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芸術の国・イスクァルテ王国。
その王都・ビアート。
そこにある高級宿の一つ。その一室。
「う、う~ん……うぅ~ん……」
「……これは、駄目ですね。直ぐに起きる気配がありません。折り合いがつくまでか、さすがに唸り続けるのが限界になるか、とにかく今はこのまま放っておくしかありませんね。こちらからの刺激に対して起きる気配が一切ありません」
ベッドに横たわり、唸っているニトに対して、ヴァレードは軽く診察して、そう結論を出す。
そう。ニトは寝込んでしまった。
ショックだったのだ。
あまりにも、ショックだったのだ。
どうにかなりそうなくらい、ショックだったのだ。
普段であったり、基本的にはどんなことにも動じないというか、ここまでの衝撃は受けないくらい精神的にも強いニトであるが、神絵師関連に対しては所謂紙装甲になってしまうくらい、ショックだったのだ。
ニトにとっての神絵師「ouma」が、魔族であり、魔王である、ということが。
というのも、ニトの目的の一つが、魔族殲滅――はそこまで積極的ではないが、最終目的のような部分に魔王討伐というのがある。
それが、ニトをこの世界に招いた女神との約定であり、その報酬がニトの求める二次元世界なのだが、それが今危ぶまれているのだ。
ニトの求める人物を描けるのは、神絵師「ouma」だけ。
その神絵師「ouma」が、魔王・アルザリアその人である。
つまり、魔王・アルザリアを倒すのは、同時に神絵師「ouma」を失うということ。
ニトにとって、神絵師「ouma」を失うことは断じて認められない。
よって、ニトが神絵師「ouma」に向けて拳を放つことができない以上、魔王・アルザリアを倒すことはできない、ということである。
しかし、それだと女神からの報酬を手にすることはできない。
もちろん、報酬だけではなく、この世界に招いたことを女神に感謝している思いも多少なりともあるため、女神との約定を果たしたい、という思いもあるにはある。
そんなせめぎ合い、板挟みのような状況に陥ったことで、ニトは答えを出せずに寝込んだのだ。
ちなみにだが、セクレが放った「……漸く見つけ……ま、魔王アルザリアさま……グ、グラートが背信し……」という言葉の内、ニトはセクレがアルザリアを見て「魔王」とハッキリ言った時点でせめぎ合い始めて、それ以外のことが聞き取れなかった。
そのため、そのあとの重要な部分である「グラートが背信」を聞いていないというか、頭に入っていない。
そこが聞こえて頭に入っていれば、また違っていたのだろうが……。
ニトが正確な情報を把握するのは、少し時間を要するようだ。
具体的には、起きるまで。
なので、説明は起きてからでいいか、と結論を出すヴァレード。
ニトが衝撃の事実を知って動かなくなり、宿泊している部屋まで連れて来たのも、ヴァレードである。
ヴァレードが、ニトが寝込んでいる部屋から出た。
ただ、ここは高級宿のさらに高級な部屋であるため、先ほどのは寝室であって、他にもキッチンやリビング、といったところがある。
そのリビングに――アルザリアとセクレが居て、それと「魔導人形」のマルルが控えていた。
セクレの傷は、もう癒えている。
ついでに言えば、その姿は普段通りではあるが、一部――魔族の象徴である黒い角はない。
セクレが、寝室から出て来たヴァレードを睨む。
「……一応、感謝する」
グラートから受けた傷を治したのはアルザリアであるが、セクレの黒い角を隠しているのはヴァレードの幻影的な魔法によるものだからである。
アルザリアは、自身の黒い角しか隠せないのだ。
さすがにセクレをそのままの姿で連れ歩き、この高級宿に入れる訳にはいかないため、ヴァレードが対処して、余計な騒ぎを起こさないようにした。
ヴァレードはセクレに対してニッコリと笑みを浮かべる。
「感謝していると言うのであれば、もう少し表情をそれらしく、感情も込めていただけますか?」
「残念ながら無理ですね。私があなたに対してそのような思いを抱くことは皆無ですから」
「やれやれ。これでも私は友好的に接しているというのに。これだから強情な方は」
「強情なのではありません。あなたのような者が気に食わないだけです」
「正直にそう言っていただけるとは……それだけ私に心を開いているということですね」
「そういうところですよ、ヴァレード。私が気に食わないのは」
セクレは面倒そうな目でヴァレードを見るが、当のヴァレードはまったく意に介しておらず、やれやれと肩をすくめる。
アルザリアはその一連の光景を見て、魔王として存在している玉座の間でも、似たようなことをやってくれたら、少しはあの場も面白いのに、と思っていた。
ただ、それを口にはしない。
セクレが側にいるため、今は「ouma」ではなく魔王としてこの場に居るからである。
ヴァレードは、そんな魔王然としている態度のアルザリアを見て、少し詰まらないと思う。
「ouma」の方が面白いですね、と。
その代わりという訳ではないが、ヴァレードはつい先日行動を共にすることになったマルルを見る。
「あなたが大人しくしているのは少々驚きましたが」
「正確に状況を読みましたから。私はあなたに勝てなかった。そのあなたと同レベル帯と思われる女性にそのまま正直に攻撃しても勝てないでしょう。もう一人の魔族にしても、現状の装備なしでは殲滅が不可能であると判断しました。よって、装備を整える、あるいは月のない夜を待つのが、現状における最善手であると判断したまでです」
「適切な判断ですね」
マルルの言う同レベル帯というのがアルザリア、もう一人というのがセクレであると、ヴァレードは判断した。
アルザリアは何も言わないが、セクレは少しだけ強い視線をマルルに向ける。
マルルの言い方だと、自分よりもヴァレードの方が強いというだけではなく、そのヴァレードがアルザリアと同程度の強さの上、自分は装備品さえ整えば勝てる、と言われたのには納得できなかったからだ。
ただ、この場を荒立てるつもりはないため、何も言わずに流すことにした。
「それに、私を製造した者たちが居ない現状ですと、壊れると殲滅できなくなりますので、無理はしません」
それが非常に残念だと、表情には表れていなかったが、マルルは思っていた。
多少であれば「魔改造」で修理の真似事のようなことはできるが、半壊、もしくはそれ以上となると、さすがに真似事では不可能なのである。
「なるほど。それは大事なことですね。ついでを言わせてもらえば、あなたとの会話が少々楽しくなってきました」
「そこらの道端に捨てていい評価です。いえ、道端に捨てるのは環境問題となりますので、ゴミはゴミ箱にお願いします」
マルルは中々辛辣なことを口にするが、ヴァレードは気にした様子はない。
その代わりという訳ではないが、セクレが同意するように頷き、寧ろもっと言ってやれと思っていた。
この会話で、少なくともマルルから邪魔が入ることはないと判断したヴァレードは、改めてセクレに視線を向ける。
「……それで、グラートが背信した、というのは……まあ、別におかしなことではありませんね。あの方は元から魔王の座を狙っていましたから。ですが、問題ないのでは? 所詮は、アルザリアさまが出かけたのを見計らって動いただけの小物かと」
そう口にするヴァレードに、セクレはそうではないと首を横に振る。
「小物ではないかもしれませんよ。何しろ、私が負っていた傷は、グラートが気軽に放った『魔砲撃』によって、ですから。少なくとも、私にはそう見えました」
セクレの言葉に、ヴァレードは少しだけ目を大きく開ける。
少なからず驚いたのだ。
あの時、セクレがそう判断したのと同じように、ヴァレードもグラートの強さに関いてはアルザリアと比べるまでもない――セクレと同等である、という認識だったからである。
なのに、セクレの話によれば、グラートは同程度だったはずのセクレを圧倒したのだ。
「他に誰か居た訳ではなく?」
「視線と気配はありました。ですが、直接手を出していたのはグラートのみ。……自らを『大魔王』と称し、アルザリアさまを超えた、と」
悔しそうに言うセクレ。
この時、ヴァレードとアルザリアはそれぞれ違うことを思っていた。
ヴァレードは、アルザリアが魔王であると判明した以上、当初ニトと約束していた魔王が居る場所への案内というのが、果たされたような……しかし、なんとなくそういうことではないような、という不思議な感覚を抱いていたのだが、グラートが自らを大魔王と称するのなら、そこに案内すればいいのでは? と考え出す。
何より、ニトと、今となってはアルザリアも、ヴァレードのお気に入りである。
両者が衝突して共倒れ、あるいは片方が居なくなるくらいなら、いっそ――と。
アルザリアは、表には出していないが、内心では非常に喜んでいた。
グッと拳を握って高々と掲げ、やったー! と大喜びし、小躍りしているくらいに。
何しろ、アルザリアとしては魔王になどなりたくなかったのだ。
誰か別の者がやってくれるのなら、それこそどうぞと何の抵抗もなく譲り渡すくらいに。
そして、その別の者――グラートが現れたのだ。
この時、ヴァレードとアルザリアは、このままグラートが魔王、あるいは大魔王ということでいいのではないか? と同じ結論に到達する。
だから、だろう。
元々相手が何を考えているのか、見れば大体わかるヴァレードに、魔王としての――いや、そういうのを抜きにしても圧倒的な力を持つが故の優れた感覚持ちであるアルザリアは、互いに相手が何を考えているのか察した。
(このままでいきますか)
(ええ。このままでいきましょう)
ヴァレードとアルザリアの間で、ある種の同盟のようなモノが生まれた瞬間であった。
しかし、ここで問題が一つ。
セクレである。
セクレからすれば、魔王はアルザリアなのだ。
それも、それ以外の魔王は許せないレベルでの。
しかし、セクレはそこまで頭でっかちという訳ではない。
要は、アルザリアを主従の主として仕えたいのである。
魔王という存在に、ではなく、アルザリアという存在に。
そこも、ヴァレードとアルザリアは理解していた。
よって――。
(セクレの方はお任せしても?)
(いいでしょう。説得します)
密約が交わされる。
そうして、アルザリアによるセクレの説得が開始された中、ヴァレードは顎に手を当て――。
(ふむ。魔王改めて大魔王ですか。どのようなモノか、ニトさまが起きる前に様子でも見ておきますか)
そう考えて行動に移る。




