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「いや、待ちなよ」
ニトの頭の上に前足を乗せて、落ち着かせようとするノイン。
「勝手に受けるんじゃないよ。それに、報酬だって可能な限りの便宜ってのがどこまでなのかを聞いてからでも遅くないんじゃないか?」
「……いや、絵が困っているのなら、まずは助け出すところからが普通だ」
「普通じゃないよ。真顔で何を言っているのやら」
はあ、と息を吐くノイン。
ニトは絵が関わると普通じゃなくなり過ぎる、と頭を抱えたくなった。
フィーアも同意見なのか、少し呆れた目を向けている。
エクスは慣れたモノで、初対面の人前では迂闊に喋らない。
何より、漸く外に出たのだ。
満喫中であり、下手に注目を浴びて美術館送りは勘弁して欲しいのである。
ヴァレードは、ニトの変化に対して既に笑いそうになっていた。
前後不覚過ぎる、と。
そんなニトたちに、トレイルが口を開く。
「いえ、もちろん、その辺りもいただいた情報から既に考えてはいます。ただ、それで納得されるかどうかがわからず……」
「ふむ。聞こうじゃないか。言ってみな」
ニトが使い物にならない――早く絵を助けに行きたくてソワソワして正常な判断ができないため、代わりにノインが答える。
「一応、ハッキリと考えたモノは二つあります。まず、皆さまの食事の際の料金の免除です。ニト殿とノイン殿がオーラクラレンツ王国に居た際――特にノイン殿は食事に力を入れていたという話を伺っています。実際、オーラクラレンツ王国の辺境にある都市『シウル』では、ノイン殿のおかげで素晴らしい料理がいくつも生まれたと。なので、できれば同じようなことをここで行って欲しい、という気持ちから免除と」
「それは、私への依頼ってことか? 食事代はかからないから、好きなだけ食べて審査して欲しい、と」
「端的に言ってしまえばそうです。そう考えていただいて構いません」
「この体を見てわかると思うが、そこらの小童とは食べる量が全然違う。それでもいいんだね?」
「はい。構いません。何しろ、料理も言ってしまえば芸術の一つ。芸術であるのなら、その芸術がさらに洗練されるというのであれば、私たちは金など一切惜しみません」
トレイルがハッキリとそう答えると、ノインは笑みを浮かべる。
悪くないね、ということだ。
フィーアも満足そうに頷いている。
特に、ノインだけではなく、みんなというのが良かった。
というのも、ニトとヴァレードは基本的に大食いという訳ではなく、エクスはそもそも食事をする訳ではないので、男性陣に関してノインは気にしない。
では、何が良かったのかと言えば、フィーアが含まれている、ということが。
フィーアの分も含まれていて、満足するまで食べられるのなら……ノインも文句はない。
ニトが絵を重視したように、ノインはフィーアなのだ。
絵を重視するニトと、フィーアが中心のノイン。
ある意味で似た者同士であると言えなくないが、当人はどちらも違うと否定するだろう。
とりあえず今は、ノインの笑みに手応えを抱いたトレイルが、ニトへと口を開く。
「あとこれは、どちらかといえばニト殿に合わせたモノになっています」
「なんだ?」
正直なところ、今のニトは早く絵を助けに行きたい一心なので、そこまで思考が回らない。
なので、多少ぞんざいな口調になってしまったが、トレイルは気にした様子を見せなかった。
貴族らしくない貴族、なのかもしれない。
「これに関しては本当に悩みましたが、芸術祭の目玉の一つに、各国の宝物を持ち寄って大屋敷美術館で展示する、というのがございます。そこを一日貸し出す、というのは如何でしょうか? 日は芸術祭開催の前日。好きなだけ鑑賞していただいて構いません」
トレイルの提案にニトは正気を取り戻し、瞬時に頭の中で色々考えて、ほぼ瞬間的に答えを出す。
「受けよう」
拒否という言葉は一切考えなかった。
寧ろ、展示される宝物――絵のみに、どのようなモノがあるかが楽しみで仕方ない。
「絵は、あるんだろうな?」
「もちろん、ございます。大屋敷美術館に展示する目玉の一つに『乙女の微笑み』という、普段は厳重な宝物庫に入れられているような絵が展示されます」
「良し。受けよう」
ニトからすれば特に問題はなかった。
しかし、トレイル側としては一つの問題がある。
それはヴァレード。
「えっと……」
食事はノインとフィーアに、鑑賞はニトに合わせた報酬であったのが、そこに新たな人物が居る。
共に居るということは仲間であるということで間違いはない。
ただ、その情報は手に入れてなかったため、どうしたモノかと思ったのだ。
そのことに気付いたヴァレードは、笑みを浮かべる。
「お気になさらずに。私は特にそういったモノが欲しい訳ではありませんので」
「しかし、皆さまに合わせたモノがある中で何もないというのは」
「ふむ。そうですか? でしたら……そうですね。交渉権などいかがですか? 私個人としてはそこまで興味がある訳ではありませんが、見ている内に気が変わることもあります。もしかすると、どうしても欲しいモノがあるかもしれません。その時、入手の際にお手伝いしていただく、というのは? もちろん、失敗しても構いません。あくまで、お手伝いということで」
ヴァレードからの提案を、トレイルは少し考える。
「……大丈夫だと思います。それで構わないのであれば、こちらとしても問題はありません」
「では、そういうことで」
ヴァレードとトレイルの双方が納得する形で終わる。
あと、実際のところ、ニトたちにはエクスが居るのだが、黙っているのでトレイルが気付くことはない。
寧ろ、バレたら危険なため、惜しいとは思うが、ホッと安堵する方が気持ちとしては強かった。
とりあえず、これで話は終わりである。
「もう行っていいか?」
「あっ、はい。いえ、実はその、ニト殿たちの強さを考慮して、これから芸術祭が終わるまでの間、警備のご協力をお願いしたのですが、どうでしょうか? 一応、私の直轄とすれば、ある程度煩わしさは排除できると思うのですが」
強さと言ってもそれは又聞きであるため、それを信じるのか? 実際に見もせずに? とか色々と思うところが普通はある。
けれど、トレイルの裏としては、オーラクラレンツ王国の後押しがあるからだからだ。
大国が推しているのなら間違いないだろうし、実際に調べたところ魔族すら倒している。
トレイルからすれば、それだけの強さを持っている者たちが協力してくれれば、芸術祭はより安全だと考えたのだ。
「それくらいなら構わない。大事なのは、芸術祭が無事に始まり、無事に終わることだ」
ニトが即決する。
今は何よりも芸術祭が優先されるのだ。
そうするだろうな、とノインたちは思っていたので、特に文句は言わない。
何より、その方が動きやすい、ということもあるだろう。
「ありがとうございます。それでは場所をお教えしますので、向かっていただけますか? 戻ってくるまでの間に、こちらの方で諸々の手筈を整えておきます」
そう言ってトレイルは向かって欲しい場所――方角を教える。
「それで、戻って来た時はそこの門番に伝えていただければ、私がお迎えに参ります。宿も手配しておきましょう。ノイン殿を泊められるところとなると限られてしまいますので。それで、何時頃戻られるか予想はできますか? それを参考に準備を行うのですが」
「……まあ、明日か明後日だな。向こうの状況にもよるが、そう変わらないと思う」
「え? そ、そんなに早く?」
「ああ。いけるだろ?」
ニトがノインに確認すると、ノインはそれで問題ないと頷きを返す。
「それでは、いってくる」
「え? あ、はい。お気を付けて」
早速行動を開始するニトたち。
意表を突かれたトレイルは、この場で少しポカンとしていた。
―――
「ハハハハハッ! これで随分と簡単に儲けられるな!」
「ヒハハッ! 王都に向かう街道はここしかない! ここさえ押さえておけば、あとはどうにでもなるってもんよ!」
「クハハッ。その通りだ。馬車が通れないようにすれば、あとは全員で襲撃すれば片が付く。芸術祭に持ち寄られる物でも高値が付くだろうし、購入も考えて有り金もたんまりに違いない」
高笑いを上げる盗賊たち。
最早集団と言ってもいい十数人規模であり、王都・ビアートに続く街道の一部を我が物顔で占拠していた。
街道上には切り倒した木が何本も置かれ、馬車で無理矢理進めないようにしている。
また、その付近には身を隠せるだけの林が広がっており、そこに盗賊たちがいつでも戦闘を行えるように待機していて、馬車だろうが徒歩だろうが、足をとめた段階で襲撃が行われるのは間違いなかった。
「それに、ここをとめておけば、近場の町で足止めされる。そうなった時、町を襲撃すれば金を持っている奴らがわんさか居るに違いない。一気に儲けるチャンスだ」
再び笑い出す盗賊たち。
この盗賊たちの見る未来は明るい――ここまでは。
街道上に突風が吹き荒れ、切り倒された木はすべて吹き飛んでどこか遠くの方に飛んでいく。
盗賊たちは突然の突風に吹き飛ばされそうになるが、どうにか耐える。
「ん? ああ、あそこか。ノイン。行き過ぎだ」
「おっと、あまりにも脆弱過ぎて見逃してしまったようだね」
「なんでしたら、私が探知しましょうか?」
「耄碌したとでも言いたいのかい?」
「善意による提案ですが?」
「とてもではないが、そんな風には見えないね」
「見たいものだけを見てしまうというヤツでしょうか? もっと広い視野を持った方がいいですよ。まあ、私が誤解されやすいだけ、ということもあるかもしれませんが」
「誤解とは思えないが」
「こらこら、やめろやめろ。いきなり喧嘩をしようとするな。お前らだと地形が変わりかねない。そんなことになれば、芸術祭に絵の展示が間に合わなくなるだろうが」
盗賊たちは突風による土埃によって、未だ視界は確保できていない。
だから、何が来たのかはわからないが、そのような会話だけは聞こえた。
なので、盗賊は盗賊らしく声をかける。
「何者か知らねえが、命が惜しければ身ぐるみを置いていけ!」
その声に合わせて、盗賊たちは一斉に身構える。
そして、土埃は晴れ……そこに誰の姿もなかった。
「……は?」
盗賊の一人が素っ頓狂な声を上げた瞬間――ドサリ、と何かが倒れる音が耳に届く。
聞こえた方に視線を向ければ、仲間の盗賊が倒れていた。
「……え?」
もう一度素っ頓狂な声を上げると、ドサリ、ドサリ、と仲間の盗賊が次々と倒れていき、この盗賊の一人が何かが見えたようなと意識する前に意識を失って倒れる。
なんてことはない。
盗賊たちでは知覚すらできない速度でやられただけである。
あっという間に盗賊たちは全員倒された。
「しまった。辺境都市・シウルの時の癖で、思わず生かしてしまった」
「私もだよ」
「皆さんがそうしていましたので私もそうしたのですが……」
「まあ、いいか。別に大した時間もかからないし、近くの町にでも放り込んでおくか。そうすれば、ここの盗賊が居なくなったということもわかるだろ」
そう判断して、ニトはヴァレードと共に縄で盗賊たちを縛り上げ、近くの町まで連れていき、この街道を封鎖していた盗賊たちは居なくなったと証明して、王都・ビアートに戻っていった。




