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展示品を狙った盗賊たちが動き出すとしたら、芸術祭が開催されてから数日後からであると、トレイルは推測していた。
下調べが終わり次第、動き出すのは明白である。
ここで、トレイルにとって唯一の懸念があった。
それは、盗賊たちの協力・協調。
大きな盗賊団であったとしても、一つか二つくらいが協力した程度であれば、まだ対処可能――それだけの警備体制を敷いている自負がトレイルにはあった。
しかし、もし仮にという話だが、王都・ビアートに集まった盗賊すべてが協力・協調の姿勢をとった場合は、そのすべてに対処・対応できるかどうか怪しいのだ。
だが、それは杞憂とか、万が一にも有り得ない話。
何しろ、誰だって捕まりたくはない。
己を犠牲にしてその隙に――なんて殊勝な精神を持ち合わせている者が居るかどうか怪しいモノだ。
もちろん、すべてを否定する訳ではないので、中には居るかもしれない。
しかし、それは全体から見れば居ないに等しいのは間違いないだろう。
そのような状態で協力・協調など、不可能だ。
必ずどこかが得をして、どこかが損をする、となり、どこも得をする、とはならない以上、あり得ない。
なので、トレイルが危惧しているのは別のこと。
もし、盗賊以外――何かしらの組織や、あるいは国が関わっている場合、それに対処・対応するのは難しい、と。
だからこそ、トレイルにとってニトたちが警備に協力してくれるのは、ニトたちが思っている以上に頼りになって心身の負担を減らしていた。
何しろ、そういう時にこそ、ニトたちのような、組織や国――いや、何モノが相手であろうとも屈しない存在が必要になるのだから。
―――
そんなニトだが、ここ数日……いや、芸術祭が開催する数日前から、自身の妙な異変を感じ取っていた。
その異変とは、警備中に――その中でも王都・ビアート内を巡回している時に決まって起こっている。
どのような異変かといえば、巡回中、何故か突然「ありがとうございます!」と言いたくなるのだ。
もちろん、言いたくなるだけで実際に声を出した訳ではない。
しかし、言いたくなるのだ。
ただ、珍妙なことに、その相手が居ない。
感謝の言葉を伝えたい相手はどこにも見当たらない。
そういう行動をされた訳でもない。
ただ、無性に言いたくなるのである。
この異変に心当たりがありそうな者に、ニトは尋ねた。
「さあ、吐け」
「と言われましても何が何やら。……あっ、それとも、刷毛を常に用意しておけ、という意味なのでしょうか?」
「そんな訳あるか」
尋ねられた時、ヴァレードは本当に要領を得ていなかった。
そもそも、本当に心当たりは一切ないのである。
本当にヴァレードはニトたちを観察しているだけで、手出しは一切していないのだ……まだ。
「……本当に何もしていないのか? するなら、まず間違いなくお前だと思ったんだが」
「それは光栄です、と言うべきところでしょうが、生憎本当に何もしておりません。それに、何か手を加えれば、それは自然ではなく虚構。私はできるだけありのままを楽しみたいのです。まあ、それでも手を加える時はありますが、それは本当にどうしようもない時、あるいはもっと楽しくなると思った時に、です」
「今はその時ではないと?」
「はい。まったく。そのままで面白いですよ」
「それはそれで喜べないが」
「それに、迂闊に手を出すとあの狼がうるさいので」
やれやれ、と肩をすくめるヴァレード。
確かに、ヴァレードがこんなことをして何が楽しいのか? とニトも疑問に思わなくもない。
自分が突然感謝の言葉を口にしそうになるだけで、それ以外は一切何もないのだ。
何かしたのがヴァレードであるならば、もっとこれ以上のことをさせるだろう、とも思える。
なら、ヴァレードではない? それなら誰が……とニトは考えるが答えは出ない。
「それにしても、突然感謝の気持ちを抱いて言葉を伝えたくなるですか……妙な反応と言えば妙な反応ですね……ふむ」
そこでヴァレードはニトの異変について考える。
こういうのは、当事者は案外気付かないモノだ。
それが当たり前のことであって、無意識下での行動であれば尚のこと。
しかし、当事者が自然だと思えることであっても、外から見れば不自然、あるいは気にかけることもある。
なので、ヴァレードは一つ思い当たることがあった。
それは、ニトがレイノール王国から来たマヒア家の三姉妹に会った時のこと。
いきなり平服し出すなど、普段のニトからは想像できない態度であったと、ヴァレードは記憶していたのだ。
だから、ヴァレードはそこから答えを導き出す。
――ニトにとって、無意識下で感謝の言葉を伝えたくなるような、そんな存在がここに居るのではないのか? と。
そして、出会いはいつだって突然なのだ。
どちらにとっても……。
―――
王都・ビアート内にある、とある美術館にあった展示品――「天の瞳」。
それは巨大な輝く真珠である。
末端価格は金貨数百枚。
もしこれを宝飾品として身に付ければ、どこででも話題の中心になることは間違いない。
それが――奪われた。
綿密な計画によるもの――ではなく、力業で。
警備にあたっていた騎士を瞬時に倒し、展示されていたケースを破壊して奪い、逃走を図ったのである。
犯人は、黒いフードを深く被って顔を見せてはいないが、若い男性。
異変には直ぐに気付き、警備にあたる者たちが一斉に動き出す。
しかし、フードの男性にはそれでも捕まらない勝算――いや、力業でも問題ないだけの自負があった。
というのも――。
「は、速い! なんて足の速さだ!」
フードの男性を追いかける警備の一人が、そう口にする。
追いかける警備たちとフードの男性との距離はぐんぐん開いていく。
そこが人垣だろうが、建物の上だろうが関係ない。
時間が経てば経つほど、距離は開いていく一方だ。
一向に縮まらない。
しかも、フードの男性は余裕そうな、警備たちを小馬鹿にするような態度が逐一見受けられる。
距離は開いていくのに時折警備たちが追いつくのを待っていたり、こちらだよ~と手を振ってきたりと、警備たちをからかっているのは明白だった。
その様子を見て、警備の一人が口を開く。
「間違いない。あれは『瞬盗』だ」
「は? なんだって?」
「『瞬盗』。主にレクロ国で活動して名が売れている盗賊だ。今俺たちが味わっているように、足の速さが自慢で、それを活かした窃盗を行っている」
「確かに速い。……くっ。鎧さえなければ」
「追い付けるのか?」
「……無理だな」
追いかける警備たち。
しかし、フードの男性――瞬盗は速く、追い付けない。
その様子を見て、瞬盗は厳重警備といえども、こんなモノかと悟る。
瞬盗は確かに足が速い。
しかし、実際はそれだけではない。
あまり知られていないことだが、風属性の魔法の使い手で、自分に追い風を吹かせて、目に見えぬ速度を上げているのだ。
そんな瞬盗にとって、今のこの出来事は下調べの一環であり、警備の動きと追走してきた際の速度を確認するため行動であった。
そのため、もし追い付かれそうであったなら、力業で盗んだ「天の瞳」はそこらに捨てて逃げるつもりだったのだが……その必要はない、と瞬盗は判断する。
あとは、そのまま逃げながら次を考え始めた。
瞬盗には本命の狙っているモノがある。
大屋敷美術館に展示されている、装備すれば速度が上がると言われている腕輪だ。
自分を捕まらない盗賊として足らしめている長所を、さらに伸ばそうと考えていた。
そのために「天の瞳」は使えると考える。
何しろ「天の瞳」は間違いなく一財産級の宝物だ。
これを餌にすれば、陽動として動くヤツが多く居るだろうと考える。
惜しくはない。
何しろ、自分の能力がさらに上昇すれば、そのくらいは余裕で稼げると踏んでいるからだ。
ほくそ笑む瞬盗。
今、輝かしい未来が見えていた――と、そこで、追いかけている警備たちの会話が聞こえた。
その中に先ほどまで見かけなかった者が居ることに気付く。
それはニトだった。
「あれを捕まえればいいのか?」
「た、頼む」
息も絶え絶えな警備の一人が、ニトにそうお願いした。
しかし、甘い――と瞬盗は断ずる。
体力にも自信があるのだ。
俺には誰も追い付けねえよ――と瞬盗が駆け出した瞬間、その横から声がかかる。
「どこにいく?」
「は?」
瞬盗が、いやに近くで声が聞こえると視線を向けると、先ほど見かけなかった者が自分と並走していることに気付く。
ニトはそのまま殴るために拳を放つが――運命のイタズラとでも言うべきか、まさか自分の隣に人が居るとは思わなかった瞬盗は動揺し、足を滑らせる。
その時逃亡していた場所は、建物の上。屋上。
足を滑らせた瞬盗は屋上を転がり、そのまま屋上を越えて――落ちていく。
「面倒な」
仕方ない、とやる気のない追走を始めるニト。
屋上から飛び出し、落ちていく。
勢いはニトの方にあった。
地面に到達する前にニトは瞬盗を捕まえて一発入れて気絶させる。
その身に似つかわしくない大きな真珠が盗んだモノだと判断して、ニトが瞬盗から取り返した時、下の様子が見えた。
何やら妙に子供が集まっている。
大人も居るのは居るが、保護者だろうか。
その中心には大人が一人居て、絵を――似顔絵を描いているようだった。
ニトと瞬盗が落ちる場所は、そこから上手く脇に逸れているので、そのまま着地しても大丈夫である。
なので、そのまま気絶した瞬盗を脇に抱え、着地しようとした瞬間、ニトは似顔絵を描いている者と目が合う。
向こうもニトを認識しているようだった。
その瞬間――ニトは世界がスローモーションのように流れ始める。
頭の中に愛を伝える歌が流れているような錯覚すら覚えた。
似顔絵を描いている者は女性。
燃えるような赤い髪が特徴的な女性で――。
「ありがとうございます!」
赤い髪の女性に向けて、ニトは無意識下でそう叫んだ。
ついでに言えば、着地しようとしていた足がそのまま跪こうと動き出し――ドゴンッ! と中途半端な体勢でニトは地面に落下した。
もちろん、無傷である。
ただ、そんなことは気にならないと、ニトの目は赤い髪の女性に釘付けだった。
頭が真っ白で、ニトは何を言っていいのかわからない。
そこに、ヴァレードが空中から降り立つ。
ニトのあとをのんびり追っていたのだ。
「……おや?」
ニトの変化を直ぐに見抜き、直ぐに周囲の状況を確認して――見つける。
赤い髪の女性を。
女性の顔、姿を見て――ヴァレードは膨大な情報を瞬間的に整理して、何がどうなっているのかを正確に見抜き……笑みを浮かべる。
それは、子供がおもちゃを見てキラキラと目を輝かせるような、そんな笑みだった。




