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エトラス王国。南西。
ここでの戦いは、当初一見互角に見え、それでいて実際は魔族と魔物の軍勢の方が優勢であった。
この世界における個の力の比重は大きく、人と違って個の力が大きい魔族と魔物の軍勢――その中でもさらに己の力に自信を持ち、実際に個の力が強いモノがここに集まっているため、数は少ないのに中々倒せない……倒している間に大きな被害を受ける。
そういった流れであった――当初は。
その状況は既に大きく変わっている。
一見互角ではなく、本当に互角へと変わっていた。
その理由は明白である。
確かに、ここの魔族と魔物の軍勢は個の力が非常に強い。
しかし、だからといってニトのように絶対の力を有しているという訳ではなく、わかりやすく言えば限界があるのだ。
戦い続ければ体力も減るし、疲労すれば注意力も散漫になり、それは付け込まれる隙へと繋がっていく。
何をどうしようが倒せない力ではなく、何がなんでもどうにかしようと思えばどうにか倒せるかもしれない力なのである。
また、多国籍軍の方も精鋭なのは間違いない。
所属する国は違っていようとも、関係性が希薄であろうとも、共通の敵を前にすれば連携ぐらいは取ってみせる、と数の力を前面に出しており、一人では無理でも二人、三人と連携する数を増やしていき、一人や一体に対して複数人で戦っていた。
個として比べて力の差は確かにある。
そこは間違いない。
だが、魔族と魔物の軍勢の個の力が強かろうとも、精鋭である多国籍軍が連携を取れば、それはそう簡単にやられるほどの差ではなくなっていた。
そうなれば、いくら個の力が強い魔族と魔物の軍勢であろうとも、多国籍軍を侮れない。
しかし、魔族と魔物の軍勢の方が圧倒する手段がない訳ではなかった。
多国籍軍と同じように連携を取ればいいのである――が、それはできない……いや、そうする気がない、だろうか。
個の力が強いということは、それだけ我が強い傾向があるのも事実である。
この場の魔族と魔物の軍勢は、他と合わせられない、合わせる気がない、となんにしても協調性に欠けているモノが多いため、連携すれば優位に立てるのにそれを行わないモノが多かった。
まったく、という訳ではないが、その数は本当に数える程度でしかなかったため、大勢には影響しない。
そのため、多国籍軍からすれば劣勢から始まった戦いであったが、今は互角であり、時間経過と共に優勢へと変わる――かもしれないのが、この場の現状であった。
言うなれば、ここはこの場に居る多国籍軍だけで、この場の魔族と魔物の軍勢を倒せる可能性がもっとも高いのだ。
といっても、その可能性ができた最大の理由は、この場の魔族と魔物の軍勢の中で抜きん出ている最強の者が抑え込まれているからである。
―――
南西の戦場において、南東の戦場の時と同じく、奇妙に開けた空間ができあがっていた。
戦場の中の開けた場所というのは、南東の戦場の方であれば、マルルとカーンの戦いに巻き込まれまいと、多国籍軍、魔族と魔物の軍勢と双方関係なく、この時ばかりは心を一つに退いた故に出来上がった空間であったが、ここ――南西の戦場においては、ラドニーが邪魔であると多国籍軍、魔族と魔物の軍勢問わず斬り払い、その行動に大きな危険性を感じた双方が離れた結果である。
その際にラドニーが斬り払ったモノに足を取られて離れるのに邪魔だと、蹴り飛ばされたり、投げ捨てられた結果――奇妙に開けた空間ができあがっていた。
そこで、戦いは既に始まっている。
開けた空間の中に立っているのは、二つの存在。
一つは、史上最強の聖剣――エクスを背負う白き獣――フィーア。
対峙するのは、この場の魔族と魔物の軍勢の中で抜きん出ている最強の者――黒髪に金目、軽装に腰から剣を提げている、鱗肌の男性。名は「ラドニー」。
フィーアは、ラドニーが「珍妙な獣」と揶揄したあとに襲いかかった。
侮っているのは明白であり、それは隙へと繋がるからである。
そうして振るわれたフィーアの爪を、ラドニーは防いだ――といっても、それはラドニーからすれば本能のようなモノだった。
しかし、防がれたのは事実。
フィーアは即座に次の攻撃を放とうとするが、ラドニーはもう油断はなく、しっかりとフィーアと対峙していた。
完全に待ち構えており、フィーアは少し戸惑いを見せる。
舐めてかかれば、死ぬのは自分の方である、と感じたのだ。
実際、フィーアは、ラドニーは抑え込まれていると言っても良かった。
少なくとも、見た目では。
「珍妙な獣と思っていたが、中々どうして……やり合い始めると面白い。もっと頑張って某を楽しませてくれ。……まあ、要望を口にしたところで、言葉を理解しているかどうかはわからないが」
ただ、ラドニーは理解していると思っていた。
フィーアの行動が本能というよりは知性によって洗練されているように見えているからだ。
事実、フィーアは言葉を理解している――が、答える言葉はまだ発せないだけである。
「ぐるぅ……」
フィーアがその場でうろうろしながら、ラドニーの様子を窺うように見ている。
その視線が強く、片時も見逃さない、あるいはそのまま視線だけで射殺せないかと言わんばかりだ。
対するラドニーは剣を構えてはいるが、どこか悠然としており、余裕であることが窺い知れた。
フィーアが襲いかかる。
その表情は牙を剥き、手足からは爪がギラリと光っていた。
特筆すべきは、その速度だろう。
まさに、目にも止まらぬ速さ、と体現している。
それは並の者だけではなく、強者からしてもそうであった。
恐ろしいまでに速く、普通はフィーアの動きを自覚する間もなく、牙が刺さるか爪で裂かれるか……なんにしても殺られたと気付かぬ内に殺られていてもおかしくない。
だが、今フィーアが相対しているのは、この場の魔族と魔物の軍勢の中での最強――ラドニーである。
「脅威的な速さである……が、見えなくはない」
迫るフィーアが裂こうと爪を光らせるのと同時に、ラドニーはゆらりと体を動かし、自分の望む位置に剣を持っていく。
ギャリィン! と甲高い音を立てて、フィーアの爪とラドニーの剣が交わり、盛大な火花を散らす。
それで終わりではない。
フィーアは地に着くと同時に切り返し、爪を振るう。
ラドニーが再度剣で防ぐ。
フィーアがラドニーの死角に入るように回り込み、再度爪を振るう。
ラドニーは体の位置を動かしつつ、剣で防ぐ。
一方的な攻めとなっているフィーアの爪を、ラドニーはしっかりと防いでいた。
フィーアの速度による攻撃密度は、まるで暴風である。
もし、自分なら殺れると慢心する魔族や魔物がこの場に足を踏み入れれば、即座にその首が落とされるだろう。
それはラドニーであっても変わらない。
まともに食らえば無事では済まないし、そのまま殺られる可能性だってある。
フィーアの速度を乗せた爪撃には、それだけの――必殺と呼べるだけの威力が備わっているのだ。
つまり、フィーアが連続攻撃を放つということは、一度でもミスれば即死に繋がっていてもおかしくない。
攻撃に晒される度に、死の予感が背後に迫っている。
それだけの猛威に晒されているにも関わらず、ラドニーはそのすべてを剣で防ぎ、笑みを浮かべていた。
「いい速さだ。感じる死の気配に背筋がゾクゾクとしている。久しくなかった感覚だ」
この感覚を味わいたかった……味わっている今は正に至福の時である、と言わんばかりにラドニーの笑みは獰猛なモノへと変化する。
待っていたのだ、ラドニーは。
強い者はピラミッドのように上になればなるほどその人数は減っていく。
頂点が一人なのは変わらない。
いや、頂点に居ると思っていても、そこが本当に頂点とは限らない。
それでも、ラドニーは自身の強さは頂点ではなくとも、それに近しい位置にあると思っている。
実際がどうなのかは関係ない。
己がそう思っており、実際に己の周囲の身近にそういう競えるような相手が居なければ、己をそのような位置付けにしてもおかしくないだろう。
そうなった時、戦いに、強さに、己を見出す者であれば、己の命の輝きを感じられず、すべてが酷くつまらなく感じるようになるかもしれない。
少なくとも、ラドニーはそうである。
当初は獣だと侮っていた部分はあったが、フィーアが繰り出す速度を体験してからは、久しく味わっていなかった……自分を殺せるだけの力を持つ存在が、隠しもしない殺意を発して自分を殺そうとしてくる――待ち望んでいた戦いを喜び、獰猛な笑みを隠せなかった。
「さあ、お前の強さを某に見せろ。早く見せないと、その速さにも慣れてうっかり殺してしまいかねない。それだと某としてはつまらないし、そちらにとっても不本意だろう? 剣を背負っているのだ。使わないのか? それとも、その剣は飾りか? まあ、装飾だけ、見栄えだけはいい剣は腐るほどある。その剣もその類ということか」
知性があると思っているからこそ、ラドニーは問いかけていた。
いや、別に答えなくてもいいのである。
ただ、これで更なる力を見せるのなら、より戦いが楽しめると考えているだけだ。
そう考えるラドニーに対して、返事は予想外のところから飛んでくる。
『てめえ! 剣が黙っていれば好き勝手言いやがって! 誰が見栄えだけだ、こら! こちとら史上最強の聖剣なんだぞ! お嬢さま、あいつ言ってはならないことを言いました! あいつだけは許せません! 是非、自分を使ってスパッと斬っちゃってください!』
我慢ならないと、エクスが吠えた。




