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王都・ビアートの夜。
朝や昼ほどの往来や賑わいは一切鳴りを潜め、熱気も消え去って静謐な空気が流れている。
だが、一部は違う。
その一部に関しては、寧ろ朝や昼以上の賑わいであり、夜こそが本番なのだ。
例としては、酒場だろうか。
酒を飲み、朝、昼に起きたこと、あるいは今の時期であれば己の見た芸術品に関してなど、様々な話に花を咲かせる。
喧騒と言ってもいいような賑わう声は、静謐な空気であればこそ、普段よりもより遠くへと届かせることもあった。
現在寝泊まりしている高級宿の前で立っていたヴァレードは、その高級宿の中にある食堂から聞こえてくる喧騒で時間を潰している。
おそらく来るであろう待ち人を待って――。
どれだけの時間が経ったのかはわからない。
待って直ぐだったような、それともそれなりの時間が経っていたのか。
その辺りを特に気にした素振りを見せずに、ヴァレードは高級宿の街路の先に視線を向けると、そこからアルザリアが姿を現わした。
ヴァレードは笑みを浮かべ、パチン、と指を鳴らす。
ピクリ、とアルザリアが僅かな反応を見せる――が、直ぐになんでもないように歩を進める。
何をしたのか、わかったのだ。
ヴァレードが行ったのは、遮断。
自分とアルザリアの姿、それと声を他者から認識できないようにしたのである。
そうする理由は、もちろん、今自分の方に向かっている相手が魔王アルザリアと察している――からではない。
単に邪魔が入ると面倒だから、というだけ。
これから楽しむ予定の会話に、邪魔が入って欲しくないのだ。
遮断されたことはアルザリアも察したが、何も言わない。
いや、言える訳もない。
今ここにアルザリアが現れたのは、身バレという魔王的危機的状況なのかどうかを確認するためで、もしそうなのであれば、どうにかこうにか回避してみせると息巻いているのである。
そのため、遮断されたことに気付かない振りをしなければいけないのだ。
まあ、実際は既に魔王的危機的状況しているのだが。
ヴァレードの下まで来たアルザリアは、恐る恐る声をかける。
「あ、あの、お昼に現れた方の一人、ですよね?」
偶然ここに来ましたよ、という風でそう声をかけるアルザリア。
魔王的知略で、「偶然」という部分を強調するために口笛の一つでも吹こうかと考えたが……やめた。
身バレしたかもしれないという緊張から唇が乾燥していることに気付くのが遅かったのである。
まあ、実際に口笛を吹いていれば……それはそれで怪しんでくださいと言っているようなモノなので、自分で自分の首を絞めるような行動であったのだが、相手がヴァレードだとそれはそれで面白いと判断してスルーしていた可能性は高いため、魔王的知略もあながち間違ってはいなかった。
ただ、ヴァレードは、そんな行為に対してわざわざ口にしようとは思っていない。
何故なら、そんな如何にもといった行為を取ってもらった方が面白いと思うからである。
なので、もし口笛を吹きながら現れていたのなら、ある意味黒歴史行きになっていた可能性も含まれていたのだが――アルザリアはギリギリで回避していた。
「ええ、そうですよ。お昼振りでしょうか。それで、どうかされましたか? こんな夜に女性が一人で出歩くのは危険ですよ」
ヴァレードが心配するように言うが、内心としては一切そう思っていない。
寧ろ、危険なのは相手の方だろうと。
「大丈夫です。こう見えてそれなりに自衛ができますので」
「ほう。そうなのですか? 見た目と違ってお強いのですね」
「そ、そうなのです! あははは」
実際は自衛どころの話ではない。
「それで、えっと……その、私の……い、いえ」
「おや、どうかされましたか?」
「いや、あー……」
ヴァレードは自然な態度だった。
それこそ、相手が誰かわかっていないような――少なくとも、魔王だとわかっていて接するような態度ではない。ということに、アルザリアは内心で思う。
(あれ? もしや、本当にわかっていない? あの時、私にあの場から去るように言ったのは、何か別のことが理由で……そ、そうか。魔王的危機的状況していなかったのか)
内心でホッと安堵するアルザリア。
そんなアルザリアの思考を予測から読み解いていたヴァレードは、笑いを堪えるのに必死である。
アルザリアが時々あの場から居なくなっていたのは知っていたが、それで何をしていたのかまでは知らなかった。
しかし、それを知り、アルザリアを前にしたニトの状態を見てから――今、ヴァレードはニトとアルザリアの今後に興味津々である。
そんな、実は内心では目を輝かせているヴァレードには気付かずに、アルザリアは魔王的直感で気付く。
(……はっ! もし魔王的危機的状況していないのであれば、私がこの場に居るのは非常に危険なのでは? 自らバラしに来ているようなモノでは……)
アルザリアは恐る恐るヴァレードの表情を見る。
ヴァレードはニッコリと笑みを返し、アルザリアは大丈夫だと判断した。
(バレてはいないっぽい。でも、ヴァレードはもっと色々と鋭いはずだけど……ん? もしかして、それだけ私が上手く隠せているってこと? そ、そうだよね! 今の私を見て、魔王だなんて思わないよね! どこからどう見ても『ouma』ってことだよね!)
魔王的自信の高さである。
(あっ、でも待って。そうなると、今ここに居る私って迂闊? でも、結果としてバレなければ問題ないよね。なら大丈夫か……いや、今、不自然な会話でなかった? というか途中……な、何か言わないと!)
魔王的頭脳でもって、アルザリアは答えを導き出す。
「そ、そういうば、もう一人の方は大丈夫なのですか? 何やら普通ではなかったと言いますか……」
状況を思い出し、アルザリアは絞り出すようにして尋ねた。
ヴァレードは、それを言われるのを待っていました、と言わんばかりの勝利を確信したかのような笑みを浮かべる。
「ええ、大丈夫ですが、そのことについて聞きたいことがあなたさまにございまして。こうして再び会えたことは……きっとそうしろ――そうする運命なのでしょう」
「う、運命?」
「実は、お昼に居たもう一方は私が現在行動を共にしている方でして――まあ、仕えていると言ってもおかしくはありませんが」
「は、はあ……(ヴぁ、ヴァレードが仕えているって、どういうこと?)」
そんなヤツだったか? とアルザリアは内心で困惑する。
「その方がああなった原因に一つ心当たりがあるのですが、実は確証はありません。いえ、正確には確認していない、でしょうか。なので、確認してもよろしいですか?」
「それは、つまり、私に関係ある、と?」
「はい。実は、あの方はとある絵描きの絵に非常に好感を抱いています。何しろ、その絵描きのことを『神絵師』と呼ぶほどに」
「……へ、へえ~」
アルザリアは自然と上がりそうになる口角をそのままで維持するのに必死だった。
話の流れで察したのである。
だが、直接言われた訳ではないので、油断はできないと我慢したのだ。
「その神絵師の名は『ouma』。あの方は本能で感じ取ったのかもしれませんが、念のためにお聞きします。あなたが『ouma』ですか?」
そう問うヴァレードを傍から見れば、間違いなく確信している表情ではあった――が、当のアルザリアは気付かない。
それどころではなかったからだ。
―――
翌日。朝。高級宿。ニトが宿泊している部屋。
「それで、こんな朝からどうした? 何か緊急か?」
起きて支度を終えるのとほぼ同時に、ヴァレードがニトの下を訪ねてきた。
ニトの問いに、ヴァレードはその通りですと頷きを返す。
「はい。現在ニトさまが戸惑っている、あるいは不思議に思っていることの原因――いえ、原因だとどこか悪いように聞こえる場合もありますので、今回はそれに関わっている者をお連れしました」
「原因? お連れ?」
そこで初めてニトは気配を探る。
確かに、部屋の扉の外に一人――と確認した瞬間、トゥンク……と心臓が高鳴った。
……ん? 自分の胸辺りを見るニト。
今何か――と思ったところで、ヴァレードが扉の外に待機してさせていた者――アルザリアを招く。
「こちら――」
ヴァレードが言う前に、ニトは既に規則正しい姿勢であった。
さすがのヴァレードも、これでは昨日の繰り返しだと、一旦アルザリアを退室させてニトを正気に戻し、説明をしてから――とアルザリアを見ると、ガチガチである。
ド緊張しているのが見てわかった。
アルザリアにだってわかっている。
魔王という身を隠すのであれば、できるだけヴァレードとの接触は避けなければならないとうことは。
実際は既に魔王的危機的状況しているが。
しかし、それでも……自分の絵のファンだという者に会わない、という選択肢は選べなかった。
何しろ、初めてなのだ。
自分の絵が心の底から好き――ファンだという者に会うのは。
だから、アルザリアはここに来た――のだが、部屋の外で待っているまではまだ平気だった。
実際、ヴァレードに対しても、自分は上手く隠せていると魔王的自信を持っている。
だが、ファンだという者に会うため、部屋に入った瞬間――その身はド緊張に包まれた。
初めてのファンということで、勢いで会いに来てしまったが、もし自分と会ったことで落胆、あるいは失望されて、結果としてファンでなくなってしまったらどうしよう、と最悪の出来事ばかりが魔王的頭脳に過ぎっていく。
そのため、来た瞬間にド緊張でテンパり、何も言えなく、聞こえなくなっていた。
今なら、右手右足、左手左足と、妙な歩き方になってもおかしくない雰囲気である。
自分が楽しむためにセッティングした状況だが、ヴァレードは頭を抱えたくなった。
ある意味で、ニトとアルザリアは、ヴァレードの想定を上回った――と言えなくもない。
―――
ニトが本能から理性を取り戻し、アルザリアのド緊張がせめて緊張くらいになるまで、それなりの時間――早朝からお昼にかけて、双方どちらもそのままの姿勢で過ごすことになったが、どうにか会話できるだけの落ち着きを取り戻す。
その間、ヴァレードは朝食であるパン、コンソメスープ、ベーコンエッグをいただき、優雅に紅茶を嗜みつつ、まったりと過ごしていた。




