16
謁見の間の扉を開けて入ってきたのは、なんてことはない六十代ほどの平凡な容姿の男性だった。
これといった特徴がないのが特徴のような顔立ちで、特に荒々しそうな印象は受けない。
それでも特徴を挙げるのならば、身の丈に合わないような仕立てのいい衣服を着ているということだろうか。
ただ、その服はそれだけで一角の人物であるとわかるレベルなので、どちらかというとミスマッチ感のほうが強い。
その人物は、まるで自分という存在は希薄であるとでもいうように音を立てずに絨毯の上を進み、中ほど――この場に居る者たち全員の姿を確認できる位置で足をとめた。
ウォルクに向けて臣下の礼を取る。
「お待たせしました、ウォルク陛下」
ウォルクは一つ頷いて答える。
「おお、『オイド』よ。丁度お主の話をしようとしていたのだが、まずはそちらの確認からしよう」
ニトとノイン以外の視線が、オイドと呼ばれた男性の後方に向けられる。
オイドに遅れて、ニトが集めた五つの宝物をそれぞれ載せた台座を、五人の兵士が運び入れてきた。
オイドの後方に、横一列、等間隔に置かれていく。
兵士たちは出て行かず、五つの宝物を守るようにその横に立つ。
視線を向けている者たちは順番に見ていき、どれも状態がいいため、まるで宝石でも見るかのような視線であった。
そしてその視線は五つ目――レッドドラゴンの心臓で必ずとまる。
既に終わっている心臓ではあるが、今にも動き出しそうな迫力があった。
それに、ダンジョン産とはいえ、さすがはレッドドラゴンというべきか竜種の心臓なのだろう。
この場に居る者たちの中で魔力を感じ取れる者は、心臓が今も内包している魔力の量と質の高さに内心で驚愕と感心を抱く。
ウォルクは満足そうに頷き、オイドに確認を取る。
「それで、オイドよ。五つの宝物はすべて本物で間違いないな?」
「はい。ウォルク陛下。私自ら、この目、この手で念入りに調べ、どれも本物であると確認しました。間違いなく、指定した五つの宝物です」
「そうか。それなら問題ない……といきたいが、そうなるとより惜しくなるな。是非とも婿候補に名を連ねて欲しいものだ」
「おや? どうかされたのですか? 何か問題が? ……エリオル騎士団長がやり過ぎてしまいましたか?」
オイドの視線がエリオルに向けられた。
エリオルは苦笑を浮かべ、そうではないと首を振る。
答えるのは、ウォルク。
「いや、寧ろ逆と言うべきか。少なくとも、エリオルと対等に渡り合えるだけの力を有しているのは間違いない」
「ほう、それは僥倖ですな。……その割にはなんとも言えない表情を浮かべているのは?」
「非常に残念ながら、イリスの婿候補として集めてきたのではなく、人捜しのために集めてきたそうだ」
「人捜し、ですか?」
そこで、オイドは初めてニトに視線を向ける。
ニトはオイドを見ていた。
視線を向けられたからではない。
最初から、オイドが現れた時から、他の者たちが五つの宝物に視線を向けている間も、ジッと見ていたのだ。
下手な動きを逃さないように。
オイドをジッと見ていたのは、何もニトだけではない。
ノインもまた、ニト同様見続けていた。
⦅……こいつ、だね⦆
ノインがニトに向けて念話を飛ばす。
その言葉が聞こえているニトからすれば、強い意思が込められているような、とても力強い断言だった。
ノインからすれば、直ぐに飛びかかって殺してもおかしくない。
それでも思うまま、願うままに行動を起こさないのは、娘のためである。
今この場にその姿がない以上、他の場所に居るだろうし、迂闊な行動を取れば娘がどうなるかわかったものではない。
だからこそ、ノインは直ぐに襲いかかるようなことはしないし、その意思を表に出さないように律することに全力を傾ける。
それが上手くいっていることを証明するように、誰からも見える表面上、ノインの様子は先ほどから何も変わっていない。
ただ、オイドを見ているだけの小狼。
内心に渦巻いている怒りと殺意は見事に蓋をされて外に漏れていない。
念話を飛ばされたニトは肯定を示す。
⦅ああ、だろうな⦆
⦅わかるのか?⦆
⦅なんとなくだが、感じる気配が人とは違う。どうでもいいモブだったが、一度魔族と接触しているからこそ、だろうな。アレと似たような気配を発しているからよくわかる。ただ、魔族の証である角は見えないが……全身の姿を変えるか、幻影とかで隠しているか、そこら辺だろうな⦆
⦅同意見だよ⦆
推論を述べるニトに、ノインは同意を示す。
ニトとノインが念話で会話している間もジッと見られていたからか、オイドが痺れを切らしたようにニトに向けて口を開く。
「私はこの国の宰相ですので、何か助言のようなことが言えるかもしれません。一体どなたを、もしくはどのような人をお捜しでしょうか?」
「その必要はない」
「おや? いいのですか?」
ジッと自分を見続けるニトに、オイドは少したじろぐ。
「わ、私、ですか? ……ふむ、初対面だと思いますが、どこかで会ったことが?」
「いや、ない。初対面で間違いない。今より前に会っていたら、その時点でもう殺していただろうし。そういう意味ではよかったな、まだ命が続いていて」
会っていたら殺害していたという言葉は、五つの宝物に目を奪われていた周囲の者たちを正気に戻した。
「オイド殿になんて口を開くのだ!」
「これだから庶民は!」
「五つの宝物を集めたからといって、随分と調子に!」
周囲から罵声が飛んでくるが、ニトはオイドから視線を外さない。
というよりは、罵声を気にしていないというか、聞こえていないのでは? と思ってしまうように見える。
「お、おい、突然何を!」
冒険者ギルドマスターも慌て出す。
「静まれ!」
ウォルクの一喝で、周囲の者たちは口をつぐむ。
場が静まったのを確認して、ウォルクはニトに尋ねる。
「それで、オイドを捜していたということのようだが、さすがに宰相への殺害意思があるというのは国としても放置はできない。理由を教えてもらえるだろうか?」
ウォルクとしては、オイドが殺意を向けられるような者ではないと思っていた。
それこそ勘違い、もしくは虚偽や間違いなどではないのか? とすら考えている。
何しろ、オイドは六十代だが、若かりし頃からオーラクラレンツ王国の宰相を勤めてきた者なのだ。
というのも、オイドはウォルクが幼い頃から宰相の地位に就いている。
その期間はウォルクが国王となるよりも前から宰相ということはそれだけ有能であり、ウォルクもオイドの言葉を無下にはできないほどだ。
六十代ということでそろそろ後継を望まれてはいるが、オーラクラレンツ王国への貢献度は非常に高く、影響力が非常に大きい人物の一人であると言えるだろう。
そんな人物に対して、五つの宝物を集めた者が殺害していただろう、と言っているのだ。
ウォルクとしては、オイドが宰相という地位故に恨まれることはあるだろうが、出会っていたら殺していたレベルまでの殺意を抱かれるような人物ではないと思っている。
けれど、あまりにも堂々としているためか、ニトが虚言を吐いたようにも見えないため、ウォルクはどうしたものかと考え始める。
その答えが出る前に、ニトが口を開いてハッキリと言う。
「理由? そんなのは決まっている。こいつが魔族だからだ」
再び場が沈黙する。
静かな時間だけが流れた。
この沈黙は相手を馬鹿にしたような笑いによって破られる。
「ふっ、ふふ……言うに事欠いて、今なんと言いましたか?」
「は、ははっ。オイド殿が魔族? どうやら、彼は魔族というモノを知らないようだ」
「く、くく。これだから庶民は。やはり私たちのような貴族と比べると、教養レベルが違いますね」
周囲の者たちが小馬鹿にしたような眼差しでニトを見る。
いや、実際内心では小馬鹿にしているのだろう。
そういう感情を隠さず、ニトを下に見ている目となっている。
冒険者ギルドマスターも頭を抱えていた。
それでも一部の者は違う。
つい先ほどニトとやり合ったエリオルは、そういった表情を浮かべていない。
寧ろ、どこか確信を持っているようなニトの雰囲気を、興味深そうに見ている。
ウォルクとしては、さすがに魔族という言葉を聞いて大人しく事態を眺める訳にはいかなくなった。
エリオルと同様に、ニトはどこか確信を持っているようなので、そのあたりの理由を聞きたくはあるのだが、先ほどから周囲の者たちの行動に若干イラついてもいる。
イリスは場の雰囲気に流されることなく、鉄仮面の奥からニトをジッと見ていた。
そして、当事者となったオイドは……困ったような笑みを浮かべている。
「私が、魔族ですか?」
「そうだ」
「不思議なことを言いますね。私のどこを見て、そう判断しているのでしょうか? 魔族といえば、特徴的な黒い角が有名ですが、私にはありません。残念ですが、あなたの目は節穴としか言えないようです」
「だから、内心でほくそ笑んでいそうだな。誰も気付かない間抜け共か、自分の優等性を褒めている……いや、その両方か?」
「そこまで言うのでしたら、証明して欲しいモノですが、いかがですか?」
オイドの表情は、できるモノならやってみて欲しいという挑発的なモノだった。
「……証明、ね」
どうしたものかとニトが考え始めると、ノインが念話で尋ねる。
⦅……私が噛み付いてやろうか?⦆
⦅いや、今はやめた方がいい。魔族はノインのことに気付いていないようだし、そこは効果的に使うべきだ⦆
了承したのか、ノインが動く素振りは一切ない。
その間に、ニトは脳内でザッと推論を立てる。
魔族自体の証明は、実際のところ簡単だ。
唯一で絶対である特徴――黒い角が生えているかどうかで判別できる。
ニトが視線を向けているオイドに、その特徴は見られない。
だからこそ、この場に居る者たちはオイドが魔族であるとは一切思っていなかった。
つまり、オイドに黒い角があることを証明すれば、それが同時に魔族であることの証明となる。
そこでニトが疑問に思うのは、魔族の証明である黒い角のことだ。
世界共通の認識となっていると言っても過言ではない黒い角だが、ニトは不思議に思っていた。
――どうして、そんな目立つモノが証明なのか、と。
黒い角が魔族の証明なら、その黒い角を抜くなり、折るなり、削るなりすれば、少なくとも見た目で魔族とわからなくなるということになる。
それでも未だ唯一の特徴として知れ渡っているということは、黒い角は魔族にとってなくてはならないモノではないかということだ。
抜くことは許されていないか、そもそも抜けない可能性があって、魔族という種族の身体構造的に折る、削ることで何かしらの問題が起こる場合があるため不可、もしくはそれらが行えないほどに強固ということも考えられる。
けれど、色々と推論を立てたところで、魔族が答えない限り正解には辿り着かないし、聞いたところで正直に答える保証もない。
それに、今重要なのはその答えではないのだ。
魔族において黒い角はほぼ間違いなくあると考えてもいいということと、ない場合も可能性としてはあるが、それは極少数という判断でも構わないということである。
つまり、世界共通認識になるほどまでに知れ渡っているのなら、黒い角は魔族にとって自己の象徴、もしくは誇り的な意味や、力の優劣や序列に関係していてもおかしくないということだ。
特に象徴や誇りに関しては、あながち間違っていないだろう、とニトは考える。
そこで次に考えるのは、オイドがどのようにして姿を変えているか、だ。
ニトの予測は、やはり二通り。
自身の体を元から変えるか、幻影による偽りの姿を見せることのどちらか。
ニトは幻影によるモノだと考える。
黒い角が象徴や誇りに関わっているのなら、それをなくすような選択はしないのではないのか、と。
それに、間違っていれば間違っていたというだけのこと。
その時はその時で、また別の手段を考えて取ればいいだけである。
なので、ニトは即座に行動を起こした。
オイドに向けて無遠慮に近付く。
エリオルは咄嗟に構えるが、ニトの動きをとめようとはしない。
ニトから殺気とか、そういうモノが感じられなかったからだ。
エリオルが動かないことを見て、ウォルクも様子を窺うことにした。
「え、えっと、もしや直接的な行動を? エ、エリオル殿?」
エリオルに助けを求めようとするオイド。
そんなオイドに向けて、近付いたニトが周囲の人たちにも見えるように、ゆっくり手を突き出す。
突き出された場所は、オイドの顔の横。
もし魔族であれば、そこに黒い角があると思われる場所を、ニトがグッと掴む。
ニトが掴んだのは、空気だった。
しかし、オイドの顔は、動かなくてもいいのに動いていた。
まるで、動かなければ、そこにあった何かが掴まれていたかのように。
「……チッ」
オイドは表情を変えずに舌打ちするが、その雰囲気までは隠せていない。
……面倒な、という思いをありありと感じさせた。




