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その人物が動いたのは、王都・ビアート内での最初の爆発が起こった時。
決してそこから近い場所に居た訳ではない。
寧ろ、それなりに離れているというか、貴族が利用するような高級宿に取っている部屋の中で、王都・ビアート内に上がる黒煙を見たのである。
瞬間――それが何を意味するのかはわかっていた。
何かが動き出したのだ。
それが何かは考えるまでもない。
美術館に飾られている展示品を得ようとする動きの狼煙であると、その人物にはそう見えた。
同時に、他人任せではなく、自分で動かなければと背中を押されたようにも感じる。
この人物は、これまで狙いのモノを手に入れるために、貴族という財力を使って盗賊の類を雇い、何度も仕掛けていたが結果は振るわれていない。
そういうこれまでの積み重ねがあったからこそ、自分が動く気になったのである。
「ご主人さま、これは――」
室内に控えていた四十代ほどのモノクルをかけた執事が、そう口にする。
だが、尋ねられた二十代ほどの細身の体型に仕立ての良い服を着た人物――貴族の男性は、醜悪な笑みを浮かべていた。
貴族の男性が「魔導人形」を欲する理由は特にない。
いや、正確に言うのであれば、自分の言う通りに動く強い手駒を手元に置いておきたいと考えた時に、本集めが趣味だった祖父の本棚の中から、書物「『魔導人形』の起・こ・し・方」を見つけたのだ。
それだけの、自分勝手で自分本位な理由でしかない。
なのに、これだけ執着――必ず手にしようとしているのは、「魔導人形」が自分の言う通りに動く――というだけではなく、この書物によって起動方法を知っているのが自分だけ――つまり、自分しか持つことのできないという部分に心惹かれて欲しているだけに過ぎない。
たた、その手段が正攻法――交渉や金銭といったモノではなく、窃盗を第一というか、それだけしか考えおらず、実行に移している辺り、もし「魔導人形」を手にすれば、ロクなことにしか使用しないというのは、容易に想像ができた。
「これは絶好の好機だ! 神が今、私に『魔導人形』」を手にせよと、周囲を動かしたに違いない!」
貴族である。
また、この貴族の男性は、よくあると言ってもいい部類――他者を下に見て、己が中心であるとどこかで思っているような者であった。
だからこそ、立ち昇る黒煙に天啓を感じたのだ。
それが自意識過剰や己の妄想の類であることなど、露ほどにも思わないし、考えない。
少なくとも、貴族の男性の中ではそうなっているのである。
「準備をしろ! 直ぐに出るぞ!」
「か、かしこまりました」
戸惑いつつも、執事が一礼して準備を手早く始める。
もちろん、貴族の男性も準備を行う。
といっても、それは一冊の書物――「『魔導人形』の起・こ・し・方」というタイトルが書かれている古い書物を手に取ることだけであった。
―――
行動を起こした時の貴族の男性は、確かに運が良かったと言える。
まず、宿泊していた高級宿は、大屋敷美術館に近かった。
それこそ、駆ければ直ぐにでも着くほどに。
貴族として、それは普通ありえない行動である。
たとえ歩いて行ける距離であったとしても、普通は馬車を使っての移動だからだ。
しかし、この時の貴族の男性は、駆けた。
馬車を使用する――用意する時間が惜しいと思ったのだ。
貴族の男性も、普通ならしない。
しかし、この時は待つ時間が惜しかったために、駆けて大屋敷美術館に向かった。
そんな貴族の男性の行動に驚きつつも、執事もあとを追っていく。
そのため、馬車であれば途中で渋滞――大屋敷美術館から避難してきた人々によって進めなくなっていたのだが、己の身だけであったため、人の流れに逆らって進むことができ、大屋敷美術館の敷地内に足を踏み入れることができたのである。
また、本来は警備によって警戒中の出入り口であるが、辿り着いた時は既に警備は精鋭盗賊団と争い始めており、特に見られることもなく大屋敷美術館内に入ることができ、中は中で騎士たちはとある魔術機関との争いによって、貴族の男性と執事に注意を向ける者は誰一人居なかった。
運は続く。
「魔導人形」が展示されている部屋の中に、騎士は一人しかいなかった。
他の騎士は、大屋敷美術館内に響く戦闘音や爆発音を警戒して、持ち場を放れて周囲の様子を窺っている最中なのだ。
騎士たちはほどなくして戻る。
しかし、今しかないという絶好の時に、貴族の男性と執事は来た。
騎士が室内に多く居れば……いや、せめて一人ではなく二人であれば、同数ということで貴族の男性と執事は警戒して行動を遅らせ、その間に騎士たちが戻ってくる、といった事態になっていたかもしれない。
だが、一人しか居ないという状況に、貴族の男性と執事はどうにかなるかもしれないと考え、直ぐに行動を起こす。
「……申し訳ございません。現在大屋敷美術館内は襲撃を受けていますので、直ちに避難をお願いします」
「そのようですが、一体何が?」
声をかけてくる騎士に対して、貴族の男性と執事は不思議そうに尋ねて近寄る。
騎士は、油断だろう。
貴族の男性と執事が武器を所持していなかったのと、見た目から戦闘職には見えなかったため、警戒が少し緩まってしまったのだ。
普通に、避難が遅れただけだろう、と。
対して、表面上には出ていなかったが、貴族の男性と執事は騎士を襲う気満々であった。
この貴族にして、この執事である。
距離が詰まると、さすがに騎士も異変を感じ取って警戒行動を取ろうとするが、その前に貴族の男性と執事が飛び出し、体当たりを行う。
普通は、それでも倒れない。
戦闘用に体を鍛えている者と鍛えていない者たちである。
騎士は受けとめ、そのまま跳ね返すことだってできるだろうが、警戒行動を取ろうとしていたところによる不意だったから、あるいはその姿勢が良くなかったとか、些細な理由ではあっただろうが、それでも結果だけを見れば、騎士はそれで倒れてしまい、兜を被っていたとはいえ頭部を床に強く打ち付け、気を失う。
「は、ははは……」
「ふ、ふふふ……」
思わずといった感じで、貴族の男性と執事から笑い声が漏れる。
自分なら、自分たちならやれる……成就しろと神が見守っている、と内心でそのように思う。
その思いが原動力となって、貴族の男性と執事は次なる行動――魔導人形の起動を始める。
貴族の男性は書物「『魔導人形』の起・こ・し・方」を既に何度も読んでいるため、起動手順は頭の中に入っているが、この場に持ってきたのは念のため、最終確認を行うため。
間違える訳にはいかないのだ。
そういう意味では、読める文字で書かれてあったのは、貴族の男性にとって僥倖と言えるだろう。
エクスの言葉が最初から通じていたように、文字も現代に通じていたのだ。
起動手順はそう難しいモノではない。
魔導人形の体の各所に魔力を流せばいいだけである。
それには順番があって、正しい順番で行わなければいけないのだ。
書物「『魔導人形』の起・こ・し・方」に、その順番が書かれている。
貴族の男性がその確認をしている間に、執事は展示状態の魔導人形を手に取るために、結界を破壊する。
基本的に騎士が居るため、結界自体はそこまで強いモノではない。
破壊しようと思えば破壊できる程度であり、執事が結界を破壊すると同時にけたたましい音が鳴り響く……が、その音は別のところで元々鳴り響いているモノであり、一人残っていた騎士も気絶しているため、執事の行動をとめる者は居なかった。
執事が魔導人形を取り出し、床に寝そべらせる。
「……良し」
貴族の男性は手に書物を持ち、随時間違っていないか確認しながら、魔導人形の各所に順番通りに魔力を流していき――最後に首に魔力を流す。
「……これでいいはずだ」
そう言いながら貴族の男性が少し距離を取る。
すると魔導人形の閉じられていた瞼が開き、宝石のように輝く目が露わになった。
魔導人形は立ち上がり、確認するように周囲を見て、貴族の男性に向けて微笑みを浮かべる。
自分に流された魔力を自己診断し、貴族の男性であると判断したのだ。
カーテシーを取る。
「おはようございます。ご主人さま。私を起こされたようですが、何か御用でしょうか?」
貴族の男性と執事は、造形美の見た目も相まって、その姿はどこか絵画のように見えた。
少し、心奪われていると、そこに部屋の外――周囲を見回っていた騎士たちが戻ってくる。
騎士たちは、室内の異変に直ぐに気付いた。
何しろ、残っていた騎士は倒れ、展示品だった魔導人形が動いているのである。
「貴様ら! そこで何をしている! 大人しくしていろ! 詳しい話を聞かせてもらうぞ!」
突然のことに、貴族の男性は咄嗟に叫ぶ。
「騎士共を倒せ!」
「かしこまりました」
魔導人形が了承の意を伝えた瞬間、その姿が貴族の男性と執事――それと騎士たちの視界から消えた。
瞬間、魔導人形は騎士たちの目の前に現れ、対峙していた騎士が殴り飛ばされる。
それで終わらない。
そのうしろに居たのは蹴り飛ばされた。
「か、確保ぉ!」
緊急事態だと判断した騎士の一人がそう叫び、魔導人形を取り押さえようと騎士たちが飛びかかっていく。
だが、魔導人形の身体能力は騎士たちを超えていた。
かすりもさせずに、魔導人形は騎士たちを次々と倒していく。
ここで一つ。
魔導人形は命令に忠実である。
この時、貴族の男性は「倒せ」と言ったので魔導人形は騎士たちを倒しているのだが、もしここで「殺せ」と言っていれば、そのように動いていた。
言葉一つの違いだが、そのおかげで騎士たちは命拾いしたと言える。
瞬く間に騎士たちを制圧した魔導人形は、再び貴族の男性の前に戻ってカーテシーを行う。
「終わりました」
「あ、ああ」
貴族の男性はそう返すのが精一杯であったが、その表情は歪な笑みが浮かんでいた。
魔導人形があれば、それこそなんでもできてしまうような万能感を抱く貴族の男性。
そうなれば、あとは考えるまでもないのだろう。
「ふ……はははははっ! 行くぞ! お前の力を見せてもらう! いや、見せつけろ!」
「お望みとあらば」
魔導人形を連れて、貴族の男性と執事は大屋敷美術館外へと向かう。
途中、騎士たちが異変を察してとめようと立ち塞がるが、魔導人形がすべて倒し、その際、大屋敷美術館の壁が崩れ、そこから外が――ノイン、フィーア、警備、騎士、精鋭盗賊団、とある魔術機関――大屋敷美術館の敷地内で戦闘中の者たちが見える。
「獲物がより取り見取りだな」
ニヤリ、と笑みを浮かべた貴族の男性はそう呟いた。




