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端から見れば、それは奇妙としか言えない行動だった。
意味がわからないのである。
何しろ、その人物が行ったのは、相手の顔の横を握るように掴んだだけ。
多少避けるのなら、まだわかる。
寧ろ、そういう反応の方が普通だろう。
しかし、今見たのは違っていた。
大きく避けたのである。
多少避けた程度では意味がない、という風に。
まるで、そこに触れられたくない何かがあるかのように。
ニトの取った行動と、オイドの行動、そこに誰しもが知っている魔族の特徴を当てはめれば、何かがあるように見えない顔の横に何かがあるのと思ってしまっても、そういう風に見えても仕方ないだろう。
何しろ、既にニトがオイドは魔族であると口に出して言っているのだから、思考の先にある結論に至る道は既に確立されていた。
冒険者ギルドマスターが鋭い視線をオイドに向け、エリオルが先ほどとは違う意味で武具を構える。
「……オイド殿。そのような動きを取った理由をお教え願えますか?」
半ば確信しているように動くエリオルとしては、実際のところは信じたくはなかった。
何しろ、オイドは長年宰相の地位にいたのだ。
最初からなのか、それともいつからなのか、と疑問が次々と湧き出てくる。
また、宰相であったのなら、オーラクラレンツ王国の情報をいくらでも外に出せるということだ。
それがオーラクラレンツ王国にとってどういうことになるかを考えれば、とてもではないが落ち着いてはいられない。
エリオルがオイドに対して身構え、その身から敵意が溢れ出せば、さすがに周囲の者たちも気付く。
まさか、という思いと共に、事態の成り行きを見守る構えとなった。
ウォルクのオイドを見る視線は厳しい。
その視線は既に敵を見るモノであり、長年側に居た相手に向ける情状すらなかった。
「……どうした? オイドよ。エリオルの問いに答えぬか。それとも、答えられない何かがあるのか?」
「………………」
オイドは答えない。
必死に頭を働かせ、事態の収拾をどうにかつけようとしているように見えなくもないが、それを間近で見ているニトは、行動が遅いと思っていた。
本体であれば既にニトは行動しているのだが、それをしないのはある情報が欲しいのと、協力者であるノインの娘を取り返すためである。
それさえなければ、この魔族は既に命を絶たれていたのは間違いない。
だから、わざわざオイドが魔族であると証明するような動きを優先したのである。
それらがなければ、別に周囲に魔族と証明しなくても、ニトとしては瞬殺、もしくはノインの憂さ晴らしに放り込んでもよかった。
証明前に手を出せば色々と問題が起こり、下手をすれば世界一の強国と敵対していたかもしれないが、ニトからすればそこは気にすることではないのである。
なので、今のニトの心境としては、さっさとノインの娘の所在を明らかにしてくれないかな、であった。
ノインもそれがわかっているからこそ、ニトに何も言わないし、行動を起こさない。
「け、けひ……ケヒヒ……」
このまま流れに任せれば、どうにかなるか? とニトが考え始めると、オイドから笑い声が漏れる。
六十代とは思えない軽やかな動きで、ニトから離れるように後方へ距離を取るオイド。
しかし、その表情はどこにでもいるようなモノだが、その目だけはこの場に居る者たちを下に見ていた。
これまで一度も見たことないようなオイドの目に、ウォルクとエリオルは一瞬動揺する。
「間抜けばかりかと思えば、そうでもないのも居るということか。隠蔽にはかなり気を遣っていたのだが……いや、こやつが宝物を集めた者ならば、その力量に相応しく、勘が鋭いということか? ……よくぞ見破った、と褒めておこう」
オイドがニトに向けてそう口を開く。
ただ、その口調はとてもではないが相手を褒めているようなモノではない。
気持ちが入っていない、口だけのモノ。
答えるのはニトではなくウォルク。
「……つまり、お前は魔族だということでいいのだな?」
エリオルは騎士団長として、ウォルクを守るような位置に陣取る。
オイドは笑みを深くした。
「その通りだ。これまでまったく気付かなかった愚かな王よ。お前たち劣等種族の真似事は、想定よりもワシをイライラさせたモノだが」
そう言って、オイドは胸元からペンダントを引き出し、そのまま無造作に引き千切って捨てる。
その視覚効果は劇的だった。
オイドの姿が歪み、消えていく代わりに、別の姿が浮き上がっていく。
年代は変わらず、六十代ほどの男性。
ただし、その顔は醜く、頭部の横には歪んだ黒い角が生えていた。
服装も代わり、仕立てのいいモノから、真っ黒なローブを纏った邪悪な魔法使いをいったモノに変わる。
その男性はローブの中に手を突っ込むと、そこから自分の背丈よりも長く曲がった杖を取り出し、支えのように曲がった杖の下部先端を床に突く。
「それも終わりだと思えば、幾分心も晴れよう。漸く、この時が訪れたのだからな」
そう思わないか? と魔族が歪な笑みを浮かべる。
周囲の者たちは、魔族という存在が目の前に現れたことに対する動揺が強過ぎて、動くことを忘れたかのように固まった。
もしくは、迂闊に反応して注意が自分に向かないようにという防衛本能が働いたのかもしれない。
そんな中、動揺はしているだろうがそれを表に出さず、毅然とした態度でウォルクが口を開く。
「そうか。何を企んでそのような真似をしたのかは知らんが、こうして魔族だと暴かれたのだ……殺せ」
ウォルクの指示でエリオルが前へ。
姿を現した魔族の下まで瞬時に駆け、そのまま一閃。
――剣は、魔族の前に出現していた魔法陣型の障壁にぶつかって砕けた。
「ケヒヒ。いきなりこちらの命を奪おうとするとは、やはり人類は野蛮そのもの。高尚な魔族とは違うな。会話、交渉、談判、取引、駆け引きなど、言葉で語り合うことを楽しみたまえよ。お前もそうは思わないか? エリオル殿」
「私の名を気軽に呼ばないでもらおう。それに、少なくとも自らを高尚などと述べる者と語り合う言葉はない」
「つれないことを。少しの間だけとはいえ、共にこの国を支えた仲ではないか」
「それこそ、戯言を! ……剣を!」
その言葉に反応して、ウォルクを守るように立っていた近衛騎士たちの一人が、腰に提げていた剣をエリオルに向けて投げた。
エリオルは空中で投げられた剣の柄を握り、そのまま鞘から引き抜いて斬りかかる。
剣は魔法陣型の障壁に阻まれて魔族に当たることはなかったが、先ほどよりも剣の質は上なのか、砕けることはなかった。
「ケヒヒ。無駄無駄。その程度のなまくらでは、いくらエリオル殿の腕前がよくても、ワシが作成した防御陣は突破できんよ。見ての通り、ワシはそこそこ高齢なんでな。直接戦闘が苦手でもあるし、防衛に関してはかなり念を入れているからの」
「防御に随分と自信があるようだ。なら、これを斬ることができたなら、さぞかし痛快であろうな」
「できないことをいつまでも夢見ているがいい」
エリオルを見る魔族の表情は、足掻く姿が愉快だと歪んだ笑みを浮かべていた。
剣速がさらに速く、鋭くなった一閃を放つエリオル。
それでも魔法陣型の障壁に傷は付かず、剣が折れないギリギリで斬り込んでいるため、これ以上の結果は期待できない。
(せめて愛剣であれば……)
そう思ってしまうエリオルだが、手元になく、取りに行く時間もある訳がないため、現状でどうにかしなければと、魔法陣型の障壁に斬り込みながら解決策を練り始める――が、魔族が先に動く。
「ケヒヒ。理解したようで何より。ですが、これでもワシはお前の剣術の腕は評価している。この防御陣がなく、まともにやり合えば、戦闘力のないワシなんてあっという間にやられてしまうだろうとな。だからこそ、お前にはそれ相応の相手を用意しておいたぞ」
魔族がローブの中から布袋を取り出す。
「これはワシが作成した『収納袋』。といっても、簡易版でそこまで物が入る訳ではない。だが、あれば便利だ。色々と持ち運べるからの」
布袋の中から取り出されたのは、縦横50㎝ほどの正方形の石板。
表面に幾何学模様の魔法陣が描かれ、魔族がそんな石板を五個取り出して床に置いていく。
「これなんて、中々だぞ。ワシが作成した『召喚板』で、魔力を流すことで起動して、使用回数はあるが、召喚できるのだ。ワシの手下共をな」
魔族が、持っている杖で石板を叩いていく。
表面に描かれている幾何学模様の魔法陣が輝き出し、石板の上に魔物の姿が現れた。
ゴブリン、コボルト、オーク、スケルトンなど多岐に渡り、一度だけではなく次々と現れ続ける。
僅かな時間で十数体の魔物の群れが構成されるが、それは異様と言えた。
何しろ、何も騒がない。
行動も起こさない。
どの魔物も声一つ上げず、虚ろな目を浮かべているだけ。
意思のようなモノは少しも見えなかった。
その原因は一つしかない。
どの魔物も共通している部分がある。
それは、首輪。
ノインに嵌められていたのと同じ首輪が、どの魔物にも嵌められていた。
ノインはフェンリルという種族的な強さだけではなく、強固な意思によって体の自由はなくても意識だけは残すと抵抗はできていたが、そこまで強くない魔物では抵抗できる訳もないので、意思というモノが存在していないのである。
現れた魔物たちは命令されるままに動くモノと化していた。
ただ、これで終わりではないと、魔族は楽しそうに笑みを浮かべる。
「それと、特別なのを一体」
そう言って、魔族が杖で石板を叩く。
すると、新たに現れたのは、スケルトンはスケルトンなのだが、その様相は他のスケルトンとは違う。
白骨ではなく黒骨。
さらには禍々しい剣、盾、鎧を装備していて、発せられる雰囲気は強者特有の圧力があった。
当然、これにも首輪が嵌められている。
「ケヒヒ。これは他国のAランク冒険者の墓を暴いて手にした骨を触媒にして作成した特別なスケルトン。生前よりも強化された力を宿している。エリオル、お前にはこれの相手をしていてもらおう。お前たちは、その他を殺せ」
特別製スケルトンがエリオルに向けて身構え襲いかかる。
さすがは生前Aランク冒険者なのか、その剣筋は鋭い。
どうにか受け流しつつ、エリオルが周囲に意識を向ければ、魔族の命令通り、他の魔物たちが周囲の者たちへ襲いかかろうとしていた。
ウォルクの命令で近衛騎士たちが前に出て戦い始める。
冒険者ギルドマスターも、その見た目通り魔法を駆使して魔物を倒していく。
周囲の者たちの中にも魔法を放ったりと戦える者は僅かながら居るので、その者たちも加わるが、魔物は次々現れているのでそう簡単にはいかない。
その上、謁見が行われていたために、近衛騎士以外は武具など所持していないのだ。
いや、所持していたとしても、ここに居る大半は貴族。
普段戦闘など行わない者たちが大半であるため、その恐怖で騒いだり、戦闘経験のなさから余計な行動を取ろうとして邪魔になるといったことが起こり得る懸念がある。
近衛騎士の数も少なく、強気に前には出られない。
エリオルとしては特別製スケルトンを倒し、魔族へ、もしくは魔物たちを切り伏せたかった。
実際、それを行えるだけの力がエリオルにはある……装備さえまともであれば。
今の装備で現状打破は難しい……いや、不可能に近い。
特別製スケルトンにやられないようにするだけで手一杯である。
なので、助力を願う。
「皆を守って欲しい!」
エリオルがチラリと視線を送ったのは、ニト。
ニトには、この状況である考えが過ぎっていた。
近衛騎士が奮闘して魔物を倒しても、次々と召喚され続ける魔物たちを見て、これはもしや魔物の数を減らして召喚を続けさせれば、いずれノインの娘を召喚するのではないか、と。
ノインに対する切り札として捕らえられているだろうが、その魔族がノインに気付いた様子はない。
つまり、ノインが解放されて目の前に居ることを未だ知らないということは、安易に戦力としてノインの娘を戦力として召喚する可能性はある。
何しろ、フェンリルなのだ。
そこらの有象無象の魔物とは存在としての格が違う。
試してみる価値は充分にある。
しかし、それなら一芝居打つべきか? とニトは思う。
ニトからすれば、そこに居る魔族は敵ではない。
ただ、魔族の言葉を信じるならば、正体を明かされたとはいえ、戦闘能力がないにも関わらずこうして姿を現したのだから、不測の事態に備えて逃走手段は用意しているだろう。
間違いなく。
それにも対処すればいいだけだが、もしできなければ逃げられてしまう。
ノインの娘を召喚される前に逃げられては困るのだ。
ニトからすると、また捜すとなると面倒だから、である。
だから、いい感じに追い詰めてみよう、とニトは現れ続ける魔物たちを適度に倒していく。
念話で秘密裏に会話できるため、ノインもそうすることにして、魔物たちを間引いていった。
謁見の間が戦闘による混乱に包まれる中、魔族はウォルクに向けて歪な笑みを向ける。




