21
突然の声に、ラドニーは意識を割いて周囲に向ける。
どこからか、斬ってください、という言葉が聞こえ、その対象となっているのが自分であると理解したからだ。
だが、周囲に意識を割くということは、それは隙を生み出す行為と言ってもいい。
「がうあっ!」
フィーアがラドニーに襲いかかった。
意識を割いた直後ということもあって、ラドニーの反応は遅れる。
それでも、ラドニーは剣を振るっていた。
普通であれば、それはカウンターとなって相手を斬り裂いていたかもしれない。
しかし、不十分な状況で振るった剣がカウンターとなるのは、相手の力量が一定以下の場合においてのみ。
フィーアの力量はそれ以上である。
ラドニーの振るった剣をかわし、フィーアの振るった爪がラドニーの体を裂く――が傷付けたのは着ている服だけで、体自体には傷一つ付いていなかった。
無傷であることを見たフィーアは、ラドニーからの追撃も警戒して一旦離れる。
フィーアの視線は裂いた部分――その奥に見えている鱗を見ていた。
ラドニーも同じように自身の体の鱗部分を見て、笑みを浮かべる。
「そうそう。説明を忘れていたな。といっても、既にわざわざ言うようなことではないが、某は竜系統の血が流れていてね。某は特に色濃く表に出ていてね。並大抵ではない攻撃であっても効かない体なのだよ」
それが絶対の自信であるように口を開くラドニー。
実際、これは脅威であった。
個として特出している剣の使い手でありながら、素の防御力が非常に高いのだ。
それこそ、フィーアの爪を防ぐほどに。
もちろん、フィーアの振るった爪が全力という訳ではない。
全力であれば傷を付けることはできるだろう。
ただ、それでラドニーを仕留められるかどうかは……フィーアとしては、それは無謀の類であると判断する。
母親であるノインならまだしも、種としてはまだまだ幼い自分の爪では仕留めるまでは無理だ、と。
同時に、自分の振るう爪とそう威力は変わらない、牙で噛む行為や魔法を使用するといったことも、今の自分ではそこまで効果を期待できない、と判断せざるを得ない。
だが、フィーアが仕留められないと考えているのは、一撃で決めることができない、というだけである。
一撃で足りないのであれば、必要なだけの数を行えばいいだけなのだ。
ラドニーは、未だ意識は周囲に向けて割いている。
フィーアが再び襲いかかった――が。
「最早先ほどのようにいくとでも? それを許す某とでも? それに、その速度には既に慣れ始めている」
フィーアが振るった爪をラドニーはかわし、カウンターのように剣を振るう。
ラドニーがカウンターで振るった剣は、フィーアの体を傷付けることなく、エクスの鞘にぶつかって甲高い音を上げる。
鞘にぶつかったのは――偶々だった。
どちらかと言えば、運の要素が強い、と言えなくもない。
そのことを理解し、今不用意に飛び込んでしまった、とフィーアは内心で反省した。
自分の爪が防がれたことに対する動揺がまだあったのだろう。
また、思いのほかラドニーが速度に慣れるのが早かった、という認識も得る。
それだけ強い相手でもある、と。
フィーアが少しばかり警戒を強めている間、ラドニーは割いた意識で周囲の様子を探る。
しかし、先ほど声を発したらしき者の姿は見えない。
そもそも今立っているのは開けた空間であり、近くには人も魔族も魔物も居ないのだ。
余程の大声でもない限りは耳に届かない。
しかし、ラドニーの耳には届いた。
といっても、怒りを感じる声ではあったが、そこまで大声という訳ではない――ということから、近場から聞こえてきたのは間違いない。
そこでラドニーが思い出したのは、言葉の中に「剣が黙っていれば」という部分があり、その直前に自分が背負っている剣を揶揄したこと。
まさか、という思いを抱きつつ、ラドニーはフィーアが背負う剣――エクスを見る。
反応は直ぐにあった。
『なあに、見てんだ、こら! おっ! やんのか! やったるぞ! こら! 至上最強の聖剣舐めんなよ! おお! てめえなんかスパッ! だからな! ザシュッ! じゃねえぞ! スパッ! だか――うぷっ!』
エクスの言葉が途中で途切れる。
なんてことはない。
エクスが喋るということは、背負っているフィーアからすれば耳元で喋られているのだ。
それも今回はラドニーに向けての怒声ということで、多少なりとも張っていた。
フィーアは少々うるさく感じ、少し黙れ、あるいは落ち着け、とエクスを地に押し付けるようにして、ゴロンと一回転したのである。
ゴロンと一回転するフィーアに、多少なりとも愛くるしさを感じた者が周囲に何人、あるいは何体か居た。
『ちょっ! お嬢さま! いきなりはやめてください! いきなりは!』
「………………」
いきなりでなければいいのか? とフィーアは思うが、未だ口に出すことはできないので黙ることにした。
ただ、時には黙る方が効くこともある。
『え? あれ? お、お嬢さま? まさか、怒ったりなんて……』
少しばかり不安な声を上げるエクス。
答えは直ぐ返される。
「怒りは感じていないな。寧ろ、これは――」
『お前には聞いてねえんだよ! ああん! スパッ! といくぞ! スパッ! と!』
「おお、こうして会話ができるとは……驚愕というのは久しく感じていなかった感情だな」
少なからず目を見開き、表情にも驚きを見せるラドニー。
「まさか剣が言葉を発するとは……こうして体験すると珍妙ではあるな。だが、喋る剣とは……剣として使い道があるものなのか?」
『は、はあ? お嬢さま! あいつ、自分の存在意義的な何かを刺激してきましたよ! 許せ――うぷっ』
再度、ゴロンと転がってエクスを黙らせるフィーア。
ただ、フィーアとしては、エクスの言葉を聞いている余裕はない。
会話としては、どちらかと言えば穏やかなモノであっただろう。
しかし、ラドニーの発する雰囲気はより危険なモノへと変わっていっている。
余程興味が惹かれたのか、エクスをジッと見ていた。
その目は、どちらかと言えば狂気的にも見える。
それに、ラドニーからすれば、フィーアとエクスが共に居るということで、もう周囲に意識を割く必要はなくなった。
ラドニーの意識が改めてフィーアに集中する。
そこに、フィーアは何やら危険なモノを感じ取り、より警戒を強めた。
「ハハハ。剣を背負う獣というのは冗談としか思えなかったが……剣を振るえるのなら、振るってみてくれないか? 喋る剣と斬り合うというのも一興だ」
フィーアとしてはその提案に乗ったつもりはない。
だが、自分自身が持ち得る攻撃力ではほぼ通用しない、という状況から判断して決断した。
その決断は形となって現れる。
フィーアが魔力を流すと、エクスが鞘から飛び出し、くるくると回りながら空中へと上がり、旋回しながら降下しながら、フィーアの口元へ。
ガチン、とフィーアがエクスの柄部分をガッチリと噛む。
再び訪れる、抜群の噛まかれ心地。
『………………』
エクスは我慢した。
前回の吐き出される経験を経て、声を出さないように頑張る。
何故なら――。
「………………」
フィーアが、疑いの目でエクスを見ているからだ。
ただ、それも直ぐ終わる。
フィーアの視線がラドニーに向けられ、ラドニーは愉快そうに笑みを浮かべていた。
「なるほど。そう構えるのか。いや、確かにそうするしかないのはわかる。鞘から飛び出したのには驚いたがな。まあ、某の予想の中には、その喋る剣が空中に浮かんで斬りかかってくる、といったことも起こると思っていた」
そう口にするが、実は内心で少なからず焦りのようなモノがあった。
抜き身となったエクスから発せられる聖属性の力の強さ――その一端を感じ取ったからだ。
思っていた以上に危険な剣であると認識する。
その間にフィーアの目がエクスへと向けられた。
できるの? と。
『ふっ……お嬢さま。そのようなことができていたら、自分はあの場に留まっていませんでしたよ』
確かに、とフィーアは思う。
エクスはただ置かれていただけで、特に封じられていたとか、そういうことはなかったのだ。
『そんなことより、さっさとあいつを斬っちゃってください! 自分をただ喋るだけの剣だと思っているようですが、それは勘違いであると教えてやってください! あいつの死をもって!』
やる気のある言葉を発するエクスを気にせず、フィーアは既に動き出していた。
フィーアがラドニーの周囲を駆ける。
ラドニーは体を動かさず、剣を構えるだけ。
フィーアが周囲を駆けるのは狙いを定めさせないためという目的もあるが、充分な速度を確保する意味もあった。
速度が充分に乗ったところで、フィーアがラドニーへと斬り込む。
ラドニーの背後から超速の斬り払い。
反応していた。
ラドニーは振り返り、振るわれるエクスに合わせて剣を振る。
そのまま払い、フィーアを斬ろうとした。
――瞬間。
「――っ!」
ラドニーの全身に悪寒が走る。
悪寒の理由を本能で察した。
――死。
エクスにスパッと斬り裂かれる幻想が思考を満たす。
死の訪れを理解する前に、ラドニーの体は反射的に動く。
突き動かされるようにラドニーは全力でエクスを回避する。
恥も外聞もない。
どれだけ惨めに見えようとも命には代えられないのだ。
ただ振るわれるエクスから逃れるように、その場を飛び上がった。
ラドニーの動きを見ていたフィーアは頭部を動かし、エクスの軌道を無理矢理上に変える。
飛び上がったことで動きに制限がかかったラドニーは、自身の体を後方へと伸ばしつつ、剣をエクスに向かって突き出す。
突き出した剣はエクスによって斬り裂かれる。
それがワンクッションとなったのは確かだろう。
抵抗らしい抵抗は感じなかっただろうが、それでも何かを斬ったということで一瞬にも満たない時間だけだがラドニーは確保する。
その時間分伸ばした体は、エクスの軌道から布一枚分離れることができた。
空振るエクス。
ラドニーはそのまま地に落ちて腹を打ち付けるとどこか無様な姿を晒すが、そのようなことは気にせずに動き、フィーアから離れた。
エクスを噛んだフィーアが、離れたラドニーに視線を向ける。
ラドニーは冷汗を掻いていた。
死を実感したのだから、当然の反応だろう。
だが、それだけ。
ラドニーに絶望は見えない。
「なるほど。ただ振られただけで死を予感するなど、凄まじい剣だ。だが、これで某に勝てると思ってもらうのは困る。高々鈍らの一本を斬っただけ。某にはまだ届いていない。それに、別に某の武器がなくなった訳でもない」
そう言って、ラドニーは自身の手のひらを上に向ける。
その手のひらの上に、手と同サイズの魔法陣が出現し、そこから禍々しい気配を放つ漆黒の剣が姿を現わした。




