだが、魔族はどこ吹く風である。
「ケヒヒヒヒ! できるモノならやってみせて欲しいモノだ。仮にもこの国の宰相の真似事をしていたのだから、この国の戦力がどれほどのモノかよくわかっている。確かに、国家規模の総力であれば、世界一の強国と言われてもおかしくはない。だが、今ここ……この場においては、ここからの逆転など、何をどうしようとも起こり得ないのだ」
それは、魔族に言われなくてもウォルクはわかっていた。
まだ自分が、この場に居る者たちが生きているのは、魔族の自己顕示欲によるモノだと、ウォルクは考えている。
殺ろうと思えば、ドラゴンが出現した時点でけしかけて終わっているだろう、と。
それは……間違いではない。
魔族は、この場に居る者たちがギリギリ対応できるだけの力しか放っていない。
当初は五つの宝物に自分の魔力を馴染ませるためで、そのあとは、趣味と自己顕示欲を兼ねた嫌味のようなモノだ。
この場に居る者たちの生殺与奪を握っているのは、自分であるとウォルクたちに示そうとしていた。
魔族からすれば、およそ半年間正体を隠し続けていた反動もあるのかもしれない。
己の有用性を、国すら滅ぼせるだけの力と手段を有していると見せつけたいのだ。
ウォルクたちにもそうだが、周辺国や他の魔族に。
ただ、そういう思いでいる時は、大抵の場合、それで失敗するモノだ。
その一つが、ノインの存在に気付いていないことだろう。
ノインの体が小さくなっているというのもあるだろうが、そもそも魔族は自らが考えた策略が失敗するとは露ほども思っておらず、現にここまで思い描いた通りに進んでしまったため、相手側をまったく警戒していない。
完全に下に見ているために、もう少し警戒して相手を見れば、ノインから発せられる圧と存在感が見た目にそぐわないことすらわからないのだ。
魔族は気付かないまま、その自己顕示欲をさらに満たすために行動し、自らの首を絞めることになる。
「それを充分感じているようですが、まだまだ。ゴールドレッドドラゴンで一蹴ではつまらないですし、援軍が来るというのなら、こちらも援軍を用意しなければ。ケヒヒ。おもてなしの心は大切ですからね。世界一の強国と呼ばれていようとも、ワシには勝てないということを、今から証明してあげます。ワシがここにこうして居る以上、もうどうしようもない……この国は滅亡するということを」
魔族が収納袋から新たに魔法陣が刻まれた石板を取り出し、同じように次々と魔物を召喚していく。
どれも隷属の首輪が嵌められているのは同じだが、新たに現れる魔物たちの数は多くなく、早々に召喚がとまる。
ただし、その質からして違っていた。
ゴブリンキングやオークキングに、オーガキングや大蛇、白い狼、サイクロプス、キマイラなど、より強く危険なモンスターが召喚される。
「さあ、どうかできるだけ長く抵抗して、ワシに絶望を見せて楽しませてくれ」
勝利を確信したのか、魔族が相手を嘲笑するような笑みを浮かべた。




