手紙
列車は長いトンネルをやっと通り抜け、陽光が一瞬で客室内を真っ白に染め上げる。
目が日差しに慣れた頃に若きフットマンに視線を送ると、彼も私をずっと見ていたようで、互いにふっと笑い声を上げる。
「ピーターさん。あなたはフットマンとしてどのように働き、そしてどんな執事になりたいのでしょうか?」
彼は答えない。
「私もフットマンの頃は、とにかく底の見えない絶望の中にいるような気分にしかならなくて、時にはお嬢様の顔すら思い出せない程に疲れきっていました。だから、今のあなたに言えることは一つしかありません。どんな主に仕えたいか、その主の隣にはどんな執事が立っているかを想像してください」
お嬢様やエドワードとの出会いが私をここまで連れてきたように、私も彼の分岐点で僅かにでも道が示せるのだろうか。
「思えば父が私をあの屋敷にボーイとして奉公させた時から、執事になるためのレールの上に乗っていたのでしょう。ただしそのレールは乗車駅にしか敷かれていなくて、ここに来るまでには自分で材料を集めたり、時には人の手を借りながら少しずつレールを敷いてくるしかなかった。それでも、無駄と思える遠回りをしながらも、私は今ここにいる。そして、あなたもきっとそれができる人です。私は人を見る目だけは自信がありますからね」
お嬢様を上回る勢いで一方的に語ってしまったわけだが、話が終わった時、ピーターは少し気が晴れたような表情をしてくれた。
ちょうど下車する港町の駅に到着し、良き出会いがありますようにと別れを告げると、彼は笑顔でこう言った。
「私は運が良い。あなたという素晴らしい執事に出会えたのですから」
駅から降り立ち、周りを見渡すとすぐに予約されているというホテルが見つかる。なんだ、住所のメモなんかいらなかったじゃないか、と少し笑いながら中に入り、チェックインの手続きをする。
宿泊者カードに名前を記入したところ、フロントのボーイが何かに気付いたようで、一度バックヤードへ下がった。そしてその手には、お嬢様が愛用されていた封筒があった。
「フィリップ様宛にこちらの手紙をお預かりしておりましたので、お渡しいたします。お部屋は最上階の海の見える部屋をご用意しております。ベルボーイがご案内いたします」
「いいえ、結構! 鍵だけください」
奪うように鍵を受け取り、一気に階段を駆け上がり、部屋の中に入り荷物を投げ出す。震える手で封筒を破り開けようとするが、思い直し荷物から取り出したペーパーナイフで慎重に開けると、ふわりとお嬢様の香水の香りがした。
親愛なるフィリップ様
わたしの最後のわがままを聞いてくれてありがとう。この旅の用意を息子にお願いしたのだけど、あなたなら必ずここへ来てくれると信じていたわ。
執事になってずっと一緒にいてねっていう約束をしたのに、あなたは別れも言わずこの屋敷のボーイを辞めていったのよ。その時のわたしの気持ちわかるかしら? 本当に悲しかったのよ。
実はね、ランプの灯り越しにあなたの瞳を見てから、ずっとあなたに恋してきた。結ばれない恋だって分かっていたし、政略結婚することも分かっていたから、わたしはこの気持ちをわたしの中の少女の部分にずっと持たせてきたの。
決してあなたにも、家族にも、他の使用人たちにも気付かれてはいけない。だからね、あなたが執事としてこの屋敷に戻ってきてくれた時、この気持ちを根性で箱の中に詰め込んだの。あなたがずっと傍にいてくれるならそれだけでいいって思っていたから。
でもね、夫ときたら! フィリップに選ばせたと言いながらニヤニヤとあの素敵なネックレスを持って来たのよ! そして言ってくれたの。「実は最近君の気持ちに気付いてしまった。そして、実は私も君と同じように叶わなくてただ持っているだけの恋がある。もちろん恋をどうこうする気はないし、君にはしっかり家族としての愛情がある。だから、これはフィリップからのプレゼントだと思って心置きなく大切にしてくれていいんだよ」
初めて夫が格好良く見えた瞬間だったわ、悔しいけど。
あのネックレスをわたしだと思ってここまで来てくれたのかしら? わがままは今までたくさんしてきたけど、結局旅に着いてきてもらう事はなかったから、それだけが後悔だったの。こんな形にはなってしまったけど、最後に叶えられて良かった。
ねぇ、知ってる? 瞳は魂の色だから、生まれ変わっても同じ瞳の色をするんですって。
わたし、記憶が無くてもあなたに出会ったら、絶対またあなたに恋するわ。
今度はあなたが主で私が仕えるっていうのもいいわね。叶えられない恋でも、寄り添えればそれで十分なのだから。
あなたという最高の執事とともに(ついでに夫も入れてあげるけど)、こんな素晴らしい人生を歩めて本当に幸せだった。あなたはどうだったかしら?
この先の人生も長いのだから、しっかり自分のために楽しんで生きてね。
たくさんのありがとうと、この恋心をこめて。 あなたの主より
あ、最後に初めてお嬢様って呼んでくれたわね! ありがとう、ずっとそう呼んで欲しかったの!!
涙が便箋に落ちないように気をつけながら何度も何度も読み返し、お嬢様の言葉を心に刻み込む。
ところどころがお嬢様らしい、貴族らしくない言葉で書かれており、そういえば普段も言葉遣いや所作などが時々幼い頃を思わせるようなものがにじみ出ていたな、と思い出す。誤字もたいして気にせず適当に二重線で訂正しているあたりが、本当にお嬢様らしい。
決して交わることの無い二つの恋心が、実はこんなに近いところに寄り添っているだなんて。私はもちろん、お嬢様ご自身だって最期の最期まで気付かなかった。
私たちは最高の主従関係になることで、ずっと寄り添うことができた。
なんて幸運なのだろうか。
ふと立ち上がり、窓から景色を見渡すと、太陽が海に沈みかけ波間を縫うようにオレンジロードが描かれている。そして空は、お嬢様の瞳の色。
胸ポケットからそっとネックレスを取り出し、アメジストに話しかける。
「嫌ですよ、お嬢様。あなたが侍従になんてなったら、屋敷中のあらゆる物を壊しそうではないですか。生まれ変わっても、私があなたに仕えます」




