エピローグ 3
魔王アルザリアはもう居ない。
その力の大半を失ったからだ。
魔族でありながら、下手をすれば人族の少年少女よりもか弱くなっている。
命があっただけ、まだマシというモノだろう。
「よっしゃーーー!」
けれど、それはアルザリアにとっては悲嘆することではなく、歓喜。
巨大な力の大部分を失おうとも、魔王でなくなろうとも、筆を持つ力があれば充分なのだ。
寧ろ、少なからず面倒だと思っていた魔王でなくなったのは、アルザリアからすれば心の枷を外したようなモノである。
蓄えも魔王時代のがあるので問題ない。
魔王アルザリアはただのアルザリアとなって、これからは絵師アルザリアとして生きていく。
その最初の一歩は、ニトからの依頼。
それは、ニトが手にした他とは隔絶した二次元世界――『閉ざされた本の世界』で生きる人物を数多く描くことである。
といっても、これはアルザリアだけがすべてを描く訳ではない。
どれだけの数を描くことになるのかとかそういうことではなく、現実世界で誰しもが違う顔と体を持つように、ニトは多くの神絵師に描いてもらいたいのだ。
アルザリアも、これには了承している。
そもそもが一人で描き切れる訳がないというのもそうだが――誰しも最初の一人、一枚は特別であり、不変である。最推しは変わらない――とニトから強く言われたから、という部分が大きかったのだ。
アルザリアは、ニトのその言葉を信じることにしたのである。
その結果、アルザリアは絵師となり、ニト一行に加わった。
いや、ニトが中心の一行であるのなら、アルザリアにニト一行が加わる、だろうか。
ただ、加わったのはもう一人居る。
「アルザリアさまは魔王ではなくなりました。ですが、私にとってアルザリアさまはアルザリアさまです。変わらぬ忠誠を。それに、アルザリアさまに戦う力がなくなったのであれば、私がお側に居て、アルザリアさまを守り続けます」
セクレもニト一行に加わっている。
まあ、正確にはアルザリアに付き従っている、という形だ。
アルザリアは心強いな、と思っている。
しかし、セクレが共に居ることに、なんとも言えない表情を浮かべている者が二人居た。
「護衛なら私たちが居ますし、何よりニトさまが居ます。必要ないのではありませんか?」
一人は、ヴァレードである。
なんとも言えない表情なのは、セクレが共に居ると小言を言われそうだから、という理由だ。
セクレは、ヴァレードに向けて愉快そうな笑みを浮かべる。
「ふっ。どうやら、あなたはこれまでと違って、どこかに消えるということはしないようですね。それだけあのニトという者が気に入ったということでしょうか。しかし、私も同道するのならいい機会です。あなたにはこれまでのことを含めて、色々と言いたいことがありましたから。しっかりと聞いてもらいます」
ヴァレードの、なんとも言えない表情がより強くなった。
ただ、まだ手はあると、ヴァレードはマルルに声をかける。
「放っておいていいのですか? 彼女も魔族ですよ」
「問題ありません。まずは最優先対象であると手を組みました。まあ、今その両手はありませんが」
エクスを振るった代償として、マルルの両腕は焼失してしまった。
未だそれは戻っておらず、いくら魔導人形とはいえ、そう簡単に代わりは用意できないのである。
もちろん、このままにはしない。
マルルがエクスを振るったことは、正に決め手となったのだ。
だからこそ、超グラート戦においてニトが動けるようになった。
ニトはそれに恩を感じており、代わりを見つけるつもりである。
当ても、ない訳ではない。
エクスが普通にあったように、マルルを製作した者の研究所が残っている可能性はある。
そこで何かしらが見つかる可能性は充分にあるのだ。
ないならないで、一から作り出す――出せる者を探すだけ。
ともかく、それも目的の一つとなっている。
だから、マルルは気にすることなく、そのまま口を開く。
「その内手に入るでしょう。それに、今回のことで最優先対象が一筋縄ではいかないことを理解しました。ですので、提案を受けて協力し合うことになりました。よって、彼女は既に対象から外れています。合わせて、元魔王についても著しい戦闘能力の低下によって脅威ではないと助言をいただき、協力者の庇護下に入ったため、対象外となりました。よって、現状で唯一である討伐対象は最優先対象だけとなっています」
マルルが淡々と告げた。
ヴァレードがセクレを見る。
セクレは変わらず愉快そうな笑みを浮かべていた。
「まさか私よりも先に手を打つとは。強くなったようですね、セクレ」
「一人であなたに対抗できるとは思うほど、私は傲慢ではありませんよ。ヴァレード」
「そのようですね。ですが、協力者を得たからといって、私がそう簡単にやれるとは思わないでくださいね」
「もちろんです。何しろ、あなたは存在が欠片でも残っていれば蘇りそうですから。やるなら徹底的に。存在の欠片も残さないように。と決めています」
セクレの言葉に、マルルは同意するように強く頷く。
「まだまだこれからも楽しめそうですね」
望むところ、とヴァレードがいつものようにニコニコとした笑みを浮かべる。
ヴァレードVSマルル&セクレの構図は、今後も度々見かけるようになるが、ヴァレードはいつも愉快そうな姿を見せるのだった。
その最初の光景を見ていたノインは、何をやっているのやら、と呆れ顔である。
時折、マルル&セクレの方に協力することになるとは、それでもヴァレードの笑みを崩すことができずに歯噛みするとは、この時は少しも思っていなかった。
そんなノインは、フィーアに視線を向ける。
正確には、その背にあるエクスに、だ。
「それで、あんたはどうするんだい?」
『……それはもしかしなくても自分のことですか?』
「他に誰が居る? 少なくとも、魔族の脅威はなくなったんだ。あんたが作られた目的も果たされたようなモノだしね。ここから先で、あんたが振るわれるほどの脅威はないんじゃないか?」
『いいえ、それは違います。ええ、違いますとも。確かに、今後自分が振るわれる機会はないかもしれない。ですが、僅かな間とはいえお嬢さまに振るっていただき、それはこれまでの自分の剣生の中でもっとも輝いた時間でした。自分はその恩を返したいのです。なので、今後はお嬢さまを小さなモノからお守りするという役目をしっかりと果たしたいと思っています』
力説するエクス。
フィーアは、その内容を気にした様子はない。
しかし、力説するということは、少なからず声量があるということなので、フィーアの両耳はぺたんと閉じられていた。
ノインとしてはフィーアが拒絶しないのなら、どちらでもいいので、それで特に何かを思うことはない。
それに、フィーアにとっても、いざという時に振るえる巨大な力があれば安心というのもある。
ただ――。
「まあ、あんたの好きなようにすればいいよ。……ただし、娘に迷惑をかけたらただじゃおかないからね」
『心得ております! ただ、その……魔物相手でいいので、偶に振るっていただけると……その……ありがたい、かなと……』
「そこは娘と相談しな」
『あっ、はい。あの、お嬢さま……お嬢さま?』
フィーアは両耳を閉じているので聞こえていない。
『え? いやいや、え? お嬢さま?』
なんだかんだとこの関係は変わらず、時にフィーアが振るうエクスの活躍が――あるかどうか、といったところである。
そして、変わったような、変わっていないような――そんなニト一行は世界各地を巡っていく。
その理由は、アルザリアが色々な人を描けるように、だ。
ただ、当然のように、行く先々で何かしらが起こった。
たとえば、盗賊団潰し。それがどれだけの規模であろうとも、即座に壊滅。これはまだ序の口だろう。
他には、ノイン、フィーアの毛皮を寄こせと、強欲な貴族が強請ってきたが返り討ちにもした。
さらに、マルルの両腕の代わりとなる物があった古代遺跡――研究所を見つけた際、その国の王族がすべて己の物だと言い出し、それで新しい王の誕生となったりもした。
それでも、ニト一行の歩みはとまらない。
―――
そうして、色々あったが、遂にその日が来る。
アルザリアが描いた人物たち、三姉妹が描いた背景を、「閉ざされた本の世界」に取り込ませて、最低限ではあるがこれで整ったと言えるだろう。
ノインたちも住むかどうかは別にして、体験することになっているが、まずは――とノインたちに見守られる中、ニトは笑みを浮かべる。
「行ってくる」
それだけ告げて、ニトは「閉ざされた本の世界」へ。
―――
広がるのは二次元世界。
画面で見る光景がそのまま視界すべてに映り、その光景にどこか既視感があるのは、三姉妹が描いた街並みだからだろうか。
ふと、自分を見れば絵で描かれたような姿へと変わっている。
ニトの胸に去来するのは感動のみ。
夢見ていた世界に足を踏み入れた、という実感。
上手く言葉が出てこないニトの視界の中に、この世界の人が現れる。
それはアルザリアが描いた絵の女性。
けれど、ただの絵ではない。
動き、感情豊かな表情を浮かべている。
生きている。生命の鼓動を感じる。
ニトが望んだ世界が、ここにあった。
泣きそうになるニトに、女性は近付き、ニトの様子から困ったような笑みを浮かべて口を開き――。
――「大丈夫ですか?」という吹き出しのようなプラカードを取り出した。
ニトは真顔になった。
―――
「閉ざされた本の世界」から現実へと戻ってきたニト。
ノインたちが「どうだった?」と尋ねる前に――。
「ちょっと言ってくる」
そう言って、転移。
ニトが使える転移は一つ。
行き来できるのは神界のみ。
神界に辿り着いたニトは女神の下へと向かう。
女神は真剣に悩んでいた。
「デザートは……大福か、ケーキか」
「どうでもいいわ」
「どうでも……つまり、両方食べてもいいってこと? やった! ……ん? え? わっ! 何? また来たの?」
「ああ、また来る羽目になったな、何故か」
「……なんで? 世界も安定したし、ここに来る必要はないと思うけれど?」
首を傾げる女神。
本当にわかっていないのか、それとも実はわかっていてやっているのか。
ニトにその判断は付かないが、なんとなく後者のような気がした。
「わかっていて言っているのか?」
「何が?」
「……まあ、いい。単刀直入に言う。何をすれば、『閉ざされた本の世界』に声が――音が出るようになる」
ニトがここまで来た理由はそれである。
「閉ざされた本の世界」には音がなかったのだ。
声だけではない。
自然に発せられる音もない。
完全なる無音。
絵とテキストだけノベルゲーも嫌いではないが――慣れとは恐ろしい。
やはり、ニトはフルボイスがいいのである。
「ああ、それね。できなくはないわよ。でもねぇ……ちょっと助けて欲しい世界があるんだけど、どう? そこを救ってくれたら、好きな音声を作り出すことも取り込ませることもできるようにするけど」
女神は笑みを浮かべる。
やはり、わかってやっていたのか――と思うニトだが、選択肢は一つしかなかった。
―――
「戻った」
ノインたちのところに戻ったニトの表情は不満げ――いや、面倒くさいことを押し付けられた感じ、だろうか。
「……何があったんだい?」
ノインが尋ねると、ニトは「閉ざされた本の世界」の現状と、その打開策として女神からの依頼――別の世界を救わなければいけないことを話す。
話し終えると――。
「ここではない世界か。面白そうだね」
「……(こくこく)」
『別の世界……つまり、新たな敵……出番ですか!』
「ふむ。いいですね。私を楽しませてくれる新たな刺激があればいいのですが」
「今の私のマスターはあなたです。なので、マスターの行くべきところが私の行くべきところです」
「新しい世界ですか! わあ! もっと色んな人を描けるんですね!」
「アルザリアさまが行くと言うのなら、お守りする私も共に向かう」
ノインたちは口々にそう言う。
「……え? 何? おまえら付いてくるつもりなのか?」
ニトの問いに、当然! とノインたちは頷いたり、笑みを浮かべる。
面倒なことなのにわざわざ付いてくるとは物好きな……もちろん、神絵師以外は――と息を吐きつつ、次の瞬間には笑みを浮かべた。
「……それじゃあ、全員で行くか。新たな世界へ」
そして、ニトはノインたちと共に新たな世界へと向かう。
願いを叶えるために。
FIN
これで完結となります。
まずは、ここまでお付き合いいただき、誠にありがとうございます。
読んでいただいたことが幸いであり、感謝しかありません。
当初の予定ですと、ここまで長くなるとは思っていなかったのですが、今書ける精一杯で書ききったという思いとは別に、自分の未熟さと合わせて色々と勉強になることが多かったと思います。
次に活かせればな、と一応次も考えてはいるのですが、まだ書き始めてもいないので、一先ず今投稿している別の方を進めつつ、新たなモノは少しずつ書いていって早い内に投降できればな、と思っています。
また、その時にお付き合いいただけると幸いです。
ありがとうございました。




