12
「なんだったのだ、先ほどのは?」
道案内をしながら、ノインがニトに尋ねる。
声に出したのは、もう周囲に人が居ないからだろう。
ダンジョンの魔物に聞かれたからといって、もう関係ない。
いや、問題ない。
それに、ダンジョン下層の強い魔物であっても、ノインは瞬殺できるだけの強さを持っているのだから、声による音で魔物が寄ってきても邪魔にすらならなかった。
寧ろ、周囲に気を配って念話を使わなくてもいい分、声に出した方が色々と楽なのだ。
「先ほど? ……ああ、魔物に襲われていた男女か。パーティメンバーらしきのが捜していたし、罠にでも嵌まって分断されたとかだろ」
「いや、そういうことではないわ。戦闘中、それも自分の命の危機的状況だというのに、男と女の雰囲気も醸し出していたのは、正気とは思えないね。脅威となる相手から少しでも意識を逸らすのは、殺してくれと言っているようなモノだよ」
「死の間際だったからじゃないか。まっ、そういう人種も居る、くらいの認識にしておいた方がいいぞ。俺の世界じゃ、人の恋路を邪魔する者は馬に蹴られて死んじまえって言葉があるくらいだからな。関係者でもないのにああいうのに関わると面倒だぞ」
「それもそうだね。そうしておくよ」
そこまで気にしていたという訳はなく、雑談のような感じだったのだろう。
ノインはそう納得して、先を進んでいく。
先ほどの男女のように地下四十階以降は罠が設置されているようになっているのだが、ノインはフェンリルとしての優れた感覚によって事前に察知し、器用にそれを避けていた。
そして、瞬く間に地下五十階……ボス部屋の前に辿り着く。
「この先だな」
「漸く終わりだね。私に何か言うことがあるんじゃないか?」
「……案内ご苦労、とか?」
「行き止まりばかり引き当てていた者の言う言葉ではないね」
やれやれ、この小童は……とでもいうように、ノインはあからさまなため息を吐く。
さすがに思うところがあるのか、ニトは諦めたように小さく息を吐いた。
「はいはい。助かったよ。本当に」
「感謝の気持ちが入っていないようだけど、言葉だけで満足しておくよ」
「そうしてくれ」
これ以上は無理だ、とニトは先に進む。
扉を開け、ノインと共に中へ入る。
これまでで一番大きな広大な空間が広がり、その中央には竜が眠っていた。
人など簡単に丸呑みできそうなほどに大きな口の頭部に、その頭部に合わせた巨大な体躯。
この空間の天井までの高さを考えれば、立ち上がる二足歩行タイプではなく、四足歩行タイプであろうことが予測できる。
また、飛ぶ必要はないということなのか羽の類いはない。
それでも、さすがは竜なのか、眠っていようともその存在感は大きく、見ているだけで威圧されるような雰囲気が醸し出されていた。
何より、赤い鱗の中に交じっている黒い鱗がそんな存在感と雰囲気を増長させている。
「……黒い鱗?」
首を傾げるニトは、そのままノインに尋ねる。
「確か、五つの宝物の一つとして必要なのはレッドドラゴンの心臓だったな」
「そんなようなことを言っていたね」
「なら、当然相手はレッドドラゴンだよな?」
「そうなるね」
「レッドドラゴンってことは、赤い見た目、つまり赤い鱗で覆われているはずだよな?」
「何を当たり前のことを」
「あれは、レッドドラゴンなのか?」
ニトのイメージで言えば、レッドドラゴンはその名が示す通りの全身が赤い鱗に覆われている竜である。
しかし、今ニトの目の前に居る竜は黒い鱗が交っているため、ニトとしては、これはレッドドラゴンで合っているのか? と思ったのだ。
尋ねられたノインは竜をジッと見る。
「………………ふむ。どうやら変異しているね。見たところ、ここまで来た者は久しく居なかったようだし、この空間に溜まり溜まって満ちている魔力を竜が吸収して変化したようだよ」
「変異……上位種とか、希少種とか、そんな感じか」
「元より強くなっているのは確実だろうし、そういう認識でも間違ってはいないね。竜は鱗の色が力の特性を示していることが多い。赤は火、青は水、とかね。黒だと闇、ブラックドラゴンの力の特性だね」
「つまり?」
「厳密に言えば、あれはレッドドラゴンそのものではないよ。言うなれば、ブラックレッドドラゴンかね」
「それは……五つの宝物的に大丈夫なのか?」
「知らないよ。でもまあ、元はレッドドラゴンだし、大丈夫だと思うけどね。それでも心配なら、倒したあとに帰らず待てばいい。ダンジョンコアが再び用意するまで。そもそも、こうなった原因は長い間の放置によるモノなのだから、再び用意された時はレッドドラゴンだろうよ」
ノインの言葉を受けて、ニトは少しだけ考える。
「それって直ぐ用意されるのか?」
「そこまで詳しくは知らないよ。ただ」
ノインがレッドドラゴン――ブラックレッドドラゴンに視線を向けて、一息吐く。
「……これと同じではないけど、それなりに時間はかかりそうだね。それで、どうする?」
「悩む時間が惜しい。さっさと倒して待つことにする。一日だけな。それでレッドドラゴンが手に入るならよし。駄目ならこれを提出しよう。ノインも、あまり時間をかけたくないだろ?」
「そうだね。そうしてもらうと助かるよ」
ニトの提案に納得したノインは、勝ち誇った笑みを浮かべる。
「ところで、私に先見の明があると思わないか?」
「は? なんの話だ?」
「食べ物をたくさん買ってよかったと思わないか?」
「このために買った訳じゃないがな」
このままだと、ここで消費した分以上を追加購入させられてしまいそうだ、とニトは思ったが口にしなかった。
言えば現実になると思ったからである。
それに、こういうのは言っても言わなくても結果は同じ場合が多いので、同じなら言わなくてもいいだろうとも考えていた。
「とりあえず、さっさと倒すとするか」
ニトが前に出る。
ただ、ニトとノインは念話ではなく声に出して話していた。
普段は静寂な場所で、これまで聞こえなかった音が聞こえれば、それは異音として捉えてもおかしくない。
「グルルルルル……」
喉を鳴らす鳴き声と共に周囲が明るく照らされる。
その理由は見れば明らか。
ブラックレッドドラゴンが目覚めていて、その口から炎が漏れ出て照らされていたのだ。
また、その目はニトを捉え、敵意と殺意が宿っている。
「睡眠を邪魔されて不機嫌、といったところか」
「それで不機嫌にならないヤツが居るのか?」
「確かに」
ノインの返しに苦笑気味に答えるニト。
そうしている間に、ブラックレッドドラゴンの口から漏れ出る炎の量は増えていき、準備は終わったと口が大きく開かれる。
「ブレスが吐かれるよ!」
ニトに向けて注意を促したノインは、横に跳ぶ。
ブラックレッドドラゴンが行おうとしているのは、ドラゴンという存在が行う攻撃の中で代表格と言ってもいいドラゴンブレス。
その威力は、使うモノによっては山すら消し飛ばすと言われている。
ただ、ニトとノインが対峙しているブラックレッドドラゴンに、そこまで威力のあるドラゴンブレスを吐くことはできない。
そこまでのドラゴンではないのだ。
しかし、それでもドラゴンはドラゴン。高威力は高威力である。
ノインとしても、ドラゴンブレスを防ぐ手段はあるし、ブラックレッドドラゴンのドラゴンブレスを受けても別に死にはしないが、ダメージは負う。
なんの防御も行わずにまともに食らえば、だが。
数ある防ぐ手段の中でもっとも簡単な、避けるという行動をノインは選択したのである。
けれど、ニトは動かない。
悠然とブラックレッドドラゴンを見ていた。
そこに、黒い炎が交ざる灼熱の閃光――ドラゴンブレスがニトに向けて照射される。
ニトが取った行動は、左手のひらを前に突き出すことだけ。
ドラゴンブレスがニトの左手のひらに触れた瞬間、それ以上先には進めないというように弾かれる。
弾かれたドラゴンブレスはそこしか行き場がないと指の隙間から噴出していき、ニトの周囲に拡散されて、その先にある壁や地面に衝突して小爆発を起こしていく。
小爆発はブラックレッドドラゴンがドラゴンブレスを吐き終わるまで続いた。
ブラックレッドドラゴンからすればそれで対象が消え去っているはずだったのだが、実際は何も消え去っていない。
左手のひらを突き出したニトが、なんでもないように立っていた。
文句は別のところから出る。
「危ないね! 当たりそうになったじゃないか!」
ノインの避けた先に拡散されたドラゴンブレスが飛んできたのだろう。
少しばかり不機嫌な表情に見える。
面倒そうにニトが視線を向けた。
「いや、避けられるだろ。それに、弾かれて威力も弱まっているし、当たっても効かなかっただろ」
「それとこれとは別だよ!」
付き合っていられない、とニトはブラックレッドドラゴンに視線を戻す。
信じられない、とブラックレッドドラゴンが目を見開いていた。
「動揺している場合か?」
そう声をかけて、ニトが前に進む。
ニトが進んだ分、ブラックレッドドラゴンは後退した。
「なんだ? ……まさか、恐怖でもしたとでも? ドラゴンが?」
ブラックレッドドラゴンの様子を見て、ニトはそう呟く。
別に答えは求めておらず、現状を確認するための呟きのようなモノだったが、ノインが返してくる。
「……仕方ないと思うけどね」
「仕方ない? 何が?」
「言ってしまえば、そこのドラゴンはこのダンジョンの魔物の中で最強だ。自分よりも強いモノに出会ったことがない。変異するほど長い間ね。そこにいきなり自分よりも強いのが現れたのだから、恐怖を覚えて退いても仕方ないと思わないか?」
「なるほど。切磋琢磨もなく、精神を鍛えられる相手が居なかったからか。まっ、どちらにしろ、結末は変わらないが」
ニトが瞬間的にブラックレッドドラゴンとの距離を詰める。
ノインはニトの動きを目で追っていたが、ブラックレッドドラゴンは反応できていない。
ニトはそのまま右拳で殴ろうとするが、その途中でピタッと動きをとめる。
「おっと、心臓まで消し飛ばすような勢いで殴るところだった。きちんと手加減しないと」
ニトは少しだけ飛び上がり、ブラックレッドドラゴンの頭上を殴る。
手加減と言っていたが、それでも相当な威力が込められていることを証明するように、殴られた部分は陥没し、ブラックレッドドラゴンの頭部は地面にめり込み、地面に大きなひび割れが一瞬で描かれていた。
ピクリとも動かないブラックレッドドラゴン。
その一撃で絶命していた。
「頭部が消し飛ぶかと思ったが、思いのほか鱗ってのは硬いんだな。またドラゴンとやり合うことがあれば、参考にしよう」
うんうん、と頷くニトを、ノインはジッと見ていた。
ノインは思う。
いくら戦闘経験の少ない、いや、皆無と言っていいとはいえ、相手はドラゴンであり、その鱗は強固であるはずだが、それをものともせずに一発で仕留めるとは……ニトはなんて馬鹿げた戦闘能力なのか、と。
これまでの戦いと、つい先ほどのブラックレッドドラゴンのドラゴンブレスを片手で受けて防ぎ、こうも簡単に仕留めてしまう姿を直接見て、ノインは内心で確信を得る。
間違いなく、自分よりもニトの方が強いことを。
しかも、ギリギリとか多少は、などではなく、圧倒的に。
もし敵対して戦闘となった場合、ノインは勝利の道筋がまったく思い浮かばなかった。
だからといって、それでニトに対して恐怖を抱くといったことはない。
寧ろ、ノインが抱いたのは、歓喜。
魔族を相手にして娘を取り返すのに、自分よりも強い者が協力しているのは喜ばしい、と。
まさしく、いざという時の切り札になり得る存在だと認識する。
といっても、態度まで変えるつもりはなかった。
ブラックレッドドラゴンをアイテムボックスに仕舞うニトに、ノインが声をかける。
「それで、待つってことでいいのか?」
「そうだな。……念のため、待つか。一日くらいなら誤差の範囲だろ」
ボス部屋の中に居ると再設置されないと、ノインから聞いたニトは一旦外に出る。
再設置されれば扉が開けられるようになるので、そこまで待つことにした。
体感時間で数時間後。
食事しながらのんびり待っていると再び扉が開くようになり、中に居たレッドドラゴンはニトに瞬殺される。
「奥に行けばダンジョンコアがある部屋に行けるけど、どうする?」
「興味ない。マスターに会えるなら別だが」
「そうか。なら、戻るよ」
ニトとノインは地上まで駆け抜けるように上がっていき、そのまま休むことなく王都・ヴィロールまで一気に戻った。




