15
落馬したカーン。
しかし、その姿と行動に動揺は見られない。
落馬することを想定していた訳ではない。
動揺という隙を作る暇がなかっただけだ。
「ふんっ! 甘いわっ!」
落馬し、地上に落ちる前にカーンは巨槍を振るう。
振るわれる巨槍に弾かれたのは、螺旋槍。
マルルが狙っていたのだ。
螺旋槍を弾いたカーンは、そのまま着地を無事に決め、巨槍を構える。
対峙するは、螺旋槍を構えるマルル。
「ヒヒンッ!」
巨馬が鳴き、カーンを一瞥したあと、周囲へと駆けていく。
いや、多国籍軍へと襲いかかっていた。
巨馬もまた、魔物なのである。
カーンを一瞥した際に騎乗する気がないとわかると、それならば魔族と魔物の軍勢の一魔物として行動を開始したのだ。
多国籍軍に襲いかかるのは、巨馬だけではない。
次いで来ていた魔族と魔物の軍勢も、である。
魔族と魔物の軍勢が雪崩れ込み、カーンがこの場に留まったことで、駆け抜けるのではなく、この場での多国籍軍との戦闘が始まった。
優勢なのは、変わらず魔族と魔物の軍勢である。
何しろ、ここの多国籍軍は、これまでカーン率いる魔族と魔物の軍勢の度重なる突撃のような攻撃によって散らばらされており、この場に居る多国籍軍は数でも負けているのだ。
ただ、散らばっているのなら、集まればいいだけ。
魔族と魔物の軍勢の足がとまったのなら、それも可能である。
何より、これは多国籍軍の方からすれば漸く訪れた反撃の機会と言ってもいい。
そうなれば、多国籍軍の士気が高まる。
多国籍軍としては、突然現れたマルルが何かはわからないが、少なくとも見た目は人であり、カーンと敵対――戦っているということで味方の可能性が高いと判断した。
それに、散々やられたことで、自分たちとカーンの戦力差は否応なしにも自覚している。
よって、マルルの邪魔をしてはならないと、余計な手出しはしない。
集まっていく多国籍軍は、魔族と魔物の軍勢の方に集中する。
また、魔族と魔物の軍勢の方も、マルルはカーンの獲物という認識となり、手出しはしない。
した瞬間に、カーンによって殺されるとわかっているからだ。
その結果。マルルとカーンの戦いは、戦場のど真ん中で行われているのにも関わらず、その場に誰も侵入してはならないというように、戦場の中に開けた空間ができあがった。
―――
マルルが螺旋槍、カーンが巨槍を構え、対峙する。
両者の視線は交わっているが、言葉は発せられていない。
今、この時において、言葉は必要ないのだ。
どれだけ威勢のいい言葉を発しようとも、どれだけ相手を罵り煽る言葉を告げようとも、戦いは始まるのだ。
その中で語り合えばいい。
どちらが強いかなど――戦えばわかる。
戦い、最後に立っていた方が勝者なのだ。
両者共に、手に持つ武器の握りを確かめ、その時を待つ。
別に合図を決めていた訳ではない。
それらしいことも特に起こっていないし、行っていない。
けれど、まったく同じタイミングでマルルとカーンは飛び出し、同時に槍を突き出し、槍同士がぶつかり、大気が震えるような衝突音を響かせる。
次いで動いたのは、カーン。
そういう性分と言ってしまえばそうなのだが、巨槍を軽々と振り回し、薙ぎ、払い、突き、叩く――と勢いそのままに場面に合わせた攻撃方法で繋いだ連続攻撃を繰り出す。
また、カーンの体付きは筋骨隆々である。
一撃が既に必殺の威力となっていると言ってもいいだろう。
それが連続した攻撃として繰り出される上に、速度も充分なだけでなく、いつ途切れるのかと言いたくなるほどに長く続く。
カーンはスタミナも豊富にあるため、連続攻撃を向けられた側としては、いつまで続くのだと言いたくなる。
だが、マルルはそんな連続攻撃を、螺旋槍を駆使してすべてに対応する。
これで、下手や中途半端な技術であればそのまま押し切られていただろう。
当てることはできるかもしれないが、そのまま押し切られていた、あるいは武器の方が砕けていた可能性は高い。
だが、マルルの螺旋槍の負担にできるだけならないように、時に受け、時に受け流していた。
激しい攻防が続く。
いや、カーンはその性質を体現するかのように一方的に攻撃し、マルルがそれに対応している、といったところか。
両者としては、いくら激しかろうとまだ小手調べのような段階。
だが、見たい者が見たいように見るのであれば、カーンの攻撃に手も足も出ないマルルのように見えなくもない。
魔族と魔物の軍勢はそのように見て、勢い付く。
逆に多国籍軍は、やはりそう簡単にはいかないか、とカーンの激しい連続攻撃を見て、少なからず士気が落ちる。
それでも崩れず、踏ん張れたのは、ここで負ければ、あとは魔族と魔物の軍勢による蹂躙が行われるだけ――それも、ここだけの話ではなく、他の戦場や、多国籍軍に派遣したことで最低限の兵力しか居ない各国にも行われるのだ。
魔族と魔物の軍勢は戦闘員と非戦闘員の違いなど関係なく襲うことがわかっているからこそ、負けられない――と多国籍軍は踏ん張って戦う。
そんな周囲の変化する状況など知らないと、マルルとカーンは激しい攻防を繰り広げ――。
「……ガッハッハッハッハッハッ!」
カーンと突如大笑いを上げる。
笑いながら、巨槍を振るう。
抑え切れずに笑ったのだ。
何しろ、カーンは魔族と魔物の軍勢の中でも抜きん出た力を持つ者の一人であり、強力な魔法を操る者が多い魔族の中において、身体的な強さを誇るという数少ない異質とも言える存在。
筋骨隆々という肉体による、膂力と頑丈。
カーンの強みはその二点であり、この二点だけで、何者をも真正面から打ち倒し破壊するだけの強さを持っているのだ。
故に、カーンにとって大抵の相手は直ぐ終わってしまう。
カーンの膂力と頑丈さに誰も耐えられなかったのだ。
しかし、今目の前で――マルルは耐え切っている。
まだ戦える――戦い続けようと、カーンは敵と呼べる存在の登場に歓喜し、さらに力を解放していく。
「さあ、いくぞ! さあ、やるぞ! さあ、殺し合おうぞ!」
本当に嬉しそうな、豪快な笑みを浮かべて、カーンが巨槍を突く。
ただ力任せに突いただけ。
しかし、それは文字通り目にも止まらぬ速さであり、カーンにその気があろうがなかろうが、相手に死の感覚を抱かせるだけの圧力が感じられる一突きであった。
マルルは当然のように反応しており、先ほどまでと同じく螺旋槍で受け流そうとするが、それは間違い。
想定していたよりも強い力がカーンの振るう巨槍に加わっており、受け流すことはできたが衝撃に耐え切れずに螺旋槍が根本部分から砕ける。
こうなってしまっては、もう魔道具として使うことはできない。
けれど、動揺している暇はない。
カーンが振るっているのは巨槍の連続攻撃なのだ。
マルルは螺旋槍だったモノを放り捨て、両手に魔力を流して強化する。
そして、カーンの振るう巨槍を掴み、カーンごと持ち上げて、投げ落と――そうとしたところで、カーンが足場のない空中においてその膂力だけで巨槍を回転させながら突く。
掴んでいたマルルの両手は弾かれ、巨槍は地面に突き刺さり、それを支点にしてカーンは体を振って勢いが乗った蹴りを放つ。
マルルは咄嗟に両腕をクロスさせて防御姿勢を取る――同時に重い衝撃がマルルの両腕から全身に走り、そのまま蹴り飛ばされる。
カーンは違和感を抱く。
蹴った足から伝わる感触が、人のそれではなかったからだ。
それを証明するかのように、マルルはそれほど蹴り飛ばされておらず、尚且つふわりと優雅に着地してみせる。
「……どうやら、ただの人ではないようだ」
「その通りですが、別に隠していたつもりはありません。今はもう遠い過去。魔族を殲滅するために造られた『魔導人形』――今はマルルと申します」
カーンに向けてカーテシーを行うマルル。
「……なるほど。対魔族用の人形といったところか。それは納得だ。やはり、それぐらいのモノでなければ――私の相手はただの人間にはできぬということか! ガッハッハッハッハッハッ!」
高笑いを上げるカーン。
対するマルルは特に何も反応することなく、ただ事実だけを述べる。
「ただの人間には、ですか。随分と自惚れが強過ぎるようですね。もう少し知性を磨くことをオススメします。まあ、魔族はこの場で殲滅ですので、無意味な助言ではありますが」
反応するのは、当然カーン。
「人形が……貴様こそ随分と自惚れているのではないか? 対魔族用といっても、所詮はそこらの魔族の中では大して強くもない魔族を倒せる程度だろう?」
「自惚れではなく、事実を述べたまでです」
「つまり、私に勝てると?」
「はい。問題ありません。いえ、こう言い換えた方がいいでしょうか? あなた如き私で充分です、と」
その表情に僅かならが怒りを滲ませるカーン。
「大した物言いではないか!」
「はい。事実ですので。何しろ、あなたは私がこの場に現れて真っ先に襲いかかりました。それは今もそうですが、最初に襲いかかった理由は――他には目も向けずに私を狙ったのは、この場に居る者たちの中で、私がもっとも強いと判断したからではありませんか?」
「否定はしない。だが、それがなんだ?」
「ですから、大したことがないのですよ、あなたは。それを証明しています」
「……何を言っている? 強く蹴り過ぎて壊れでもしたか?」
マルルが笑みを浮かべる。
可愛らしさよりも、美しさよりも、先に凄惨さを感じるような笑みを。
「今はもうこの場に居ませんが、私がこの場に現れた時には居たのですよ。私よりも……いえ、おそらく、この世界の誰よりも圧倒的な存在が。しかし、あなたはその存在に気付いていませんでした。それを感じ取れない無能であるか、それとも感じ取ることを本能が拒否するほどに恐怖を抱いたのか。まあ、どちらにしても……あなたは大したことありません」
「世迷言を! 妄想の類でしかない!」
カーンはそう断ずる。
いや、そうするしかないのだ。
マルルの言葉を認めれば、自分は強者に気付かなかった間抜け、あるいは無意識に避ける――恐怖に屈したということになる。
カーンはそれを認められない。
故に――そのようなことはないと、カーンはマルルに襲いかかった。




