その7
「しょう、や…」
理解できなかった。
なんで翔也が可憐の隣にいるのか。なんで可憐は翔也と一緒に歩いているのか。
そしてそれほど仲の良くなかったはずのふたりが、なんであんなに楽しげに寄り添っているのか。
なにひとつ理解できない。したくもない。
だって、認めてしまったら、それは…
「おはよ、お前も朝早いんだな」
「おはようございます、お姉様」
戸惑うばかりの私に、ふたりが近づいてきて挨拶をしてくる。
翔也は気軽に、可憐はこちらを敬うように、ぺこりと頭を下げながら。
「おは、よう…」
私もなんとか返事を返すけど、それでもきっと声は震えていたことだろう。
動揺を隠しきれていないことは、自分でも分かっていた。
それでも、ふたりがあまりにいつも通りの態度で接してくるものだから、翔也達がこうしているのは実はたまたまで、偶然が重なり一緒に歩いているだけだと、そう思いたくなってしまう。
……そんなはずはないというのに。
明らかにただの知り合いの距離感ではなく、楽しそうな雰囲気を放つふたりの姿を、私はこの目で確かに見ていたのだから。
「……な、なんでふたりは一緒にいるの、かな…」
本当は、こんなことを聞きたくなんてなかった。
できれば今すぐにだってこの場から逃げ出したい。
耳を塞ぎ、目を瞑ってこれは夢だと思いたい。
それができないのは、きっと私にも意地があったから。
先輩としての意地と、事実を確かめなくてはならないという、女としての意地が、私をこの場に留めていたのだ。
たとえその先に、悪夢のような現実が待っていたのだとしても。
「あー…これはだな…」
私からの問いに、恥ずかしそうに頬をかく翔也。
そのいかにも「言ってもいいけど気はずかしいです」という態度に、思わず頬をヒクつかせた。
幸せそうな翔也とは、きっと真逆の表情を浮かべていたことだろう。
(その顔はなによ…なんなのよ…)
思わず心の中でそう言わずにいられない。
なんで可憐が隣にいてそんな顔をしているんだ。
私が一緒にいたときはあんなにいがみ合って、面倒そうにしてたじゃない。
電話でだって、愚痴を言ってくるくらいにはうんざりしてたはずなのに…!
「翔也さん、お姉様には私がお答えいたします」
理解不能な現実を前に打ち震えていると、私と翔也の間に割って入る声があった。
私のことをお姉様などという人間は、たったひとりしかいない。
「可憐…」
それは本来ならこの場にいるはずもない存在。
私の誘いを断り、誰かの告白を受けに別れた子。
「はい、お姉様。改めておはようございます。朝から見るお姉様は、やはり美しくてなによりです」
そう言って微笑む少女の名前は四ノ宮可憐。
翔也をなんとも思っていないと言っていたはずの、女。
その笑顔は女の私から見てもとても可愛らしくて、思わず見とれそうになってしまうもの。
その笑顔を見たら、落ちない男はいないだろうと、密かに危惧していた魔性の笑みだ。
この笑みを幼馴染に向けられたらまずいと、本能は警戒していた。
だけど、翔也のことは好みじゃないって言葉を信じたから、私は警戒を解いて、安心してたんだ。
だけどそれは間違いだった。
訴えてくる本能からの警告は正しいものだったのに、信頼という理性でそれをねじ伏せてしまった。
……いや、違う。私は認めたくなかっただけだ。
可憐に嫉妬している自分を、醜い私自身を認めたくなかったんだ。
「あり、がと。…そ、それよりさ、なんで可憐は翔也とい、一緒に、いるの?」
慕ってくれていると思っていた。
私も可愛がっているつもりだった。
ふたりの間には、確かに信頼があると思ってた。
たとえ隠し事があったとしても、私に可憐が嘘をつくはずがないと、きっと無意識のうちに信じていたんだ。
「それは、ですね…」
それなのに…それなのに…!
「私と翔也さんが、先日からお付き合いさせて頂くことになったからです」
可憐の口から出てきたのは、私にとって最悪の、裏切りの言葉だった。
「つきあ…へ?可憐と翔也が、え…?」
「はい。その、翔也さんから告白されまして…」
ああ、なんてわざとらしいんだろう。
きっと今の私は、目に見えて動揺しているはずだ。
だけど、例え頭の中ではそうだろうと分かっていても、現実を言霊として直接叩きつけられるのはやはり訳が違う。
狼狽えずにいられるほど、私は演技も上手くない。嬉しそうにはにかむ可憐を見て、なんでと罵声を浴びせる余裕すらなかった。
「告白…?翔也、から…?」
「はい。昨日の呼び出しは実は彼からで、付き合って欲しいと…」
真っ白になった頭でできるのは、ただオウム返しのように可憐の言ったことを反芻することくらいしかない。
そんな私にさらに追い打ちをかけるように補足してくるものだから、もうパニック寸前だ。恥ずかしげな彼女とは対照的に、私はひたすら追い詰められていく。
「それに可憐は、OKしたの…?翔也なんてなんとも思ってないって、男と付き合うなんて考えられないって言ってたのに…?」
だから希望に縋った。
今の可憐には付き合い始めたと告げられたばかりで今更だけど、私にはもう過去の彼女の言葉を信じる以外に、道は残されていなかったのだ。
(お願いだから、嘘だって言ってよ…男なんて嫌いだって言ってたじゃない…)
あれもつい数週間前のこと。心底嫌そうに男を軽蔑していた可憐。
それを見て私は苦笑して、構って欲しそうにくっついてくるこの子にちょっとした意趣返しを思い付いて、そして……
「それは、お姉様のおかげです」
翔也のことを、紹介したんだ。
この子なら大丈夫だと、そう思ったから。
「わたし、の…?」
「はい。お姉様が私に翔也さんのことを紹介して下さったから、私は男の方も悪い人ばかりではないと知れました」
そう言ってチラリと翔也を見る可憐。目が合った翔也は気恥ずかしげだ。
そういえば昔から褒められるとすぐに照れるやつだったっけ。
普段見せない表情だから、私もそのうち可憐のことをダシにして、その顔を引き出してやろうと考えていたことを思い出す。
「最初はお姉様のことをもっと知りたくて、それだけの気持ちだったんです。だけど周りが見えていなかった私のことをこの人は叱ってくれて、そして私の相談にも真剣にのってくれて。その時きっと私の中に芽生えたんです。この人のことを、好きだっていう気持ちが」
だけど、それも可憐に取られた。
なにか色々喋っているようだけど、そんなのどうでもいい。
本当に、心底どうでも良かった。他人のノロケ話など、聞いていて面白いものでもない。私の名前を出してくるのもやめてほしい。それじゃ、まるで私が
「だから、本当に感謝しているんです。お姉様には。私とこの人を、出会わせてくれたから」
ふたりを引き合わせた、恋のキューピットみたいじゃない。
そんなつもりなんて、私には一切なかったのに。
「……ああ、うん。そうなんだ…翔也も、可憐と同じ気持ちなの?」
もう嫌だった。一刻も早く、この話を終わらせたい。
こんなの、私が望んでた未来じゃない。私はもっとじっくりと、翔也との仲を築いていきたかったのに、なんでこんなことになってるんだ。
「ああ。俺も、可憐の相談にのっているうちにさ、段々惹かれていったっていうか…なんていうか、守ってやりたくなったんだよ。自分でもコイツにこんな気持ちになるなんて、思ってもなかったんだけどさ」
そうなんだ。それもきっと、私が可憐に合わせちゃったからなんだよね。
つまりは全部が全部、私が悪いってわけ?あはは、でもさ。それっておかしくない?
私はいい方に話が転がって欲しかっただけなんだよ?それも、私に都合がいい方向にさ。
「へ、ぇ…そうなんだ。それは良かったね、両想いになれたんだ。そっか」
なのに、どうしてこうなった。こんなことになるなんて、私は一切望んでない。
こんなの本来、悪役が辿る道じゃない。あのときの私には、悪意なんて一切なかったって心から言い切れるのに。
おかしいでしょ、こんなの。有り得ないよ。
「俺からもありがとな。正直今も結構めんどくさいなって思うやつだけど、俺なりに大事にしていくつもりだから」
「ちょっと!彼女に対してめんどくさいってそれってひどくないですか!?」
「いや、事実だろ」
「ハァッ!?やっぱりデリカシーないですよね、翔也さんって!」
目の前で喧嘩を始めるふたりは、まるで最初に出会ったときの再現だ。
だけどそこにはあのときのような嫌悪ではなく、恋人同士の信頼のようなものが確かにあった。
ふたりの瞳は輝いていて、互いのことしか見えてない。
私のことなんてもう、眼中にないんだ。
「……ごめん、私先に行くから」
それに気付いたときにはもう駆け出していた。
こんなところにいたくない、一刻も早くふたりの前から消えたかった。
「あ、お姉様!」
走り出す背後から可憐の声が聞こえた気がするけど、もちろん立ち止まってなんてやらない。
綺麗だと思っていたはずの声は、もう不快感しか感じなかった。
「う、ぐぅぅぅ…!」
走って走って走り続けて、私は自分の髪に手を伸ばす。
「こんな、ものぉ…!」
髪を留めていたそれを、強引に引きちぎった。ブチブチと毛根が引き抜かれていく痛みが走るが、そんなものよりこれを身につけていると、自分が穢れていく気がしたのだ。
―――どうか受け取ってください
一瞬、これを手渡してきたときの可憐の姿が脳裏に浮かぶ。
あのときは確かに嬉しくて、綺麗な思い出となっていたのだ。
「なにが、なにが感謝してるよ!なにがありがとうよ!そんなの、そんなの…!」
だけど、それすらもすぐに塗り潰されていく。
怒りに染まった今の私に、思い出なんて無価値だった。
こみ上げてくる憎悪そのままに、ギリギリと髪飾りを握り続け、やがてバキリと小さな音が手の中で僅かに響く。
「ちくしょう…ちくしょう…」
信じた私が馬鹿だった。
握り締めた拳の間からポタポタと垂れ落ちる血の雫が、今の自分の心を表しているように私には思えた。
これにて完結となります、読んでくださりありがとうございました
散々引き伸ばしてしまい、申し訳ありません
下の評価を入れてもらえるとやる気上がって嬉しかったり(・ω・)ノ